災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第二章

戌歴九九八年・春(五)

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翌日、ラウラがカイの居室を訪れると、寝所の前で何事かを囁き合う侍女に出くわした。
「いかがいたしましたか?」
侍女はみな、カイ付きの者だった。
ラウラに気がつくと、彼女たちは姿勢を改めて畏まる。
「大使閣下は、まだお目覚めでないのですか?」
「はい……」
「なぜ起こさないのですか?」
「それが、その、大使閣下は先ほど戻られたばかりでして……。かなりお疲れのご様子でしたので……」
歯切れ悪く話す侍女の顔には、カイの不調を気遣うというより、おもしろがっているような表情が浮かんでいる。
ラウラは訝しみつつも、承知した。
「わかりました。午前中はもともと今後の打ち合わせと軽い座学しか予定がありませんでしたから、そのままお休みいただきましょう。ただ午後には太弟殿下がいらっしゃるので、遅くともお昼には起こしてください」
伝言を残し、ラウラが廊下に出ると、侍女たちの忍び笑いが耳に入った。
(……なんだろう?)
ラウラは足を止め、戻って侍女を問いただそうかと逡巡する。
今までの宴席では、どんなに遅くなっても日が昇る前には床につくことができた。
それが、よりによって自分が離れた席で、カイの戻りが朝になるとは。
(私がいないから、むしろ相手方の気遣いが減って遅くなったのかな?)
(それとも、なにか面倒事が……?)
ラウラは、しかし深堀をしなかった。
カイの戻りが遅かったことと合わせて、侍女の態度も気にかかったが、それは自分に向けられたいつもの嘲笑の可能性もあったからだ。
十三歳で官吏、それも役まで頂戴している少女は、いつでも噂の的であった。
指を刺されることにも、流言飛語が背後を飛び交うことにも、ラウラは慣れきっていた。

正午過ぎになって、ラウラはノヴァを伴い、再びカイの居室を訪ねた。
ラウラはまずノヴァの指示に従い、控えていた侍女を下げさせ、居室の周辺から人払いをした。
カイはすでに目を覚まし、身支度も終えていたが、顔色が悪く、食事もまだとっていないという。
ラウラは座卓に三人分の茶を用意し、カイの前には茶菓子として備えてあった干し葡萄を置いた。
座卓を三人で囲い、それぞれ一口ずつ茶を飲む。
カイはすぐ干し葡萄に手を伸ばすが、それを遮るように、ノヴァは言った。
「昨晩は随分と羽目を外したそうだな」
ノヴァの声には刺があった。
眉間にはうっすらとしわが寄っていた。
見るからに、苛立っていた。
「はやくも廷内は噂で持ちきりだぞ。君の周りに置く侍女はもっと口の堅い者にすべきだった」
「あのちょっと、まじで、誤解がある。とりあえずおれの話を聞いてほしい」
「弁解の必要はない。すでに廷内には君が春宿通いをしたことが事実として流布されている。それも――――彼女が同伴したという尾ひれまでついて!」
それを聞いたラウラは目を瞠った。
ノヴァの発言の内容より、ノヴァが怒りを露わにしていることに、彼女は驚いていた。
(ノヴァがこんなふうに怒っているところ初めて見た)
(おにいちゃんのめちゃくちゃな実験に付き合わされたときだって、文句は言っても、怒ったりはしなかったのに……)
驚きのあまり、つい立場を忘れ、ラウラはただの幼馴染であるノヴァを思い出す。
「待って!ほんとに違うんだって!やっぱ弁解させてくれ!!」
カイは身振りを大きくしながら、必死に昨晩起きたことを説明する。
自分としては揚げ菓子屋にいくつもりだったが、連れられた場所は売春宿、この世界で言う春宿だったこと。
店に入ってから気づいたため、女たちや主人の手前、すぐに帰ることもできなかったこと。
「噂される事実そのままじゃないか」
「そのままではないだろ!だっておれ知らなかったんだもん!」
「しかし結局断らなかったんだろう。……味をしめてきたんだろう?同じじゃないか」
「だから!違うんだって!おれはなんにもしてない!確かに一晩あそこにいたけど、服の一枚も脱いでない!いまだ純潔のまま!童貞のどの字も卒業できていません!」
カイは叫んでからはっとして、ラウラの方を見た。
ラウラは顔を真っ赤にして、カイから目を逸らす。
ラウラは春宿も童貞の意味も正確には知らない。
しかしそれらが情事に関わる単語だという認識はあった。
ふたりの会話の内容を、不明瞭ながらも、理解してしまっていた。
「馬鹿がっ!」
ノヴァは一喝すると、カイの頭をはたいた。
「いてっ!?」
ラウラは驚天動地の出来事に思わず声を出してしまう。
「ノ、ノヴァが人をぶった……馬鹿って言った……!?」
ノヴァはラウラに言われて顔を赤らめた。
「……慎め」
ノヴァは視線を落として呟いた、それはカイと共に、自分にも言い聞かせているようだった。

三人の間をしばらく沈黙が流れる。みな羞恥で顔が赤く、どこか気まずそうだった。
「……その、悪かったよ。軽率だった」
沈黙を破ってカイが謝ると、ノヴァは咳ばらいをした。
「無理をさせたこちらにも非はある。……なにも知らない貴君に、貴君を利用しようと目論む連中の相手をさせたのは、申し訳なかった」
ノヴァは躊躇なくカイに向かって頭を下げる。
「ちょ、そんな、悪いのおれだから、おれがアホだっただけだから、顔上げてよ!」
カイと同じように、ラウラも慌てる。
「そうですよ、ノ……太弟殿下!一番悪いのは私です、側にいながら、引き留めどころか先に帰ってしまって……。大使閣下の風評を下げる結果を招いてしまいました。すみません」
ラウラは床に頭をつけようとするが、カイとノヴァは揃ってそれを止める。
「まじできみはなんも悪くない!」
「きみが気に病むことはなにもない!」
声がかぶさった二人は、また少し頬を赤くし、お互いから目を逸らした。
ラウラは顔をあげる。二人の不器用な気遣いに、彼女もまた頬を染める。
「……ありがとうございます」
ノヴァはラウラの言葉に頷く。そしてカイに視線を戻すと、やはりどこか自分に言い聞かせているような、厳しい声色で言った。
「よくわかっただろう。貴君は朝廷中の注目の的なのだ。どんな些細なこともすぐに尾ひれのついた噂になる。今回のように、行動を共にしていた者も巻き込んで――――」
ノヴァはラウラに視線を送る。カイもそれに倣い、頷く。
「肝に銘じるよ」
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