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第二部

155.甘いわたがしみたいに溶けていくような

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 着物姿の俺とメイド服姿の葵。けっこう目立つと覚悟していたけれど、どうやら文化祭らしく様々な衣装に身を包む人が多いようで、想像以上に注目されることはなかった。

「おい、お前あのメイドさんに声かけろよー」
「あんなアイドルみたいにかわいい娘無理だって。しかも男いるし……」
「衣装もかわいいしスタイルもすげえ……。写真撮らせてくれないかな」

 ……まあ想像以上ではなかっただけで、想像通りの注目されっぷりではあった。
 葵にメイド服。この組み合わせの破壊力は恐ろしいほど高く、特に男は効果覿面であった。
 じろじろとした無遠慮な視線の数々。葵がよく向けられている類の目ではあるが、良い気分になるものではないことに変わらない。
 いつもの葵なら顔に出さずとも、嫌がっている気持ちが滲み出ているはずだった。

「あっ。トシくん見て見てわたあめだよ。なんだか小さい頃のお祭りを思い出すよね」

 ところが周囲の目を気づいているのかいないのか。ニッコニコ笑顔の葵は悪い気分になっている様子はなかった。

「祭りのわたあめってなんかやけに美味そうに見えるよな。せっかくだから食べようか」
「うんっ」

 せっかく葵が楽しそうに笑っていてくれるのだ。わざわざ周囲の目のことを教えなくてもいいだろう。

「いらっしゃーい。あらあらうふふ。君、カッコいいからおまけしてあげるね」
「あ、ありがとうございます」

 着物男子が珍しいのか、一つ分の値段で二つのわたあめをもらった。こういうの初めてだから曖昧に笑ってしまう。

「へいお待ち、わたあめどーぞ。……葵?」

 葵は憮然とした顔をしていた。あれ、さっきまで笑顔だったよな?

「あの先輩……。トシくんに気があるのかな?」

 葵が口にした「あの先輩」というのはわたあめを売っていた女子だろう。
 これくらいのことで葵が嫉妬するなんて珍しい。まあ、俺にとっては「カッコいい」って理由でサービスしてもらえるなんて初めてだけどな。

「たぶんそうじゃなくて、着物が珍しくてついサービスしちゃったんだろうよ」
「着物姿のトシくんの破壊力すごいもんね。すごくカッコいいもん」

 いきなり褒められて顔が熱くなる。いやだって、今のは褒められる流れじゃなかったんだもん……。
 葵はわたあめを受け取ると、白いもふもふに顔を突っ込んで食べ始めた。

「おいおい、そんな子供みたいに食べると口元ベタベタになるぞ」
「わたあめはこうやって食べるのが一番美味しいんだよ。ん~、甘~い」

 幸せそうに頬を緩ませる葵。そんな無邪気な姿を見せられると本当に子供の頃を思い出す。
 俺もわたあめを口に入れる。一瞬で溶けていく甘さに、頬が緩むのを抑えられなかった。

「わたあめってたまに食べるとなんでこんなにも美味しいんだろうな」
「こんなかわいい食べ物が美味しくないわけがないじゃない」
「見た目はいいけど、ただの砂糖の塊なのにな」
「……トシくん。そういうことをわたあめを食べてる女の子の前で言っちゃダメなんだよ」

 ものすごいジト目をされてしまった。うん、今のは俺が悪かった。
 葵はわたあめを口に含む。ゆっくりと溶かすように小さな顎を動かす。それから甘い吐息を漏らす。
 口元についた溶けた砂糖は、赤い舌がペロリと舐め取った。子供の頃に見たことのある仕草なのに、今の彼女がやると艶めかしい。

「いつもとは違ったお祭りの雰囲気で、そこに大切な人が傍にいてくれる。だから特別な味になるんだよ」

 そう言った葵はとても優しい目をしていた。
 文化祭という空気がそうさせるのか。今日の葵は子供っぽいところと大人な部分が極端に表れているようだった。

「なんてね。クサいこと言っちゃった」

 冗談めかしてペロリと舌を出す葵。今度は赤い舌を見ても変にドキドキしなかった。

「いや。俺も、文化祭で葵と食べるわたあめだから美味しいんだろうなって思ったよ」
「そっか……。うん、そっかぁ……。トシくんは本当に嬉しいことを言ってくれるね」
「それに今日はかわいいメイド服で葵のかわいさが何倍にもなっているからな。なんかものすごく贅沢な味がしている気がするよ」
「きゃうっ! ……もうっ、トシくんはもうっ」

 いきなり小さく叫んだかと思えば、葵はわたあめで口を隠すようにしながら食べていた。だからそんな食べ方していたら口元ベタベタになっちゃうでしょうに。

「わたあめ食べたし、次はどこ行くの?」
「瞳子のクラスでやるって言ってた演劇がもうすぐ始まる時間じゃなかったか?」
「そういえばそうだね。でも、瞳子ちゃん出ないしなぁ」
「生徒会の仕事があるからしょうがないな」

 本日の瞳子は生徒会の仕事で大忙しなのだ。クラスの出し物にあまり関われない程度には忙しいのだとか。

「初日でがんばる分、二日目は時間空けておくからね!」

 と、強い口調で言っていた。俺とのデートのためだと思うと、忙しい瞳子には悪いが、ちょっと嬉しかったりする。

「トシくん、今瞳子ちゃんとのデートのこと考えてたでしょ」
「あ、いや……。べ、別に明日はどこを見て回ろうだとかは考えてないぞ?」
「今は私とデートしているのに……」
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなくてだな」

 うろたえる俺を見て、葵はくすくすと笑った。……あれ?

「冗談だよ。怒ったりなんかするわけないじゃない。ふふっ、トシくんが慌てているのを見るのも面白いね」
「……葵~。お前いい性格してるじゃないか」
「きゃー♪」

 葵のこめかみを両手で挟んでぐりぐりする。もちろん痛くないようにしているけど、こうも楽しそうにはしゃいでいると、まるでイチャイチャしているだけに見られるじゃないか。

「人前でイチャイチャしすぎ……」

 ぽつりとした声にギクリと固まってしまう。
 見れば美穂ちゃんが呆れたような無表情で俺達を見ていた。

「えっと……。いつから見てた?」
「宮坂がなぜわたあめが美味しいのかを語ったあたりかな」
「よりによってそこから!?」

 葵はあまりの恥ずかしさに顔を覆ってしまった。クサいセリフってみんなに聞かせたいわけじゃないもんな。

「まあ文化祭だし。他にもカップルで行動している人達がいるから別にいいとは思うけどね」

 美穂ちゃんは見なかったことにするみたいにこの場から離れていく。スルーするなら最初からそうしてほしかったなぁ。

「おーい。待ってくれよ赤城ちゃん」

 そこにチャラそうな男子が美穂ちゃんの隣に並ぶ。もしかしてナンパか?
 と、思ったら下柳だった。え、二人で文化祭回ってたの?
 てっきり美穂ちゃんはクリスや望月さんといっしょにいるものだと思っていたから驚いた。びっくりしている俺に気づいた下柳がふっと笑った。

「ふっ、高木よ。ついに俺にも春が来たぜ。今日は赤城ちゃんと文化祭デートだ!」

 下柳はキメ顔でそんなことを言った。「デート」という単語を強調していたのは重要なことだからだろう。
 美穂ちゃんは下柳の言葉を肯定するように無表情のまま頷いた。

「そういう罰ゲームだから。うん、仕方がない」
「え、赤城ちゃん? 罰ゲームって何? 俺何も聞いてないよ?」
「今のは冗談。ほら行こう下柳。屋台の食べ物全部おごってくれるんでしょ」
「冗談に聞こえないんですけど!? あ、赤城ちゃーん!!」

 楽しそうにしながら(?)美穂ちゃんと下柳は去って行った。

「美穂ちゃん、楽しそうだったね」
「楽しそうだったか?」

 羞恥心が収まったのか、葵は穏やかな表情で二人の後ろ姿を見守っていた。本当にちゃんと見てたか?
 葵はまた大人っぽい顔をしている。いや、落ち着いた態度は時折見せてはいたんだけど、なんだか今日はいつもよりちょっと違うように感じる。
 これは文化祭マジックか? それともメイドマジック? どっちにしてもかわいいからいいか。

「葵」
「なあに?」
「……俺達もそろそろ行こうか」
「うん。そうだね」

 葵が俺の手を取った。俺は彼女の手を包み込むように握り返した。

「あのねトシくん」
「なんだ?」

 葵の大きくてくっきりした目が俺を見上げる。かわいいだけじゃない、強い意志が込められていた。

「もう、あのお化け屋敷だけには行かないからね」
「……同感だ」

 葵でさえこの反応である。明日、瞳子を垣内先輩のクラスのお化け屋敷に連れて行くわけにはいかなかった。


  ※ ※ ※


 昔から葵は甘え上手である。
 本人はわかっているのかいないのか。少なくとも、俺と瞳子が共通認識している事実ではあった。
 でも、決して自分勝手なわがままを言う娘ではないのだ。

「トシくん、お願いがあるの」

 だから、文化祭初日終了間際。葵がそう言った時、俺は無理難題を言われるだなんて思っていなかったんだ。

「明日、瞳子ちゃんとデートだってわかってる。それでも、明日も私のために時間をくれないかな?」

 俺にとって二人の彼女はどちらも大切で、どちらも均等に愛している。
 しかし、いつかは天秤をどちらかに傾けなければならない。そのことを一番わかっているのは、俺でも瞳子でもなく、やっぱり葵なのかもしれなかった。
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