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第一章

葦原

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カイは休まず走り続けた。
霊堂を離れて、すでに数時間が経過していた。
森を抜け、背の高い葦が群生する平地に出たところで、馬が突然もんどり打って倒れた。
カイは落馬し、ろくな受け身もとれず地面に叩きつけられる。
先ほどとは違い、今度は誰にも庇ってはもらえない。
痛みは直にカイの身体を襲う。
「くっ……!」
カイの小さな体は葦の中に埋まる。
狭窄した視界には、月光ですっかり明るくなった空だけが映る。
カイは寂寥感に苛まれる。
(自分で突き放したくせに)
(おれは……身勝手だ)
カイは起き上がり、喉から僅かに込みあがってきた吐しゃ物を、自己嫌悪と共に吐き出す。
地面に叩きつけられた衝撃で、すべての内臓がひと固まりになったかのように、脈打っている。
カイは這うようにして倒れた馬の傍によった。
馬は目を開いたまま、口から泡を吹いて絶命している。
「……ごめん」
カイはまだ温かい馬の身体を撫でた。
とにかくあの場から逃げ出したかったカイは、無我夢中になって馬に霊を送り込んだ。
馬はカイが与えた霊によって限界を超えた走りをみせた。当然かかる負荷は尋常ならざるものだ。

この世界のほとんどの生物はその生命維持に霊を不可欠としている。地球にいるほとんどの生物に水分がかかせないように。しかし人間のように生命維持以外の用途で利用しようとしなければ、ごく微量の吸収でこと足りる。
カイによって体内に強制的に霊を流入させられた馬は、カイに操られたといっても過言ではない。
通常霊操に用いられる霊具は軽量で、体積の少ない物体である。
馬のような大型の物体を操るだけの霊を体内に取り込める人間はいないからだ。
それも生命体となれば、大量の霊だけでなくそれを制御する力も求められる。
カイは無尽蔵の霊を有してはいるが、制御できたのはほとんど奇跡といってよかった。
無我夢中だったカイは、振り落されたいま、自分がどのように馬を操っていたのかまるで思い出すことはできなかった。
ただひとつはっきりしいているのは、自分が無体を働いたせいで、馬が死んだという事実だけだった。
(アフィーの馬を……おれは……)
カイは次第に温度を失っていく馬を撫で続けた。
霊堂には三頭の馬がいた。その中で最も若い良馬がこの馬で、アフィーがとりわけ可愛がっていたのを、カイは知っていた。

馬が完全に冷え、硬直すると、カイは歩き出した。
自分とほぼ同じ背丈の葦をかき分け、あてもなく、やみくもに進んだ。
(これからどうすればいいんだろう)
疲労に立ち止まると、カイの頭にはすぐその言葉が浮かんだ。
三人の元を離れたカイには、行く当ても、帰る場所もない。
カイは孤独と恐怖で足を竦める。
(……戻りたい。三人のところに)
カイは涙を堪えた。
今にも三人の名前を呼びそうになった。
自分を見つけてほしいと、連れて帰ってほしいと、叫びたかった。
カイは乱暴に涙を拭い、また歩き出した。
一歩進むごとに、身体が悲鳴を上げたが、少なくとも歩いていれば、苦痛と疲労で頭はいっぱいになり、弱音は浮かんでこなかった。

夜が明けるまで、カイは歩き続けた。
日が昇りきってもまだ葦原を抜けることはできなかった。
雲は多いが、日差しは強かった。
遮るもののない葦原で、カイはみるみるうちに体力を奪われる。
やがてカイは倒れ込み、気絶するように眠ってしまった。
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