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第一章
世界を救った英雄
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〇
「おはよう。調子はどう?」
目を覚ましたカイの隣に、レオンの姿はなかった。
代わりにシェルティが、寝台のわきに腰かけて、カイの顔を覗き込んでいる。
「……まあまあです」
カイの答えに、シェルティは顔を柔らかく綻ばせる。
「まあまあか。じゃあ、もっと元気になってもらうために、いっぱい食べてもらわなくちゃね」
(ま、また一口ずつあーんってされんのか……?)
カイはひきつったつくり笑いを浮かべ、起き上がろうとする。シェルティはすかさず腰に手を回し、それを支える。
「す、すみません……」
「気にしないで。ぼくたちの間柄じゃないか」
(おれはその間柄を知らないんだっつーの!)
カイはのどもとまで出かかった言葉を飲み込む。
「さあ、冷めないうちに」
シェルティは寝台の縁に乗せていた椀を取り上げた。
中には昨日と同じポレンタを薄めた粥が入っている。
「いまはこれが一番身体にいいと思うんだけど、飽きたら言ってね。すぐ別のものを用意するから」
「あの、自分で食べるんで……」
「だめ。ぼくの楽しみを奪わないでよ」
シェルティはイタズラをする子供のような笑顔でスプーンを差し出す。
カイはしぶしぶそれを受け入れる。
(イケメンは笑顔一つでひとを黙らせられる)
(ズルい)
「不満げだね」
カイの心を読んだかのようにシェルティは言った。
「記憶をなくす前のきみは、身体もいまよりずっと健康だったけど、ぼくに食事から着替えまで全部任せてくれてたんだけどなあ」
「えっ」
「それだけじゃない。毎日湯浴みのお世話もしたし、夜伽の相手だって――――」
カイは口に含んだ粥を勢いよく拭きだす。
「夜伽!?」
シェルティは肩を震わせて笑った。
「あははは!冗談だよ。きみの反応、相変わらず最高だね」
シェルティは笑いながら、カイが服や上掛けにこぼした粥を布巾で拭いとった。
「か、からかわないでください……」
口を尖らせるカイに、シェルティは笑いを噛み殺して手を伸ばす。
唇の端に指を這わせ、そこについていたポレンタの粒をすくいとり、自身の口もとへ運ぶ。
「あっ……!えっ……!?」
カイは羞恥で顔を真っ赤にする。
(しょ、少女漫画かよ!)
一方のシェルティは涼しい顔で、新しい粥のひと匙をカイに差し出す。
「きみのお世話をしていたのは本当だよ。きみのもといた世界とこことでは、だいぶ文化がちがうみたいだったからね。おまけにきみは朝廷にいた時期もあったから、毎日礼服を着なければいけなかったし、ぼくみたいなのが必要不可欠だったんだよ」
「朝廷……?」
歴史の教科書か物語でしか聞いたことのない用語に、カイは目を白黒させる。
「あの、おれ――――わたしのこと、もうちょっといろいろ教えてくれませんか?」
シェルティはかすかに眉間にしわを寄せ、持ち上げた匙を椀の中に戻した。
「いいよ。でも、他人行儀な言葉遣いはやめてほしいな」
カイは乾いた笑いをもらす。
(事実他人だしな……)
(この人には悪いけど、少なくともいまのおれにとっては……)
カイは内心で嘆息する。
(今までの距離感わかんないのにいきなり詰められないだろ)
(迂闊なこと言って男だってバレるわけにもいかないし)
「お――――あの、わたしは、記憶をなくす前もあなたに面倒を見てもらってたんですか?」
「シェルって呼んで」
「……シェルとわたしは、その――――どういう関係だったんですか?」
「わたし?」
シェルティはまた首を傾げ、カイに聞こえない小さな声を出した。
「混濁してるのかな?身体にひっぱられている……?口調が変わるほど顕著にでるものか?」
「え?」
「――――いいや、なんでもない。ぼくたちの関係は、まあそうだね、いうなればご主人様と世話係、といったところかな」
「わ、わたしが主人だったんですか!?」
「うん。きみがお姫様で、ぼくはそれに使える下僕だった」
シェルティはまたイタズラっぽい笑顔を浮かべる。
カイはたまらず目を逸らす。
(なんてことない笑顔ひとつが輝いていやがる……)
(こんなイケメンが下僕だって?ありえない!)
「またからかってます?」
「あははは、バレたか。だいたい合ってるけどね、たしかに誇張はあった」
カイは不平を口にしようとしたが、シェルティの笑顔を前に、やむなく口を閉じた。
(また王子様スマイルか!)
(少女マンガのヒロインも裸足で逃げ出すぞそれ!)
(そんないい顔で笑われたらなんも言えないだろうが!)
(くそ!これだから顔のいいやつは得だよな!)
シェルティは足元の薄雪草に視線を落として言った。
「ぼくは皇太子なんだ」
「は?」
カイはまた心を読まれたのかと焦る。
もちろん、それはただの偶然だったが。
「この世界の人間を統治している皇帝の長子が、ぼくなんだ」
「……へえ」
(めちゃくちゃ腑に落ちる。王子様のお手本みたいなツラしてるもんな)
「じゃあやっぱりわたしの世話してたっていうのは噓ですか?」
「いいや、それは本当」
「皇太子なのに?」
「皇太子だからさ。きみはこの世界にとって一番の賓客だから、太子であるぼくが相手になることに、不自然はなかったんだ」
「賓客?わたしが?」
「――――この世界は、きみの住んでいた世界と違って、人間の住める場所はとても少ない。山脈に囲まれた盆地だけが、人の住める領域だ。気候は穏やかで、作物の実りも良い。ただ百年に一度必ず大災害が起きるんだ。人も、動植物も、土地も、容赦なく破壊する『百年災嵐』。――――ぼくたち人間の歴史は、百年ごとに叩き潰されてきた」
(急にゲームのチュートリアルみたいな話はじまったな)
カイはそう思いつつも、シェルティの話に真剣に耳を傾けた。
「百年おきの、望まぬ破壊と再生を、ぼくたちはずっと終わらせたかった。そしてある技師が糸口をつかみ、血路を開いた。『百年災嵐』を逃れる方法を発見したんだ。しかしそれには膨大な量の霊力が必要だった。この世界の人のもので到底まかないきれない量だ。それを補うために、別の世界からきみの魂を呼び降ろさなければならなかった」
「魂を……この身体に?」
「そう。きみのもといた世界では霊力は使われていない。――――前きみはそれについて『発見されていない』と言っていたな。逆にこちらでは発見されていない、用いられていない物質エネルギーによって、そちらの世界の人びとの生活は補われている、と。――――とにかく、霊術式を発動させるために、きみの世界でありあまっている霊力を使いたかった。きみを呼んだのはその媒介となってもらうためだ。ぼくは専門家じゃないから、詳しく説明できないけど、きみの魂をこちらに呼ぶことで道ができる。その道を通し、きみを媒介として、霊力をまかなう。それがきみが呼ばれた理由だった」
カイはシェルティの話のほとんどを理解することができなかったが、はあ、とひとまず曖昧に相槌をうった。
「なんか、すごい、責任重大ですね」
カイの言葉に、シェルティは悲しげに目を伏せる。
「きみは――――やっぱり、そう言うんだね。こちらの都合で、勝手に連れてこられたというのに」
「え?」
「どこまでも優しいひとだ。でもその優しさを、これからはどうか自分のためだけに――――」
シェルティはそこで言葉を切ると、顔から悲しみを消し、ほほ笑んだ。
「きみは責任を果たした。世界を救った、英雄だ」
「あ、じゃあ、その、術式?無事発動できたんですか」
「そう。きみはこちらに呼ばれて三年間、たゆまぬ努力を重ねた。ぼくは傍付きとしてずっと見ていたから知ってるんだ。どんな苦しみにも困難にも立ち向かい、きみはこの世界で最高の霊技師となって、『百年災嵐』を見事払いのけた」
「おお……!」
カイは思わず顔を綻ばせる。
(まじ?おれ、すごくね?)
(世界救っちゃったの?英雄なの?記憶ないから実感ないけど、やばい、めちゃくちゃ
テンションあがるな!)
「嬉しそうだね」
カイは思わずにやけた顔を両手で覆い隠す。
「いや!いやいや、そんな急に英雄とか言われて照れたっていうか、その、いやあ、まじっすか?おれぜんぜん前からそういう努力とかできるタイプじゃなかったんで、信じらんなくて!」
「間違いないよ。きみはとても、とてもがんばって、英雄になった。世界を救った。きみがいなければ、ぼくらは――――」
シェルティは眉をひそめた。
「――――カイ、その手はどうしたんだい?」
「……え?手?」
カイはそう言われてはじめて、自分の口に当てている両手がとても冷たいことに気づいた。
見るとそれは色を失い、震えている。
まるで極度の緊張状態にあるようだった。
「あれ、なんだろ?いつの間に?」
(まさか興奮しすぎたせい?だとしたら恥ずかしすぎるが……)
(でもしょうがないよな!だって救世主だよ!世界救っちゃったんだよおれ!)
(過程の困難覚えてないから、なんかおいしいとこだけもらってるような気分だけど、でも最高!)
(ちょうテンションあがる!)
(ナイス!よくやった過去のおれ!)
(女のフリしてたことも許す!)
どこかタガが外れたような浮かれ方をするカイをよそに、シェルティはなぜか、顔を青ざめさせていく。
「いきなり話すぎたかな」
シェルティはカイの冷えた手を自らの両手で包み込んだ。
その手はカイのものと同じくらい白いが、ひとまわりも大きく、暖かかった。
湯の中に手を浸けたような感覚を、カイは覚えた。
(またイケメンな振る舞いを……)
カイは興奮で頬に灯った赤を、さらに濃くする。
(指先まできれいとか、嫌味かよ)
(でも手はでかいな)
(……)
(違うか、おれの手が小さいのか)
(……あ)
カイはふいにシェルティの手を振り払う。
「ちょっとまって、じゃあ、この身体は?」
シェルティの顔から、表情が抜け落ちる。
その反応を見て、カイはさらに狼狽する。
「おれの魂を呼んだっていったよな?じゃあ、この身体は?もとは誰かのものだったんじゃないの?」
虚ろな眼差しで、シェルティは頷いた。
(なんで今まで気付かなかったんだ!?)
カイの心臓は跳ね上がり、少し温まった手からまた血の気が引く。
「もとの子はどうなったの?その子の魂はどこに!?」
シェルティは浅く息を吸った。
「落ち着いて」
瞳の奥は揺らいでいたが、声は静かだった。
「だって、まさか――――」
動揺するカイの肩をそっと両手でおさえ、シェルティは首を振る。
「中身は――――入れ替わった」
「えっ?」
カイは唖然とする。
シェルティは両手をカイの肩から手へと移し、再び温め始める。
「だから――――きみのもとの身体に、彼女は入っているんだ」
「お、おれの身体に?」
「ぼくたちはきみのいた世界に行けないから証拠を出すことはできないんだけど、まず間違いないだろう。魂を入れ替える術式をかけたのは、きみの身体の持ち主だった彼女自身だ。そしてその彼女が――――きみを受け入れた後の自分の魂の行き場についてそう語ったんだから、まず間違いないだろう」
カイは項垂れ、繰り返す。
「まじで?」
「……そんなに、衝撃かな。だって彼女は――――生きているんだ。きみの世界で、たしかに」
(それが問題なんだよ!!!!)
カイは心中で絶叫する。
(こんな、こんな美少女が……おれの身体に!?)
(悲劇すぎるだろ!!)
(こんな可憐な美少女として生まれ育ったのに、世界を救うためとはいえ、二十歳のむさい男の身体に入って残りの一生を過ごさなきゃいけないなんて……悲劇以外のなにものでもないだろ!?)
カイは名も知らないその少女に懺悔する。
(ああああ、まじでごめん)
(せめて髪とかヒゲの手入れもっとしとくべきだった……。部屋も全然掃除してないし……。スマホの履歴とか見られたら終わるんだが……。パソコンも……エロいやつとかふつうにお気に入りいれちゃってるし……友達とふざけてネカマやってたゲームのアカウントも残ってるし……)
(最悪すぎる)
(申し訳なさすぎる)
(どう考えたってこっちの世界で美少女として生きていくより、あっちで大した容姿も学歴もない男として生きていくほうが難易度高いだろ……)
(……)
(実家に金あってよかったな……)
カイは生まれてはじめて、あの家に生まれて心からよかったと思った。
(少なくとも金には不自由せず生きていけるはずだ)
(唯一それだけが救いだ……)
黙って百面相をしているうちに、カイの手は血色と体温を取り戻していった。
シェルティはほっと息をつき、よかった、とほほ笑んだ。
「あちらで、きっと苦労はあるだろうけど、少なくとも――――彼女は生きているんだ。なにも気にすることはないさ」
それを聞いたカイは大きく首を振る。
「いや気になることしかないよ!」
「例えば、どんな?」
「だって、こんなかわいい身体から、おと……」
カイは言いかけた言葉を慌てて飲み込む。
(あぶねえ!油断した!)
「おと?」
「い、いやいや、なんでもない!そうだな、代わっちゃったもんはもうどうしようもないからな!諦めてもらおう!ははは!」
カイは申し訳なさでこみ上げてくる涙を必死にこらえ、無理やり明るい声を出した。
(ほんと、ごめん、美少女よ)
(実家の金いくらでも食いつぶしてくれていいから!)
シェルティはカイの髪をそっと撫で、ごめんね、と呟いた。
「こういう話は、もう少し体力が回復してからするべきだった」
「いや、むしろ教えてくれてありがとう。自分の置かれた状況、だいたいわかったよ。知らないままの方がきっと落ち着かなかったと思う」
シェルティはまなじりを下げる。
「そう?――――なら、よかった」
「ああ、でも、もうひとつだけ教えてほしいんだけど」
「なにかな?」
「おれ――――じゃない、わたし、なんで五年も寝てたんだ?」
「術式の反動だよ。きみは見事『百年災嵐』を払ったけど、その反動で、眠ってしまったんだ」
「ふうん」
シェルティは湯気の消えた粥をかき混ぜ、匙をカイに向けた。
「それじゃあ、おしゃべりはおしまい。そろそろ食事を再開しよう」
カイは浮足立った心地で、シェルティに与えられる粥を素直に頬張った。
(英雄。救世主かあ)
カイは夢想する。
大衆に囲まれて、歓声を浴びる自分を。
(悪くないな)
(むしろ最高の気分だ)
(……)
(美少女には、まじで、申し訳ないが……)
(どうやらおれちゃんと世界救ったみたいなんで!責任はとったようなので!どうかご容赦いただきたい!)
(この身体は、後生大事にしますんで!)
まだわからないことが多くある中で、それでもカイは、自分が救世主であることを露とも疑っていなかった。
「おはよう。調子はどう?」
目を覚ましたカイの隣に、レオンの姿はなかった。
代わりにシェルティが、寝台のわきに腰かけて、カイの顔を覗き込んでいる。
「……まあまあです」
カイの答えに、シェルティは顔を柔らかく綻ばせる。
「まあまあか。じゃあ、もっと元気になってもらうために、いっぱい食べてもらわなくちゃね」
(ま、また一口ずつあーんってされんのか……?)
カイはひきつったつくり笑いを浮かべ、起き上がろうとする。シェルティはすかさず腰に手を回し、それを支える。
「す、すみません……」
「気にしないで。ぼくたちの間柄じゃないか」
(おれはその間柄を知らないんだっつーの!)
カイはのどもとまで出かかった言葉を飲み込む。
「さあ、冷めないうちに」
シェルティは寝台の縁に乗せていた椀を取り上げた。
中には昨日と同じポレンタを薄めた粥が入っている。
「いまはこれが一番身体にいいと思うんだけど、飽きたら言ってね。すぐ別のものを用意するから」
「あの、自分で食べるんで……」
「だめ。ぼくの楽しみを奪わないでよ」
シェルティはイタズラをする子供のような笑顔でスプーンを差し出す。
カイはしぶしぶそれを受け入れる。
(イケメンは笑顔一つでひとを黙らせられる)
(ズルい)
「不満げだね」
カイの心を読んだかのようにシェルティは言った。
「記憶をなくす前のきみは、身体もいまよりずっと健康だったけど、ぼくに食事から着替えまで全部任せてくれてたんだけどなあ」
「えっ」
「それだけじゃない。毎日湯浴みのお世話もしたし、夜伽の相手だって――――」
カイは口に含んだ粥を勢いよく拭きだす。
「夜伽!?」
シェルティは肩を震わせて笑った。
「あははは!冗談だよ。きみの反応、相変わらず最高だね」
シェルティは笑いながら、カイが服や上掛けにこぼした粥を布巾で拭いとった。
「か、からかわないでください……」
口を尖らせるカイに、シェルティは笑いを噛み殺して手を伸ばす。
唇の端に指を這わせ、そこについていたポレンタの粒をすくいとり、自身の口もとへ運ぶ。
「あっ……!えっ……!?」
カイは羞恥で顔を真っ赤にする。
(しょ、少女漫画かよ!)
一方のシェルティは涼しい顔で、新しい粥のひと匙をカイに差し出す。
「きみのお世話をしていたのは本当だよ。きみのもといた世界とこことでは、だいぶ文化がちがうみたいだったからね。おまけにきみは朝廷にいた時期もあったから、毎日礼服を着なければいけなかったし、ぼくみたいなのが必要不可欠だったんだよ」
「朝廷……?」
歴史の教科書か物語でしか聞いたことのない用語に、カイは目を白黒させる。
「あの、おれ――――わたしのこと、もうちょっといろいろ教えてくれませんか?」
シェルティはかすかに眉間にしわを寄せ、持ち上げた匙を椀の中に戻した。
「いいよ。でも、他人行儀な言葉遣いはやめてほしいな」
カイは乾いた笑いをもらす。
(事実他人だしな……)
(この人には悪いけど、少なくともいまのおれにとっては……)
カイは内心で嘆息する。
(今までの距離感わかんないのにいきなり詰められないだろ)
(迂闊なこと言って男だってバレるわけにもいかないし)
「お――――あの、わたしは、記憶をなくす前もあなたに面倒を見てもらってたんですか?」
「シェルって呼んで」
「……シェルとわたしは、その――――どういう関係だったんですか?」
「わたし?」
シェルティはまた首を傾げ、カイに聞こえない小さな声を出した。
「混濁してるのかな?身体にひっぱられている……?口調が変わるほど顕著にでるものか?」
「え?」
「――――いいや、なんでもない。ぼくたちの関係は、まあそうだね、いうなればご主人様と世話係、といったところかな」
「わ、わたしが主人だったんですか!?」
「うん。きみがお姫様で、ぼくはそれに使える下僕だった」
シェルティはまたイタズラっぽい笑顔を浮かべる。
カイはたまらず目を逸らす。
(なんてことない笑顔ひとつが輝いていやがる……)
(こんなイケメンが下僕だって?ありえない!)
「またからかってます?」
「あははは、バレたか。だいたい合ってるけどね、たしかに誇張はあった」
カイは不平を口にしようとしたが、シェルティの笑顔を前に、やむなく口を閉じた。
(また王子様スマイルか!)
(少女マンガのヒロインも裸足で逃げ出すぞそれ!)
(そんないい顔で笑われたらなんも言えないだろうが!)
(くそ!これだから顔のいいやつは得だよな!)
シェルティは足元の薄雪草に視線を落として言った。
「ぼくは皇太子なんだ」
「は?」
カイはまた心を読まれたのかと焦る。
もちろん、それはただの偶然だったが。
「この世界の人間を統治している皇帝の長子が、ぼくなんだ」
「……へえ」
(めちゃくちゃ腑に落ちる。王子様のお手本みたいなツラしてるもんな)
「じゃあやっぱりわたしの世話してたっていうのは噓ですか?」
「いいや、それは本当」
「皇太子なのに?」
「皇太子だからさ。きみはこの世界にとって一番の賓客だから、太子であるぼくが相手になることに、不自然はなかったんだ」
「賓客?わたしが?」
「――――この世界は、きみの住んでいた世界と違って、人間の住める場所はとても少ない。山脈に囲まれた盆地だけが、人の住める領域だ。気候は穏やかで、作物の実りも良い。ただ百年に一度必ず大災害が起きるんだ。人も、動植物も、土地も、容赦なく破壊する『百年災嵐』。――――ぼくたち人間の歴史は、百年ごとに叩き潰されてきた」
(急にゲームのチュートリアルみたいな話はじまったな)
カイはそう思いつつも、シェルティの話に真剣に耳を傾けた。
「百年おきの、望まぬ破壊と再生を、ぼくたちはずっと終わらせたかった。そしてある技師が糸口をつかみ、血路を開いた。『百年災嵐』を逃れる方法を発見したんだ。しかしそれには膨大な量の霊力が必要だった。この世界の人のもので到底まかないきれない量だ。それを補うために、別の世界からきみの魂を呼び降ろさなければならなかった」
「魂を……この身体に?」
「そう。きみのもといた世界では霊力は使われていない。――――前きみはそれについて『発見されていない』と言っていたな。逆にこちらでは発見されていない、用いられていない物質エネルギーによって、そちらの世界の人びとの生活は補われている、と。――――とにかく、霊術式を発動させるために、きみの世界でありあまっている霊力を使いたかった。きみを呼んだのはその媒介となってもらうためだ。ぼくは専門家じゃないから、詳しく説明できないけど、きみの魂をこちらに呼ぶことで道ができる。その道を通し、きみを媒介として、霊力をまかなう。それがきみが呼ばれた理由だった」
カイはシェルティの話のほとんどを理解することができなかったが、はあ、とひとまず曖昧に相槌をうった。
「なんか、すごい、責任重大ですね」
カイの言葉に、シェルティは悲しげに目を伏せる。
「きみは――――やっぱり、そう言うんだね。こちらの都合で、勝手に連れてこられたというのに」
「え?」
「どこまでも優しいひとだ。でもその優しさを、これからはどうか自分のためだけに――――」
シェルティはそこで言葉を切ると、顔から悲しみを消し、ほほ笑んだ。
「きみは責任を果たした。世界を救った、英雄だ」
「あ、じゃあ、その、術式?無事発動できたんですか」
「そう。きみはこちらに呼ばれて三年間、たゆまぬ努力を重ねた。ぼくは傍付きとしてずっと見ていたから知ってるんだ。どんな苦しみにも困難にも立ち向かい、きみはこの世界で最高の霊技師となって、『百年災嵐』を見事払いのけた」
「おお……!」
カイは思わず顔を綻ばせる。
(まじ?おれ、すごくね?)
(世界救っちゃったの?英雄なの?記憶ないから実感ないけど、やばい、めちゃくちゃ
テンションあがるな!)
「嬉しそうだね」
カイは思わずにやけた顔を両手で覆い隠す。
「いや!いやいや、そんな急に英雄とか言われて照れたっていうか、その、いやあ、まじっすか?おれぜんぜん前からそういう努力とかできるタイプじゃなかったんで、信じらんなくて!」
「間違いないよ。きみはとても、とてもがんばって、英雄になった。世界を救った。きみがいなければ、ぼくらは――――」
シェルティは眉をひそめた。
「――――カイ、その手はどうしたんだい?」
「……え?手?」
カイはそう言われてはじめて、自分の口に当てている両手がとても冷たいことに気づいた。
見るとそれは色を失い、震えている。
まるで極度の緊張状態にあるようだった。
「あれ、なんだろ?いつの間に?」
(まさか興奮しすぎたせい?だとしたら恥ずかしすぎるが……)
(でもしょうがないよな!だって救世主だよ!世界救っちゃったんだよおれ!)
(過程の困難覚えてないから、なんかおいしいとこだけもらってるような気分だけど、でも最高!)
(ちょうテンションあがる!)
(ナイス!よくやった過去のおれ!)
(女のフリしてたことも許す!)
どこかタガが外れたような浮かれ方をするカイをよそに、シェルティはなぜか、顔を青ざめさせていく。
「いきなり話すぎたかな」
シェルティはカイの冷えた手を自らの両手で包み込んだ。
その手はカイのものと同じくらい白いが、ひとまわりも大きく、暖かかった。
湯の中に手を浸けたような感覚を、カイは覚えた。
(またイケメンな振る舞いを……)
カイは興奮で頬に灯った赤を、さらに濃くする。
(指先まできれいとか、嫌味かよ)
(でも手はでかいな)
(……)
(違うか、おれの手が小さいのか)
(……あ)
カイはふいにシェルティの手を振り払う。
「ちょっとまって、じゃあ、この身体は?」
シェルティの顔から、表情が抜け落ちる。
その反応を見て、カイはさらに狼狽する。
「おれの魂を呼んだっていったよな?じゃあ、この身体は?もとは誰かのものだったんじゃないの?」
虚ろな眼差しで、シェルティは頷いた。
(なんで今まで気付かなかったんだ!?)
カイの心臓は跳ね上がり、少し温まった手からまた血の気が引く。
「もとの子はどうなったの?その子の魂はどこに!?」
シェルティは浅く息を吸った。
「落ち着いて」
瞳の奥は揺らいでいたが、声は静かだった。
「だって、まさか――――」
動揺するカイの肩をそっと両手でおさえ、シェルティは首を振る。
「中身は――――入れ替わった」
「えっ?」
カイは唖然とする。
シェルティは両手をカイの肩から手へと移し、再び温め始める。
「だから――――きみのもとの身体に、彼女は入っているんだ」
「お、おれの身体に?」
「ぼくたちはきみのいた世界に行けないから証拠を出すことはできないんだけど、まず間違いないだろう。魂を入れ替える術式をかけたのは、きみの身体の持ち主だった彼女自身だ。そしてその彼女が――――きみを受け入れた後の自分の魂の行き場についてそう語ったんだから、まず間違いないだろう」
カイは項垂れ、繰り返す。
「まじで?」
「……そんなに、衝撃かな。だって彼女は――――生きているんだ。きみの世界で、たしかに」
(それが問題なんだよ!!!!)
カイは心中で絶叫する。
(こんな、こんな美少女が……おれの身体に!?)
(悲劇すぎるだろ!!)
(こんな可憐な美少女として生まれ育ったのに、世界を救うためとはいえ、二十歳のむさい男の身体に入って残りの一生を過ごさなきゃいけないなんて……悲劇以外のなにものでもないだろ!?)
カイは名も知らないその少女に懺悔する。
(ああああ、まじでごめん)
(せめて髪とかヒゲの手入れもっとしとくべきだった……。部屋も全然掃除してないし……。スマホの履歴とか見られたら終わるんだが……。パソコンも……エロいやつとかふつうにお気に入りいれちゃってるし……友達とふざけてネカマやってたゲームのアカウントも残ってるし……)
(最悪すぎる)
(申し訳なさすぎる)
(どう考えたってこっちの世界で美少女として生きていくより、あっちで大した容姿も学歴もない男として生きていくほうが難易度高いだろ……)
(……)
(実家に金あってよかったな……)
カイは生まれてはじめて、あの家に生まれて心からよかったと思った。
(少なくとも金には不自由せず生きていけるはずだ)
(唯一それだけが救いだ……)
黙って百面相をしているうちに、カイの手は血色と体温を取り戻していった。
シェルティはほっと息をつき、よかった、とほほ笑んだ。
「あちらで、きっと苦労はあるだろうけど、少なくとも――――彼女は生きているんだ。なにも気にすることはないさ」
それを聞いたカイは大きく首を振る。
「いや気になることしかないよ!」
「例えば、どんな?」
「だって、こんなかわいい身体から、おと……」
カイは言いかけた言葉を慌てて飲み込む。
(あぶねえ!油断した!)
「おと?」
「い、いやいや、なんでもない!そうだな、代わっちゃったもんはもうどうしようもないからな!諦めてもらおう!ははは!」
カイは申し訳なさでこみ上げてくる涙を必死にこらえ、無理やり明るい声を出した。
(ほんと、ごめん、美少女よ)
(実家の金いくらでも食いつぶしてくれていいから!)
シェルティはカイの髪をそっと撫で、ごめんね、と呟いた。
「こういう話は、もう少し体力が回復してからするべきだった」
「いや、むしろ教えてくれてありがとう。自分の置かれた状況、だいたいわかったよ。知らないままの方がきっと落ち着かなかったと思う」
シェルティはまなじりを下げる。
「そう?――――なら、よかった」
「ああ、でも、もうひとつだけ教えてほしいんだけど」
「なにかな?」
「おれ――――じゃない、わたし、なんで五年も寝てたんだ?」
「術式の反動だよ。きみは見事『百年災嵐』を払ったけど、その反動で、眠ってしまったんだ」
「ふうん」
シェルティは湯気の消えた粥をかき混ぜ、匙をカイに向けた。
「それじゃあ、おしゃべりはおしまい。そろそろ食事を再開しよう」
カイは浮足立った心地で、シェルティに与えられる粥を素直に頬張った。
(英雄。救世主かあ)
カイは夢想する。
大衆に囲まれて、歓声を浴びる自分を。
(悪くないな)
(むしろ最高の気分だ)
(……)
(美少女には、まじで、申し訳ないが……)
(どうやらおれちゃんと世界救ったみたいなんで!責任はとったようなので!どうかご容赦いただきたい!)
(この身体は、後生大事にしますんで!)
まだわからないことが多くある中で、それでもカイは、自分が救世主であることを露とも疑っていなかった。
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カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
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【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
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たしかに私は王妃になった。
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ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
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