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第二部
115.先輩は後輩のために
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本日もアシスタント業を終えて、俺と森田は品川ちゃんの家を後にした。
大きく体を伸ばせば背中からポキポキと小気味のいい音がした。疲労とともに働いた後の充実感に包まれる。
「いい具合に腹が減ったな。森田、ちょっと飯でも食っていかないか?」
「いいっすよ。どこ行きます?」
職場の同僚のような気持ちで、俺と森田は飯屋を目指して足を運ぶ。もちろん家に帰ったら母が作ってくれた食事もいただくつもりだ。成長期は腹が減って仕方ない。
チラリと品川ちゃんの家に目を向ける。女の子相手には女の子がいいだろう。それは男も変わらない。
この辺で、となると候補は限られる。男だけの間食だしと、お好み焼き屋に入った。
店内に入った瞬間にソースのにおいが空腹の胃袋を刺激した。じゅわっと鉄板で焼く音で唾液が口内に溜まる。
葵や瞳子とはちょっと行きづらいが、男友達とはよく食べに来ている。粉物って美味いよな。
森田は鉄板を挟んで対面の席へと座った。注文を済ませると、大柄な男の眼光が光る。
こいつ、鍋奉行ならぬ鉄板奉行なのだ。森田といっしょだと、お好み焼きは食べる時まで何もさせてはもらえない。楽だから別にいいけど。
「俺が高木さんの分も焼いていいですよね?」
毎回許可を取ってくるのだが、有無を言わせる目ではない。いいから早く作ってくれ。
まあそうやって聞いてくるのは後輩としての遠慮というやつだろう。一度勝手に焼こうとして佐藤と険悪な空気を作りやがったからな。佐藤も粉物にこだわりがあるのだ。
平和的な話し合いの結果、お好み焼きは森田、たこ焼きは佐藤の担当となった。担当ってなんだよ、というツッコミはしてはいけない。平和のためだ。
森田は手際よく焼いてくれる。お好み焼きをヘラで押しつけるように焼くとマジギレされるので注意が必要だ。まあヘラは森田が独占しているわけだが。
「どうぞ高木さん」
「ありがとうよ。美味そうに焼けてんな」
出来上がったお好み焼きを皿に移して渡してくれる。ソースとマヨネーズが全体に偏りなくかけられており、かつお節がふわふわしている。嗅覚を刺激する香ばしさに腹が鳴った。
「いただきます」
箸を取ってお好み焼きにかぶりつく。キャベツのシャキシャキした歯ごたえとふっくらした生地が最高だ。
森田も大きな口を開けてお好み焼きを頬張る。ヘラを使って食べているのが通っぽい。
「なあ森田」
口をはふはふさせながら言葉を続ける。
「お前さ、品川ちゃんが他の男と付き合うって言ったらどうすんの?」
森田が食べようとしていたお好み焼きがヘラから落ちた。見れば表情が強張っており、ちょっと目を合わせたくないくらいの恐い面をしていた。
「……それは、品川の勝手じゃないっすか」
大きな体というか、森田には似つかわしくない小声だった。動揺を誤魔化すように口いっぱいにお好み焼きを詰め込んでいる。わかりやすい奴め。
傍若無人でなくなったのは彼にとっての成長なのだろう。でも、頑なに塞ぎ込んでしまうのは違うと思った。
森田は頑固な態度を崩さない。それは罪の重さを知っているからこそなのだろう。中学生にしては立派でもあり、子供にしては背負いすぎでもあった。
それに関して俺がどうこうできる話じゃない。許すとか許さないとか、こればっかりは当事者である二人の問題だからだ。
ただ傍から見ていれば、森田と品川ちゃんは互いを好意的に意識し合っているのは丸わかりなのだ。しかも品川ちゃんは待ちの体勢である。どちらかが一歩を踏み出さなければこの関係に終着点は訪れないだろう。
一番怖いのは自然消滅だ。ずっと変わらない関係なんてない。変わらない関係を望んでいたとしても、伝えなければ気持ちに確証なんて持てない。
「……誰なんですか?」
「ん?」
「だから、品川が付き合おうっていう男ですよ」
さほど声は大きいわけでもないのに威圧されているかのようだった。ヘラを持つ腕が膨張している。見た目からでもとんでもない筋肉なのがわかっちゃうな。
「それを聞いてどうすんだ?」
「……別に」
盛り上がっていた筋肉がしぼんでいく。まるで森田の心の機微を表しているかのようだ。
それを眺めながら、なんだかなぁと心の中だけで呟いてみる。もぐもぐからのごっくんするまでの時間を置いて、口を開いた。
「安心しろ。ただのたとえ話だ」
それを耳にした森田は一気に脱力したようだった。表情から気を張っていた分の疲労に襲われているのがわかってしまう。
「なあ森田。このままだとさ、いつかは今みたいに品川ちゃんといっしょってわけにはいかなくなると思うんだけど、それはよくないんだろ?」
森田は唇を真一文字に引き結ぶ。その表情だけで本音を雄弁に物語っていた。
友達という関係性は学生時代ならばとても大きな存在だろう。けれど少し離れてしまうだけでも、それは思うよりも儚い繋がりだと知る。
もし品川ちゃんが本当にプロの漫画家になってしまえば。そうなれば同じ関係が続くかなんて保証はできない。そうでなくても高校受験を控えている二人が、来年も同じ学校にいるかなんてわからない。
だからこそ、人は深い関係というものを望むのかもしれない。親友、もしくは恋人という関係を。
しばらくの沈黙。じゅわじゅわという鉄板の焼ける音と周囲の客の笑い声が場違いに感じられた。
「何が、言いたいんですか?」
森田の目は真剣だった。というか怖かった。下手なことを口にすれば掴みかかってきそうなほどだ。
「告白しろ、だなんて強制するようなことは言わない。でもな、品川ちゃんとしっかり話し合え。相談したっていい間柄だろ」
森田は品川ちゃんへの好意を否定しない。返答は思いやりに満ちていた。
「俺は……もう二度と品川を困らせたくないっ」
「困らせたっていいんだよ。むしろ困らせちまえ」
間髪入れずに放った俺の言いように森田は口を半開きにさせる。よく見たら口の端にソースついてんぞ。
「女の子って生き物はな、繊細なようでけっこうたくましいもんだ。俺達男に気遣われるよりも、困った時はいっしょに悩みたいって考えてんだよ」
森田は目線を下げてしまう。大きな体なのに、ひどく頼りなさげであった。
「……そうやって言えるのって、宮坂先輩や木之下先輩と付き合ってるからっすよね。俺達はそういう関係じゃ――」
「そういう関係じゃなくても腹を割って話しはできるだろ。お前が積み重ねてきた時間はそれくらい許されていいもののはずだ」
許しを得たい。そう望むように振舞っていても、それだけじゃないと森田の行動は告げていた。
できることなら後悔のない選択を。先輩から後輩に望むのはただそれだけだ。だから、余計なお世話はここまでだった。
「ごちそうさま」
お好み焼きを食べ終わり手を合わせる。森田には咀嚼する時間が必要だろう。頑なになった心を自分自身で噛み砕いてほしい。そう思った。
※ ※ ※
お好み焼き屋から出ると、すぐに森田と別れた。そのまま自宅、ではなく瞳子の家へと向かった。
「トシくんどうだった?」
瞳子の部屋に入ると、待ち構えていた葵が詰め寄るように接近してくる。よほど気になっているようだ。
「どうだろうな。あんまり自信はないけど考えるきっかけにはなった、と思う。そっちは?」
尋ね返すと葵ではなく瞳子が答える。
「秋葉も悩んでいたみたい。下手なことをして今の関係が壊れるのが怖かったみたいね」
つまり森田と本質的には同じ悩みを持っていたということか。いつの間にか似た者同士になっていたようだ。
今回俺達は森田と品川ちゃんに対して「余計なお世話」をすることにした。
男同士女同士がいいだろうということで、品川ちゃんへのお節介は葵と瞳子に任せたのだ。男二人でお好み焼きを食っている間、葵と瞳子は品川家へと訪れていろいろと話をしたのだ。男の俺では本音を引き出せないかもしれなかったので二人には助けられた。
「でもね、秋葉ちゃんも今のままがいいってわけじゃないの。やっぱり好き……だからって言ったの」
葵がほんのりと頬を赤らめる。きっと品川ちゃんの想いを聞いて自分の気持ちと重ねたのだろう。
「改めて秋葉と話してみて、昔のあの子と違うって感じたわ。全部に手を貸すことなんてない。あとはあの二人が決着をつけるはずよ」
瞳子の言葉は確信めいていた。品川ちゃんとどんな話をしたかは知らないが、彼女の強くなった心と触れたのだと実感したからなのかもしれない。
「なら、あとのことは若い二人にお任せってところかな」
「何よそれ」
「トシくんが言うと変な感じだよ」
二人はころころと笑う。こんな柔らかい笑いができるのは安心できる何かを感じ取ったからなのだろうな。
そして、それは俺も同じだった。
元いじめっ子と元いじめられっ子。そんな二人の恋を応援するだなんて当時は考えもしなかった。
でも、俺達三人の今があるように、絶対にあり得ないなんてことはないのだろうな。前世があったって想像もできなかったのだ。今だけを生きていてわかるはずもない。
だからがんばれよ。あり得ないだなんて切り捨てずに、しっかり考え、決断してほしい。それが人生の先輩からの願いだった。
大きく体を伸ばせば背中からポキポキと小気味のいい音がした。疲労とともに働いた後の充実感に包まれる。
「いい具合に腹が減ったな。森田、ちょっと飯でも食っていかないか?」
「いいっすよ。どこ行きます?」
職場の同僚のような気持ちで、俺と森田は飯屋を目指して足を運ぶ。もちろん家に帰ったら母が作ってくれた食事もいただくつもりだ。成長期は腹が減って仕方ない。
チラリと品川ちゃんの家に目を向ける。女の子相手には女の子がいいだろう。それは男も変わらない。
この辺で、となると候補は限られる。男だけの間食だしと、お好み焼き屋に入った。
店内に入った瞬間にソースのにおいが空腹の胃袋を刺激した。じゅわっと鉄板で焼く音で唾液が口内に溜まる。
葵や瞳子とはちょっと行きづらいが、男友達とはよく食べに来ている。粉物って美味いよな。
森田は鉄板を挟んで対面の席へと座った。注文を済ませると、大柄な男の眼光が光る。
こいつ、鍋奉行ならぬ鉄板奉行なのだ。森田といっしょだと、お好み焼きは食べる時まで何もさせてはもらえない。楽だから別にいいけど。
「俺が高木さんの分も焼いていいですよね?」
毎回許可を取ってくるのだが、有無を言わせる目ではない。いいから早く作ってくれ。
まあそうやって聞いてくるのは後輩としての遠慮というやつだろう。一度勝手に焼こうとして佐藤と険悪な空気を作りやがったからな。佐藤も粉物にこだわりがあるのだ。
平和的な話し合いの結果、お好み焼きは森田、たこ焼きは佐藤の担当となった。担当ってなんだよ、というツッコミはしてはいけない。平和のためだ。
森田は手際よく焼いてくれる。お好み焼きをヘラで押しつけるように焼くとマジギレされるので注意が必要だ。まあヘラは森田が独占しているわけだが。
「どうぞ高木さん」
「ありがとうよ。美味そうに焼けてんな」
出来上がったお好み焼きを皿に移して渡してくれる。ソースとマヨネーズが全体に偏りなくかけられており、かつお節がふわふわしている。嗅覚を刺激する香ばしさに腹が鳴った。
「いただきます」
箸を取ってお好み焼きにかぶりつく。キャベツのシャキシャキした歯ごたえとふっくらした生地が最高だ。
森田も大きな口を開けてお好み焼きを頬張る。ヘラを使って食べているのが通っぽい。
「なあ森田」
口をはふはふさせながら言葉を続ける。
「お前さ、品川ちゃんが他の男と付き合うって言ったらどうすんの?」
森田が食べようとしていたお好み焼きがヘラから落ちた。見れば表情が強張っており、ちょっと目を合わせたくないくらいの恐い面をしていた。
「……それは、品川の勝手じゃないっすか」
大きな体というか、森田には似つかわしくない小声だった。動揺を誤魔化すように口いっぱいにお好み焼きを詰め込んでいる。わかりやすい奴め。
傍若無人でなくなったのは彼にとっての成長なのだろう。でも、頑なに塞ぎ込んでしまうのは違うと思った。
森田は頑固な態度を崩さない。それは罪の重さを知っているからこそなのだろう。中学生にしては立派でもあり、子供にしては背負いすぎでもあった。
それに関して俺がどうこうできる話じゃない。許すとか許さないとか、こればっかりは当事者である二人の問題だからだ。
ただ傍から見ていれば、森田と品川ちゃんは互いを好意的に意識し合っているのは丸わかりなのだ。しかも品川ちゃんは待ちの体勢である。どちらかが一歩を踏み出さなければこの関係に終着点は訪れないだろう。
一番怖いのは自然消滅だ。ずっと変わらない関係なんてない。変わらない関係を望んでいたとしても、伝えなければ気持ちに確証なんて持てない。
「……誰なんですか?」
「ん?」
「だから、品川が付き合おうっていう男ですよ」
さほど声は大きいわけでもないのに威圧されているかのようだった。ヘラを持つ腕が膨張している。見た目からでもとんでもない筋肉なのがわかっちゃうな。
「それを聞いてどうすんだ?」
「……別に」
盛り上がっていた筋肉がしぼんでいく。まるで森田の心の機微を表しているかのようだ。
それを眺めながら、なんだかなぁと心の中だけで呟いてみる。もぐもぐからのごっくんするまでの時間を置いて、口を開いた。
「安心しろ。ただのたとえ話だ」
それを耳にした森田は一気に脱力したようだった。表情から気を張っていた分の疲労に襲われているのがわかってしまう。
「なあ森田。このままだとさ、いつかは今みたいに品川ちゃんといっしょってわけにはいかなくなると思うんだけど、それはよくないんだろ?」
森田は唇を真一文字に引き結ぶ。その表情だけで本音を雄弁に物語っていた。
友達という関係性は学生時代ならばとても大きな存在だろう。けれど少し離れてしまうだけでも、それは思うよりも儚い繋がりだと知る。
もし品川ちゃんが本当にプロの漫画家になってしまえば。そうなれば同じ関係が続くかなんて保証はできない。そうでなくても高校受験を控えている二人が、来年も同じ学校にいるかなんてわからない。
だからこそ、人は深い関係というものを望むのかもしれない。親友、もしくは恋人という関係を。
しばらくの沈黙。じゅわじゅわという鉄板の焼ける音と周囲の客の笑い声が場違いに感じられた。
「何が、言いたいんですか?」
森田の目は真剣だった。というか怖かった。下手なことを口にすれば掴みかかってきそうなほどだ。
「告白しろ、だなんて強制するようなことは言わない。でもな、品川ちゃんとしっかり話し合え。相談したっていい間柄だろ」
森田は品川ちゃんへの好意を否定しない。返答は思いやりに満ちていた。
「俺は……もう二度と品川を困らせたくないっ」
「困らせたっていいんだよ。むしろ困らせちまえ」
間髪入れずに放った俺の言いように森田は口を半開きにさせる。よく見たら口の端にソースついてんぞ。
「女の子って生き物はな、繊細なようでけっこうたくましいもんだ。俺達男に気遣われるよりも、困った時はいっしょに悩みたいって考えてんだよ」
森田は目線を下げてしまう。大きな体なのに、ひどく頼りなさげであった。
「……そうやって言えるのって、宮坂先輩や木之下先輩と付き合ってるからっすよね。俺達はそういう関係じゃ――」
「そういう関係じゃなくても腹を割って話しはできるだろ。お前が積み重ねてきた時間はそれくらい許されていいもののはずだ」
許しを得たい。そう望むように振舞っていても、それだけじゃないと森田の行動は告げていた。
できることなら後悔のない選択を。先輩から後輩に望むのはただそれだけだ。だから、余計なお世話はここまでだった。
「ごちそうさま」
お好み焼きを食べ終わり手を合わせる。森田には咀嚼する時間が必要だろう。頑なになった心を自分自身で噛み砕いてほしい。そう思った。
※ ※ ※
お好み焼き屋から出ると、すぐに森田と別れた。そのまま自宅、ではなく瞳子の家へと向かった。
「トシくんどうだった?」
瞳子の部屋に入ると、待ち構えていた葵が詰め寄るように接近してくる。よほど気になっているようだ。
「どうだろうな。あんまり自信はないけど考えるきっかけにはなった、と思う。そっちは?」
尋ね返すと葵ではなく瞳子が答える。
「秋葉も悩んでいたみたい。下手なことをして今の関係が壊れるのが怖かったみたいね」
つまり森田と本質的には同じ悩みを持っていたということか。いつの間にか似た者同士になっていたようだ。
今回俺達は森田と品川ちゃんに対して「余計なお世話」をすることにした。
男同士女同士がいいだろうということで、品川ちゃんへのお節介は葵と瞳子に任せたのだ。男二人でお好み焼きを食っている間、葵と瞳子は品川家へと訪れていろいろと話をしたのだ。男の俺では本音を引き出せないかもしれなかったので二人には助けられた。
「でもね、秋葉ちゃんも今のままがいいってわけじゃないの。やっぱり好き……だからって言ったの」
葵がほんのりと頬を赤らめる。きっと品川ちゃんの想いを聞いて自分の気持ちと重ねたのだろう。
「改めて秋葉と話してみて、昔のあの子と違うって感じたわ。全部に手を貸すことなんてない。あとはあの二人が決着をつけるはずよ」
瞳子の言葉は確信めいていた。品川ちゃんとどんな話をしたかは知らないが、彼女の強くなった心と触れたのだと実感したからなのかもしれない。
「なら、あとのことは若い二人にお任せってところかな」
「何よそれ」
「トシくんが言うと変な感じだよ」
二人はころころと笑う。こんな柔らかい笑いができるのは安心できる何かを感じ取ったからなのだろうな。
そして、それは俺も同じだった。
元いじめっ子と元いじめられっ子。そんな二人の恋を応援するだなんて当時は考えもしなかった。
でも、俺達三人の今があるように、絶対にあり得ないなんてことはないのだろうな。前世があったって想像もできなかったのだ。今だけを生きていてわかるはずもない。
だからがんばれよ。あり得ないだなんて切り捨てずに、しっかり考え、決断してほしい。それが人生の先輩からの願いだった。
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