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8 熱
しおりを挟むアナスタシアは翌日久しぶりに高熱を出した。
小さい頃、湖で溺れて以来の熱だった。
エディットに止められながらもなんとか本日の執務を終わらせたアナスタシアは、エディットだけでなく他の使用人にも心配されてしまったため大人しく横になることにした。
疲れていたのか、すぐに瞼を閉じ眠りについた。
「アナスタシア……」
夢の中、セドリックの声がした。いつもとは違う、優しい声色だった。
夢だからアナスタシアが幻想を作り出しているのかもしれない。
滅多に見られない優しいセドリックを見たくてアナスタシアは目を開こうとしたが、瞼が重くてなかなか持ち上がらない。
それでも頑張ってうっすらと目を開くと、目の前には心配そうな表情をしたセドリックがアナスタシアを見つめていた。
「大丈夫か?」
(久しく聞いていなかった優しい声……。これは夢だわ……)
「殿下は……」
何とか声を引き絞り、アナスタシアはセドリックに聞きたかったことを聞こうとした。
(夢ならば、聞いてもいいよね?)
「どうした?」
「…………」
「何だ、言ってくれ」
「殿下は、すこしは私のこと好きですか?」
声が少しだけ震えてしまった。今まで拒否されてきたアナスタシアにとって、勇気のいる言葉だった。
夢なら嘘でも好きだと言ってほしかった。それだけでアナスタシアはまだ少しだけ、頑張れそうな気がした。
アナスタシアはまだセドリックを愛しているから……
しかし目の前にいるセドリックはぐっと言葉に詰まり、唇を噛んだ。
「………」
「どうして何も話してくれないのですか?」
セドリックはいつもそうだ。アナスタシアには何も話してくれない。
「話す必要なんかないだろ」
その突き放すような冷淡な言葉に、アナスタシアのゆらゆらしていた意識は覚醒した。
目の前のセドリックは、いつもの無表情だった。
(現実……ここは、哀しい現実だった……)
「どうして、ここへ?」
「君が熱を出してるのに無理に執務をしてると聞いたから。あまり心配をかけないでくれ」
「心配、してくれたのですか?」
「まあな……」
セドリックに迷惑をかけてしまってアナスタシアは落ち込むが、寝込んだアナスタシアを心配して会いに来てくれたことに、じんわりと嬉しさが胸に広がった。
「ありがとうございます……」
「ああ……」
その後しばらくお互い黙ったまま時間が過ぎたが、セドリックがその沈黙を破った。
「一つ、言っておきたいことがある。どうせ後で君も知るだろうから」
「はい……」
アナスタシアは何だろうと重たい頭で考える。
「レベッカは母上の実家の養子になる。彼女はレベッカ•バートレット侯爵令嬢となった」
(え……)
「それは、どういう……」
アナスタシアは目を見開き、熱で掠れた声を出した。しかしセドリックはいつもの口調で淡々と話すだけだった。
「君は気にするな、ということだ」
(気にするな……?何、を?)
侯爵家の養子になるということは、王太后からも認められたということだ。
アナスタシアが唖然としていると、セドリックはアナスタシアを一瞥し立ち上がる。
「大事にするように」
用は済んだとでもいうように、彼は振り向きもせずにドアを開け去っていく。
アナスタシアはそのドアをしばらくの間眺めていたが、そのドアが開くことはない。
セドリックはアナスタシアにレベッカのことを伝えにきたのだろうか。心配したと言ったのは嘘だったのだろうか。
(彼の気持ちが、分からない……)
熱でぼんやりとした頭が、夢のように思わせてくれるのに、アナスタシアのズキズキとした胸の痛みが現実だと伝えている。
(熱と一緒に、彼への想いも下がればいいのに……)
アナスタシアはいつの間にかほろほろと涙を流していた。その流れる涙を隠すようにシーツを被る。背中を丸めて小さくなり、静かに泣きながら眠りについた。
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