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第二部

128.伝える難しさ

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「ふっふっふー」

 不敵に笑うクリス。……不敵?
 突然の登場というか、彼女の奇妙な態度にあっけにとられていると、クリスはゆっくりとした足取りでこっちに近づいてくる。
 ゆっくり、ゆっくりと。もったいぶるかのように一歩一歩踏みしめている。
 ただならぬ雰囲気を感じてか、野沢くんの表情が固まっている。佐藤はごくりと喉を鳴らした。

「クリス」
「何かしら?」

 クリスは腰に手を当て顎を持ち上げる。雰囲気も相まってか様になっていた。

「野沢くんは悪い人じゃないよ」
「えっ!?」

 野沢くんを指し示しながら言うと、クリスは目を見開いて驚いた。
 クリスなりに野沢くんを威嚇していたらしい。この子はたまに突拍子のないことをする。

「わたし、てっきりトシナリが生徒会に入るように強要されているのかと思って……」
「あー、うん。心配してくれたんだね。ありがとうクリス」

 悪気はなかったのだろう。しゅんと落ち込むところを見せられては責めるわけにもいかない。

「それに、生徒会長は腹黒眼鏡だから……、悪いことしてそうかなって」
「おい! 誰が腹黒眼鏡だ!」
「きゃっ! 怒ったわ」

 そりゃ怒るでしょうよ。
 一体クリスの情報源はなんなんだか。ろくなもんじゃないってのはわかるけども。

「だって、あなたいつもトシナリに熱い視線を送っているんだもの。あれだけ見つめるってことは、あなたトシナリを狙っているんでしょう?」
「それ以上気持ち悪いことを言うのはやめろ! 佐藤も笑うなっ!」

 言葉に熱を込めるクリス。佐藤は声を押し殺したまま腹を抱えて笑っていた。プルプル震えていやがる。他人事だと思いやがって。

「ひ……ひー、ぷっ……あ、あかんて……」

 戻ってこい佐藤っ。お前がいないとカオスになっていくこの状況をどう浄化するっていうんだ。

「大丈夫よトシナリ。どんな危険があってもわたしが守ってあげるから!」
「うんクリス、その辺にしとこうか。本当に何から影響を受けたんだ?」

 そのノリノリのテンションが気になる。彼女が影響を受けたものが推察できない。
 でもまあ、クリスが善意を持って行動しているというのはわかった。方向性はわけわかんないけど。
 とりあえず、このカオスな状況をどうにかしようか。


  ※ ※ ※


 それぞれ自販機で飲み物を買って、ブレイクタイムでほっと一息入れることになった。
 落ち着いたところで、さっき話していたことをクリスに説明する。

「なーんだ。生徒会って学校行事に関わることしかしないのね」
 学校行事以外に関わることってあるのかな。クリスの中で生徒会という組織はどんなイメージになっているのだろう。

「で、それってわたしにもできるの?」

 興味があるってのは本気だったらしい。クリスはキラキラした瞳で野沢くんを見つめる。

「本気でやりたいなら立候補でもすればいい。俺は推薦しないがな」

 野沢くんの態度は冷たかった。この態度って俺限定ってわけでもないのか。クリスがぶー垂れても眉一つ動かさない。

「そういえば、クリスはどうしてここの図書館に来ているんだ?」

 空気を変えるために話題を変える。
 俺達の家からは近い場所の図書館だけど、クリスが住んでいるところからだと距離がある。わざわざこの図書館を利用する理由があるのだろうか。

「あっ! そうだったわ。わたしミホといっしょに来ていたのよ」
「美穂ちゃんも来てるのか?」

 この図書館へは美穂ちゃんに案内されたとのことだった。美穂ちゃんにクリスときたら、望月さんもいるのかと思いきや、今回彼女は不参加らしい。A組三人娘が揃い踏み、というわけではないようだ。

「リナとは後で会うの。用事があるからって言っていたわ。それまでミホと宿題をしていたの」

 やっぱりA組三人娘は仲が良いようです。そうやって楽しそうにしているのを見るとほっこりするよ。

「トシナリ達も同じ席に来る?」

 クリスの誘いに、俺は首を横に振った。

「俺はいいよ。この後用事もあるし」

 バイトに必要な物を揃えなきゃいけないし。別に大したもんでもないんだけどな。
 それに、美穂ちゃんもいきなり俺が来たらびっくりするだろう。

「なら僕がそっちに行くわ」
「佐藤?」
「高木くんが帰ってまうなら僕一人になるし。ええやろクリスさん」
「もちろんよ。歓迎するわサトー」

 にっこりと笑って応じるクリス。佐藤にはこの後の買い物にも付き合ってもらいたかったんだけどな。先に言ってなかった俺のミスか。

「そこの眼鏡の人もいっしょにどう?」
「遠慮する。それと先輩に向かって失礼な呼び方をするんじゃない」
「あら、眼鏡に失礼だったかしら?」
「……」

 攻めるクリスなんて珍しい。さすがの野沢くんも不機嫌顔になってしまう。それは元からか。
 それからクリスは美穂ちゃんと合流するということで、佐藤もいっしょに行ってしまった。
 もう少しだけ宿題を進めようかとも思ったが、案外はかどっていたので今日考えていたノルマまで終わっていた。佐藤の後を追うのもなんだかなと考えて、予定より早いが図書館を出ることにする。

「「あ」」

 図書館を出てすぐに野沢くんと早めの再会を果たす。

「「……」」

 互いに無言。そういえば野沢くんと二人きりという状況はあまり記憶にない。そもそも他に誰かいても話が弾むことなんてなかったけれども。
 別に彼を無視してきたわけじゃない。敬愛する野沢先輩の弟だ。できるだけにこやかに接してきたつもりである。
 けれど、姉と違って弟は俺に冷たかった。それはまるで父親をうざがる娘のごとく。言葉が少ない以上に、とにかく関わるなオーラがすごいのだ。
 それが思春期になってからだったらわかるのに、小学生の頃からだからなぁ。俺、何かやっちゃいました? と聞いてみたいけど、そんなことを言える空気すら作ってもらえない。
 葵は普通に話せるよ、なんて言うけれど。俺にはその糸口すら見えない。
 佐藤という仲介役を失っている俺では話しかけても迷惑なだけだろう。後輩らしく会釈をしてその場を後にしようとする。

「おい高木」

 背を向けた瞬間に呼び止められる。
 なんだか野沢くんの方から俺を呼ぶのが新鮮だ。それがイコール嬉しいという感情には繋がらないんだけども。

「なんですか?」
「その……だな」

 しかし呼び止めてきたものの、野沢くんは口ごもってしまう。何か言いたそうに唇が動き、でも言葉にはなってくれない。
 そんなに言いにくいことを口にしようとしているのか? 根気強く待っていると、野沢くんは頭を乱暴にかいて、意を決したといった調子で言った。

「木之下に、生徒会役員に興味があるかどうか聞いてくれないか?」
「え? 瞳子にですか」

 野沢くんは「ああ」と頷く。

「それくらいいいですけど」
「興味があるなら夏休み明けにでも生徒会室に来いと伝えろ。……以上だ」

 それだけ言うと、もう用はないとばかりに野沢くんは背を向けた。その「話は終わりだ」と語る背中に声をかけられるわけもなく、俺は彼を見送った。

「なぜ瞳子を生徒会役員に」

 聞きそびれた疑問が口の中で消えた。
 よく考えなくても理由は明らかだ。瞳子はとてもしっかり者で、生徒会のような役職が似合っている。それは俺よりも、だ。
 優秀な彼女なら推薦されてもおかしくない。ただ、俺に伝言を頼むのはなぜだろうか。
 別に野沢くんは人見知りってわけでもないし、小学校の頃から顔見知りなんだから知らない仲ってわけでもないだろう。
 まあ夏休みに入っちゃったから機会を逃したってだけだろう。生徒会長のご命令とあらば火の中水の中。てのは冗談にしても伝言くらいなら負担でもなんでもない。
 野沢くんの姿が見えなくなってから、俺もその場を後にした。


  ※ ※ ※


「あっ、お帰りなさいトシくん」
「……お帰り俊成」
「ただいま。二人とも来てたんだ」

 家に帰ると、葵と瞳子が俺の部屋でくつろいでいた。
 今日は出かけると前もって伝えていたのだが。まあ二人が来てくれるのならいつでも歓迎だ。

「もしかして、ずっと待っていてくれたのか?」
「気にしなくてもいいよ。私達トシくんが出かけるって知ってて来たんだから。それに、瞳子ちゃんとお話ししてたから退屈じゃなかったよ。ね、瞳子ちゃん」
「ええ……そうね」

 明るく返事する葵とは対照的に、瞳子の表情は影を差している。はて、と首をかしげる。

「瞳子? どうかしたか?」
「ううん。なんでもないわ」

 瞳子はさっきまでの暗い表情を引っ込めて笑顔を見せてくれる。本当にどうした?
 感情を押し込めるような笑顔に、瞳子らしくないと思ってしまう。これは追及した方がいいのかなと詰め寄ろうとしたら、唐突に彼女が立ち上がった。

「あたし帰るわね」
「え、俺今帰ったばかりなんだけど」
「用事ができたのよ。……少しだけ、考える時間をちょうだい」

 それだけ言って、俺の言葉を振り切って瞳子は帰ってしまった。
 瞳子に何があったのか。それを知っているかもしれない葵に顔を向ける。

「じゃあ、私も帰るね」
「え、葵も?」
「これからピアノのレッスンがあるの。トシくんの顔が見られたから、がんばる元気をもらったよ」

 口を開く前に先手を取られた。葵はにこにこ顔で、するりと俺の横を通り抜ける。
「またね」なんて言いながら葵も帰ってしまった。取り残された俺はぽかんと立ち尽くす。
 なんだったんだろう? 瞳子も、葵も、いつもと態度が違っていた。
 これから、と計画していたところでの二人の態度の変化をどう見るか。一人ではしゃぐ前に、気にしなければならないことがあるようだ。

「野沢くんからの伝言……、伝え忘れたな」

 それだけぽつりと零し、二人のことに意識を割くのであった。
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