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第一章

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〇〇〇

「がんばれ」
「んん……」
「ほら、もう少しだ」
「うう……もう、むり……」
「いったん休む?でもほら、あとちょっとだよ」
「……うぐ」
「このままいっぺんにいっちゃったほうが、きっと気持ち良いと思うけど」
「……う?」
「そうそう、じょうずだ」
「……」
「気持ちよくなってきたでしょ?」
「……」
「……休んだ方が長引いて、あとが辛いからね」
「……おい」
「いいよ。すごくいい。ああ!イッ……」
「セクハラすんな!!!」
カイは叫びながら、礼拝堂の扉に両手をついた。
「……痛いよ。もっと優しくして」
「話聞いてた!?」
補助役としてカイの手をとり、後ろ向きに歩いていたシェルティは、カイと扉の間に挟まれた格好になる。
「あはは。聞いてたよ。セクハラ?どういう意味?」
シェルティは自分を壁に押し付けるカイを見下ろし、涼しい顔を見せようとするが、口もとの緩みは抑えきれなかった。
「わかってやってるだろ……」
「本当に知らないよ。きみの世界の言葉かな?意味を教えて」
「……少なくとも王子様が絶対やっちゃいけないことではあるね」
「卑猥なことを言ったつもりはないけど?」
「わかってんじゃねーか!ひとが一生懸命歩いてんのに、茶化すなよ!」
「一生懸命応援してたんだけどなあ」
「いいや、茶化してたね。全力でおちょくってたね!手を貸すふりして遊んでたね!」
「違うよ。弄んだんだ」
「同じだよ!!」
シェルティは堪えきれず、相好を崩した。
「あははは。とにかくおめでとう!歩けたじゃないか!寝台からここまでの三十歩弱、補助付きとはいえ、よくがんばったよ」
カイはシェルティの屈託のない笑顔に絆され、しぶしぶ頷いた。
「うん、まあ、おかげさまで」
カイは言ってから、はっとして、慌ててシェルティと距離をとった。
(いつまで壁ドンしてんだおれ!?)
シェルティはふらついたカイを支えようと手を伸ばすが、カイは手に持った仗を支えに、一人で体勢を立て直した。
「ああ。本当に、ずいぶん回復したね。……よかった」
シェルティは行き場を失くした手をそっと自らの背に回した。
「なんでちょっと残念そうなんだよ」
カイが不満げに言うと、シェルティはもう一度カイに手を伸ばした。
仗を握るカイの手に、自らの手を重ね合わせ、カイの耳元に顔をよせて囁いた。
「だって――――きみの手を握る口実がなくなっちゃうじゃないか」
「なっ!?」
カイは耳を抑え、身をのけ反らせる。
「ばか!おまえ!そういうのがセクハラだって!」
「あははは」
腹を抱えて笑うシェルティを、カイは顔を真っ赤にして睨み付ける。
(こいつ……最初の王子様みたいな振る舞いはどこやったんだよ)
(自分がイケメンだからってなにしても許されると思いやがって……)
(もとの世界でおれが同じこと女の子にやったら鳥肌、舌打ち、ビンタの三連鎖間違いなしだっていうのによ、チクショウ……)
(不覚にもちょっとドキドキしちゃったし……)
「……なにしてるの」
ふいに扉が開き、アフィーが現れた。
「あ、アフィー……おはよう……」
カイは冷や汗をかく。
(やばい。また鉢合わせちゃったよ……)
「おはよう。カイ」
アフィーは無表情だが穏やかな視線をカイに送る。
「……っち」
そしてシェルティに鋭い眼光を向けると、大きく舌打ちをした。
「女狐。カイに、なにをした」
「なにもしていない」
「泣いている」
「よく見ろ、顔を赤くしているだけだ。……それも興奮でね」
「……なに?」
アフィーのこめかみに青筋が立つ。
「違う、違う!」
カイは思わず割って入る。
「さっき寝台からここまで歩けたんだよ!それで!それで嬉しくってさ!」
「……すごい」
アフィーはカイの頭を撫でる。しかしその手をシェルティが叩く。
「……は?」
「髪が乱れるだろう」
「……男の嫉妬は醜い」
「ぼくはもっと醜いものを知っている。根暗女の独占欲だ」
「……」
アフィーは腰のオーガンジーに霊力を込める。
シェルティは懐から短剣を取りだす。
「わー!ばかばか!またかよ!やめろお前ら!」
(なんでこいつらは毎回こうなんだよ!?)

カイは目覚めてからこの十日間、シェルティとアフィーの献身的な介護を受けて過ごしていた。
シェルティは消化の良い食事の用意だけでなく、歩行訓練の手助けを行った。
カイの気力を削がないようとき励まし、ときに茶化しながら、根気よく介助した。
そして五年間寝たきりだったカイの身体を、たった数日で歩ける状態まで回復させてみせた。
一方アフィーはカイの身支度や清拭、身の回りの世話に甲斐甲斐しく取り組んだ。
アフィーがあまりに真剣に取り組むので、カイも照れや抵抗を感じなくなり、むしろアフィーのためにも一連の支度が手早く無駄なく済むよう、完全に身を任せるようになっていた。さすがに清拭は自ら行うが、着替えや髪の手入れなどは口も手も一切挟まなくなっていた。
またアフィーはカイに霊の扱い方を指南した。
霊とはこの世界に充満する、エネルギーの一種である。
それは触れることも見ることもできないが、大気やあらゆる物質の内部に含まれている。空気や日光、水と並んで、この世界の生物にとって生きていくために必要不可欠なものだ。
そして人間は体内に取り込んだこの霊を、自在に操ることができた。
人は自身の霊力を物にこめることで、まるで手足のように、その物を操ることができた。
アフィーの操るオーガンジーは典型的で最も凡庸な霊具の一種だ。
アフィーは自らの内に取り込んだ霊をオーガンジーに送り込み、オーガンジーを操作している。
カイがアフィーに教わっているのも、このもっとも基本的な霊操だった。
アフィーはカイに歩行訓練用の黒色の仗を与えていた。その仗を、手を触れずに動かす、というのが、アフィーがカイに与えた最初の課題だった。
霊操は歩行訓練ほど順調にはいかなかった。
一週間ほどでようやく仗をかすかに浮かせられるようになったが、それはこの世界の人間が字を覚えるよりも前に習得する程度の霊操だった。
カイは落胆したが、アフィーもまたシェルティ同様、根気よくカイに付き合った。
カイは献身的な二人に対して、この十日ですっかり心を許し、二人といることに落ち着きさえ覚えるようになっていた。
しかし、一対一ならなんの問題もないが、二人が揃うと、途端に罵詈雑言が飛び交う修羅場に発展した。
睨み合い、罵り合い、最後にはいつも手が出る。
カイを傷つけることは決してなかったが、周囲の物を破壊することも少なくなかった。
カイはこの十日で何度となく二人の板挟みになり、心身を疲弊させていた。

(リハビリより疲れる……)
(最初は美人ふたりに取りあわれて悪い気してなかったけど)
(今はもう子供のケンカ収める保母さんの気持ちだよ。心労しかない……)
カイは大きくため息をつくと、目覚めてから何度目かになる質問をした。
「なんでそんな仲悪いの?」
シェルティは朗らかな笑顔で答える。
「ぼくは博愛主義者だけど、どうしても許せないものがあるんだ。それは分をわきまえないガキだ。そしてこいつは、カイの優しさにのぼせ上って勘違いした、怪力だけが取り柄のマセガキ。うん。仲よくする価値はないね」
「シェルお前……仮にも女性相手に失礼すぎるだろ……」
「気にしないで、カイ。女狐は、口だけは達者。でも、中身はない。だからわたしは、なんともない」
アフィーは淡々とした口調と冷やかな目線を返した。
「質問の答えで煽りあうなよ……。なあ、シェルはここの王子様で、おれ――――わたしの世話役だったんだよね」
「そうだよ」
「そんでアフィーはわたしの仲間?だったんだよね?」
「うん」
「じゃあ二人は?面識あったはずだよな?……もしかして当時からこんなかんじだったのか?」
シェルティが声を弾ませて答えた。
「いいや。五年前までこいつはもう少し分を弁えていたよ。ぼくに対してまだ敬意を払おうとするふしがあった。こいつが調子に乗り始めたのは、ここで一緒に暮らすようになってからさ。何年生活を共にしようが、ぽっとでの野猿がカイとぼくの間に割って入れるはずもないのにね?」
アフィーはシェルティに射殺さんばかりの視線を向けるが、シェルティは余裕の笑みを返す。
「仲間といっても、こいつが実際にきみの傍で過ごした時間はそう多くない。きみと会話した数だって数えるほどじゃないか?それに比べてぼくは、きみと語り明かした夜が数えきれないほどある。きみがこの世界にやってきた直後から今日に至るまで、ほとんどの時間を共に過ごしているんだ」
得意げなシェルティに、くだらない、とアフィーは言い捨てる。
「そばにいた時間だけがすべてじゃない。それに、それは、過去。これからはわたしの方がそばにいる。お前より長く」
「今も昔もカイの一番近くにいるのはぼくだ」
「不可能」
「ずいぶん堂々たる負け犬の遠吠えだね」
「お前はわたしをガキだと言った。わたしはお前より七つ若い。お前より身体も丈夫だ。……なにがあってもお前の方が先にくたばる」
「たわ事を」
「事実。それに、今のカイは、身体は、15歳。おまえと12も離れている。だから、やっぱり、お前の方が先にくたばる。カイのそばには、わたしの方が、長くいられる」
「残念だがぼくはお前より先に死なないよ」
「なぜ」
「今決めたからさ。ぼくは自分が死ぬ前に必ずお前を殺す。これで不遜なガキの暴論には筋が通らなくなったね」
「……お前の方が、ガキだ」
シェルティとアフィーは再び臨戦態勢に入る。
カイは諦めて手を振った。
「もう好きにしろよ」
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