あなたの子ではありません。

沙耶

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28 セドリック7

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「レベッカがどうしてここにいるのですか、王太后陛下」

スティーブンは驚いていたが、すぐに国王の顔に戻ると母を問い詰めた。

母は余裕たっぷりの笑みを浮かべている。

「ふふ、何、お前の味方になってやろうと思っているのじゃぞ?」

「味方……?」

スティーブンは眉を顰め疑わしそうに母を睨み付ける。

「ああ、この子に教育をしてやろうと思うてな」

「教育を……?」

スティーブンは信じられないというようにまじまじと母を見つめた。

「そうじゃ。貴族のマナー、そして王妃教育も施してやろう」

こくりと息を飲み込んだスティーブンは、母の言葉に悩むそぶりを見せる。

セドリックは言葉を失い、その場に立ちつくしてしまう。

「……レベッカ」

「はい」

背筋を伸ばして様子を見守っていたレベッカは、急に名を呼ばれピクリとしたが、スティーブンの黄金の瞳を真剣に見つめた。

「君は、王妃になりたいか?」

「……私は、スティーブン様の傍にいられるなら……」

レベッカがすこし戸惑った表情をすると、スティーブンは口を噤んだ。

「それとな……この子がある程度出来るようになったら、バートレット侯爵家の養子にしてやろう……」

ふふふと楽しそうに母は笑っている。

スティーブンはあり得ないというように目を見開いた。

「養子に、ですか……?」

「そうじゃ。そうしたら結婚もできるじゃろう?生涯夫婦として傍にいられるぞ。嬉しいだろう?」

「………」

「……そんな、夢のようなことがあってもいいのでしょうか……」

スティーブンは考えるように顎に手を当てていたが、レベッカは「夫婦」という言葉を聞くと嬉しそうに頬を染める。

「きちんと教育してくれるのでしょうか?」

「もちろんじゃ。平民は好きではないが、私はアナスタシアにも優しく教えたのだからな。最高の教師を用意してやろう。

それに数日見ていたが、この子は筋がいい。記憶力も悪くないし、「スティーブンのためになるぞ。」と告げると、随分飲み込みも早い」

「そうですか……」

何故かスティーブンは嬉しそうな表情をすると、レベッカへと視線を向けた。

「教育は厳しいぞ。耐えられるか?」

「はい、大丈夫です。それに、知識を増やすのも、勉強をするのも、楽しいですから……」

「……そうだな、君はそういう子だった」

楽しくて仕方がないというように声を弾ませたレベッカにスティーブンは優しい眼差しを向ける。その二人の様子を眺めていた母は、穏やかに笑った。

セドリックだけ一人、置いてけぼりだった。

セドリックの胸は騒めき、スティーブンからの裏切りをひしひしと感じた。

(裏切りだ。いや、叔父上は元々、母側だったのだろうか……)

あの日話したスティーブンの言葉が全て嘘だと思うと、セドリックは光もない、真っ暗な暗闇の中に一人立たされているようだった。

「レベッカ、教育の続きをしよう。部屋で待っておれ」

一通り話しをつけた三人は、母がレベッカへ命じると、別の侍女と共に彼女は部屋を出ていった。

「……何か、あるのですよね?条件が」

レベッカを退出させた母にスティーブンは強い眼差しを向けると、母は悪魔のような笑みでクスクスと笑っていた。

「平民は嫌いじゃが、あの娘はなかなか悪くない。お前が愛するのも分からなくもない。だがな……」

「………」

スティーブンは黙って母の言葉の続きを待った。

「私の邪魔をするものは、許せないんだよ」

母は忌々しそうにスティーブンを睨めつけたと思うと、次の瞬間表向きの優しい王太后の顔で笑った。

「だがお主と敵対したいわけではないのじゃ。それは分かってくれるな?」

「はい」

スティーブンは渋々というように頷く。

ハッとセドリックの口から吐息が漏れた。

スティーブンの愛するレベッカは、母の手元にいる。

国王は、叔父上は、セドリックの味方になると、ハッキリあの夜に告げた。  

だが今はどうだろう。

スティーブンの顔は母を敵対するような顔ではない。何かを願うような顔をしている。

あの時の、セドリックのようなーー。

「叔父上……」

セドリックはとても小さな声で呟いた。

意識的に出した言葉ではない。ただ心の不安から漏れた声だった。

セドリックの小さな呟きに気付いたスティーブンは、心苦しそうに謝罪した。

すまない。と……

セドリックはまだ信じられなかった。怒りと戸惑いで心が揺れていた。

叔父上は味方ではなかったのか?

レベッカが母側にいるから?王妃教育をしてもらうから?母の家門に入れてもらうから?

何にしろ、叔父上はーー。

「僕を、裏切るのですか……」

(アナスタシアは、どうなる……)

セドリックは掠れた震える声で叔父に問うた。

叔父はセドリックを辛そうに見つめると、すまない。ともう一度口にした。

セドリックは足元がガラガラと崩れ落ちていくような感覚がした。

叔父が、国王陛下が、セドリックを裏切った。

ならアナスタシアは?離宮は?

「ふざけないで下さい……」

(こんなの、許せるはずがない……)

セドリックは怒りで頭がおかしくなりそうだった。

セドリックがぎゅうっと拳を力強く握りしめていると、母はセドリックの怒りをスティーブンに向けさせないように彼に退出を促した。

「スティーブン、下がってよいぞ」

「はい。ではレベッカをよろしくお願いします。王太后陛下」

「うむ」

スティーブンの返事に満足そうに頷いた母は、ニコリと笑った。

「……っ待ってください!」

セドリックが声を張り上げるが、スティーブンはセドリックの顔を見向きもせずに足早に去っていった。

部屋にはセドリックと母の二人だけになる。

「のうセドリック……」

母はゆっくりとベッドから降りると、セドリックの目の前まで歩いてくる。

恐怖は感じない。ただ今の状況を受け入れられず、立ちつくしてしまう。

セドリックはただ拳を握りしめた。爪の跡が残るほど強く。

母はそんなセドリックを愉快そうに眺めた。

「昔、お前に良いことを思いついた。と、告げたことを覚えているか?」

「………」

覚えている。覚えているが、セドリックはもう何も返答できなかった。

そんなセドリックを見据えながら母は続ける。

「クライヴ様との思い出で一番辛かったのが、初夜じゃった……

クライヴ様は言ったのじゃ。俺には愛する人がいると。だからお前との子は欲しくないが、跡継ぎのために仕方なく抱くと……」

母は以前のようにほろほろと泣き始めた。

「だから、何ですか?」

セドリックは母を睨む。もうセドリックは母に良い顔をするのはやめた。スティーブンも母側に寝返ってしまい、全てがバレた今、良い顔をしたところで何の意味もない。

だがそんなセドリックに、母は楽しそうに愉悦の笑みを浮かべた。

「セドリック……お前は本当にクライヴ様に似とるの……お前のその顔、懐かしささえ覚えるわ

ほれ、お前にこれをやろう……」

母はいつもの侍女に小瓶のようなものを持ってこさせると、セドリックに渡した。

「これは、何ですか?」

「避妊薬だ」

「……なに、を……」

「私のように子を作っても面白そうとは思ったんじゃが、あやつを傷付けるのにはそれが一番かと思てな」

ふふ、と笑う母は更に続けた。

「先程のレベッカ、お前の愛妾にしてやろう。初夜で愛妾がいると伝えると私のように傷付くだろうからな……それも上手く活用すればいい」

「嫌です」

「……ほぅ」

セドリックが即答すると、母は昔のような恐ろしい顔をするが、セドリックはもうその顔は怖くなかった。ただアナスタシアがどうなるのかが心配で、たまらなかった。

それにセドリックは、元々初夜を行う気はなかった。

全てを片付け、アナスタシアと話をし、もし許されるのであれば、誰よりも、何よりも、大事にしようと思っていた。

なのに何故、そんな事をしなければならないのだ。
母はセドリックに触れてこようと手を伸ばしたが、セドリックはその手を振り払った。

反抗的な態度をとるセドリックに、母は鼻で笑う。

「お前がそう言うのなら、それなりのことをしよう」

「……それなり、とは」

ふふと母は楽しそうに笑っている。

「スティーブンがこちら側なのを忘れたか?果たして離宮であの小娘を守れるのかのう……」

ぐっとセドリックは奥歯を噛み締める。

「でもお前たちの案も悪くない。離宮へ行かせ孤立させる手もありじゃ。お前たちは、随分と面白いことを考えつく」

離宮の使用人はスティーブンのものだ。セドリックが選んだが、今の現状ではどう転ぶか分からない。

「昔のように、あの娘を倒れさせてもいいんじゃよ?今度は目覚めるか分からないがな」

ククッと母が笑うと、セドリックはあの時のアナスタシアを思い出し、恐怖に包まれてしまう。

「セドリック……お前はよく言うことを聞く良い子じゃと私は分かっておるよ。

ほれ、これを渡しておこう。どう使うかはお前次第じゃ。……分かっておるな?」

セドリックは母から受け取った小瓶を割れそうなほど力強く握りしめる。

グッと握りしめた瞬間、ピキとする音と共に、その小瓶は砕け散った。

セドリックの手がガラスの破片で傷付き血が流れたがどうでも良かった。

落ちた液体と、ポタポタと落ちていくセドリックの血が混ざり、カーペットに染みを作っていく。

母はそんなセドリックとカーペットを鬱陶しげに一瞥すると、また新しい小瓶を持ってきた。

(嫌だ嫌だ嫌だ……)

だが、アナスタシアはどうなる……

「いい加減にせい。これを壊したらあの娘も壊れると思え」

またセドリックの手に小瓶を握らされる。

その小瓶は小さくて軽いはずなのに、セドリックは自分の心のように重く感じた。

セドリックの心にどろどろと黒いものが広がっていく。

母もスティーブンも、全てが憎かった。

そしてアナスタシアを守れない自分自身の、力の弱さにも……

そしてあの初夜が、遂行されようとしていた──。
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