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[4] エリアノーラ、製作する

[4-6] 完成しました

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 魔法の手紙の効果が終わり、エリアノーラは早速手紙自体の魔力の通り方を確認した。自前で漉き直した紙とは違い、市販品はよく魔力が通り魔法の効果が高く出る。魔力を含んだ土と水で育てた特別な植物なのだから当然だ。だが、決して埋めようがないほど差があるわけではなかった。
 そうなるともう、魔法の理論を"掴み"、魔法そのものの効力と魔法使い自身の練度を上げることが何より効果的だと答えが出てしまったようなものだ。アガサが言った通り、今後の成長と共に効果を伸ばしていくのが無難な選択だろう。
 ところがエリアノーラは諦めるどころか、寧ろ喜んだ。素材にさほど差がないのならどうにか出来ると。
 ――そして実際、どうにかしてしまった。

 グレンダから市販の魔法の手紙を提供されてから数日後、エリアノーラは新たな試作品を作った。すでに夜も遅く、寝る支度も済ませていたアガサやグレンダ、メラニーまで声をかけ、彼女達の前で試作品の手紙を開封した。
 手紙自体に簡単な飛び出す仕掛けが作られていて、手紙を開くとリボンを巻いたプレゼントの箱と花束の飾りが起き上がった。同時に魔法が発動し、蝶ネクタイをした兎が飛び出して、前もって吹き込んでいたエリアノーラの声を再生し始める。兎の周りを大きさや種類が違う花、蝶などが緩やかに舞っている。

「これは30秒くらい声を吹き込んだけど、工夫したら1分はいけると思う。子供が喜びそうな演出はちょっと私わかんないからアガサの意見で改良するつもりだけど、どう?」
「え…えっ、す、凄いね!? 急に技術革新したね!?」
「ううん、革新じゃなくて、退化させたの」

 魔法は"無駄なく、効率的に"進歩してきた。エリアノーラもずっと魔法の効率化によって手紙の効果を上げようとしてきたが、いくつも広げて重なった試作品の数々を見て、ふと思い立ったのである。一枚に全ての魔法を収めなくても、二枚三枚と別の魔法をかけた紙を重ねて同時に開かせれば、未熟な魔法でも派手な演出が作れると。
 実際昔の魔法道具は、余分な理論と不安定な素材で汲み上げられ、無駄に大きくなりがちだった。この試作品も、飛び出す仕掛けで誤魔化してはいるが、目的は別種類の魔法をかけた紙を同時に開かせるための工夫だ。台紙の紙は二枚重ねて間にクズ魔石の破片を挟み込み、魔力の通りやすさと維持のしやすさを向上させた。現代の効率的な魔法理論に反した無駄の塊。旧時代の魔法の手紙だ。

「学問の進歩って凄いよね、こんな分厚い魔法の手紙が今日こんにちじゃ同等以上の演出でもあんなに薄っぺらく機能的になるんだから。これはこれで趣があって悪くはないと思うけど」

 魔法の進歩の歴史を辿る旅をした気分で、エリアノーラは満足そうに頷く。アガサは呆然と試作品を眺めていたが、やがてエリアノーラの首元に抱きついた。農作業で鍛え上げた腕でぎゅうぎゅうと力一杯抱きしめられ呻くエリアノーラと、全く気づかず締め上げつづけるアガサ。アガサは感極まる声で言う。

「ありがとうエリアノーラ、ほんっとうにありがとう…! きっと家族全員驚くよ。きっと安心する。あたしがどれだけいい学校でいい勉強していて、将来どれだけ家族の助けになれるか、一目でわかってくれる!」
「…うぐう、…うん、よかった! よかったから、ちょっと離して…」

 その後アガサとエリアノーラは、家族に報告したい話や弟や妹が喜びそうな演出などについて話し合い、徹夜で手紙の完成版を仕上げた。
 朝一番に準備を済ませて手紙を届けに部屋を出たアガサを、寝ぼけ眼のエリアノーラは見送った。グレンダはいつも以上に死んだ目でアガサの背中を見つめ、物憂げに呟いた。

「羨ましいわ。ご家族と仲がよろしくて」
「ほんとだね。…うう、今日吸精授業でよかったあ。一時間は寝られる」

 欠伸を手で隠すこともなく、エリアノーラは朝の支度を始めた。グレンダもメラニーも意味深な視線をエリアノーラに向けるが、結局何も言わずに彼女達も朝の支度を始めた。
 ――アガサ以外、全員とっくに気づいていた。この部屋でこまめに身内と連絡を取っているのはアガサだけだと。




 一日授業を受け、最後の吸精授業を受けるためエリアノーラは特クラスへ向かう。移動の道のりも、特クラスの担任や生徒達の高飛車な態度も、三度目ともなればすっかり慣れていた。エリアノーラにとっては彼らが何を言おうと何をしようと、身に覚えの無い、自分ではどうしようもないことで殺人犯扱いをされなければそれでいいのである。
 教室に満たされた眠りの魔法でスッと寝入り、授業終了の鐘の音と共に目覚める。昨夜とれなかった睡眠をここぞとばかりにとってスッキリしたエリアノーラは、大きく伸びをして体を解し、補習を受けに行く準備をした。補習を受けるのも勿論だが、ウィットフォードに魔法の手紙の報告をして意見を聞くのも最近の楽しみになっていた。

 荷物を纏めて席から立ち上がった時、エリアノーラはやっと、周囲の異変に気がついた。人間の生徒も淫魔の生徒も、担任すらも、誰一人身動きを取らない。声一つ、溜息一つ零さない。目を見開き、驚愕、あるいは強い混乱や困惑の表情で、全員がただ一点を凝視している。
 そこにいるのは、未だ席に座ったままの男淫魔インキュバスの生徒だ。エリアノーラのクラスにいる淫魔達が凡庸な顔に見えてしまうほど完璧な顔だが、完璧過ぎて人間味が全く感じられなかった――彼の切れ長の目から涙が一筋こぼれていなければ。
 浮き足立っていたエリアノーラの心臓がヒュッと縮み上がった。クラスで起きた惨事が蘇る。殺人犯。"教材"としての資格無し。退学。誰もが動けない凍り付いた空間で、エリアノーラだけが足を動かした。声もあげずに涙を流す男淫魔インキュバスの側に立ち、ハンカチを差し出した。

「大丈夫ですか。ぐ、具合が悪いなら、保健室に行きましょうか。も、もし、私のせいなら、あの、その」
「…、」
「…あの」

 ぼうっとエリアノーラの顔を見上げていた男淫魔インキュバスは突然席から立ち上がり、エリアノーラの前に膝を折った。ひ、と周囲の生徒達が息を呑む気配がする。男淫魔インキュバスはハンカチを握るエリアノーラの手を恭しく握りしめた。

「俺の名前はレナルド・ジェラルディーン。俺の血肉を貴女に捧ぐ。今日より先、命果て魂が滅んでも、俺の全ては貴女のものだ。その代わり、ほんの一握りでいい、貴女の愛を恵んで欲しい。どうか受けてくれ、エリアノーラ・リッジウェイ」

 エリアノーラの鼓膜が震える。原因は人間の女生徒達があげた絶叫のせいだった。断末魔のような声をあげる彼女達の様子を、エリアノーラは目視で確認することが出来ない。あまりにも真剣に自分を見つめる男淫魔インキュバスと、理解出来ない言葉の羅列だけで手一杯だったからだ。
 その時、頭の上で一日の授業の終わりを告げる鐘の音が鳴った。補習の時間が遅れる。自分の処理能力を大きく超えた事態に、エリアノーラは考えることを放棄した。目の前の男淫魔インキュバスにハンカチを握らせ、自分の手だけを抜き取った。

「えっと、ごめんなさい。補習があるので失礼します」

 お疲れ様でした、と頭を下げて、エリアノーラは特クラスの教室を出た。特クラスの女子達の絶叫が聞こえなくなるまで、全速力で走り続けた。
 
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