7 / 9
7.
しおりを挟む
その洞窟は大きすぎて、ほとんど大地の裂け目だった。
空気が明らかに違う。ただ冷たいだけでなく、吸い込むと肺の底まで腐り落ちそうな瘴気に満ちている。
魔王がいる。ここが最終目的地だ。
パーティーのメンバー全員が、気を引き締め直す。
「ちょっと待って」
聖女が全員に浄化の護法をかけようとするのを、チェルシーが止めた。
「これからは出し惜しみなしで行くから。ちょっと細工してみたやつだから、みんなこれを身に着けて」
そう言って出したのは、結界石だった。そういえばここ数日、魔物が強くなってきているというのに野営の結界石の数を間引いていたのが不思議だった。その分を今に回して使うつもりだったようだ。
アルヴィンも有難く受け取り、胸のポケットに入れる。その時に目に入った聖女作の編みぐるみも、ついでに鞄からポケットに移してみた。
アレンジされた結界石のおかげで、息が格段にしやすくなった。
「よし、最終決戦だ。みんな、必ず勝って全員で生きて帰るぞ!」
アルヴィンに、仲間たちも力強く応える。
聖女に視線を移すと、彼女はとても綺麗に笑っていた。それが酷く儚く見えて、アルヴィンは少しだけ動揺した。
一行は、次々と現れる魔物を倒しながら洞窟を進む。
聖女が言っていたように、もともとは普通の動物だったのかもしれない。だけど今はそんなことを考える時ではない。魔王を倒すまでは。魔王を倒せば、こんなこともきっとなくなる。
戦って戦って、ひたすらに進んでいく。
そしてとうとう、魔王の近くまでたどり着いた。
空気が物理的に重い。汚泥の中を歩いているみたいだ。結界石があってさえも、呼吸もままならなくてみんな喘いでいる。
クリスが全員に回復魔法をかける。いつもより強く、長く続くものを。
「出し惜しみなし、ですよね?」
顔色が戻ったメンバーに、クリスは力強く頷く。
それからクリスは、そっと聖女の手を取った。自分の体温と力を分け与えるように。
「クリスさん、有難うございます」
「とんでもないことです。聖女様、よろしくお願いいたします」
「はい。待ち望んできたことですから」
聖女はクリスの手をきゅっと握った。
ずっと一緒に過ごしてきた。役目の上では主従だったけれど、二人はどちらかというと戦友のような関係だった。
クリスは誇りに思う。聖女と共にあったことを。
そして、その先のことは――考えるのをやめていた。
後戻りなど出来ないのだから。
聖女の瞳に、強く温かな光が灯る。今までずっと秘められていた至高なる光。
聖女を聖女たらしめる光の魔法。
クリスでさえも初めて見る奇蹟の片鱗。
「準備が必要です……。まずは、時間を稼いでいただかないと」
クリスから手を放し、聖女は魔王を見上げた。
魔王は異形だった。
城ほどもある巨体は、首が長いドラゴンに似ている。全身は他の魔物と同じような装甲で覆われ、ヘドロのような粘着質な体液がその表面を流れ落ちている。
脚はドラゴンというよりも昆虫に似た形。ムカデ並みにたくさん生えていて、ガシャガシャと蠢いている。その隙間から触手が伸びていて、恐ろしく太い鞭か蛇を思わせる。
何よりもおぞましいのは、その頭部だ。三対の角に覆われた顔は、人間に酷似しているのだ。性別すら推測できないほど醜いが、確かに人間のそれと同じなのだ。威嚇しているのだろうか、ビシャビシャと体液をまき散らしながら口がバクリと割れて、凶悪な牙がむき出しになる。眼球はカメレオンのように片方ずつグリグリと動き、死角はないのだと悟らされる。
シンディが弓を射る。射程距離が長いものから、距離は短くても強力なものに切り替えていた。それを一の矢、二の矢、三の矢と連射する。その鏃は特殊加工されたものだ。切っ先が的を引き裂き、次の瞬間、爆散する。
ヒューゴも洞窟では弓矢を携えていた。シンディと連携して連続射撃をして、魔王の弱点を探っていく。
矢の半分は触手に叩き落とされ、そのまた半分は装甲を濡らす体液に滑って刺さらずに爆発する。思った以上に体液に覆われた装甲は厄介だった。
チェルシーが、いつもの火炎系から雷撃系へと攻撃魔術を切り替えた。液体ならば電撃は通ると考えたのだ。そして、濡れた地面を使って、魔王の腹の下から雷撃を撃ちあげる。ヒューゴが装甲の隙間に突き立てたナイフに向かっても撃つ。
ダリルは大楯を構えて前進。触手はブラッドとアルヴィンが斬り捨てていく。
ブラッドの双剣には生命力吸収の呪いがかかっていて、それは触手にも有効だった。干からびた触手が地面に落ちる。
アルヴィンは触手から脚を狙いにいっていた。大剣を振り下ろすたびに、瘴気で穢された空気が切り裂かれる音がする。けれども、魔王の装甲は恐ろしく硬い。少しでも刃の当て方を間違えると、体液で滑ってしまう。それでも、関節ならば。どんな関節でも、弱い方向があるものだ。何度も何度も斬りかかり、その弱点を探っていく。
クリスはとにかくメンバーの回復に集中していた。ダリルには強化の祝福も与えている。補助魔道具も携え、全力でいく。一人でも欠けないように、目まぐるしく動く仲間たちを見失わないようにと、瞬きすることすら惜しい。
そして聖女は、跪いていた。
手を組み、祈る。祈りながら己の内側に集中し、神官への結界すらしていなかった。
神殿で授けられ、育まれてきたこと全てをここに放出する。
聖女の瞳に宿っていた光が、祈りによって増幅する。それはやがて聖女の全身を覆いつくす。
「……準備が、完了しました」
聖女の言葉に、クリスは静かに頷く。
「今ここに、全魔力を解放。限定を解除します――!」
聖女は立ち上がり、大きく両手を広げる。今までずっと抑え込んできた魔力が噴き出す。
光はどんどん迸る。黄金色だったそれが、苛烈な白となる。
眩しすぎて全てを拒むような白い光の奔流が、洞窟内を呑み込んでいく。
それから先のことを、メンバーたちは知らない。見ていない。
光が呑み込む直前、各自が身に着けていた編みぐるみが勝手に震え、次の瞬間には洞窟の外に強制的に出されていたから。
空気が明らかに違う。ただ冷たいだけでなく、吸い込むと肺の底まで腐り落ちそうな瘴気に満ちている。
魔王がいる。ここが最終目的地だ。
パーティーのメンバー全員が、気を引き締め直す。
「ちょっと待って」
聖女が全員に浄化の護法をかけようとするのを、チェルシーが止めた。
「これからは出し惜しみなしで行くから。ちょっと細工してみたやつだから、みんなこれを身に着けて」
そう言って出したのは、結界石だった。そういえばここ数日、魔物が強くなってきているというのに野営の結界石の数を間引いていたのが不思議だった。その分を今に回して使うつもりだったようだ。
アルヴィンも有難く受け取り、胸のポケットに入れる。その時に目に入った聖女作の編みぐるみも、ついでに鞄からポケットに移してみた。
アレンジされた結界石のおかげで、息が格段にしやすくなった。
「よし、最終決戦だ。みんな、必ず勝って全員で生きて帰るぞ!」
アルヴィンに、仲間たちも力強く応える。
聖女に視線を移すと、彼女はとても綺麗に笑っていた。それが酷く儚く見えて、アルヴィンは少しだけ動揺した。
一行は、次々と現れる魔物を倒しながら洞窟を進む。
聖女が言っていたように、もともとは普通の動物だったのかもしれない。だけど今はそんなことを考える時ではない。魔王を倒すまでは。魔王を倒せば、こんなこともきっとなくなる。
戦って戦って、ひたすらに進んでいく。
そしてとうとう、魔王の近くまでたどり着いた。
空気が物理的に重い。汚泥の中を歩いているみたいだ。結界石があってさえも、呼吸もままならなくてみんな喘いでいる。
クリスが全員に回復魔法をかける。いつもより強く、長く続くものを。
「出し惜しみなし、ですよね?」
顔色が戻ったメンバーに、クリスは力強く頷く。
それからクリスは、そっと聖女の手を取った。自分の体温と力を分け与えるように。
「クリスさん、有難うございます」
「とんでもないことです。聖女様、よろしくお願いいたします」
「はい。待ち望んできたことですから」
聖女はクリスの手をきゅっと握った。
ずっと一緒に過ごしてきた。役目の上では主従だったけれど、二人はどちらかというと戦友のような関係だった。
クリスは誇りに思う。聖女と共にあったことを。
そして、その先のことは――考えるのをやめていた。
後戻りなど出来ないのだから。
聖女の瞳に、強く温かな光が灯る。今までずっと秘められていた至高なる光。
聖女を聖女たらしめる光の魔法。
クリスでさえも初めて見る奇蹟の片鱗。
「準備が必要です……。まずは、時間を稼いでいただかないと」
クリスから手を放し、聖女は魔王を見上げた。
魔王は異形だった。
城ほどもある巨体は、首が長いドラゴンに似ている。全身は他の魔物と同じような装甲で覆われ、ヘドロのような粘着質な体液がその表面を流れ落ちている。
脚はドラゴンというよりも昆虫に似た形。ムカデ並みにたくさん生えていて、ガシャガシャと蠢いている。その隙間から触手が伸びていて、恐ろしく太い鞭か蛇を思わせる。
何よりもおぞましいのは、その頭部だ。三対の角に覆われた顔は、人間に酷似しているのだ。性別すら推測できないほど醜いが、確かに人間のそれと同じなのだ。威嚇しているのだろうか、ビシャビシャと体液をまき散らしながら口がバクリと割れて、凶悪な牙がむき出しになる。眼球はカメレオンのように片方ずつグリグリと動き、死角はないのだと悟らされる。
シンディが弓を射る。射程距離が長いものから、距離は短くても強力なものに切り替えていた。それを一の矢、二の矢、三の矢と連射する。その鏃は特殊加工されたものだ。切っ先が的を引き裂き、次の瞬間、爆散する。
ヒューゴも洞窟では弓矢を携えていた。シンディと連携して連続射撃をして、魔王の弱点を探っていく。
矢の半分は触手に叩き落とされ、そのまた半分は装甲を濡らす体液に滑って刺さらずに爆発する。思った以上に体液に覆われた装甲は厄介だった。
チェルシーが、いつもの火炎系から雷撃系へと攻撃魔術を切り替えた。液体ならば電撃は通ると考えたのだ。そして、濡れた地面を使って、魔王の腹の下から雷撃を撃ちあげる。ヒューゴが装甲の隙間に突き立てたナイフに向かっても撃つ。
ダリルは大楯を構えて前進。触手はブラッドとアルヴィンが斬り捨てていく。
ブラッドの双剣には生命力吸収の呪いがかかっていて、それは触手にも有効だった。干からびた触手が地面に落ちる。
アルヴィンは触手から脚を狙いにいっていた。大剣を振り下ろすたびに、瘴気で穢された空気が切り裂かれる音がする。けれども、魔王の装甲は恐ろしく硬い。少しでも刃の当て方を間違えると、体液で滑ってしまう。それでも、関節ならば。どんな関節でも、弱い方向があるものだ。何度も何度も斬りかかり、その弱点を探っていく。
クリスはとにかくメンバーの回復に集中していた。ダリルには強化の祝福も与えている。補助魔道具も携え、全力でいく。一人でも欠けないように、目まぐるしく動く仲間たちを見失わないようにと、瞬きすることすら惜しい。
そして聖女は、跪いていた。
手を組み、祈る。祈りながら己の内側に集中し、神官への結界すらしていなかった。
神殿で授けられ、育まれてきたこと全てをここに放出する。
聖女の瞳に宿っていた光が、祈りによって増幅する。それはやがて聖女の全身を覆いつくす。
「……準備が、完了しました」
聖女の言葉に、クリスは静かに頷く。
「今ここに、全魔力を解放。限定を解除します――!」
聖女は立ち上がり、大きく両手を広げる。今までずっと抑え込んできた魔力が噴き出す。
光はどんどん迸る。黄金色だったそれが、苛烈な白となる。
眩しすぎて全てを拒むような白い光の奔流が、洞窟内を呑み込んでいく。
それから先のことを、メンバーたちは知らない。見ていない。
光が呑み込む直前、各自が身に着けていた編みぐるみが勝手に震え、次の瞬間には洞窟の外に強制的に出されていたから。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
28
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる