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第一章
瓦解(二)
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「なあ……答えてくれよ……」
カイは蚊の鳴くような声で懇願する。
「ぼくがやった」
ようやく声をあげたのは、シェルティだった。
「ぼくが移したんだ。瀕死のきみを、ラウラの身体に」
一筋の涙が、シェルティの頬を伝った。
「きみは最初、彼女の兄の身体に降ろされたんだ。災嵐を迎えるまでの三年間は、その身体で過ごしてきた。けれど――――きみは深手を負った。瀕死の重傷だ。――――それで、ぼくは、きみを助けるために――――彼女の身体に無理やりきみを入れたんだ」
カイは口をつぐんだまま、シェルティの話に聞き入る。
「だって、かわいそうだったから。ぼくは自分の都合のきみを利用したけれど、死なせたくはなかったんだ。罪悪感があったから……それにきみはぼくと同じ境遇だったし……同情したんだ。せめてもの罪滅ぼしと思って、きみを生かすために、彼女を――――」
シェルティの顔には微笑が貼りついていたが、その声は震え、先ほどまで淀みなかった弁舌も、もつれて要領を得なかった。
シェルティは喋りながら必死に言葉を探していた。
なおも、誤魔化そうとしていた。
残酷な過去を、どうにか真綿で包もうとしていた。
「嘘だ」
けれど健闘虚しく、カイは言う。
「わかるよ。嘘だって。だって――――シェルはそんなことしないだろ」
シェルティはまた瞳から溢れそうになった涙を、寸でのところで堪える。
「するよ。ぼくは薄情な人間だ。自分のことしか考えてないような――――」
「もういいよ」
カイは力の抜けた笑みを浮かべる。
「気つかってくれ、ありがとうな。でも、もう、充分だ」
「どうして信じてくれないんだ」
「信じてるよ。シェルのこと。――――シェルだけじゃない。アフィーのことも、レオンのことも、おれは信じてる。でも、だからこそ、嘘だってわかるんだ」
カイにとってこの一年は、あっという間で、けれど濃密なものだった。
三人は自分を、手厚く、心をこめて、介助してくれた。
辛いとき、励ましてくれた。
話を聞いてくれた。
霊操の上達を自分のことのように喜んでくれた。
獲物を狩る誇りを教えてくれた。
自分を挟んでいがみ合ってばかりいた三人だが、カイはそれを不快だと思ったことは一度もなかった。
三人と食べるご飯はおいしかった。
共に奏でる音楽がなによりも好きだった。
カイは異世界でひとり目覚めた。
けれど孤独ではなかった。
家族や友人に会いたいと思ったことはあった。齢老いた愛犬が心配だった。読みかけの漫画や、もう少しで攻略できるはずだったゲームを惜しんだ。もとの世界の文化に焦がれることもあった。
けれど帰りたいとは思わなかった。
カイはここで、ずっと幸福だったからだ。
そしてそれは、三人がそばにいてくれたからだった。
たった一年という時間だった。
けれどこの一年で、三人は、カイにとってかけがえのない存在になっていた。
「頼むよ」
カイは立ち上がった。まっすぐ胸をはって、もう一度、シェルティに尋ねた。
「本当のことを、教えてくれ」
シェルティは力なく首を振った。
「カイ、どうか……ぼくを、信じてくれるなら、ぼくの言ったことを、そのまま真実だと思ってくれ」
「できないよ。シェルがおれを大事にしてくれてるの、知ってるけど……でもだからって、おれのために他の人を犠牲にするようなことはしないだろ」
「するよ。するんだ。ぼくはきみが思っているようなやつじゃない。自分と、きみのためならなんでもするような男なんだ」
シェルティはカイに頭を垂れる。
「お願いだ、カイ。このままぼくらと一緒に渓谷に行こう。そこなら、朝廷の手も届かない。――――世界を守れなかった責任なら、考えなくていい。たしかにたくさんの人が死んだ。けれどそれは、きみがこの世界にやってこなくても起こったことだ。それに、見てくれ。草木も花も、獣たちも、ここでは活き活きとしている。世界は美しいままだ。――――カイ、このままぼくらと生きていこう。四人で、今まで通り、楽しく暮らしていこう」
シェルティはカイに手を伸ばした。
カイはシェルティに向かって一歩踏み出した。
けれどその手は取らず、横を通り過ぎて、アフィーの引いてきた馬に跨った。
「――――変だなって思ってたんだ、ほんとは、ずっと」
「カイ……!」
「違和感があったんだ。お前たちがおれに、なにかを隠していること、ずっと前から気づいてた。でも、知らないふりをした。――――もとの世界に戻りたい、この子に身体を返してあげたいなんて言っておきながら、おれはここから離れたくなかった。お前らと過ごす時間が増えるたびに、その気持ちは強くなって、もとの世界に帰る方法なんて、見つからなければいいって思うようになってた」
「それなら手を取ってくれ!」
シェルティはもう一度カイに手を伸ばす。
カイはその手から目を逸らし、両手で手綱を強く握る。
「おれにその資格はないよ」
「カイ……」
「シェルはさ、おれに引け目が……恩があったかのかもしれないけど、それはもう充分返してもらったよ」
ありがとう、と言って、カイは馬を蹴る。
馬は飛び跳ねながら駆け出していく。
「待って!」
すぐさまアフィーも馬に乗り、カイのあとを追う。
アフィーはあっという間にカイに追いつき、並走する。
「どこに、行くつもり」
「おれの身に本当はなにが起きたのか、お前たちは言えないんだろ?だったら、自分で調べに行くよ」
「それは、無理。――――全部を知ってるのは、わたしたちだけだから」
「でも、教えてくれないんだろ」
「知る必要は、ない」
「そっか。……やっぱりおれは、とりかえしのつかないことをしたんだな」
ちがう、とアフィー叫ぶが、カイは聞き入れない。
「おれは知らなきゃ行けないんだ。知って、償わなきゃいけないなら、そうするし、罰を受けなきゃいけないなら――――受け入れるよ」
カイは再び馬を蹴り上げる。
今度は足に霊力をこめて、力の限り。
馬は高く嘶き、全力疾走する。
「行かせない……!」
アフィーはカイに向けてオーガンジーを放つ。
カイは仗を構え、迫るオーガンジーに投擲する。
仗は回転しながらオーガンジーに衝突する。オーガンジーはふたつに割け、勢いを一瞬失う。しかしすぐにもと通りの形に結着し、カイの乗る馬の脚を捉える。
足を取られた馬はパニックを起こし、暴れ、前足を高く跳ね上げた。
カイは堪えきれず、落馬する。
「あっ!?」
しかし地面に激突する直前、アフィーが滑り込み、カイを抱きとめる。
「アフィー!お前……!」
アフィーはカイと地面の間に滑りこんだ勢いで背中を強打し、激痛を伴う擦過傷を負った。
それでも苦痛を顔には出さず、ただ、カイの身を案じた。
「怪我はない?」
それを聞いたカイは、耐えきれず、叫んだ。
「もうやめてくれ!」
アフィーの顔に、大粒の涙が、降り注ぐ。
「もう、たくさんだ、お前たちばっかり……!」
カイはアフィーの上から退き、泣きじゃくる。
「わかれよ!」
「なにも知らないままでいるのが、どんだけキツイと思ってんだよ!」
「おれは……おれはもう、知ったんだ」
「おれは救世主なんかじゃないって」
「やばいこと、やらかしちゃったんだって」
「それを知ったのに、今まで通りでいるなんて、無理だろ」
「もう嫌なんだよ」
「お前らに、そうやって、ただ守ってもらってるのが」
「ただ優しくしてもらって、悪いもんからは全部庇ってもらって、おれ、これからもずっと、そうやって生きていかなきゃなんねえの?」
「嫌だよ、そんなの」
「それでおれが幸せだって、本当に思ってんのか?」
カイは平静を失っている。
「ふざけんなよ」
「なれるわけねえだろ」
「おれの幸せ決めつけんなよ」
カイは混濁している。
「おれは……おれだって……お前らと一緒に――――」
もとの世界で、家族から暗黙のうちに排斥されていたという惨めさが、彼の内に呼び起こされる。
父も母も、カイを愛していた。自由を与えてくれた。けれど同時に、なにも求めていなかった。
飼い犬と同じだった。
対等ではなかった。
弟は自分たちと同じものとして扱っていたのに、自分のことはいつまでも子ども扱いしていた。
いつまでも庇護すべき存在としての価値しか与えてくれなかった。
カイは誰かに助けてもらうばかりの人生を過ごしてきた。
だからこそ異世界で救世主になったと知ったときの喜びは、望外だった。
三人との生活を心から幸福だと思ったのも、自分が三人の住む世界を救ったと思い込んでいたからだった。
自分と三人は対等な存在だと思っていたからだった。
それが覆されたいま、カイにとって、彼らといることは苦痛でしかなかった。
カイが三人のもとを去ろうとする理由は、真実を知るため、という以上に、その苦痛に耐えかねたからだった。
カイは走り去った自分の馬を捨て置き、アフィーの馬に跨った。
「カイ……!」
アフィーは再びオーガンジーを馬に飛ばす。
カイは今度は霊力を込めた足で馬を蹴り上げるのではなく、馬そのものに霊力を送り込んだ。
これまで生物の霊操を試みたことはない。極限状態の中で、咄嗟に起こした行動だった。
大量の霊を送り込まれた馬は、全身から湯気を立て、駆け出した。
まるで砲弾のような凄まじい勢いだ。
蹄は地面をえぐり、深い足跡とともに突風を残して去っていく。
とてもオーガンジーは追いつくことができなかった。
「めちゃくちゃな――――火事場の馬鹿力にも限度があんだろ!」
二人に追いついたレオンは、すぐに光球を飛ばし、ケタリングに跡を追うよう指示を出す。
しかしケタリングが飛翔した時には、カイの姿は遠く、夕闇の森林の中に消えてしまっていた。
三人はその場で立ちすくんだ。
すべてが、あまりにも突然だった。
薄氷の上に、やっとの思いで築き上げた平穏な生活は、なんの前触れもなく崩されてしまった。
それも他ならぬ、守ろうとしていた、カイその人の手によって。
夕焼けの残滓が地平線から完全に失われる。
太陽が沈み、月が昇るまでの間の、この世界で最も闇が深くなる時間帯がやってくる。
「……追うぞ」
レオンはアフィーの襟首をつかみ、強引に立たせる。
それからシェルティの手首をつかみ、恫喝する。
「指輪があんだろ。だいたいの居場所はわかるはずだ。おれはケタリングで上からいく。だが森の中に入られたんじゃ、近づけるかわからねえ」
レオンはシェルティとアフィーの背を、それぞれ強く叩く。
シェルティは軽くよろける。
アフィーは微動だにしなかったが、傷を刺激されたため、わずかに眉を痙攣させた。
三人は視線を交える。
「――――ぼくたちは馬を連れ戻してすぐにカイの後を追う」
我に返ったシェルティが、言った。
「お前は先に行け」
「ああ」
「カイを見つけたら、引きずってでも、渓谷に向かう。後の算段は、さっき示し合わせた通りに」
アフィーも頷き、二言なく駆け出した。
憔悴している暇はない。
なぜなら彼らは五年前、互いに誓い合ったからだ。
もう誰も、失わないと。
なにをおいても、守り抜くと。
カイは蚊の鳴くような声で懇願する。
「ぼくがやった」
ようやく声をあげたのは、シェルティだった。
「ぼくが移したんだ。瀕死のきみを、ラウラの身体に」
一筋の涙が、シェルティの頬を伝った。
「きみは最初、彼女の兄の身体に降ろされたんだ。災嵐を迎えるまでの三年間は、その身体で過ごしてきた。けれど――――きみは深手を負った。瀕死の重傷だ。――――それで、ぼくは、きみを助けるために――――彼女の身体に無理やりきみを入れたんだ」
カイは口をつぐんだまま、シェルティの話に聞き入る。
「だって、かわいそうだったから。ぼくは自分の都合のきみを利用したけれど、死なせたくはなかったんだ。罪悪感があったから……それにきみはぼくと同じ境遇だったし……同情したんだ。せめてもの罪滅ぼしと思って、きみを生かすために、彼女を――――」
シェルティの顔には微笑が貼りついていたが、その声は震え、先ほどまで淀みなかった弁舌も、もつれて要領を得なかった。
シェルティは喋りながら必死に言葉を探していた。
なおも、誤魔化そうとしていた。
残酷な過去を、どうにか真綿で包もうとしていた。
「嘘だ」
けれど健闘虚しく、カイは言う。
「わかるよ。嘘だって。だって――――シェルはそんなことしないだろ」
シェルティはまた瞳から溢れそうになった涙を、寸でのところで堪える。
「するよ。ぼくは薄情な人間だ。自分のことしか考えてないような――――」
「もういいよ」
カイは力の抜けた笑みを浮かべる。
「気つかってくれ、ありがとうな。でも、もう、充分だ」
「どうして信じてくれないんだ」
「信じてるよ。シェルのこと。――――シェルだけじゃない。アフィーのことも、レオンのことも、おれは信じてる。でも、だからこそ、嘘だってわかるんだ」
カイにとってこの一年は、あっという間で、けれど濃密なものだった。
三人は自分を、手厚く、心をこめて、介助してくれた。
辛いとき、励ましてくれた。
話を聞いてくれた。
霊操の上達を自分のことのように喜んでくれた。
獲物を狩る誇りを教えてくれた。
自分を挟んでいがみ合ってばかりいた三人だが、カイはそれを不快だと思ったことは一度もなかった。
三人と食べるご飯はおいしかった。
共に奏でる音楽がなによりも好きだった。
カイは異世界でひとり目覚めた。
けれど孤独ではなかった。
家族や友人に会いたいと思ったことはあった。齢老いた愛犬が心配だった。読みかけの漫画や、もう少しで攻略できるはずだったゲームを惜しんだ。もとの世界の文化に焦がれることもあった。
けれど帰りたいとは思わなかった。
カイはここで、ずっと幸福だったからだ。
そしてそれは、三人がそばにいてくれたからだった。
たった一年という時間だった。
けれどこの一年で、三人は、カイにとってかけがえのない存在になっていた。
「頼むよ」
カイは立ち上がった。まっすぐ胸をはって、もう一度、シェルティに尋ねた。
「本当のことを、教えてくれ」
シェルティは力なく首を振った。
「カイ、どうか……ぼくを、信じてくれるなら、ぼくの言ったことを、そのまま真実だと思ってくれ」
「できないよ。シェルがおれを大事にしてくれてるの、知ってるけど……でもだからって、おれのために他の人を犠牲にするようなことはしないだろ」
「するよ。するんだ。ぼくはきみが思っているようなやつじゃない。自分と、きみのためならなんでもするような男なんだ」
シェルティはカイに頭を垂れる。
「お願いだ、カイ。このままぼくらと一緒に渓谷に行こう。そこなら、朝廷の手も届かない。――――世界を守れなかった責任なら、考えなくていい。たしかにたくさんの人が死んだ。けれどそれは、きみがこの世界にやってこなくても起こったことだ。それに、見てくれ。草木も花も、獣たちも、ここでは活き活きとしている。世界は美しいままだ。――――カイ、このままぼくらと生きていこう。四人で、今まで通り、楽しく暮らしていこう」
シェルティはカイに手を伸ばした。
カイはシェルティに向かって一歩踏み出した。
けれどその手は取らず、横を通り過ぎて、アフィーの引いてきた馬に跨った。
「――――変だなって思ってたんだ、ほんとは、ずっと」
「カイ……!」
「違和感があったんだ。お前たちがおれに、なにかを隠していること、ずっと前から気づいてた。でも、知らないふりをした。――――もとの世界に戻りたい、この子に身体を返してあげたいなんて言っておきながら、おれはここから離れたくなかった。お前らと過ごす時間が増えるたびに、その気持ちは強くなって、もとの世界に帰る方法なんて、見つからなければいいって思うようになってた」
「それなら手を取ってくれ!」
シェルティはもう一度カイに手を伸ばす。
カイはその手から目を逸らし、両手で手綱を強く握る。
「おれにその資格はないよ」
「カイ……」
「シェルはさ、おれに引け目が……恩があったかのかもしれないけど、それはもう充分返してもらったよ」
ありがとう、と言って、カイは馬を蹴る。
馬は飛び跳ねながら駆け出していく。
「待って!」
すぐさまアフィーも馬に乗り、カイのあとを追う。
アフィーはあっという間にカイに追いつき、並走する。
「どこに、行くつもり」
「おれの身に本当はなにが起きたのか、お前たちは言えないんだろ?だったら、自分で調べに行くよ」
「それは、無理。――――全部を知ってるのは、わたしたちだけだから」
「でも、教えてくれないんだろ」
「知る必要は、ない」
「そっか。……やっぱりおれは、とりかえしのつかないことをしたんだな」
ちがう、とアフィー叫ぶが、カイは聞き入れない。
「おれは知らなきゃ行けないんだ。知って、償わなきゃいけないなら、そうするし、罰を受けなきゃいけないなら――――受け入れるよ」
カイは再び馬を蹴り上げる。
今度は足に霊力をこめて、力の限り。
馬は高く嘶き、全力疾走する。
「行かせない……!」
アフィーはカイに向けてオーガンジーを放つ。
カイは仗を構え、迫るオーガンジーに投擲する。
仗は回転しながらオーガンジーに衝突する。オーガンジーはふたつに割け、勢いを一瞬失う。しかしすぐにもと通りの形に結着し、カイの乗る馬の脚を捉える。
足を取られた馬はパニックを起こし、暴れ、前足を高く跳ね上げた。
カイは堪えきれず、落馬する。
「あっ!?」
しかし地面に激突する直前、アフィーが滑り込み、カイを抱きとめる。
「アフィー!お前……!」
アフィーはカイと地面の間に滑りこんだ勢いで背中を強打し、激痛を伴う擦過傷を負った。
それでも苦痛を顔には出さず、ただ、カイの身を案じた。
「怪我はない?」
それを聞いたカイは、耐えきれず、叫んだ。
「もうやめてくれ!」
アフィーの顔に、大粒の涙が、降り注ぐ。
「もう、たくさんだ、お前たちばっかり……!」
カイはアフィーの上から退き、泣きじゃくる。
「わかれよ!」
「なにも知らないままでいるのが、どんだけキツイと思ってんだよ!」
「おれは……おれはもう、知ったんだ」
「おれは救世主なんかじゃないって」
「やばいこと、やらかしちゃったんだって」
「それを知ったのに、今まで通りでいるなんて、無理だろ」
「もう嫌なんだよ」
「お前らに、そうやって、ただ守ってもらってるのが」
「ただ優しくしてもらって、悪いもんからは全部庇ってもらって、おれ、これからもずっと、そうやって生きていかなきゃなんねえの?」
「嫌だよ、そんなの」
「それでおれが幸せだって、本当に思ってんのか?」
カイは平静を失っている。
「ふざけんなよ」
「なれるわけねえだろ」
「おれの幸せ決めつけんなよ」
カイは混濁している。
「おれは……おれだって……お前らと一緒に――――」
もとの世界で、家族から暗黙のうちに排斥されていたという惨めさが、彼の内に呼び起こされる。
父も母も、カイを愛していた。自由を与えてくれた。けれど同時に、なにも求めていなかった。
飼い犬と同じだった。
対等ではなかった。
弟は自分たちと同じものとして扱っていたのに、自分のことはいつまでも子ども扱いしていた。
いつまでも庇護すべき存在としての価値しか与えてくれなかった。
カイは誰かに助けてもらうばかりの人生を過ごしてきた。
だからこそ異世界で救世主になったと知ったときの喜びは、望外だった。
三人との生活を心から幸福だと思ったのも、自分が三人の住む世界を救ったと思い込んでいたからだった。
自分と三人は対等な存在だと思っていたからだった。
それが覆されたいま、カイにとって、彼らといることは苦痛でしかなかった。
カイが三人のもとを去ろうとする理由は、真実を知るため、という以上に、その苦痛に耐えかねたからだった。
カイは走り去った自分の馬を捨て置き、アフィーの馬に跨った。
「カイ……!」
アフィーは再びオーガンジーを馬に飛ばす。
カイは今度は霊力を込めた足で馬を蹴り上げるのではなく、馬そのものに霊力を送り込んだ。
これまで生物の霊操を試みたことはない。極限状態の中で、咄嗟に起こした行動だった。
大量の霊を送り込まれた馬は、全身から湯気を立て、駆け出した。
まるで砲弾のような凄まじい勢いだ。
蹄は地面をえぐり、深い足跡とともに突風を残して去っていく。
とてもオーガンジーは追いつくことができなかった。
「めちゃくちゃな――――火事場の馬鹿力にも限度があんだろ!」
二人に追いついたレオンは、すぐに光球を飛ばし、ケタリングに跡を追うよう指示を出す。
しかしケタリングが飛翔した時には、カイの姿は遠く、夕闇の森林の中に消えてしまっていた。
三人はその場で立ちすくんだ。
すべてが、あまりにも突然だった。
薄氷の上に、やっとの思いで築き上げた平穏な生活は、なんの前触れもなく崩されてしまった。
それも他ならぬ、守ろうとしていた、カイその人の手によって。
夕焼けの残滓が地平線から完全に失われる。
太陽が沈み、月が昇るまでの間の、この世界で最も闇が深くなる時間帯がやってくる。
「……追うぞ」
レオンはアフィーの襟首をつかみ、強引に立たせる。
それからシェルティの手首をつかみ、恫喝する。
「指輪があんだろ。だいたいの居場所はわかるはずだ。おれはケタリングで上からいく。だが森の中に入られたんじゃ、近づけるかわからねえ」
レオンはシェルティとアフィーの背を、それぞれ強く叩く。
シェルティは軽くよろける。
アフィーは微動だにしなかったが、傷を刺激されたため、わずかに眉を痙攣させた。
三人は視線を交える。
「――――ぼくたちは馬を連れ戻してすぐにカイの後を追う」
我に返ったシェルティが、言った。
「お前は先に行け」
「ああ」
「カイを見つけたら、引きずってでも、渓谷に向かう。後の算段は、さっき示し合わせた通りに」
アフィーも頷き、二言なく駆け出した。
憔悴している暇はない。
なぜなら彼らは五年前、互いに誓い合ったからだ。
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なにをおいても、守り抜くと。
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