今、愛に生きます

みずがめ

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 わたしの前世はのび太だった。
 これは比喩表現で、実際私は女だったし、あんなに楽観的でもなかったし、それよりなによりわたしのそばにドラえもんはいなかった。
 そう、わたしはただのいじめられっ子だったのである。

 なんやかんやでデッドエンドを迎え、なんやかんやで前世の記憶を持ち、なんやかんやで異世界に転生したわけだ。
 転生先は貴族の娘、祖父は国の宰相。周りはぺこぺこするわお金は使い放題だわ、しかも自分でうっとりするくらいの美少女。
 それはもう望むものすべてを手にし、願うことすべてをかなえてこの世のすべてはわたしのためにあるのだと言わんばかりに周囲から宝物のように扱われていたのだ。
 いい教育にいい環境。しかも二周目ともなれば人生イージーモードだと思っていた。


 ――運命とは海原だ。天候の良し悪しは望んでも望まなくてもやってくるし、航海する力がなければ呑み込まれるだけ、ただし航海にでなければ新大陸を見つけることもなかっただろう。

 冷たい牢屋の中でぼんやりとある人の言葉を考える。
 どうやらわたしの船は泥船だったみたい。……いいや、豪華客船を叩き壊して沈没船にしてしまったのだ。
 極悪極まれりだ。どうしてこうなったのか、心当たりはありすぎるくらいにある。環境を変えても変わらない。性悪女とはまさにわたしのための言葉のようだ。


  ※ ※ ※


 幼い頃のわたしはただ与えられるものだけを甘受していた。
 前世の方がいくぶんか利便性は上だったが、生活していれば便利なものがなくても、人の営みから豊かさはなくならない。もちろん整った環境がそうさせるのだが。

「ヨハーーン!」
「サロメ」

 飛びつけば抱きとめてくれる。白銀の髪から覗く眼差しは夜の月のようにやさしい双眸で凛とした顔立ちはどこか気品を感じる。
 母の遠い遠い親戚にあたるという彼、ヨハンは父や祖父と小難しい話をした後にわたしの遊び相手になってくれる。小さい頃から遊んでくれる人と認識しており、物知りでおおらかで寛容で、その中に繊細さをもつヨハンにわたしは大層懐いていた。
 母から「敬称をつけなさい」「口調に気をつけなさい」とたしなめられたけれど、ヨハンは笑って許してくれた。「堅苦しいのはなしにしよう」と。
 本を読んでくれたり、追いかけっこをしたり、かくれんぼ、秘密の抜け道を作ったり、花摘みをしたり、虫取りも、いろんな遊びをすることもあった。弓が得意な彼にせがんで教えてもらったりもした。

「ヨハン、お花の冠、お母さまに作ったらお喜びになるかしら?」
「もちろん。君からの贈り物なら誰だって嬉しいよ」
「でも、下手な冠なんて誰も欲しくないわ。わたしが作るといつもすぐほどけてしまうし……」
「大丈夫、一緒にやってみよう。君のどんな失敗も私の名の元に許しを与えよう。恐れないで」

 小さな手、短い指で何度も失敗しながら作った花の冠を彼は綺麗にできたと褒めてくれた。客観的に見れば繋ぎが甘くてぐしゃぐしゃの冠はお世辞にも綺麗とは程遠いものだったのに。

「あの……ヨハンにも」
「ん?」
「ヨハンにも作ったのだけど、……貰ってくれる?」
「それはそれは、姫から花の冠を戴けるとは光栄の至り。謹んでお受けします」
「えへへ、くるしゅうない」

 幼いながらにもわたしはヨハンに懐き、恋をしていた。
 家族が笑っているだけで子どもは割と幸せだ。
 たどたどしく話すことをうんうんと聞いてもらえるだけで幸せだ。
 おいしいねと言ってそうだね、と答えてもらえるだけで幸せだ。
 お姫様のように飾り立ててくれる。きっと王子様も一目で好きになってしまうわね、なんて皆で言い合っている。家族の誰もがわたしに笑顔を向けてくれる。ささやかな恋をして、その相手に笑顔を向けられることはどれだけの奇跡なのか。
 ヨハンに撫でられて、褒められるのがわたしにとって世界で一番うれしいことだった。

 まともになれると思った。自分が異常者と思っていたわけではない。でも違うと思っていた。笑われることが怖かった。何かしゃべるとため息をつかれるんじゃないかとまごついた話し方をしていた。わたしが良いと思うものすべてガラクタとして扱われている気がしていた。被害妄想だと言われればそれまでだ。ただ何もかもが怖かった。
 それに比べてこの頃のわたしはほんとうに幸せ者だ。


 だけど、わたしは思い違いをしていたんだ。


 雨の夜だった。
 雨音のせいか、それとも妙な胸騒ぎのせいか、どうしても眠れず何か温かいものでも飲もうと廊下を歩いていたとき。どこかの部屋の明かりが細くもれていた。
 誰かいるのだろうか、お化けかなと不安になりながらそのもれた灯りから目をのぞかせると、室内には両親がそろっていた。安心して声をかけようとしたが、両親の顔があまりにも真剣そうでなんとなく二の足を踏んでしまう。
 両親が声をひそめて話している。何を話しているんだろうと、つい戸口で聞き耳を立ててしまった。
 わたしを王の妃に据える計画の話し合いをしているところだった。所々しか理解できなかったけれど、随分と汚い話なのはわかった。

「――家の娘は大層美しいそうね」
「殿下の目に留まるようならなんとかしなくてはな」
「サロメを王妃にすれば今より政治に口が出せる。なにせ王妃の父の言葉ですもの、他の貴族への発言力も増すことは明らかだわ」
「ああ、長い道のりだが。女の子が生まれたときはどうしたものかとも思ったが、むしろこうなっては好都合かもしれん」
「政権を握ることができれば王も今のままではいられないでしょうね」
「それはそうだろう。……で……だからな」

 空が落ちる音がする。

 その夜は声を殺して泣いた。泣いて泣いて、枯れるほど泣いて、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うと、さんざん呟いて、わたしは世界が汚いことを受け入れたのだ。
 何をそんなに泣くことがあるんだろう。
 貴族の娘が結婚相手を勝手に決められるなんてわかっていたことだ。
 そのために家族が娘を大事にするのも当然だ。
 偽物じゃない。嘘じゃない。何も違わない。誰も嘘なんて言っていない。思い違いだっただけ。たったそれだけのことなんだ。

 わたしはきっと王妃になる。
 絶対になってみせる。

 わたしは大きく態度を変えることはしなかったのだが、心持ち家族といると息苦しさや緊張を感じずにはいられなくなってしまった。気づかれるほどではないのか親離れや反抗期ととられたのかもしれない。
 行動としてはむしろ積極的に貴族の子どもたちが集まる食事会やパーティに参加するようにした。立ち回りやマナーを覚えるのは大変だったが、これはきっと役に立つ。わたしは変わったのだ。


 ヨハンは時々会いに来てくれた。
 祖父や父以外にも知らないおじさんたちが来て、小難しい顔を突き合わせていることもよくあった。長引くこともあったのでいつもわたしのところに来てくれるわけではないが、ちょこちょこ顔を見に来てくれることが嬉しかった。

「友達はできたかい?」
「少しだけ、エミリーとスーザンとはすごく仲良くなったの。でもね、ヨハンと話しているときの方が楽しいよ」
「そうか、それは嬉しいな。友達は大切にするといい、一生の宝になることもあるのだから」
「うん! もちろん」

 外での食事はいろいろと気を使うことも多いので、大変なのだと話すと、ヨハンはとても興味深そうに頷いて詳細を聞きたがった。そんな彼がなんだか面白くて、いろんな出来事を身振り手振り交えて語っていると、彼はいつも愉快そうに笑った。

 わたしが社交疲れをしているように、ヨハン自身も会議疲れというか、見る度に疲労の色が濃くなっているように感じた。わたしにとっては彼と過ごすことが一番の安らぎになっているのだが、彼にとって少しでも息抜きになってほしくて一生懸命に面白おかしく語った。

「でもね、いい子ばっかりじゃないのよ。あのね、困った子もいるのよ」
「困った子か、どんな子なんだい?」
「この間ね、偉そうな男の子、イグナスって言うんだけど、スーザンのドレスを汚したの。謝りもしないから注意したらね、髪を引っ張ってきたの。わたしあの子苦手……」
「なるほど、ひどい悪戯小僧だ。レディには紳士らしく接するよう躾けてやらねばな」
「大丈夫よ。髪を引っ張った分はちゃんとお返ししておいたもの。今頃悔しくて泣いているかもしれないわ」

 胸を張って言うと、ヨハンは片目をつむって押し殺すようにクツクツと笑い、悪戯っ子のような顔をした。

「サロメは勇敢だな。優しく度胸もある。……しかし、やりすぎもよくない。池に落とすのはすこーしばかりやりすぎたかもしれないな」
「やだっ、ヨハンったらこの話知っていたのね! 早く言ってよ、恥ずかしいわ」

 わたしが羞恥に悶絶していると、彼はついに噴き出して笑い声を立てた。事実、悪戯小僧の少年は返り討ちにあい池に落とされるという末路を辿っている。
「覚えてろー!」と小悪党のような捨てセリフを吐いて使用人に連れていかれた少年は何か報復でもしてくるだろうか。
 あまりやり過ぎて淑女の道から外れたくはないし、今みたいにヨハンの耳にまで噂が飛び火するのはもっといただけない。仕返しももっとバレないやり方にしなければ。

「……サロメ」
「うん?」
「君にはエミリーやスーザンだけではなく、様々な者と仲良くなってほしいと願っているよ。優しくしてあげるんだ、どんなに憎らしいと感じても、許すことが一番」
「……イグナスにも?」
「イグナス以外にも、だよ」
「どうして?」
「サロメが大きくなったらわかるよ」

 その時のヨハンの表情は、形容できない不思議なものだった。
 違う。不思議なのは自分の気持ちの方だ。彼は笑っている。彼の笑顔は大好きなのに、ざわざわと落ち着かない。

「いろんな人と仲良くできたら、ヨハンは褒めてくれる?」
「もちろん。それに、きっと私よりも尊い人からだって褒めてもらえるさ」
「尊い人? わたしにとってヨハンが一番尊い人よ?」
「サロメが大きくなったときには、また別の人が尊い人になるのさ」

 なんだか突き放されたような感覚がして、じわじわと目頭が熱くなって、いやいやと頭を振る。

「いやっ、いやよ。そんなこと言わないで。ずっとずっとヨハンが尊い人よ!」
「サロメ……」
「変わらないわ。絶対、何があってもわたし、ヨハンがいいっ」
「……君は、……いや、……ありがとう、本当に。私は君を誇りに思うよ」

 どうしてだろう。いつもわからないことがあればヨハンに聞いていた。尋ねられないことがあるのは初めてのことだった。
 誰もこの人を孤独にしないで、尊い人でいさせて、わたしだけが願ってもどうにもならない、どうしたらいい? そんなことは聞けなかった。
 ただ甘えるように頭を押し付けてその顔を見ないようにした。
 わたしは一つの決意をした。大きな決意。胸に秘めたものを知られないように。


 ――けれど、その日から十年、彼、ヨハンがわたしに会いに来ることはなかった。
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