上 下
22 / 230
第一章

朝廷からの使い

しおりを挟む
「……なにをしている」
扉を開けたアフィーが、顔を密着させるカイとシェルティに冷やかな視線を投げかける。
「あれこれもしかしてお邪魔でした?」
そしてアフィーの後方から、紺色の地味な官服を身にまとった、朝廷からの使者が顔を出す。
「ちがっ――――」
即座に誤解を晴らそうとしたカイの口を、シェルティが素早く塞ぐ。
そのままカイを背に隠し、使者に驚きの表情を向ける。
「来ていたのか」
「どうもお久しぶりです。いや、ついさっき到着したばかりなんですけどね。また陛下に無茶を言われまして……」
使者は言いながら、身なりを少しでもマシなものにしようと、髪や服を手で払った。
しかしその効果は虚しいものだった。身につけた濃緑の官服は、全体的にほこりにまみれ、シワが寄ってしまっている。結いまとめた髪は崩れかけている。額には大粒の汗が浮かび、大急ぎで駆けてきたということが一目でわかる様相だった。
使者は疲弊していた。
「愚弟が毎度、世話をかける」
シェルティが深々と頭を下げたので、使者は慌て、さらに深く頭を下げる。
「よ、よしてくださいよ!それに愚弟だなんて……弟君は本当にできたお方ですよ。まあ出来過ぎて、周りがついていけない、というのはありますけどね。ありがたくも側仕えのお役目を仰せつかっている私なんぞはもう半死半生ですけどね……」
「疲れただろう。茶を用意するから、ゆっくり休んでいくといい」
使者は一度整えた髪を自らかき乱し、自嘲に歪んだ顔で言った。
「お気遣い痛み入ります。でもまたすぐ戻らなくちゃいけないんですよ……。一昨日の朝に朝廷を出て、不眠不休でようやくたどり着いたっていうのに、お茶の一杯も飲めないなんて、ひどいですよね。いやまあ、全部、私の要領が悪いせいなんですけどね?でも陛下と一緒に仕事をしてるとこういう無茶をしないとついていけないんですよ。体力だけが取り柄ですけど、もうこの五年ずっとこんな調子ですから、いい加減おかしくなりそうです。倒れたら私もここでの療養が許可されるでしょうかね?ははは。ここは被害が少なかったとはいえ、いつ来ても素晴らしい場所ですから、つい夢見ちゃいますよねえ。ここでのんびり過ごせたらどんなにいいかって……」
使者の話に、シェルティは笑顔で、アフィーは無表情で、カイはぽかんと口を開けて耳を傾ける。
(なんかまた濃い人がきたな……)
使者は三人からの視線に我を取り戻し、慌ててまた髪を整え出す。
「ああ、失礼しました、失礼しました!遥々愚痴をこぼしにきたわけじゃないんです。――――お目覚めになられたんですね、本当に、よかった」
使者はシェルティの背に隠れるカイに目をやり、遠慮なく、じろじろと観察する。
カイは思わずシェルティの袖を握り、縋っているような姿勢をとってしまう。
「大丈夫だから、もう少しだけ我慢して」
シェルティはカイにだけ聞こえるよう、小さな声で囁く。
その様子を受けて、使者はますますカイを凝視する。
「なんか――――おふたりって、その――――そんなかんじでしたっけ?」
「なんだ?」
「いやまあ距離感と言いますか、なんと言いますか、ええっと――――」
「恋仲のようだと?」
シェルティは白々しい笑顔で言う。使者はひきつった笑みを浮かべて固まる。アフィーは親の仇を見るような目で、シェルティを睨み付ける。
(ああ!?またこのパターン!?)
カイはいつも通りシェルティとアフィーの罵り合いがはじまると思い、身構えたが、なぜかアフィーは睨むだけで、なにも言わない。
(……あれ?)
(いつもならまずおれからシェルティを引き離しにくるのに)
(使者がいるから、さすがに自重してるのか……?)
(いや一番自重すべきはシェルティか。……恋仲ってなんだよ!?)
シェルティは自ら凍りつかせた場の空気を一新する。
「冗談だ。ぼくたちはそんな間柄ではないよ」
「で、ですよね。つい――――なにか、お二人からは、以前と違う空気感と言いますか、親密さを感じてしまって――――」
「眠っていたとはいえ、五年間も身の回りの世話をしていたからな。それに目覚めてからは文字通り付きっきりで過ごしている。距離が縮むのは当然だろう」
「はあ、言われてみれば、そうかもしれません」
使者は納得して頷いたが、アフィーは射るような視線をシェルティに向ける。
そして声に出さず口を動かす。
調子にのるな、と。
シェルティは余裕の笑みで肩を竦め、アフィーを無視する。
「ところで、今日の用件は?」
「はい。その――――十日ほど前に、朝廷の外れを、ケタリングが南西方向に通り過ぎて行ったのが目撃されて……。高度はないのに、かなりの速度を出していたそうで、とてもはぐれのものには見えなかったと。報告を受けた陛下が、ここに異常があったのかもしれない、と推察なさって、私が送り込まれたわけです」
「――――なるほど。それは確かに、あの男だろう」
「やはり!いやあ驚きました。陛下は常日頃からここを気にかけて、少々神経質というか、過敏すぎるきらいがありますから……。まあとにかく、いつもの杞憂だと思ったんです。それがまさか、本当にお目覚めになられているとは」
「知らせを出さなくて悪かったな。対応でばたばたしていたものでね。――――それに目覚めはしたが、少々問題があって、伝えるべきか悩んでいたんだ」
「というと?」
「記憶がないんだ」
「……それはまた――――」
使者は苦虫を噛み殺したような顔をして、眉間を抑える。
「血色はいいようなので、すっかりお元気になられたものだと思っていました。なんなら私と一緒に朝廷にお戻りいただこうかと……」
「やめておいた方がいいだろう。今戻ったとて、期待される働きは何一つできない」
「はあ。それでその――――どうして記憶が?」
「あえて言うなら災嵐のせいだろう」
「災嵐というか――――いや、まあ、そうですね。すべての原因は災嵐ですが……」
使者は深くため息をつき、どうにか気をとり直そうと、眉間をもみこむ。
「陛下の落胆を思うと、今から気が重いです」
「朝廷はそこまで人手が不足しているのか?」
「人出が足りたことはこの五年間ひと時だってありませんよ。でも、まあ、足りていたって落胆の深さに違いはないでしょう」
シェルティはそうだな、とかすれた声で頷いた。
「記憶は、災嵐時前後だけでなく、ほとんどのものが欠落している。ぼくたちのことも覚えていなかった。それどころか霊操さえ忘れてしまっている」
「そんな……」
使者はカイに目を向ける。カイはシェルティの弁舌に合わせて、いかにも困惑しています、という笑顔を浮かべて見せる
(シェルティのいうとおり、本当にこの世界の人たちはおれを必要としてるんだな……)
(でもここで朝廷に言ったら二度ともとには……うーん、忍びないけど、シェルティに言われた通り黙って、具合よくないふりしてお引き取りいただこう……)
(まあ記憶喪失なのは本当だし、行ったところで役に立つとも思えないのも、本当だしなあ)
「それでは……まさか陛下の――――ノヴァ様のことも?」
尋ねられたカイは、小さく首を振る。使者はその場にへたり込む。
「ああ、もう、これ私、なんて報告したらいいんでしょう……」
「ありのままを伝えればいい」
「それしかありませんよねえ。ああ、嫌だ。側付きの宿命ですが、こういう悪い報告するほど嫌なもんないですよ――――」
使者はそのまましばらく愚痴をこぼしていたが、毒を吐ききると、背筋をのばして立ち上がり、深くお辞儀をした。
「――――わかりました。とにかくお目覚めになられたのはなによりです。陛下もそこに関しては、お喜びになるでしょう。突然お邪魔してすみませんでした。私はこれで、失礼させていただきます」
「本当にとんぼ帰りするのか」
「ゆっくりできるならしたいですけど、いまこの瞬間にもわたしの机には書類が積み重ねられているでしょうからね。――――ああ本当にもう、少しは休みたいです。でも指示を出している陛下が誰よりも働いていますからね。弱音吐けませんよね。はあ……。ほんとなんなんでしょうねあの人、私みたいに霊操で肉体を強化できるわけでもないのに、どうして不眠不休で働けるんでしょう。まあもう少しすれば落ち着くんじゃないでしょうか。来年あたりにはここにももっと顔を出せるようになるんじゃないでしょうか。そのときはゆっくり休ませてあげてください。――――いやこれは親切心からではなくてですね、陛下がいない方が仕事のこういう急務を振られることがなくて、腰を据えて事務処理にあたれるんですよ。ゆとりをもって仕事に取り組めるんですよ……」
「もちろん、歓迎するが、ノヴァ自身それを望まないだろう」
「いや口には出しませんが、陛下はここにきたくて仕方ないんですよ本当は。いつも私に視察を申し付けますがね、時間さえあれば確実にご自分で来られていたと思いますよ。――――ああ、いい加減戻らないと。近いうちに陛下御自身がお見舞いに来られると思うので、そのときはよろしくお願いします。――――それでは」
使者は最後にもう一度カイをじっと見つめ、部屋を出て行った。
アフィーは見送りのため、黙ってそのあとを追っていく。
「これは……とりあえず、一難去ったかんじ?」
シェルティは深く息を吐き、頷いた。
「また一難、といったところかな。……一難で済めばいいけど」
「また来るって言ってたもんな。はやいとこ帰る方法を見つけないと……」
シェルティはそうだね、と言って、使者が出て行った扉を睨んだ。
「できるだけ急がなくちゃいけない」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

とある元令嬢の選択

こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

やっと買ったマイホームの半分だけ異世界に転移してしまった

ぽてゆき
ファンタジー
涼坂直樹は可愛い妻と2人の子供のため、頑張って働いた結果ついにマイホームを手に入れた。 しかし、まさかその半分が異世界に転移してしまうとは……。 リビングの窓を開けて外に飛び出せば、そこはもう魔法やダンジョンが存在するファンタジーな異世界。 現代のごくありふれた4人(+猫1匹)家族と、異世界の住人との交流を描いたハートフルアドベンチャー物語!

処理中です...