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第二部
158.幼馴染育成計画の終わり
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瞳子といっしょに文化祭を楽しんだ。彼女に振り回されながら、次へ次へと模擬店を巡った。
「はい。そろそろ時間よ俊成。葵が待っているんだから早く行ってきなさい!」
バシンッ! と気持ち良く背中を叩かれて送り出されてしまった。こんな風にされたら本当に瞳子に頭が上がらなくなってしまうじゃないか。
「……行ってくる」
それだけ言って屋上へと足を向けた。
振り返りはしなかった。瞳子が今どんな表情を浮かべているか想像がつくから。彼女の思いやりだけは無下にしたくない。
※ ※ ※
文化祭の終了時刻が刻々と迫っていた。
外は茜色に染まりつつある。また日が短くなってきただろうか。少し肌寒い。
屋上のドアに手をかける。力を込めれば、重たい扉が軋んだ音を立てながら開いた。
「葵」
「トシくん、来てくれたんだね」
そこには約束通り、俺を待つ葵の姿があった。
葵の長い黒髪が風になびいている。茜色に染まる彼女は、大人びた美しさがあった。
見慣れた笑顔が向けられる。俺を安心させてくれる表情で、胸を高鳴らせる微笑みだ。
「ごめんね。今日は瞳子ちゃんといっしょに回る予定だったのに」
「瞳子も納得して送り出してくれたから。えっと、それで……」
いつも通りの雰囲気なのに、ちょっと違う。そのちょっとの違いが、葵に聞いていいのかと迷わせた。
普段の葵ならこんな風に呼び出したりはしない。瞳子も違和感を覚えたからこそ、大切な話があるのだろうと身を引いたのだ。
「ここから眺める景色、とっても綺麗なんだよ。ほら、トシくんもこっちおいでよ」
無邪気な顔で手招きされる。こっちの警戒心を根こそぎ奪い取る笑顔だ。この破壊力を前にしては逆らえない。
言われるがまま葵に近づいた。フェンス越しから見える景色は確かに綺麗だった。
「校庭に模擬店があんなにたくさんあったんだね。実際に回ってみて多いとは思ったけれど、上から見ると本当にいっぱい出店していたんだなってわかるよ」
「もう文化祭の残り時間もそうないってのに、みんな最後までがんばっているよな」
校庭に色とりどりの模擬店がたくさん並んでいる。ここからでも全力で接客しているのが見えて、最後までやり切ろうという盛り上がった熱が伝わってくる。
前世の高校時代。文化祭でここまでの盛り上がりはなかった。
学校の違いか、それとも当時の俺自身の熱量のせいなのか。たぶん両方なんだろうな。
高校生にもなって文化祭に本気で取り組むなんてだとか、こんなことでがんばっても大人になると忘れるに決まっているだとか。達観したフリをして、貴重な青春を棒に振ってしまった。
本当はずっと後悔していた。灰色と化していた文化祭の思い出だけじゃない。どうせ無理だとか、恥をかくに決まっているだとか、そういう言い訳ばかりをして何もしてこなかった自分自身に悔やまずにはいられなかった。
本当に悔やんでも悔やみきれない。大人になって、おっさんになって、それでも消えない後悔があることを思い知った。
やらない後悔よりも、やる後悔の方がマシだ。この言葉をどこで聞いたのだったか。
いや、言葉の出所はどうでもいい。
大切なのは二度と同じ後悔をしないこと。それが前世の俺が学んだ教訓だ。
「トシくん」
気づけば傍らにいた葵の顔が、真っ直ぐ俺に向いていた。
今回の文化祭は楽しかった。胸を張って青春を謳歌したと言ってもいいくらいだ。後悔しないと断言できるほどに取り組めた。
だからこそ、葵が覚悟を決めて切り出そうとしている話を聞かなければならない。
「それで、話って?」
今度は聞くことができた。
屋上に届くほど賑やかなのに、俺と葵の空間だけ静寂に包まれているかのような感覚。そう感じるほど、次に葵が口を開くまでに間があった。
「……トシくんは、前世って信じる?」
切り出された言葉は、まったく予期していないものだった。
ようやく沈黙を破ったかと思えば、葵の放った言葉に俺は固まるしかなかった。
俺は自分に前世があることを知っている。でもそれは俺だけの秘密で、葵にだって話したことのない大きな秘密だ。
なのになぜ葵の口から『前世』という単語が出たのか?
……わからない。そういった類の話をしたことはないし、そういった情報に触れた覚えもない。
「前世ってあれか? 大昔に別の人の人生を送っていたみたいな。ははっ、葵なら前世でお姫様だったかもしれないな」
どう答えるかを考えるよりも早く、俺はそんな適当なことを口にしていた。
今正直に答えてどうなる? 俺は赤ん坊に戻って一から人生をやり直しているって言うのか? そんなことを聞いた葵がどんな反応をするのか、想像するのも怖い。
そもそも俺に前世があるってばれたわけじゃない。葵はそういうつもりで話を切り出したとは限らない。だっていくらなんでも唐突すぎるだろ!
「私ね、たまに夢を見るの」
「夢?」
「うん。今の私じゃない、私の夢。トシくんが同じ学校にいるのに話もしなくて、瞳子ちゃんはどこにもいなくて。みんな、今とは少しずつ変わっている。そんな夢」
葵は遠くを見つめていた。夢の中の自分を見ているようで、とても悲しそうに見えた。
「自分を曲げて、自分を殺して。それでも周りに上手く馴染めなくて……。ずっと一人ぼっちでいる。そんな自分が嫌いで、どうしようもなかった」
「ゆ、夢の話じゃないかっ。あまり気にするものじゃないって」
「笑われるかもしれないけれど、私が見た夢は本当にあったことだと思っているの。それだけ実感があって、心から信じてしまうほどに……私の人生だった」
心臓の鼓動が激しくなる。手が震えて、指先が冷たくなっていく。
なぜ、このやり直しの機会を俺だけに与えられたものだと勘違いしていたのか。
「私が変わったきっかけはトシくんだよ。トシくんがいなかったら、今の私は絶対にいなかった。トシくんのおかげで、私にも幸せになる道があるんだって知ったの」
「それは……」
葵との出会いはよく覚えている。
出会いは偶然だったけれど、その後の付き合いは俺が意図したものだ。
かわいい彼女を幼馴染にして、将来のお嫁さんにする。そんな安直な考えが、俺が初めに思いついた計画だった。
俺好みに育て上げて、好感度もしっかり稼いでいく。今考えると我ながらひどい始まりだったな。
でも、計画通りにはいかなかった。
葵だけじゃなく、瞳子も俺のことを好きになってくれて。しかもどちらもが最高すぎるほど良い娘で。俺は二人とも好きになってしまった。
優柔不断なのはわかっている。それでも「好き」の気持ちは想像以上に強烈で。到底コントロールできるものじゃなかったのだ。
葵のことも、瞳子のことも。どちらも好きで、好きで、好きで、好きで好きで好きでしょうがないんだ!
前世があろうとも、恋心に対して経験不足だった。この大きく育ってしまった気持ちをどう処理をすればいいのか、見当もつかなかった。
その結果が、今の状況だ。
「……ありがとうトシくん。私に、優しくしてくれて」
きっと葵は気づいている。俺に前世があることをわかっているのだ。じゃなきゃこんな話を切り出したりはしない。
それでも葵は、俺にお礼を言った。自分の人生を歪めたかもしれない相手にもかかわらず。
「トシくんがいてくれたから、私は変われたよ。できることが増えて、人との繋がりもあって。苦手なことだって克服できた。全部、トシくんのおかげなんだよ」
「俺は……」
息が詰まる。でも、言わないわけにはいかなかった。
葵がここまでさらけ出したのだ。これ以上、前世のことを秘密にし続けるわけにはいかなかった。
意を決して口を開こうとする。だけど、なかなか唇は動かなくて。葵のすごさを実感した。
「……俺は、これが二度目の人生なんだ」
そして、ついに俺は彼女に秘密を明かしたのであった。
「はい。そろそろ時間よ俊成。葵が待っているんだから早く行ってきなさい!」
バシンッ! と気持ち良く背中を叩かれて送り出されてしまった。こんな風にされたら本当に瞳子に頭が上がらなくなってしまうじゃないか。
「……行ってくる」
それだけ言って屋上へと足を向けた。
振り返りはしなかった。瞳子が今どんな表情を浮かべているか想像がつくから。彼女の思いやりだけは無下にしたくない。
※ ※ ※
文化祭の終了時刻が刻々と迫っていた。
外は茜色に染まりつつある。また日が短くなってきただろうか。少し肌寒い。
屋上のドアに手をかける。力を込めれば、重たい扉が軋んだ音を立てながら開いた。
「葵」
「トシくん、来てくれたんだね」
そこには約束通り、俺を待つ葵の姿があった。
葵の長い黒髪が風になびいている。茜色に染まる彼女は、大人びた美しさがあった。
見慣れた笑顔が向けられる。俺を安心させてくれる表情で、胸を高鳴らせる微笑みだ。
「ごめんね。今日は瞳子ちゃんといっしょに回る予定だったのに」
「瞳子も納得して送り出してくれたから。えっと、それで……」
いつも通りの雰囲気なのに、ちょっと違う。そのちょっとの違いが、葵に聞いていいのかと迷わせた。
普段の葵ならこんな風に呼び出したりはしない。瞳子も違和感を覚えたからこそ、大切な話があるのだろうと身を引いたのだ。
「ここから眺める景色、とっても綺麗なんだよ。ほら、トシくんもこっちおいでよ」
無邪気な顔で手招きされる。こっちの警戒心を根こそぎ奪い取る笑顔だ。この破壊力を前にしては逆らえない。
言われるがまま葵に近づいた。フェンス越しから見える景色は確かに綺麗だった。
「校庭に模擬店があんなにたくさんあったんだね。実際に回ってみて多いとは思ったけれど、上から見ると本当にいっぱい出店していたんだなってわかるよ」
「もう文化祭の残り時間もそうないってのに、みんな最後までがんばっているよな」
校庭に色とりどりの模擬店がたくさん並んでいる。ここからでも全力で接客しているのが見えて、最後までやり切ろうという盛り上がった熱が伝わってくる。
前世の高校時代。文化祭でここまでの盛り上がりはなかった。
学校の違いか、それとも当時の俺自身の熱量のせいなのか。たぶん両方なんだろうな。
高校生にもなって文化祭に本気で取り組むなんてだとか、こんなことでがんばっても大人になると忘れるに決まっているだとか。達観したフリをして、貴重な青春を棒に振ってしまった。
本当はずっと後悔していた。灰色と化していた文化祭の思い出だけじゃない。どうせ無理だとか、恥をかくに決まっているだとか、そういう言い訳ばかりをして何もしてこなかった自分自身に悔やまずにはいられなかった。
本当に悔やんでも悔やみきれない。大人になって、おっさんになって、それでも消えない後悔があることを思い知った。
やらない後悔よりも、やる後悔の方がマシだ。この言葉をどこで聞いたのだったか。
いや、言葉の出所はどうでもいい。
大切なのは二度と同じ後悔をしないこと。それが前世の俺が学んだ教訓だ。
「トシくん」
気づけば傍らにいた葵の顔が、真っ直ぐ俺に向いていた。
今回の文化祭は楽しかった。胸を張って青春を謳歌したと言ってもいいくらいだ。後悔しないと断言できるほどに取り組めた。
だからこそ、葵が覚悟を決めて切り出そうとしている話を聞かなければならない。
「それで、話って?」
今度は聞くことができた。
屋上に届くほど賑やかなのに、俺と葵の空間だけ静寂に包まれているかのような感覚。そう感じるほど、次に葵が口を開くまでに間があった。
「……トシくんは、前世って信じる?」
切り出された言葉は、まったく予期していないものだった。
ようやく沈黙を破ったかと思えば、葵の放った言葉に俺は固まるしかなかった。
俺は自分に前世があることを知っている。でもそれは俺だけの秘密で、葵にだって話したことのない大きな秘密だ。
なのになぜ葵の口から『前世』という単語が出たのか?
……わからない。そういった類の話をしたことはないし、そういった情報に触れた覚えもない。
「前世ってあれか? 大昔に別の人の人生を送っていたみたいな。ははっ、葵なら前世でお姫様だったかもしれないな」
どう答えるかを考えるよりも早く、俺はそんな適当なことを口にしていた。
今正直に答えてどうなる? 俺は赤ん坊に戻って一から人生をやり直しているって言うのか? そんなことを聞いた葵がどんな反応をするのか、想像するのも怖い。
そもそも俺に前世があるってばれたわけじゃない。葵はそういうつもりで話を切り出したとは限らない。だっていくらなんでも唐突すぎるだろ!
「私ね、たまに夢を見るの」
「夢?」
「うん。今の私じゃない、私の夢。トシくんが同じ学校にいるのに話もしなくて、瞳子ちゃんはどこにもいなくて。みんな、今とは少しずつ変わっている。そんな夢」
葵は遠くを見つめていた。夢の中の自分を見ているようで、とても悲しそうに見えた。
「自分を曲げて、自分を殺して。それでも周りに上手く馴染めなくて……。ずっと一人ぼっちでいる。そんな自分が嫌いで、どうしようもなかった」
「ゆ、夢の話じゃないかっ。あまり気にするものじゃないって」
「笑われるかもしれないけれど、私が見た夢は本当にあったことだと思っているの。それだけ実感があって、心から信じてしまうほどに……私の人生だった」
心臓の鼓動が激しくなる。手が震えて、指先が冷たくなっていく。
なぜ、このやり直しの機会を俺だけに与えられたものだと勘違いしていたのか。
「私が変わったきっかけはトシくんだよ。トシくんがいなかったら、今の私は絶対にいなかった。トシくんのおかげで、私にも幸せになる道があるんだって知ったの」
「それは……」
葵との出会いはよく覚えている。
出会いは偶然だったけれど、その後の付き合いは俺が意図したものだ。
かわいい彼女を幼馴染にして、将来のお嫁さんにする。そんな安直な考えが、俺が初めに思いついた計画だった。
俺好みに育て上げて、好感度もしっかり稼いでいく。今考えると我ながらひどい始まりだったな。
でも、計画通りにはいかなかった。
葵だけじゃなく、瞳子も俺のことを好きになってくれて。しかもどちらもが最高すぎるほど良い娘で。俺は二人とも好きになってしまった。
優柔不断なのはわかっている。それでも「好き」の気持ちは想像以上に強烈で。到底コントロールできるものじゃなかったのだ。
葵のことも、瞳子のことも。どちらも好きで、好きで、好きで、好きで好きで好きでしょうがないんだ!
前世があろうとも、恋心に対して経験不足だった。この大きく育ってしまった気持ちをどう処理をすればいいのか、見当もつかなかった。
その結果が、今の状況だ。
「……ありがとうトシくん。私に、優しくしてくれて」
きっと葵は気づいている。俺に前世があることをわかっているのだ。じゃなきゃこんな話を切り出したりはしない。
それでも葵は、俺にお礼を言った。自分の人生を歪めたかもしれない相手にもかかわらず。
「トシくんがいてくれたから、私は変われたよ。できることが増えて、人との繋がりもあって。苦手なことだって克服できた。全部、トシくんのおかげなんだよ」
「俺は……」
息が詰まる。でも、言わないわけにはいかなかった。
葵がここまでさらけ出したのだ。これ以上、前世のことを秘密にし続けるわけにはいかなかった。
意を決して口を開こうとする。だけど、なかなか唇は動かなくて。葵のすごさを実感した。
「……俺は、これが二度目の人生なんだ」
そして、ついに俺は彼女に秘密を明かしたのであった。
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