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44.涙の謝罪

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「──話は以上よ。私が彼と別れた理由、これでわかってもらえた?」

 日葵は晴れ晴れとした顔で、野坂と別れたいきさつを話し終えた。
 クラスメイトは日葵の話を黙って聞いていた。思春期の少年少女らしく、初体験の話にみんな興味津々だったようだ。
 ……ただ、期待していたであろうエッチな展開はまったくなかったのだが。

「胸が大きいのが苦手って……普通そんなこと言う? マジ最低なんだけど」
「勃たなかったのを彼女の身体のせいにするだなんて……最っ低」
「『俺のテクですぐにびしょびしょだぜ!』って言っていたくせに……童貞だったどころか触れてもねえじゃん……」
「ないわー。野坂くんマジないわー」

 クラスメイトが口々に感想を漏らす。それは容赦なく野坂の心を抉った。

「…………」

 野坂は絶望に沈んでいた。心を閉ざしたのか、まったく反応を見せない。

「なんかすごいことになってんねー」
「羽彩」
「別に滅茶苦茶嫌いだったとまでは言わないけどさ、これはさすがに自業自得でしょ」

 気づけば羽彩が隣にいた。まあ日葵と一緒に着替えていたんだから、彼女も教室に戻ってきていてもおかしくないか。
 そして、それならもう一人いてもおかしくなかった。

「野坂くん……」

 黒羽が哀れみの表情で野坂を見つめていた。彼女の視線に気づいたのだろう。奴が希望を見つけたとばかりに再起動する。

「く、黒羽さんっ! しょ、証拠は? 郷田の悪事の証拠をみんなに見せてやってくれよ!」
「だから、そんなものはないって言っているのに……何度同じことを言わせるんですか? それにこんな画像があるなんて聞いていませんよ」
「サプライズだよ! 決定的な証拠をここぞってところで出す。そうすれば効果てきめんだ! ……でも足りないんだ。ねえ俺頼んだよね? 郷田の悪事を一緒に暴こうってさ」

 黒羽はとことこと俺の前まで来ると、頭を下げた。

「ごめんなさい郷田くん。できれば穏便に済ませられるようにしたかったのですが……かえって最悪の事態を引き起こしてしまいました。本当にごめんなさい」
「どういうことだ?」

 説明を求めると、黒羽は頭を上げて野坂からの頼まれ事とやらを教えてくれた。
 野坂に「日葵が郷田に脅されているかもしれないから証拠集めに協力してくれ」と頼まれたこと。
 日葵に確認して、実際に体育祭実行委員を通じて俺の本性を見定めようと近づいたが、野坂の言うような事実はないと判断したこと。
 そのことを野坂に話してもまったく信じてもらえなかったこと。それどころかありもしない郷田晃生の悪事を体育祭という場で放送してくれと頼まれたこと。何度断っても説明しても聞く耳を持ってくれなかったこと……。

「何もなければ諦めてくれるかと期待したのですが……。まさかこんな行動に出るなんて思いもしませんでした。日葵ちゃんの幼馴染だからあまり傷つけたくなかったのですが……やむを得ませんね」

 黒羽はおもむろにスマホを操作する。するとくぐもった音声が流れてきた。

『郷田の悪事をみんなに広めるんだ。元々悪いうわさの絶えない奴なんだ。多少盛ったところで誰も気づかないよ。俺は男子の方を担当するから、黒羽さんは女子全員に広めてくれ』

 野坂の声だった。どうやら頼まれ事とやらの一部を録音していたらしい。

「い、いや……これは……その……だから……」

 野坂の声は震えていた。いや、声だけじゃなく身体ごとガクガクと震えている。

「郷田の悪いうわさって、野坂が流していたのか?」

 誰かがぽつりと言った。それは波紋となって周囲に広がっていく。

「そ、それは違っ──」
「信じられないよねー。こんなことをする人じゃ日葵ちゃんが別れたいって思うのも仕方ないよ」

 野坂の否定は消えていく。誰の耳にも届かない。教室中がそういう空気になってしまったから。
 誰も聞く耳を持ってくれない。何度も引き返すチャンスがあったのに、ずっと聞く耳を持たなかった。それが今、野坂自身に返ってきていた。

「こんなん誤解じゃ済まされないだろ。あいつ、頭おかしいんじゃないか?」
「ッ!!」

 野坂は自分をディスった相手を睨みつけたが、すぐにクラスメイト全員が敵になっていることに気づいたのか目を伏せた。
 日葵が前に出る。そしてニッコリと笑って言い放った。

「謝罪、してもらえるわよね? 今謝ってくれれば全部水に流してあげるわ」

 謝りさえすれば許す。それは周囲には寛大に映り、野坂にとっては屈辱的な条件だったのだろう。
 野坂は唇を噛み、やがて小さく口を開いた。

「なんで……日葵は郷田なんかの弁当を作ったんだよ?」

 それは野坂なりの最後の抵抗だったのかもしれない。
 だが、日葵はただの問いとして答えた。

「言ったじゃない。今の私は晃生くんのことが好きなのよ。好きな人にお弁当を作ってアピールするのは、そんなにおかしいことではないでしょう?」

 教室は一瞬だけ静まり返り、すぐに黄色い声に包まれた。
 ずっと好きだった女の子の心が完全に自分から離れてしまった。そのことを思い知ったのだろう。野坂の顔が絶望に歪んだ。
 ……原作でよく見た顔だった。

「う、うぅ……うううううぅぅぅぅぅぅぅぅ……っ!!」

 それが野坂にとって最大限の嘆きの声だったのだろう。しかし、周りの黄色い声にあっさりとかき消されてしまった。

「じゃあ謝って。晃生くんに迷惑をかけて、みんなまで巻き込んで……謝らなければいけないって、わかるわよね?」

 野坂はしばらく黙って立ち尽くしていた。
 みんな何かを言うでもなく、野坂の謝罪を待ってくれていた。日葵の発する圧力が凄まじいのか、固まっている野坂に誰も文句を言わなかった。

「ご、ごめんなさ……い」

 しんとした教室に、か細い声が響く。

「ちゃんと聞こえる声で言って」

 ピシャリと日葵に言われてしまい、野坂が鼻をすする。
 はっきり言わないと許してもらえない。まるで母親に怒られた子供みたいになった野坂は、大きく頭を下げた。

「ごめんなざい!」

 床に向かって大声で謝った野坂は、逃げるようにして教室から出て行ってしまった。転んだような音が聞こえてきたが、すぐに走り出して、やがて足音は聞こえなくなった。
 結局、大した騒動にならなかったこの小さな事件は、クラス内だけで終えたのであった。
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