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74.小山エリカは囚われる

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 私にとって西園寺タケルという人物は、一言で言えばとても困った人だ。
 突然現れた婚約者。それだけでも戸惑う状況なのに、彼の態度が私を深く悩ませる。

「エリカさんが欲しい物はこの僕がすべて手に入れてみせるよ。僕は優秀だから不可能はないんだ。エリカさんを満足させられるのは、エリートの僕しかいないだろうね」
「はあ……」

 タケルさんは肉親以外で初めて深く接するようになった男性だ。
 とは言っても幼少の頃からママに人付き合いを制限されてきた。特に異性とは十分以上おしゃべりしてはいけないとしつけられてきたのだ。私にとって十分以上のおしゃべりは、深く接すると同義である。
 タケルさんも同じ立場だろうけれど、勝手に決められた婚約者に対して私の印象は良いものではなかった。
 だとしても相手はパパの得意先のご子息だ。彼の機嫌を取るようにとパパからきつく言われている。私にできることは、笑顔で相槌を打つくらいのものだった。

「エリカさん……っ。なんて美しい笑顔なんだ。僕以外の男にそんな表情を見せてはいけないよ。よからぬことを考えるケダモノに狙われてしまうからね」
「はあ……」

 私は笑顔で頷く。両親から教え込まれた笑顔が自然に表れていた。
 勝手に人生を決められて、嫌なはずなのに身体は教えられたことを実行する。男に気に入ってもらえるように愛嬌を振りまいてしまう。心を無視して動く自分が、まるでロボットのように思えた。
 中身のないやり取り。タケルさんは私の話を聞いてくれることはなく、プレゼントと自慢話さえしていれば私が喜ぶのだと、いつまでも勘違いし続けていた。
 中学から大学まで女子校育ちだった私にとって、こんな彼でも私の中では男の人代表のような認識だった。パパも含めれば、私が男の人に対してねじ曲がった印象を抱くのは必然だったかもしれない。

 ──だからこそ縛りつけようとしない晃生くんが新鮮で、私は彼に惹かれてしまったのだ。
 乱暴なのに繊細で、私に興味なさそうだったのに思いやりをくれる。
 郷田晃生という男の子は不思議だ。年下らしくない雰囲気を放っているのに、私に寄りかかって、寄りかからせてくれる。
 だから私も大きくて年下の彼に夢中になっているのかもしれない。……なんて、こんなのは高校生の男の子に恋してしまった私の言い訳かな。

「私の方がお姉ちゃんなんだから、がんばらなきゃね」

 助けてもらってばかりはいられない。初めて自分がお姉さんだと自覚できたから。
 晃生くんに立ち向かう勇気をもらった。いつまでも与えられた運命に屈してなんかいられない。将来を親の勝手で決められて、それでも怒らないのなら私は一生ワガママを口にできないだろう。
 晃生くんの傍に居続けるためにも、私は正面から両親と向き合うと決めたのだから。


  ◇ ◇ ◇


「エリカ……。何を……自分が何をしたのかわかっているのか!!」

 帰宅して、すぐに両親に話をした。
 西園寺タケルが私たちに対して何をしたのか。その証拠を押さえていることも。そして、彼との婚約を破棄してほしいことまで一気に言い切った。

「こんなことが許されるはずがないだろう!! タケルくんの言う通りにしていればよかったものを……。どうすれば……。西園寺さんになんと弁明すればいいのだ……」
「弁明する必要はないよ。私はタケルさんとの縁が切れればそれでいいの。それしか望んでいないんだから」
「そんな簡単な話で済むはずがないだろう! お前が余計なことをしたせいで私は……っ。くそっ、どこで育て方を間違えたんだ? 昔は私の言うことに逆らう娘じゃなかったのにっ!」

 パパは頭をかきむしる。私は冷めた気持ちで父親を見つめていた。
 そんなパパにママは我慢ならなかったようだ。テーブルを叩いて甲高い声を上げる。

「育て方を間違えたですって!? 私の責任ではないわっ。あなたがろくにエリカのことを見なかったせいじゃない。私はエリカのためにたくさんの習い事をさせてきたわ。良い物を食べさせて、良い付き合いをさせて、良い経験を積ませてきたのよ。育て方が間違っているというなら、それは全部仕事にかまけて育児をしようともしなかったあなたの責任じゃない!!」
「なんだと? 誰が食わせてやっていると思っているんだ! お前たちが良い暮らしができるのは、すべて私が稼いできたおかげだろうがっ!!」

 ……始まってしまった。
 両親が互いを罵り合う。その声はとても不快で、私の心をイラつかせる。
 誰かが親が怒るのは子供のためだというけれど、私はそう思えなかった。ただの責任の押しつけ合い。その前提には、私が失敗作だという決めつけがあった。
 親の言う通りに動く子供。それが正しい道だというのなら、私は間違った方向に進んでも構わない。
 私はもう子供じゃない。自分の道は自分で決める。一人で歩くのは怖いけれど、支え合ってくれる人たちがいるから大丈夫だって胸を張れる。

「パパ、ママ。不毛な争いはもうやめて」
「エリカ?」
「不毛ですって!? 誰のために……っ」
「私の人生に口を出すのは過干渉にもほどがあるよ。今まで育ててもらった恩は感じています。でも、これ以上私の心を踏みにじるのなら親でも関係ない。あなたたちとの縁を切らせてもらいます」
「「な……っ!?」」

 両親は揃って絶句した。

「な、何を言っているんだ!! そんなことができるわけがないだろう!」
「そうよ! 頭を冷やしなさいエリカ。あなたどこかおかしいわよ?」

 喚き立てる両親を眺めていると、言われるまでもなく頭は冷えていった。

「私はあなたたちの道具じゃない。子は親に従うものというのなら、私はあなたたちとの縁を切るしかありません。自分の人生に自分で責任を負う。それってそんなにもおかしいことなの?」
「バカなことを……っ」
「どちらにせよ私の言い分が飲めないのなら、警察のお世話になりますけど……いいですか?」

 スマホをチラつかせると、パパは慌てた声を上げる。

「ま、待てっ! そんなことをすれば西園寺さんに恨まれてしまうっ!」

 パパは「くそっ!」と悪態をついてからしばらく黙り込む。考えさせる時間くらいは与えてあげよう。
 しばらく張り詰めた静寂が場を支配する。そんな空気を破るかのように、パパのスマホから着信音が鳴った。

「くそっ! こんな時に誰だ!?」

 パパはスマホの画面を見て顔を青ざめさせる。おそらくタケルさんから話を聞いた西園寺さんが連絡してきたのだろう。

「すまないが少し席を外す。おいっ、紅茶がぬるくなった。新しく淹れ直してくれ」
「は、はい旦那様っ」

 パパはスマホを持って部屋を出る。雇っているメイドはパパに言われた通り紅茶を取り換えようと手を伸ばす。

「私はこのままで構わないわ」

 ぬるくなったと言っても飲めないわけじゃない。それくらいで捨ててしまう方が勿体ないと思えた。
 ……そう思うのは晃生くんの影響かな? 出されたものは全部食べる彼を見ていると、出してもらった紅茶一杯を捨てるのだって悪いと感じるようになった。

「そうおっしゃらないでください。旦那様に叱られてしまいます」
「……そうだね。なら、お代わりをお願いするわ」

 メイドを困らせるわけにはいかないか。素直に紅茶を注いでもらう。

「どうしてこんなことに……っ」

 ママは私の方を見向きもせずに苛立っていた。爪を噛む仕草はとても行儀が悪い。
 パパが帰ってくるまで紅茶を楽しもうと努力してみる。ママとは話し合いにもならなくて、居心地の悪い時間は紅茶の香りでも緩和されなかった。

「待たせたな……」

 戻ってきたパパはこの短い時間でやつれたように見えた。当然だけど、あまり良いことは言われなかったのだろう。

「……エリカ。そのスマホに西園寺さんのご子息の……その、証拠動画があるんだな?」
「そうだよ。暴言に暴行の瞬間までバッチリ映っているよ。これだけわかりやすい証拠動画があれば、警察も動かざるを得ないんじゃないかな?」

 パパはがっくりと肩を落とす。

「……わかった。エリカの言い分を受け入れよう。それなら文句はないんだろう?」
「うん。ありがとうパパ♪」

 なんとか穏便に決着した。最後は西園寺さん任せだったけれど、さすがに強引に話を進めようとまではしない人で安心した。
 両親に思うところはあるけれど、縁を切りたいとまでは思っていなかった。最後の手段を使うことなく終えられて、ほっとしている自分がいた。

「エリカ、こうして家族が揃うのはしばらく振りなんだ。お茶もお菓子もたくさんあるからね。ここからは家族団らんといこうじゃないか」
「うん。いただきます」

 ──それが油断だった。
 話がついて安堵した。久しぶりにパパの優しい声色を耳にして、私はもう大丈夫だと安心しきってしまった。

「……あれ?」

 遠のく意識の中でカップが割れる音を聞いた。盛られたのだと、真っ黒に染まる視界で気づく。
 気づいた時にはもう遅い。私はこの期に及んでもまだ幻想を見ていた子供だったのだと思い知らされることになった。


  ◇ ◇ ◇


 目が覚めると、知らない天井……いや、見覚えのある天井だ。

「えっと、私……?」

 そうだ。両親との話し合いが終わったと思っていたら、睡眠薬か何かを盛られたんだ。
 辺りを見渡す。狭い部屋の中にベッドが一つだけ。私では届かないほど高いところに小さな窓があるだけで、外の様子はわからない。
 唯一のドアは鍵が閉まっている。スマホはもちろん、鞄も取られてしまったようだ。

「困ったな……。まさか本当にここまでしてくるなんて……」

 白鳥ちゃんが「何をしてくるかわかりませんよ。たとえば、お茶に薬を盛ってエリカさんの意識がないところを……という展開になるかもしれません!」と言っていたけれど、まさか本当にこうなるとは思ってもいなかった。

「いろいろ言ったけれど、親だとは思っていたんだけどなぁ……」

 思い出してみれば小さい頃、この部屋に入れられたことがあった。
 通称お仕置き部屋。悪いことをした時に閉じ込められていたっけ。悪い記憶しかない場所だ。

「晃生くんのおかげで助けは呼べるけど……」

 胸の谷間からスマホを取り出す。GPSは入れられていない私のスマホだ。
 もしもの時のためにもう一台用意しておいて良かった。「何かあってもそこに隠せば大丈夫だろ」とアドバイスしてくれた晃生くんには感謝だ。

「……ここまでされたら、もう仕方がないよね」

 意を決してスマホを操作しようとした瞬間、ドアがノックされた。

「お嬢様? 目が覚めましたか?」
「っ!?」

 まずい。私は急いでベッドの中に潜り込むと、晃生くんに助けを求めるメッセージを送った。
 ドアが開く音。このスマホだけは見つかってはならないと、私は胸の間へと大事に隠した。晃生くんたちとのつながりだけは、絶対に死守したいから。
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