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第二部
130.どこからがピンチなのか
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ファミレスでバイトを始めた俺は、夕食時という混雑する時間帯を目前にしていた。そんな忙しい時間に入るはずだった貴重なキッチンスタッフが急用で出られなくなってしまった。さて、このピンチをどう乗り越えるのだろうか?
と、他人事のように説明してみた。状況を冷静に見つめるためにも、俯瞰した視点って大切だと思うんだ。
さて、どうピンチを乗り越えるか!? だなんて煽り文句みたいなことを言いたいところだが、それは俺自身が調理する側になることでなんとかするつもりだ。いや、なんとかしてみせる。
これは自分から言い出したことなんだ。半端な仕事はできない。バイトだろうがなんだろうが、お客様に提供することには違いはない。
頭の中でマニュアルを繰り返し呟く。他のスタッフの仕事ぶりをただ眺めていたわけでもない。
「高木、もし失敗するようなら洗い場に戻ってもらうからな。中途半端な仕事しかできないようなら皿洗ってくれている方がよっぽど戦力になる」
「はい!」
こうして張本さんに指示されながら、初の調理仕事が始まった。
料理には手際が肝心だ。それができる人とできない人とでは面白いほど時間に差が出るものである。
それは家庭だけではなく、ファミレスのキッチンでも同じだ。
品目によって調理時間にばらつきが出る。いくら家より広いといっても、調理スペースには限りがあるのだ。作業する順番を上手く考えないと時間ロスになってしまう。
まあ、その順番は張本さんから指示が飛んでくるのだが。俺はしっかり集中してミスのないようにするだけだ。集中、集中だ!
だけど、その集中力を切らそうとしているのかって思ってしまうほど熱い。洗い物をしている時には気づかなかったけど、調理場はとにかく熱い。
火元にいるのだし当然と言えば当然か。俺は焼いたり茹でたりだけだが、フライヤーの前にいる張本さんなんて下手をすれば火傷の危険だってある。
ついでに言えば盛り付けも張本さんがやっている。注文が多くなってくると、どのソースや皿を使えばいいのかこんがらがってきそうだ。だってのに手の動きからは迷いなんて微塵も感じられない。
「注文入ります。チョコレートパフェ、苺とベリーのパンナコッタ、豆乳のカフェゼリーバニラアイス添え、抹茶ぜんざいです!」
「お任せあれ!」
望月さんはデザート作りを手伝っていた。
『夏のデザートフェスタ』という期間限定メニューもある中での担当だ。デザート全品割引されているというのもあって、注文が殺到している。
見るだけで大変そう。しかし望月さんの作業スピードは他のキッチンスタッフとそん色ないどころか図抜けたものだった。
そういえば、望月さんって美穂ちゃんと同じ料理研究部だったか。なんか納得。
夜の混雑が止むまで、スタッフ全員が一致団結してそれぞれの仕事をまっとうしていったのであった。
※ ※ ※
「お疲れさん。高木、もう上がる時間だ」
「わかりました。それじゃあお先に上がらせてもらいますね」
最後の皿を食洗機に入れてスイッチオン。これにてバイト初日は終了だ。
「今日は本当に助かった。帰ったらゆっくり休めよ」
「はい! ありがとうございました!」
張本さんの労いが身に染みる。彼のサポートがなければやり切れなかっただろう。自分の仕事だけじゃなく、俺の方まで目を配ってくれたことには感謝しかない。
目が回るほど忙しかった。それでも、やり切った充実感に満たされてもいる。まあこれが毎回と言われたら勘弁してもらいたいものなんだけどね。
「それでは僕もここまでですね。お疲れ様でしたー!」
望月さんはニッコニコの笑顔であいさつする。相当疲れただろうに、まったく顔に出ていない。さすが先輩だ。
着替え終わって更衣室を出てから少し待っていると、着替え終わった望月さんが出てきた。私服姿が目新しい。
「家まで送ろうか?」
「それでわざわざ待っていてくれたんですか? 高木くんってば紳士ですね」
そうは言うけど、外は暗くなっていたのだ。クラスメートの女子をそのまま帰すにしては心配だろう。
「でも大丈夫ですよ。僕自転車で来てますし」
望月さんの家はここから近いらしい。俺が働く前からいたのだ。帰宅に問題のない距離なのは当然か。
「俺も自転車で来たんだ。一応家の近くまで送るよ」
電車を利用してもいい距離ではあるが、運動も兼ねて自転車で来たのだ。
外に出ると生暖かい空気に店内へと引き返したくなった。日が暮れても暑いものは暑い。
駐輪場で互いの自転車を回収する。意外にも望月さんはクロスバイクに乗っていた。急に彼女への印象がスポーティーなものへと変わってきそうだ。
道中では今日のバイトのことが話題になった。同じ戦場を経験した、いわば戦友である。この日だけでかなり仲良くなれた気さえする。
「この前クリスが料理研究部に顔を出してくれたんですよ。何か日本食が作れないかって。外国人さんに日本のことを興味持ってもらえるのってなんだか嬉しいですよね」
「確かにな。クリスはいっつもニコニコしてるからこっちも教え甲斐があるしね」
バイトのことから学校のことへ、ころりと話題が変わる。俺は相槌を打った。
「それにクリスは筋がいいんですよ。もともと料理はできるんでしょうね。今度は僕の方から何か教えてもらおうかな」
料理研究部であり、バイトでの手際を見るに望月さんの腕はなかなかのものだろう。
そんな彼女からのお褒めの言葉だ。クリスが料理できるのは事実なのだろう。イギリス人の料理がまずいってのはあてにならないのかも。クリス母のチーズケーキは美味かったし。
「それに美穂さんです。彼女相当料理上手ですよ。頭が良くて料理上手で美人さん。しかもクリスに教えるのも上手で……。もう料理研究部のエースと言っても過言じゃないですね」
料理研究部ってエースとかそんなんあるのか。
何はともあれ安定の三人娘のようだ。
「クリスのおかげで部員のみんな楽しそうで、もちろん僕や美穂さんも楽しくて、なんだか安心します」
明るく朗らかに、望月さんは笑った。
「そうか」と、そっけなく受け取られそうな返事になってしまった。それをなかったことにしようと笑った。
「あっ、もうすぐ家が近くなのでここまででいいですよ。送ってくれてありがとうございます」
「俺が勝手についてきただけのようなもんだから気にしないで。またバイトで世話になると思うから頼むよ」
「あははっ。先輩として高木くんのお世話焼いてあげますね」
冗談めかして笑い合う。
望月さんは付き合いやすい部類の女子だ。敬語と人懐っこさが上手く融合しているというか、同性とは違った気安さがある。
このまま笑顔で別れようとした時だ。望月さんの「そういえば」という言葉に動こうとした足を止める。
「高木くんはどうしてバイトを始めたんですか?」
なんてことのない質問だ。望月さんもただの興味本位といった風である。
「まあ夏休みだし。経験と金を稼ぐためだよ」
「ふむふむ、意中の女の子のためだと白状しないのが高木くんらしいですね」
ギクリと固まってしまう。この反応がお気に召したのか、望月さんは満足そうに頷いた。
「高木くんは期待を裏切らない反応をしてくれますねー。で? 瞳子さんと宮坂さん、どっちが本命なんですか? ここだけの話にしますので教えてくださいよ」
「ど、どっちがって……」
「隠さなくてもいいじゃないですか。幼馴染二人のうちどちらかが好きなんですよね?」
これも興味本位なのだろう。さあさあ、と答えを迫る彼女からは悪意なんて一かけらも感じられなかった。
高校から仲良くなったメンバーは俺達の関係を知らない。でも、葵と瞳子といっしょに登下校したり、校内で話だってする。望月さんのように仲を疑われても当然だろう。
嘘をつこうとする自分と、嘘をつきたくない自分がいる。それはなんとも中途半端で、俺の口は間抜けにもパカパカと開閉を繰り返すだけだ。
そんな間抜けな俺が面白かったのか、望月さんは噴き出した。腹を抱えて笑われ続けた。
「ふふ……。いじめるのもこのくらいにしておいてあげましょうか」
しばらく笑われっぱなしだったものの、やっと落ち着いてくれたらしい。ただ、言葉はそれだけで終わらなかった。
「男らしくとか女らしくとか、そういうのは好きではありませんけど……、女の子はやっぱり男の子から動いてくれるのを待っているものですよ」
「……それって望月さんの経験談?」
急に望月さんの目が輝いた。あれ、今目を輝かせるようなこと言ったっけ?
「高木くんは僕が経験豊富そうに見えますか!? モテそうな女子に見えますか!?」
詰め寄られた勢いで思わず首を縦に振ってしまった。望月さんはむふーと心なし嬉しそうに息を吐く。
「さすがは高木くん。見る目がありますね」
「まあ、望月さんをかわいいって言ってる奴がいるからさ」
主に下柳のことである。あいつにとって彼女は特別枠みたいなことも言ってたしな。
そこまで言う前に「僕ってやっぱりモテモテなんですねー」とか呟きがバッチリ聞こえる。細かいところは見なかったことにするのも優しさだろう。
おかげでこれ以上の追及もなく、そろそろお開きになりそうだ。いくら家が近いとはいえ、女の子が長い間夜道にいるものじゃない。
「それじゃあ望月さん、俺もそろそろ帰るよ。すぐそこなんだろうけど気をつけて帰ってね」
「あ、遅い時間なのに引き留めてしまってごめんなさい。高木くんこそ気をつけて帰ってくださいね」
手を振ってさようなら。と、なるはずだったのに、望月さんの背後から闇に紛れるように男が現れた。
不審者。頭がそう判断した瞬間、俺は動き出していた。
「望月さん!!」
俺は自転車から飛び降りた。血相を変えた俺を見て、望月さんは慌てて振り返る。男と目が合ったであろう彼女は固まった。
男の手が望月さんに伸ばされる。思いっきり地面を蹴るが間に合わないっ。
「梨菜、お帰り」
「良兄? なんでここに」
男は望月さんのお兄さんだった。伸ばされた手は望月さんの頭にぽん、と優しく置かれる。駆け出していた俺は勢いを殺せず盛大にずっこけた。
声もかけずいきなり現れるもんだから不審者かと思ったじゃないかよ! あと夜に黒一色の服装はやめていただきたい! 本当にびっくりするからっ!
「梨菜の帰りがいつもより遅いから迎えにきたんだ。で、誰だよそいつ?」
望月さんの兄というのもあって端正な顔だちをしている。無遠慮に俺を指差さなければ、ただの妹想いのアニキなんだけどな。
「彼はクラスメートの高木くんですよ」
「高木……だと?」
望月兄がわなわなと震える。え、俺なんかやっちゃいました? いやほんとに心当たりないんだけど。
「貴様が梨菜をたぶらかした男なのか!!」
「マジでなんの話ですかーー!?」
突然現れたかと思えば敵視されているようです。あなたと俺は初対面のはずなのですが……。
「良兄! 高木くんは僕をここまで送ってくれたんですよ。それなのに失礼です! 高木くんに謝ってください!」
「む……」
妹に怒られた兄は止まった。止まってくれてほっとする。
良兄ってことは長男の良一さんだろうか。たまに望月さんから四人の兄の愚痴を聞いていたのを思い出す。
「ま、まあいいよ。お兄さんだって望月さんのことが心配だっただけなんだろうしさ」
「貴様にお兄さんと気安く呼ばれる筋合いなどないわ!!」
め、面倒くせぇ……。彼女が愚痴ってたのもちょっとわかってしまうよ。
でも、それだけ望月さんを大切に想っているということなのだろう。誰にどう思われたって構わない。彼には譲れないものがあるのだという気迫がこもっていた。
「良兄! ごめんなさい高木くん。後でしっかりと言い聞かせておきますので」
「気にしていないからいいって。お兄……良一さんがいるなら安心だよね。じゃあまたバイトで」
自転車を起こして「バイバイ」とあいさつする。これ以上騒ぐのもご近所迷惑だ。さっさと退散させてもらおう。
「あいつ……素人の体さばきじゃなかったな。もし俺が梨菜を襲う不審者だったらどうなっていたか……うむ」
「何ぶつぶつ言ってやがるんですか。良兄はちゃんと反省してください。これで僕が友達から変な目を向けられるようになったら良兄のせいですからねっ」
自転車を漕ぐ。背後のやり取りは風で耳に届かなかった。
「疲れた……」
バイトよりも疲れてしまったのはここだけの愚痴にしておきたい。次から望月さんを送る時はもう少し手前までにさせてもらおうと思った。
と、他人事のように説明してみた。状況を冷静に見つめるためにも、俯瞰した視点って大切だと思うんだ。
さて、どうピンチを乗り越えるか!? だなんて煽り文句みたいなことを言いたいところだが、それは俺自身が調理する側になることでなんとかするつもりだ。いや、なんとかしてみせる。
これは自分から言い出したことなんだ。半端な仕事はできない。バイトだろうがなんだろうが、お客様に提供することには違いはない。
頭の中でマニュアルを繰り返し呟く。他のスタッフの仕事ぶりをただ眺めていたわけでもない。
「高木、もし失敗するようなら洗い場に戻ってもらうからな。中途半端な仕事しかできないようなら皿洗ってくれている方がよっぽど戦力になる」
「はい!」
こうして張本さんに指示されながら、初の調理仕事が始まった。
料理には手際が肝心だ。それができる人とできない人とでは面白いほど時間に差が出るものである。
それは家庭だけではなく、ファミレスのキッチンでも同じだ。
品目によって調理時間にばらつきが出る。いくら家より広いといっても、調理スペースには限りがあるのだ。作業する順番を上手く考えないと時間ロスになってしまう。
まあ、その順番は張本さんから指示が飛んでくるのだが。俺はしっかり集中してミスのないようにするだけだ。集中、集中だ!
だけど、その集中力を切らそうとしているのかって思ってしまうほど熱い。洗い物をしている時には気づかなかったけど、調理場はとにかく熱い。
火元にいるのだし当然と言えば当然か。俺は焼いたり茹でたりだけだが、フライヤーの前にいる張本さんなんて下手をすれば火傷の危険だってある。
ついでに言えば盛り付けも張本さんがやっている。注文が多くなってくると、どのソースや皿を使えばいいのかこんがらがってきそうだ。だってのに手の動きからは迷いなんて微塵も感じられない。
「注文入ります。チョコレートパフェ、苺とベリーのパンナコッタ、豆乳のカフェゼリーバニラアイス添え、抹茶ぜんざいです!」
「お任せあれ!」
望月さんはデザート作りを手伝っていた。
『夏のデザートフェスタ』という期間限定メニューもある中での担当だ。デザート全品割引されているというのもあって、注文が殺到している。
見るだけで大変そう。しかし望月さんの作業スピードは他のキッチンスタッフとそん色ないどころか図抜けたものだった。
そういえば、望月さんって美穂ちゃんと同じ料理研究部だったか。なんか納得。
夜の混雑が止むまで、スタッフ全員が一致団結してそれぞれの仕事をまっとうしていったのであった。
※ ※ ※
「お疲れさん。高木、もう上がる時間だ」
「わかりました。それじゃあお先に上がらせてもらいますね」
最後の皿を食洗機に入れてスイッチオン。これにてバイト初日は終了だ。
「今日は本当に助かった。帰ったらゆっくり休めよ」
「はい! ありがとうございました!」
張本さんの労いが身に染みる。彼のサポートがなければやり切れなかっただろう。自分の仕事だけじゃなく、俺の方まで目を配ってくれたことには感謝しかない。
目が回るほど忙しかった。それでも、やり切った充実感に満たされてもいる。まあこれが毎回と言われたら勘弁してもらいたいものなんだけどね。
「それでは僕もここまでですね。お疲れ様でしたー!」
望月さんはニッコニコの笑顔であいさつする。相当疲れただろうに、まったく顔に出ていない。さすが先輩だ。
着替え終わって更衣室を出てから少し待っていると、着替え終わった望月さんが出てきた。私服姿が目新しい。
「家まで送ろうか?」
「それでわざわざ待っていてくれたんですか? 高木くんってば紳士ですね」
そうは言うけど、外は暗くなっていたのだ。クラスメートの女子をそのまま帰すにしては心配だろう。
「でも大丈夫ですよ。僕自転車で来てますし」
望月さんの家はここから近いらしい。俺が働く前からいたのだ。帰宅に問題のない距離なのは当然か。
「俺も自転車で来たんだ。一応家の近くまで送るよ」
電車を利用してもいい距離ではあるが、運動も兼ねて自転車で来たのだ。
外に出ると生暖かい空気に店内へと引き返したくなった。日が暮れても暑いものは暑い。
駐輪場で互いの自転車を回収する。意外にも望月さんはクロスバイクに乗っていた。急に彼女への印象がスポーティーなものへと変わってきそうだ。
道中では今日のバイトのことが話題になった。同じ戦場を経験した、いわば戦友である。この日だけでかなり仲良くなれた気さえする。
「この前クリスが料理研究部に顔を出してくれたんですよ。何か日本食が作れないかって。外国人さんに日本のことを興味持ってもらえるのってなんだか嬉しいですよね」
「確かにな。クリスはいっつもニコニコしてるからこっちも教え甲斐があるしね」
バイトのことから学校のことへ、ころりと話題が変わる。俺は相槌を打った。
「それにクリスは筋がいいんですよ。もともと料理はできるんでしょうね。今度は僕の方から何か教えてもらおうかな」
料理研究部であり、バイトでの手際を見るに望月さんの腕はなかなかのものだろう。
そんな彼女からのお褒めの言葉だ。クリスが料理できるのは事実なのだろう。イギリス人の料理がまずいってのはあてにならないのかも。クリス母のチーズケーキは美味かったし。
「それに美穂さんです。彼女相当料理上手ですよ。頭が良くて料理上手で美人さん。しかもクリスに教えるのも上手で……。もう料理研究部のエースと言っても過言じゃないですね」
料理研究部ってエースとかそんなんあるのか。
何はともあれ安定の三人娘のようだ。
「クリスのおかげで部員のみんな楽しそうで、もちろん僕や美穂さんも楽しくて、なんだか安心します」
明るく朗らかに、望月さんは笑った。
「そうか」と、そっけなく受け取られそうな返事になってしまった。それをなかったことにしようと笑った。
「あっ、もうすぐ家が近くなのでここまででいいですよ。送ってくれてありがとうございます」
「俺が勝手についてきただけのようなもんだから気にしないで。またバイトで世話になると思うから頼むよ」
「あははっ。先輩として高木くんのお世話焼いてあげますね」
冗談めかして笑い合う。
望月さんは付き合いやすい部類の女子だ。敬語と人懐っこさが上手く融合しているというか、同性とは違った気安さがある。
このまま笑顔で別れようとした時だ。望月さんの「そういえば」という言葉に動こうとした足を止める。
「高木くんはどうしてバイトを始めたんですか?」
なんてことのない質問だ。望月さんもただの興味本位といった風である。
「まあ夏休みだし。経験と金を稼ぐためだよ」
「ふむふむ、意中の女の子のためだと白状しないのが高木くんらしいですね」
ギクリと固まってしまう。この反応がお気に召したのか、望月さんは満足そうに頷いた。
「高木くんは期待を裏切らない反応をしてくれますねー。で? 瞳子さんと宮坂さん、どっちが本命なんですか? ここだけの話にしますので教えてくださいよ」
「ど、どっちがって……」
「隠さなくてもいいじゃないですか。幼馴染二人のうちどちらかが好きなんですよね?」
これも興味本位なのだろう。さあさあ、と答えを迫る彼女からは悪意なんて一かけらも感じられなかった。
高校から仲良くなったメンバーは俺達の関係を知らない。でも、葵と瞳子といっしょに登下校したり、校内で話だってする。望月さんのように仲を疑われても当然だろう。
嘘をつこうとする自分と、嘘をつきたくない自分がいる。それはなんとも中途半端で、俺の口は間抜けにもパカパカと開閉を繰り返すだけだ。
そんな間抜けな俺が面白かったのか、望月さんは噴き出した。腹を抱えて笑われ続けた。
「ふふ……。いじめるのもこのくらいにしておいてあげましょうか」
しばらく笑われっぱなしだったものの、やっと落ち着いてくれたらしい。ただ、言葉はそれだけで終わらなかった。
「男らしくとか女らしくとか、そういうのは好きではありませんけど……、女の子はやっぱり男の子から動いてくれるのを待っているものですよ」
「……それって望月さんの経験談?」
急に望月さんの目が輝いた。あれ、今目を輝かせるようなこと言ったっけ?
「高木くんは僕が経験豊富そうに見えますか!? モテそうな女子に見えますか!?」
詰め寄られた勢いで思わず首を縦に振ってしまった。望月さんはむふーと心なし嬉しそうに息を吐く。
「さすがは高木くん。見る目がありますね」
「まあ、望月さんをかわいいって言ってる奴がいるからさ」
主に下柳のことである。あいつにとって彼女は特別枠みたいなことも言ってたしな。
そこまで言う前に「僕ってやっぱりモテモテなんですねー」とか呟きがバッチリ聞こえる。細かいところは見なかったことにするのも優しさだろう。
おかげでこれ以上の追及もなく、そろそろお開きになりそうだ。いくら家が近いとはいえ、女の子が長い間夜道にいるものじゃない。
「それじゃあ望月さん、俺もそろそろ帰るよ。すぐそこなんだろうけど気をつけて帰ってね」
「あ、遅い時間なのに引き留めてしまってごめんなさい。高木くんこそ気をつけて帰ってくださいね」
手を振ってさようなら。と、なるはずだったのに、望月さんの背後から闇に紛れるように男が現れた。
不審者。頭がそう判断した瞬間、俺は動き出していた。
「望月さん!!」
俺は自転車から飛び降りた。血相を変えた俺を見て、望月さんは慌てて振り返る。男と目が合ったであろう彼女は固まった。
男の手が望月さんに伸ばされる。思いっきり地面を蹴るが間に合わないっ。
「梨菜、お帰り」
「良兄? なんでここに」
男は望月さんのお兄さんだった。伸ばされた手は望月さんの頭にぽん、と優しく置かれる。駆け出していた俺は勢いを殺せず盛大にずっこけた。
声もかけずいきなり現れるもんだから不審者かと思ったじゃないかよ! あと夜に黒一色の服装はやめていただきたい! 本当にびっくりするからっ!
「梨菜の帰りがいつもより遅いから迎えにきたんだ。で、誰だよそいつ?」
望月さんの兄というのもあって端正な顔だちをしている。無遠慮に俺を指差さなければ、ただの妹想いのアニキなんだけどな。
「彼はクラスメートの高木くんですよ」
「高木……だと?」
望月兄がわなわなと震える。え、俺なんかやっちゃいました? いやほんとに心当たりないんだけど。
「貴様が梨菜をたぶらかした男なのか!!」
「マジでなんの話ですかーー!?」
突然現れたかと思えば敵視されているようです。あなたと俺は初対面のはずなのですが……。
「良兄! 高木くんは僕をここまで送ってくれたんですよ。それなのに失礼です! 高木くんに謝ってください!」
「む……」
妹に怒られた兄は止まった。止まってくれてほっとする。
良兄ってことは長男の良一さんだろうか。たまに望月さんから四人の兄の愚痴を聞いていたのを思い出す。
「ま、まあいいよ。お兄さんだって望月さんのことが心配だっただけなんだろうしさ」
「貴様にお兄さんと気安く呼ばれる筋合いなどないわ!!」
め、面倒くせぇ……。彼女が愚痴ってたのもちょっとわかってしまうよ。
でも、それだけ望月さんを大切に想っているということなのだろう。誰にどう思われたって構わない。彼には譲れないものがあるのだという気迫がこもっていた。
「良兄! ごめんなさい高木くん。後でしっかりと言い聞かせておきますので」
「気にしていないからいいって。お兄……良一さんがいるなら安心だよね。じゃあまたバイトで」
自転車を起こして「バイバイ」とあいさつする。これ以上騒ぐのもご近所迷惑だ。さっさと退散させてもらおう。
「あいつ……素人の体さばきじゃなかったな。もし俺が梨菜を襲う不審者だったらどうなっていたか……うむ」
「何ぶつぶつ言ってやがるんですか。良兄はちゃんと反省してください。これで僕が友達から変な目を向けられるようになったら良兄のせいですからねっ」
自転車を漕ぐ。背後のやり取りは風で耳に届かなかった。
「疲れた……」
バイトよりも疲れてしまったのはここだけの愚痴にしておきたい。次から望月さんを送る時はもう少し手前までにさせてもらおうと思った。
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