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4 愛妾
しおりを挟むカザル宮殿はしばらく使用されていない宮殿だったが、美しい宮殿だった。庭園には花が咲き、掃除も行き届いており、家具や絵画も高級品ばかりだった。
定期的に掃除されていたのか、セドリックが掃除を命じたのかは分からないが、アナスタシアは住みやすい宮に感謝した。
アナスタシアについている使用人は、セドリックのことを一言も話さなかった。アナスタシアも傷付くのは分かっていたから、自分から聞くことはしなかった。
ところが昨夜、一人の侍女が声をかけてきた。侍女はセドリックの愛妾のことを話し始めると、アナスタシアは聞きたくなかったはずなのに、つい耳を傾けてしまった。
その侍女の話では、愛妾レベッカは平民だという。セドリックはレベッカの美しい容姿と優しい心に惚れ、身分の差を気にしないほど彼女を愛しているという。それは毎晩彼女に会いにいき、熱い夜を過ごしているほど。
アナスタシアはセドリックの愛する人が平民なことに驚いたが、二人が毎晩一緒に過ごしていることを耳にすると、心が乱れてしまう。
(分かって、いたのに……)
理解はしていたのに、息が詰まりそうなほど苦しかった。
セドリックは愛する人にはもっと優しくしているのだろう。愛の言葉も囁いて……。
セドリックが「愛してる」と囁く姿を想像してしまったアナスタシアは、また息が苦しくなる。
(私は長年一緒にいるのに、好きとも言われたことがない……)
アナスタシアはセドリックに「好きです」と、何度か告白したことがあった。昔は「僕もだよ」と返してくれていたが、数年前に告白したときには、「もう言うな」と告げられてしまった。きっと迷惑だったのだろう。
アナスタシアはその日から、セドリックに告白するのをやめてしまった。何度か口にしたい時はあったけれど、セドリックに嫌われないようアナスタシアは我慢した。
ことりとテーブルに紅茶が置かれると、ハッと我に返ったように顔を上げる。そこには紅茶を淹れてくれたエディットが居た。
「どうぞ」
「ありがとう」
アナスタシアは考えを振り払うように執務を再開した。
(また殿下のことを考えてしまった…)
侍女に話を聞いてから、ふとした時に彼のことを考えてしまう。
(私が出来ることはこれだけなのに…。殿下のために頑張ろう。)
ちょうどいい温度のお茶を飲みながら、カリカリとペンで書類を処理していく。一日の執務は集中すれば半日で終わった。
アナスタシアはセドリックが呼ぶまで離宮から出るなと命令されているため、執務を終わらせると本を読んだり勉強したりしていた。そんな日々の中、また侍女からセドリックとレベッカのことを耳にする。
二人は幸せそうで子供がすぐにでも出来そうだと。
アナスタシアは立っていられるのが不思議なほど、耐え難い胸の痛みを感じた。
(私は子供も産めない……これからも、ずっと……)
生涯セドリックを想いながら、この離宮で虚しい日々を送るのだろう……。
深い夜になると、アナスタシアはバルコニーに出る。ここからだと誰にも顔を見られることはない。
感情を抑えつけようとしても、どうしようもなく彼のことばかり考えてしまう。
月夜を眺めながら、アナスタシアははらはらと涙を溢した。
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