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第一章

瓦解(一)

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霊堂に戻ったレオンは、アフィーとシェルティに状況を説明した。
「……それで、カイは?」
アフィーの問いに、レオンは頷く。
「気を失っているが、怪我はねえ。ケタリングに乗せたままだ」
「それじゃあ……」
「ああ。すぐにここを出るぞ」
「――――よりによって」
シェルティは苛立ちを露わに、レオンに詰め寄る。
「お前、これで二度目だぞ。カイが目覚めたときも、ケタリングで中央を通っただろう。今回も……朝廷に知らせてやっているようなものじゃないか。これまでの努力が水の泡だ!」
「文句ならあとでいくらでも聞いてやる。とにかくここを離れるぞ」
レオンは霊堂の外に待つケタリングの元へ走った。
シェルティとアフィーも、急ぎ後を追う。
「朝廷管轄の植林地で、官吏と遭遇することはあるだろう。だがなぜ攻撃される?」
「わからねえ。おれは林のすぐ外にケタリングを降ろそうとしたんだが、あたりには官吏の連中が散開していやがった。かなりの大所帯だ。野営を張ってるやつらもいた。視察かなにかわからねえが、とにかくケタリングは見られちまったからな。すぐにカイを拾ってずらかろうと思ったが――――引き返した途端に爆発が起こった。指輪の反応がする方向からな」
「爆発?防具が作動したのか?」
「防具の発動は爆発のあとだ。……カイと一緒に赤毛のやつが倒れてた。おおかたそいつの仕業だろう」
赤毛、と聞いて、シェルティは顔色を変える。
「まさか――――ありえない。彼がラウラを攻撃するなんて……」
シェルティは足を止めそうになるが、その腕をアフィーが引く。
「急いで」
「でも、なぜ、ノヴァが……」
「バレた」
アフィーはシェルティを引きずりながら、淡々と言った。
「ラウラじゃなくて、カイだって、バレた。だから、攻撃した」
「ありえない」
「それ以外に、理由はない」
アフィーは断言する。
「あの人は、絶対に、ラウラを傷つけない」
言い返すことができず、シェルティはただ歯を食いしばった。

現状は三人にとって最悪といってよかった。
しかしまだ想定される中での最悪な状況である。
三人はラウラの中にカイがいるという事実が暴露される可能性を、全く考えてはいないわけではなかったのだ。

三人は霊堂を出て、外階段下りながら、今後の動きについて示し合わせた。
「植林地からここまで、どんなに飛ばしても馬で一日はかかる。おれはケタリングでやつらの動きを見張る。必要なら囮になる。お前らは馬でまっすぐ南下しろ」
シェルティはわずかに躊躇ったが、了承する。
「……わかった。途中、廃村の隠れ家によって、山越えの装備を整える。山間に入ったら馬は捨てる。ぼくらはしばらく渓谷から出ない。――――それでいいんだろ?」
「ああ」
「カイは、馬に乗れる?」
「乗せるしかねえよ。とにかく早く、叩き起こしてでも、自分で馬に乗せるんだ」
アフィーは眉を顰めたが、やむを得ないと頷き、残り数段の階段を飛び降りた。
そしてまっすぐ厩に駆けていった。
レオンとシェルティは階段から数十メートル離れた位置、石畳と草地の境目に着地したケタリングに駆け寄る。
「カイ……!」
二人はほとんど同時に呼び声をかけた。
「レオン……シェル……」
カイはすでに意識を取り戻し、ケタリングから降りていた。
その顔からは血の気が失せ、立っているのがやっと、といった様子だった。
「ひどい顔色だ――――聞いたよ。大変だったね」
シェルティの言葉に、カイは力なく首を振った。
「本当のことを教えて」
「……!」
シェルティは絶句する。
「聞いたんだ。シェルの弟――――ノヴァさんから」
シェルティは震える声尋ねる。
「なにを……?」
カイはまっすぐにシェルティを見る。
「おれは世界を救ってないって」
シェルティの顔が悲痛に歪む。
カイは視線をレオンに送る。
レオンはまっすぐカイを見ているが、その口は固く閉ざされている。
「言われたんだ……!」
カイは二人を糾弾するように叫ぶ。
「たくさん、人が死んだって!世界は滅んだって!おれのせいで!」
「それは、嘘だ」
シェルティは否定したが、カイはますます声を荒げた。
「おれには別の身体があったって、おれは殺されたって、それも全部嘘なのか!?」
「……ぜんぶ嘘だ」
「じゃあなんであの人はおれをラウラって呼んだんだ!?嘘をついてるようには、見えなかったよ……!」
カイは頭を抱え、うめく。
「わかんないよ、なんにも……なんにもわかんねえ……」
「カイ……」
「頼むから、教えてくれ。ぜんぶ……本当のことを」
「……」
「なんで嘘をつくんだ?おれになにを隠してるんだ?おれはなにをしたんだ?この子はいったい誰なんだ……?」
カイはその場に膝をつく。
シェルティは顔を伏せ、唇をきつく噛みしめる。
遠くから、場違いなほど陽気な馬のいななきが響く。

「なにがあった?」
三人分の馬を引き連れてきたアフィーは、只ならぬ雰囲気の三人を前にして、たじろぐ。
「……カイ、立てる?」
アフィーは困惑したまま、カイの肩に触れようとする。
カイはその手を振り払う。
はっきりと、拒絶する。
「っ……!」
アフィーは凍りつく。
出会ってから今まで、例えどんな窮地にあっても、カイはアフィーを拒絶したことなどなかった。
アフィーはなにが起こったのかわからない、信じられない、といった表情で、唇を震わせる。
「――――そうだよ」
そんなアフィーを見て、黙りこくっていたシェルティが唇をほどいた。
「ぼくは、嘘をついていた」
カイはシェルティを見る。
口元にははりつけた微笑があったが、前髪の隙間からのぞく金色の瞳は、虚ろだった。
「ノヴァの言う通り、きみは最初、別の身体にはいっていた。災嵐をはらうために。……けれど失敗した」
「じゃあ、やっぱり――――」
「でもきみのせいではないよ」
すべてはぼくのせいだ、とシェルティは嗤った。
「ぼくは災嵐が起こってほしかったんだ。だからきみが失敗するよう、わざと仕向けたのさ」
「……は?」
「どうして、皇太子であるぼくが、こんなところにいるんだと思う?」
「どうしてって……」
「官吏を引き連れている弟に会ったんだろう?彼はとても優秀だからね。先代皇帝である
ぼくらの母が亡くなったあと、十八歳の若さで即位したんだ。反対するものは誰もいなかった。むしろ誰もが懇願したくらいだ。次代皇帝は貴方しかいない、ってね。――――ぼくなんて見向きもせずに」
耳に痛いほど、自虐的な、感情的なものいいだった。
それでいて言葉は滑らかで、淀みがなかった。
まるでひとり芝居でも演じているかのように、シェルティは続けた。
「まったく嫌になっちゃうよね。本当に――――ぼくの立場は虚しいものだったよ。皇帝となるためだけに生きてきたのに、その地位を簡単に弟にとられて。当の弟は同情してくるし、朝廷では腫れ物扱いだし、父とその取り巻き……ぼくを擁立しようとしていた連中は掌を返したように無視してくるしさ。いっそすべてを捨てて逃げ出したかったけど、でも後継の座を奪われても、皇太子を辞めることはできない。ぼくはできそこないの皇兄として、お飾りの存在として、一生を過ごさなければならない。――――そんなの御免だった。ぼくは、すべてから解放されたかった」
「……?」
カイはシェルティがなにを言おうとしているのかわからなかった。
しかしレオンはなにかを察したようで、シェルティの腕をとり、自分の方を向かせようとした。
「もういい、やめろ」
しかしレオンがどれだけ腕を引いても、シェルティはその場から動かず、カイから視線をそらすこともなかった。
「離せ。ぼくはカイが望むから、本当の話をしてあげてるんだろう」
「シェルティ!」
レオンは怒鳴るが、シェルティはかまわず手を振りほどき、カイに詰め寄る。
「ぼくがきみに嘘をついていた理由は、きみを傷つけたくなかったから。これは本当だよ。記憶をなくす前のきみはたしかに――――災嵐から世界を守ることができなかった」
足場が崩れていくような感覚に、カイは襲われる。
ノヴァに真実をつきつけられても、カイは心のどこかでまだ、嘘であってほしいと願ってしまっていた。
けれど、初対面のノヴァとは違い、シェルティとは目覚めてからもう一年以上の付き合いになる。
今日まで自分を支え、尽くしてくれた、無二の恩人である。
そんな彼が、苦心して吐露する言葉を、疑うことはできなかった。
カイは認めるしかなかった。
自分が、救世主などではなかったということを。
「多くの人を犠牲にしてしまった良心の呵責に耐えかねて、きみは心を壊してしまった。そして深い眠りにつき――――すべてを忘れて目を覚ました」
カイの脳裡に、目覚めた直後の記憶が蘇る。
三人が、自分を覚えているかどうか尋ねてきたことを。
知らない、とカイが答えると、一様に、残念そうな、同時に安堵したような表情を見せたことを。
それにも関わらず、カイとの関係を明言しなかったことを。
過去の話を、あからさまに避けていたことを。
「だから、なにも教えてくれなかったのか」
失意の呟きに、シェルティはわずかに怯んだが、頷いた。
「辛い記憶なんて、忘れてしまったままのほうがいいだろう?」
「それは――――」
「思い出す必要なんてないのさ」
カイの返事を待たず、シェルティは一方的に続けた。
「きみは一生懸命やっていたよ。なにもなければきっと世界を守り抜いていただろう。けれどそれじゃあ、ぼくは解放されない。ぼくが出来損ないの皇太子という虚しい立場を捨てるためには、既存の社会を壊さなければならなかった。世界を滅ぼし、新天地で人生を取り戻したかったんだ」
シェルティの瞳はうっすらと充血し、瞳孔は完全に開いている。
「ぼくには災嵐が必要だった。だからきみの邪魔をしたんだ。ぼくはきみを騙し、救世主から、反逆者へと、引きずり下ろしたんだ」
「なんで……」
「なんで?だって、おかしいだろう?ぼくは確かに弟と比べて能力の低い、不出来な人間だ。けれどそれでも、一族に、朝廷に、従って生きてきた。不平をこぼさず、できる限りの力を尽くしてきた。それなのにぼくはあっさりと見限られてしまった。期待外れだと、ただそれだけ言われて。ぼくの努力なんて、決意なんて、まるで歯牙にもかけられずに。――――ねえ、カイ。きみならわかるんじゃないか?ぼくの気持ちが」
シェルティの境遇は、この世界に来る以前のカイと、たしかに似ていた。
カイにはシェルティの苦しみが分かった。
けれど彼の選択を、肯定することはできなかった。
「だからって、そんな、他の人を巻き添えにするようなこと……」
「仕方ないじゃないか。だって、すべてを壊す必要があったんだ。世界を、完膚なきまでに叩き潰さなければ、ぼくは解放されなかった。皇太子が……生まれながらの公人であるぼくが自由を得る方法は、それしかなかったんだから」
シェルティは両手を広げ、空を仰いだ。
夕日に焼けた雲が、おぞましいほど赤い。
「ぼくは災嵐で死んだ人間にも、生き残った人間にも、同情しない。彼らに対する罪の意識はない。けれどきみを巻き込んでしまったことは、本当に申し訳なく思ってる。ぼくが邪魔をしなければ、きみは災嵐から世界を守り抜いただろう。名実ともに救世主となっていただろう。だが、それを果たさなかったきみは、この世界で最も忌み嫌われ、憎まれる存在となってしまった。それは間違いなく、ぼくのせいだ」
「だから、おれを、助けたのか……?」
シェルティは両手を降ろし、カイに視線を戻した。
夕日を映す湖面のように、その瞳は揺れている。
「ぼくはきみにたくさん嘘をついた。でも信じてほしい。誓った言葉は嘘じゃない。ぼくはきみを不幸にした。それは……取り返しのつかないことだ。だから、せめても償いのつもりだった」
カイはレオンとアフィーに目を向け、問う。
「じゃあ、ふたりは、なんで……」
「ふたりは、ぼくが――――」
「言っただろ、無二の存在だからだ」
代弁しようとするシェルティを制して、レオンは答える。
「おれはお前と共にありたいと思った。だから今日まで傍にいたんだ」
「レオン……」
「わ、わたしも」
続けて、アフィーが、先ほどカイに振り払われた指先を握りしめながら、答える。
「わたしも、大切だから。カイのことが、なによりも」
それを聞いたカイは、悲しみに瞳を揺らす。
「なんでそんなに、おれを大事に思ってくれるんだよ。いまのおれは、なんにも覚えてないのに……」
「カイが覚えてなくても、わたしは、カイにしてもらったことを、忘れてない。カイがいたから、わたしはわたしになれた。いまのわたしは、カイがいたから、ある。それに、カイがいなければ、わたしたちはみんな、いま生きていない。災嵐で、死んでいた」
「それ以上なにも言うな!」
シェルティが声を荒げる。しかしアフィーはカイから目を逸らさない。
「カイは世界を救わなかった。でも、わたしたちのことは救った。だからわたしは……今度はわたしたちが、あなたを救う。守る。ほかの、なにものにかえても」
カイはその場に座り込む。震える身体を抑えようと、仗を抱きしめながら。
「よくわかんないよ……」
「カイ……」
「おれのことが大切なのはわかったけど、おれたちの間になにがあってかは、どうして教えてくれないんだ?」
「それは……」
アフィーとレオンは、言葉を詰まらせる。
カイはやっぱりな、と自嘲する。
「やましいことがあるんだよな。――――お前らじゃなくて、おれに」
「……!」
「おれ自身が、なんかやらかしたんだろ?だから、なにも言えないんだろ?」
カイは引きつった笑みを浮かべながら、問い続ける。
「なあ、おれはこの身体の前、だれの身体にいたんだ?どうしていまは、この身体にいるんだ?」
その問いに、三人はやはり、答えない。
「災嵐を払えなかったおれは、それを咎められて殺されたって、あいつは言ってた。でも――――じゃあなんで、おれは生きてるんだ?」
太陽が沈む。
空は残り火で明るいが、肌寒い風が吹き始める。
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