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3.エルドレッド王子の初恋
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さすがに、王家主催の舞踏会を台無しにしたのはマズかった。
内宮の一室で、エルドレッドは父親である国王の前に頭を下げながら考えていた。
でも、一番悪いのは犯罪者であるアリシアであり、あの場で血を流したアルクスフォート侯爵ではないか。
なぜ私がこんなに父上から叱責されているのだろう?
そもそもそんな場所で婚約破棄を宣言するのがおかしい。そこまでは思い至れないエルドレッドである。
「父上、フランシス……いえ、イーリィ嬢はどこですか? まるで犯罪者のように衛兵に連れていかれてしまって……心配なのです」
「犯罪者のように、ではない。犯罪者だ」
父王は氷の刃のような視線をエルドレッドに向けた。
「少し前からお前に接触している不審者というあの者を、調べさせていたのだ。案の定、大した淫売であったわ。裏社会のならず者だったか、そいつらと繋がりがあったのはアリシア嬢ではなくそっちの淫売だ」
「私はただ、王宮で侍女として働くイーリィ嬢を手助けしていたのです。その結果として心が通じ合っただけなのに、調べさせていたとは一体!?」
「ほお? 王宮で会っていたのは婚約者のアリシア嬢ではなく、あの淫売だったと白状するか?」
国王の目が針のように細くなった。
その時、来客を告げる声がした。国王はろくに誰何もせずに入室を許可する。
「遅くなりました、陛下」
入室してきたのはアルクスフォート侯爵だった。エルドレッドはギョッとする。
クライヴ・アルクスフォートは偉丈夫だ。そして怒れる国王よりも目つきが鋭い。そしてそれ以上に、顔に刻まれた傷が恐ろしい。今はそこに布が当てられているが。
「遅くはないぞ、クライヴ。まだこの馬鹿息子は、自分のやったことが理解出来ていないのでな」
「こ、公式の宴の場で、あのような宣言をしてしまったことは失敗だったと思いますが――」
「まずは、殿下がおっしゃっていたことの確認をしたい」
エルドレッドが話しているのに、アルクスフォート侯爵が割り込んだ。むっとしたが、侯爵の冷たい一瞥の前に黙り込む。
国王は頷いて侯爵の話の先を促す。
「一つ。我が娘アリシアが、殿下の懇意にされているご令嬢に危害を加えた……というのは、本当ですか? 確か証拠があるとおっしゃられていたようですが」
「はじめは……フランシスが……イーリィ嬢が訴えてきたのだ。街中で馬車に轢かれそうになった。……その馬車にアルクスフォート侯爵家の紋章があったと――」
「三か月前ですな。調べましたが、その日は我が家の馬車は一台も町に出ておりません。アリシアは王宮から派遣された馬車に乗っているので、侯爵家の馬車は元々あまり使用していません――」
こんな感じで、エルドレッドが訴える『危害を加えた』ことが、片端から木っ端みじんに否定される。
エルドレッドはショックだった。フランシスが訴えてきたことは全部嘘だったのか。自分は騙されていたのか。そういえばさっき、父王がならず者と繋がりがあったのはフランシス自身だと言っていなかったか?
「お前もあの淫売と一緒になって画策していたのではないのか?」
国王が酷いことを言ってくる。
「いくら愛のない婚約相手とは言え、そこまでしません!」
「――なんだと?」
アルクスフォート侯爵は、今までで一番恐ろしい声を出した。否定したというのに、どうしてそこで怒るのだと、エルドレッドは混乱した。
「え? アリシア嬢に冤罪をなすりつけるなんてことはさすがにしないと――」
「そこではないのです。貴方は今、『愛のない』とおっしゃいましたな? 殿下は記憶喪失か何かですかな?」
「何で記憶喪失という言葉がここで出るのだ?」
「アリシアを婚約者にしろと迫ったのは貴方ではありませんか、エルドレッド王子よ!!!」
凄まじい大喝とその内容に、エルドレッドの頭は真っ白になった。
「三年前、殿下は町中をお忍びで歩いていた時に、当時没落寸前だったクローリン男爵家の娘であったアリシアに懸想し、ほとんど誘拐状態で王宮に連れ帰った。そして自分と婚約するには身分が違い過ぎるからと、我がアルクスフォート侯爵家の養女にしたのではないですか!!!!」
「え……そんなこと……あっただろうか……?」
「ありましたとも!! アリシアは問答無用で男爵家の人々と引き離され、たった三年で高位貴族の令嬢としてのマナーや知識、その上に次期王妃としてのそれまで叩き込まれて、ほとんど寝る暇すらなかったのですぞ! 殿下がアリシアを望んだから、そうなったのです!!!」
「あ……だからアリシアはあの時言ったのか、『振り回されるのはうんざりだ』と……」
「ええ。アリシアはずっと殿下に振り回されておりました。そしてとうとう、心が折れたのです。……こちらをご覧下さい」
侯爵が差し出してきたのは、小さな銀の髪飾り。小鳥を模した可愛らしいそれは、すっかり潰れている。舞踏会の会場でアリシアが潰した物だ。
そして、かつてエルドレッド自身が町で買い求め、アリシアに贈った物だった。
ようやく全て思い出した。
そうだった。どうして忘れていたのだろう。
町中で出会った、弾けるような笑い声が可愛らしい娘。身なりは質素だったけれど、生き生きとした笑顔に溌溂とした仕草。
そんな生命力にあふれた彼女に一目惚れした。
そしてほとんどだますようにして王宮に連れ帰ったのだ。
周囲の人間は皆呆れかえったけれど、今まで女性に全く興味を示さなかった第一王子の豹変ぶりを見て、期待してしまった。その上、アリシアが優れた頭脳の持ち主で教えられたことをどんどん吸収出来たことも、期待に拍車をかけた。
かくして貧乏男爵令嬢は、侯爵家の養女となり王子の婚約者となった。大切な、令嬢自身の意思を聞くことすらせずに。
気が付けば、エルドレッドはアリシアのことをつまらない貴族の女の一人としか見なくなっていた。
マナー教育が進んだ弊害だった。淑女として完璧になっていくにつれて、エルドレッドの興味は薄れていった。
そしてエルドレッドは、アリシアが初恋の相手だということを二年程度で忘れた。
忘れた上に、同じような男爵令嬢にまた恋をした。
恋を知らぬ王子だったエルドレッドは、軽薄な恋を追い求める男に成り下がっていた。
「わ、私が……私が全ての発端だった……」
震えるエルドレッドは、侯爵に青ざめた顔を向けた。
「破棄を、婚約破棄を取り消したい……!」
「無理ですな。アリシアは己を踏みにじり続けた人間とやり直したいと思う程趣味が悪くありませんので」
侯爵の返事はにべもなかった。
内宮の一室で、エルドレッドは父親である国王の前に頭を下げながら考えていた。
でも、一番悪いのは犯罪者であるアリシアであり、あの場で血を流したアルクスフォート侯爵ではないか。
なぜ私がこんなに父上から叱責されているのだろう?
そもそもそんな場所で婚約破棄を宣言するのがおかしい。そこまでは思い至れないエルドレッドである。
「父上、フランシス……いえ、イーリィ嬢はどこですか? まるで犯罪者のように衛兵に連れていかれてしまって……心配なのです」
「犯罪者のように、ではない。犯罪者だ」
父王は氷の刃のような視線をエルドレッドに向けた。
「少し前からお前に接触している不審者というあの者を、調べさせていたのだ。案の定、大した淫売であったわ。裏社会のならず者だったか、そいつらと繋がりがあったのはアリシア嬢ではなくそっちの淫売だ」
「私はただ、王宮で侍女として働くイーリィ嬢を手助けしていたのです。その結果として心が通じ合っただけなのに、調べさせていたとは一体!?」
「ほお? 王宮で会っていたのは婚約者のアリシア嬢ではなく、あの淫売だったと白状するか?」
国王の目が針のように細くなった。
その時、来客を告げる声がした。国王はろくに誰何もせずに入室を許可する。
「遅くなりました、陛下」
入室してきたのはアルクスフォート侯爵だった。エルドレッドはギョッとする。
クライヴ・アルクスフォートは偉丈夫だ。そして怒れる国王よりも目つきが鋭い。そしてそれ以上に、顔に刻まれた傷が恐ろしい。今はそこに布が当てられているが。
「遅くはないぞ、クライヴ。まだこの馬鹿息子は、自分のやったことが理解出来ていないのでな」
「こ、公式の宴の場で、あのような宣言をしてしまったことは失敗だったと思いますが――」
「まずは、殿下がおっしゃっていたことの確認をしたい」
エルドレッドが話しているのに、アルクスフォート侯爵が割り込んだ。むっとしたが、侯爵の冷たい一瞥の前に黙り込む。
国王は頷いて侯爵の話の先を促す。
「一つ。我が娘アリシアが、殿下の懇意にされているご令嬢に危害を加えた……というのは、本当ですか? 確か証拠があるとおっしゃられていたようですが」
「はじめは……フランシスが……イーリィ嬢が訴えてきたのだ。街中で馬車に轢かれそうになった。……その馬車にアルクスフォート侯爵家の紋章があったと――」
「三か月前ですな。調べましたが、その日は我が家の馬車は一台も町に出ておりません。アリシアは王宮から派遣された馬車に乗っているので、侯爵家の馬車は元々あまり使用していません――」
こんな感じで、エルドレッドが訴える『危害を加えた』ことが、片端から木っ端みじんに否定される。
エルドレッドはショックだった。フランシスが訴えてきたことは全部嘘だったのか。自分は騙されていたのか。そういえばさっき、父王がならず者と繋がりがあったのはフランシス自身だと言っていなかったか?
「お前もあの淫売と一緒になって画策していたのではないのか?」
国王が酷いことを言ってくる。
「いくら愛のない婚約相手とは言え、そこまでしません!」
「――なんだと?」
アルクスフォート侯爵は、今までで一番恐ろしい声を出した。否定したというのに、どうしてそこで怒るのだと、エルドレッドは混乱した。
「え? アリシア嬢に冤罪をなすりつけるなんてことはさすがにしないと――」
「そこではないのです。貴方は今、『愛のない』とおっしゃいましたな? 殿下は記憶喪失か何かですかな?」
「何で記憶喪失という言葉がここで出るのだ?」
「アリシアを婚約者にしろと迫ったのは貴方ではありませんか、エルドレッド王子よ!!!」
凄まじい大喝とその内容に、エルドレッドの頭は真っ白になった。
「三年前、殿下は町中をお忍びで歩いていた時に、当時没落寸前だったクローリン男爵家の娘であったアリシアに懸想し、ほとんど誘拐状態で王宮に連れ帰った。そして自分と婚約するには身分が違い過ぎるからと、我がアルクスフォート侯爵家の養女にしたのではないですか!!!!」
「え……そんなこと……あっただろうか……?」
「ありましたとも!! アリシアは問答無用で男爵家の人々と引き離され、たった三年で高位貴族の令嬢としてのマナーや知識、その上に次期王妃としてのそれまで叩き込まれて、ほとんど寝る暇すらなかったのですぞ! 殿下がアリシアを望んだから、そうなったのです!!!」
「あ……だからアリシアはあの時言ったのか、『振り回されるのはうんざりだ』と……」
「ええ。アリシアはずっと殿下に振り回されておりました。そしてとうとう、心が折れたのです。……こちらをご覧下さい」
侯爵が差し出してきたのは、小さな銀の髪飾り。小鳥を模した可愛らしいそれは、すっかり潰れている。舞踏会の会場でアリシアが潰した物だ。
そして、かつてエルドレッド自身が町で買い求め、アリシアに贈った物だった。
ようやく全て思い出した。
そうだった。どうして忘れていたのだろう。
町中で出会った、弾けるような笑い声が可愛らしい娘。身なりは質素だったけれど、生き生きとした笑顔に溌溂とした仕草。
そんな生命力にあふれた彼女に一目惚れした。
そしてほとんどだますようにして王宮に連れ帰ったのだ。
周囲の人間は皆呆れかえったけれど、今まで女性に全く興味を示さなかった第一王子の豹変ぶりを見て、期待してしまった。その上、アリシアが優れた頭脳の持ち主で教えられたことをどんどん吸収出来たことも、期待に拍車をかけた。
かくして貧乏男爵令嬢は、侯爵家の養女となり王子の婚約者となった。大切な、令嬢自身の意思を聞くことすらせずに。
気が付けば、エルドレッドはアリシアのことをつまらない貴族の女の一人としか見なくなっていた。
マナー教育が進んだ弊害だった。淑女として完璧になっていくにつれて、エルドレッドの興味は薄れていった。
そしてエルドレッドは、アリシアが初恋の相手だということを二年程度で忘れた。
忘れた上に、同じような男爵令嬢にまた恋をした。
恋を知らぬ王子だったエルドレッドは、軽薄な恋を追い求める男に成り下がっていた。
「わ、私が……私が全ての発端だった……」
震えるエルドレッドは、侯爵に青ざめた顔を向けた。
「破棄を、婚約破棄を取り消したい……!」
「無理ですな。アリシアは己を踏みにじり続けた人間とやり直したいと思う程趣味が悪くありませんので」
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