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第二章
戌歴九九八年・春(二)
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●
この世界はカイのもといた世界と似て非なるものだった。
同じ宇宙の中にあるのか、または次元を超えて隔たれているのかはわからない。
たしかなことは、地球と同じ惑星であるということだけだった。
しかし地球とは異なり、この惑星の人間の生活圏、生存可能領域は極端に狭い。
地球と同じく、直径は約一万二千キロ、面積約五億平方センチメートル。
そのうち約三十パーセント、一億五千平方センチメートルが陸地である。
しかし陸地のほとんどは一年の平均気温が摂氏マイナス二十度を下回り、氷に閉ざされている。
地球が水の惑星であるのならば、ここは氷の惑星だった。
人間などとても生きていくことのできない星であったが、なぜかある一か所、ひとつの盆地だけは、氷雪に蝕まれることなく、温暖な気候で包まれていた。
人びとはその地を、エレヴァンと呼んでいた。
標高四千メートルを超す高い山麓に囲まれたその地は、一年間の平均気温が十八度の、年間を通して春を装う、極楽浄土のような場所だった。
面積は約四万平方キロメートル。数千種の動植物と、八百万人の人間が共存している。
この地で人びとは、小さいが強固な社会を作り、暮らしている。
国家という概念はない。
君主制が敷かれており、各都市町村を、皇帝と朝廷―――官人たちが支配していた。
紀年法で現在は九九八年を数える。
文明は地球の歴史でいうところの中世後期にあたるだろう。
農耕、牧畜、狩猟が生活の基盤であり、移動手段は専ら馬だ。
原動機として水車、風車が用いられてはいるが、動力源としては霊によるものが最も多く、技術革新もそれに即した霊術の開発から始まる。
ただそれは産業革命前夜の中世後期と異なり、非常にゆるやかな進歩であった。
なぜならばこの世界の人間は、単一種族であり、言語と思想を共有している。
産業の面からも見ても競合する他国はなく、せいぜい隣町の商売敵と睨み合う程度だ。
温暖で、肥沃な大地は季節に問わず多くの作物をもたらし、家畜を肥やす。
生活するのが容易い分、革新的な思想は好まれず、全体として保守的な傾向が強かった。
文明の歩みがゆるやかである理由はそれだけではない。
人びとの文明、生活は、大災害によって百年ごとに叩き潰されるからだ。
『百年災嵐』と呼ばれる、この世界における人類最大の脅威は、その発生理由はおろか、正確な規模さえ捉まれていない。
百年に一度やってくる大嵐。
民衆の間ではその程度の認識だが、災嵐が過ぎ去ったあとは都市も、田畑も、まるで巨人に踏み慣らされたかのように形を変える。
ただの自然災害とは被害の大きさが違うのだ。
人びとは長年、この脅威からどう身を守るか、そしてどうすれば退けることができるのか、議論と研究を重ね続けた。
現在の紀年法が用いられるずっと以前から、文明、文化をもった人類は存在している。
しかし災嵐によって滅ぼされたため、その歴史は残っていない。
災嵐を退けるには至らずとも、どうにか文明維持に必要なだけの人間を生かし、歴史を繋ぐことができるようになってようやく九百年が経つのだ。
そして記録で数えられる限り百回目の災嵐を控え、人類はいよいよ、災嵐を完全に回避する方法を確立させた。
『縮地術』
それが世界を災嵐から救う霊術だった。
そして縮地術を発動させるために必要な膨大な霊力を賄うために、カイは異界から呼び降ろされたのだった。
〇〇〇
「疲れた……」
朝廷にて、皇帝への拝謁を済ませたカイは、内廷に用意された私室に入るや否や、寝台に倒れ伏した。
「ゆっくりお休みいただきたいところですが、これから内廷の統括がいらっしゃいます。廷内の案内と、夕餉の招待を受けておりますので……」
「それは……断れないやつ……?」
「申し訳ありません」
カイはしぶしぶ起き上がり、ぼやいた。
「昨日首都についたばかりだってのに……。霊堂で一か月死に物狂いでリハビリして、やっと霊術の修行ができると思ったら、まさかのあいさつ回りと接待地獄……。おれ世界救いに来たんだよね?なんで社畜みたいな目にあってんだ……?」
「社畜?」
「あ、いや、ひとりごとなんで、気にしないで……」
ラウラは茶を淹れ、カイに差し出した。
「短い時間ですが、一息ついてください。菓子などもございますが、いかがですか?」
カイは慌てて茶を受け取り、ラウラに椅子を勧めた。
「うわごめん、君だって疲れてるのに……」
「いえ、お気になさらず」
「いや気になるよ。ね、座ってよ。お菓子一緒に食べようよ」
カイはラウラの分の茶を注ぎ、お返しとばかりに差し出した。
ラウラは躊躇ったが、無下にする方が失礼だと思い直し、恭しく礼をした。
「お言葉に甘えさせていただきます」
カイは寝台に腰かけなおすと、苦笑いをした。
「えーとさ、もうちょっとリラックスしてほしいんだけど……」
「リラックス?」
「気を抜いてほしいっていうかさ……。ほら、君、この一か月、ずっとおれのリハビリ付き合ってくれてたじゃん。?この世界のこととかいろいろ教えてくれたじゃん?その、いつまでも他人行儀な感じだと寂しいというか……」
「寂しい……?」
カイは顔を赤くして頭を搔いた。
「いやごめん、いまのはキモかったかな!?えっと、そうじゃなくて、君みたいな女の子にいつまでもかしこまられてると落ち着かないっていうか……」
ラウラはカイの言わんとすることを汲み取り、首を振った。
「お気になさらないでください。立場上、当然の振る舞いをしているまでですから」
「立場上と言われるとぐうの音も出ないけど……せめて二人だけのときは、もう少しくだけない?無理にとは言わないけど……」
「はい、わかりました。――――ありがとうございます」
ラウラは愛想笑いを浮かべ、茶に口をつけた。
この世界はカイのもといた世界と似て非なるものだった。
同じ宇宙の中にあるのか、または次元を超えて隔たれているのかはわからない。
たしかなことは、地球と同じ惑星であるということだけだった。
しかし地球とは異なり、この惑星の人間の生活圏、生存可能領域は極端に狭い。
地球と同じく、直径は約一万二千キロ、面積約五億平方センチメートル。
そのうち約三十パーセント、一億五千平方センチメートルが陸地である。
しかし陸地のほとんどは一年の平均気温が摂氏マイナス二十度を下回り、氷に閉ざされている。
地球が水の惑星であるのならば、ここは氷の惑星だった。
人間などとても生きていくことのできない星であったが、なぜかある一か所、ひとつの盆地だけは、氷雪に蝕まれることなく、温暖な気候で包まれていた。
人びとはその地を、エレヴァンと呼んでいた。
標高四千メートルを超す高い山麓に囲まれたその地は、一年間の平均気温が十八度の、年間を通して春を装う、極楽浄土のような場所だった。
面積は約四万平方キロメートル。数千種の動植物と、八百万人の人間が共存している。
この地で人びとは、小さいが強固な社会を作り、暮らしている。
国家という概念はない。
君主制が敷かれており、各都市町村を、皇帝と朝廷―――官人たちが支配していた。
紀年法で現在は九九八年を数える。
文明は地球の歴史でいうところの中世後期にあたるだろう。
農耕、牧畜、狩猟が生活の基盤であり、移動手段は専ら馬だ。
原動機として水車、風車が用いられてはいるが、動力源としては霊によるものが最も多く、技術革新もそれに即した霊術の開発から始まる。
ただそれは産業革命前夜の中世後期と異なり、非常にゆるやかな進歩であった。
なぜならばこの世界の人間は、単一種族であり、言語と思想を共有している。
産業の面からも見ても競合する他国はなく、せいぜい隣町の商売敵と睨み合う程度だ。
温暖で、肥沃な大地は季節に問わず多くの作物をもたらし、家畜を肥やす。
生活するのが容易い分、革新的な思想は好まれず、全体として保守的な傾向が強かった。
文明の歩みがゆるやかである理由はそれだけではない。
人びとの文明、生活は、大災害によって百年ごとに叩き潰されるからだ。
『百年災嵐』と呼ばれる、この世界における人類最大の脅威は、その発生理由はおろか、正確な規模さえ捉まれていない。
百年に一度やってくる大嵐。
民衆の間ではその程度の認識だが、災嵐が過ぎ去ったあとは都市も、田畑も、まるで巨人に踏み慣らされたかのように形を変える。
ただの自然災害とは被害の大きさが違うのだ。
人びとは長年、この脅威からどう身を守るか、そしてどうすれば退けることができるのか、議論と研究を重ね続けた。
現在の紀年法が用いられるずっと以前から、文明、文化をもった人類は存在している。
しかし災嵐によって滅ぼされたため、その歴史は残っていない。
災嵐を退けるには至らずとも、どうにか文明維持に必要なだけの人間を生かし、歴史を繋ぐことができるようになってようやく九百年が経つのだ。
そして記録で数えられる限り百回目の災嵐を控え、人類はいよいよ、災嵐を完全に回避する方法を確立させた。
『縮地術』
それが世界を災嵐から救う霊術だった。
そして縮地術を発動させるために必要な膨大な霊力を賄うために、カイは異界から呼び降ろされたのだった。
〇〇〇
「疲れた……」
朝廷にて、皇帝への拝謁を済ませたカイは、内廷に用意された私室に入るや否や、寝台に倒れ伏した。
「ゆっくりお休みいただきたいところですが、これから内廷の統括がいらっしゃいます。廷内の案内と、夕餉の招待を受けておりますので……」
「それは……断れないやつ……?」
「申し訳ありません」
カイはしぶしぶ起き上がり、ぼやいた。
「昨日首都についたばかりだってのに……。霊堂で一か月死に物狂いでリハビリして、やっと霊術の修行ができると思ったら、まさかのあいさつ回りと接待地獄……。おれ世界救いに来たんだよね?なんで社畜みたいな目にあってんだ……?」
「社畜?」
「あ、いや、ひとりごとなんで、気にしないで……」
ラウラは茶を淹れ、カイに差し出した。
「短い時間ですが、一息ついてください。菓子などもございますが、いかがですか?」
カイは慌てて茶を受け取り、ラウラに椅子を勧めた。
「うわごめん、君だって疲れてるのに……」
「いえ、お気になさらず」
「いや気になるよ。ね、座ってよ。お菓子一緒に食べようよ」
カイはラウラの分の茶を注ぎ、お返しとばかりに差し出した。
ラウラは躊躇ったが、無下にする方が失礼だと思い直し、恭しく礼をした。
「お言葉に甘えさせていただきます」
カイは寝台に腰かけなおすと、苦笑いをした。
「えーとさ、もうちょっとリラックスしてほしいんだけど……」
「リラックス?」
「気を抜いてほしいっていうかさ……。ほら、君、この一か月、ずっとおれのリハビリ付き合ってくれてたじゃん。?この世界のこととかいろいろ教えてくれたじゃん?その、いつまでも他人行儀な感じだと寂しいというか……」
「寂しい……?」
カイは顔を赤くして頭を搔いた。
「いやごめん、いまのはキモかったかな!?えっと、そうじゃなくて、君みたいな女の子にいつまでもかしこまられてると落ち着かないっていうか……」
ラウラはカイの言わんとすることを汲み取り、首を振った。
「お気になさらないでください。立場上、当然の振る舞いをしているまでですから」
「立場上と言われるとぐうの音も出ないけど……せめて二人だけのときは、もう少しくだけない?無理にとは言わないけど……」
「はい、わかりました。――――ありがとうございます」
ラウラは愛想笑いを浮かべ、茶に口をつけた。
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