元おっさんの幼馴染育成計画

みずがめ

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第二部

113.突きつけられたこと

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『先輩! 高木先輩! 助けてください!!』

 家の電話に出ると、開口一番に切羽詰まった声が俺の鼓膜を震わせた。
 電話口の声色から状況のまずさを想像させる。

「い、一体何があったんだ!?」

 だが返事はなかった。ツーツーと、空しく通話が切れた音がするだけだ。不吉すぎる。
 わかることは、とにかく時間がないということだけだった。俺は慌てて家から飛び出して彼女の家へと駆け出した。
 何があったのかはわからない。ただ無事でいてくれと願った。


  ※ ※ ※


「いやー、さすがは高木先輩。頼りになります!」
「……そうっすか」

 現在、俺は年頃の少女の部屋でペンを動かしていた。
 俺は黒縁眼鏡の少女にじと目をぶつける。彼女に気にした様子はない。いや、少しは気にしろよ。

 俺を呼び出したのは一つ年下の女の子、品川秋葉であった。
 切羽詰まった声で俺を呼び出した彼女だったが、用件はなんてことはない。漫画のアシスタント要請だった。
 手伝ってほしいのなら普通に呼べよ。そう言うと、品川ちゃんからは「ああした方が先輩が急いできてくれると思いまして」と悪びれもせずにのたまった。玄関前で元気な品川ちゃんを目にして安堵してしまった健気な俺を返してほしい。

 品川ちゃん……。小学生の頃は大人しくてかわいげがあったのにな。今はぺろっと舌を出すだけで謝る気ゼロだよ。
 どうしてこうなってしまったのか。俺は恨みがましく、この場にいるもう一人の人物に目を向けた。

「おい森田。この先輩使いの荒い後輩をしっかり管理しとけよな」
「ああ。すんません」

 もう一人の後輩の男子、森田耕介は俺と目を合わせることもなく、アシスタント業に勤しんでいた。おい、こっち見ろよ後輩!

 品川ちゃんの自室で漫画の手伝いをする。頼まれれば俺達はベタ塗りだろうがトーン貼りだろうがやっていた。アシスタントレベルが上がったと言っても、俺の画力が上がったわけではない。悲しいなぁ。

「でもせっかくだったら宮坂先輩や木之下先輩をつれてきてくれればよかったのにー。高木先輩よりも戦力になりますし」
「人を慌てさせておいてその言い草はないだろうが。ちょっとは反省しろ。そんなことしてたらいざ助けを求めても誰もきてくれなくなるぞ」
「その時は俺が行くんで大丈夫っす」
「森田は品川ちゃんを甘やかし過ぎだ」

 まったく。このデコボココンビは俺に疲労感を与えてくるな。手を止めて二人の後輩を眺める。

 品川ちゃんは黒縁眼鏡をかけて、髪型はおさげにしている。小柄な体躯から、外見は小さい頃からあまり変わらないように見える。ザ・文学少女って感じだ。
 だが、中身はけっこういい性格になっていた。漫画を描くのが好きなことには変わりないが、使えるものは使うといった精神で先輩相手でも遠慮がない。おかげでいつ漫画のアシスタントをしても戦力になれそうだよコンチクショウ。

 そんな彼女を支えているのが森田だった。
 森田は大柄な体で品川ちゃんを守り続けている。その身長は一九〇センチを超えているのだとか。中学から始めたバスケでもその高身長は生かされているようだ。
 そのバスケを始めたきっかけも、品川ちゃんが描いたバスケ漫画を読んだからだというのだからもう何も言えない。

「そもそもなんで急いでるんだ?」
「そりゃまあ……新人賞に応募しようと思いましてですね……」

 品川ちゃんはさっきまでの態度を一変させて、恥ずかしそうに自分のおさげを撫でつけながら言った。

「新人賞って漫画の? え、品川ちゃんプロになるのか!?」

 俺は驚きから思わず立ち上がってしまう。彼女はわたわたと両手を振った。

「いやいやいや! そんなに上手くいくだなんて考えてないっすよ! ただ……、せっかくだし挑戦してみたいなーって」

 俺は恥らいながらも向上心を表す品川ちゃんから目を離せなかった。
 まっすぐ夢に向かっているその姿が眩しくて、年下だからと将来のことなんてまだ考えていないと思い込んでいた。
 そんな彼女を見ていると、未だに将来やりたいことを決めきれていない自分が情けなくなった。
 人生やり直しているのにこの体たらく。葵や瞳子のことばかりで自分のことをおろそかにしていたかもしれない。いや、まるで彼女達のせいにするかのような言い方はいけないな。

「ちょっ、高木先輩見つめ過ぎっすよ! やだなー恥ずかしいっ」

 品川ちゃんはぱたぱたと手で自分の顔を仰ぐ。女子の顔を見つめるもんじゃないなと謝った。

「そんなことより今は手を動かしてくださいよ。ほら、森田くんは文句も言わずにやってくれてますよ」
「もう少しくらい森田をねぎらってやれよ」

 とか言いつつも俺は作業に戻った。後輩想いのいい先輩だよ、本当にさ。


  ※ ※ ※


 品川ちゃんの漫画の手伝いが終わる頃には日が暮れていた。と言っても、まだ彼女の作品は完成していないのだが。
 帰り道は途中まで森田と同じだった。ガタイのいい奴といると夜道でも安心できるな。空手経験者でもあるからボディガードとして申し分ない。

「森田は明日も手伝うのか?」
「もちろんです」

 森田は当然といった風に頷いた。こいつも受験や部活なんかがあるはずなのに、大丈夫なのだろうかと心配するのは野暮だろうか。

 案外森田は尽くすタイプだったようだ。品川ちゃんのためにと漫画の描き方を勉強したらしい。大きな体を丸くして作業する姿は、アンバランスでありながらも様になっていた。
 夢へと向かう彼女。それを支える彼氏。なかなか良い組み合わせだと思う。

 それに比べて俺は……。最高の彼女が二人もいるのに、今になって将来を突きつけられた気分だった。
 将来を考えてなかったわけじゃない。でも、まだ進路のことは大丈夫なのだと、根拠のない安心感に身を任せてしまっていた。
 俺のできることは前世に比べれば確実に多くなった。選択肢は広がっているはずなのだ。
 このまま順調にいけばそれなりの大学にいけるだろう。それからそれなりの会社に就職する。きっと前世よりもグレードアップしているはずだ。

「……」

 なのになぜだろう? それでいいのかと、心の奥底から問いかけられているようだ。
 いつから満足していたのか。今の自分に、俺はいつしか満足してしまっていたのだ。
 この程度なら、たぶん葵と瞳子の方がもっと成功者と呼ばれる存在になるはずだ。それだけ彼女達の素の能力は高い。
 それを支える存在になる? なんだかそれは違うと思った。

「高木さん? ぼーっとしてどうしたんすか?」
「あ、いや、なんでもない」

 知らず足を止めていた。森田が怪訝そうな表情をしている。

 品川ちゃんには漫画を描くという武器がある。他を挙げれば、本郷ならサッカーがある。佐藤の将棋の実力だってすごいと聞くし、美穂ちゃんの学力は同学年でトップクラスだ。
 俺だってこれまで努力してきたつもりだ。実際に前世よりも優秀な自分になれている。

 でも、何かが飛び抜けているわけじゃない。
 いっしょになりたい人がいて、その存在が現状を問い詰めるかのように突いてくる気がする。このどこからか湧いてくる焦りに似た何かが、責任って奴なのかもしれなかった。

「高木さん? さっきから止まってばっかりでどうしたんすか?」
「悪い悪い。ちょっと考え事してた」

 再び森田の声で現実に引き戻される。歩きながら考え事なんてするもんじゃないな。危ないしね。

「それにしても森田はすごいな」
「何がっすか?」
「好きな女の子にあれだけ尽くせるのがすごいって話だよ」

 俺の言葉を耳にした森田はしばしぽかんと口を半開きにした。油断した顔だな。

「いいいいいいいいやいやいや! なな何言ってんすか!?」

 こっちが驚くほどの動揺っぷりを見せられた。夜道の電灯からでも、顔を赤くして汗をかきまくっているのがわかるほどの動揺っぷりだ。

「何慌ててんだよ。それでも品川ちゃんの彼氏か?」
「は、はあっ!? 俺はあいつの彼氏なんかじゃ……ない、です」
「はあ?」

 言葉を尻すぼみにさせる森田。冗談か何かだと考えたが、うなだれるでかい体を見るとそうではないのだと理解してしまう。

「マジ? 俺はてっきりお前と品川ちゃんはとっくに付き合ってるものだと」
「自分に彼女がいるからって簡単に言わないでくださいよ」

 いやいや、そうは言ってもだな。傍から見れば相思相愛にしか見えなかったんだが。むしろ当たり前すぎて夫婦のような安定感すらあったんだが。
 でも、付き合ってないと言ってもだ。これまで先輩として二人の関係を見てきたけど、明らかにお互い気があるようにしか見えなかった。

「でもさ、品川ちゃんだって気がなかったら漫画の手伝いとはいえ、同級生の男子を自分の部屋に入れたりしないだろ」
「……それ、高木さんにも気があるってことになりますよね?」
「あ」

 って「あ」じゃないだろ俺! ほら、森田が落ち込んじゃうっ。
 こうした態度から、森田は確実に品川ちゃんに対して好意を持っている。なのにまだくっついてないってことは……。

「……品川ちゃんに告白しないのか?」
「……」

 なぜか森田は黙りこくってしまう。しばらく待つと、ようやく口を開いた。

「……俺が、品川に告白できるわけないじゃないですか」

 そう、力なく言った。

「なんでだよ? 別に緊張し過ぎて告白できません、ってタイプでもないだろ?」

 俺の疑問に森田は首を振った。言いづらそうにしながらも理由を口にする。

「俺は……、品川を傷つけたクソ野郎だから……。そんな奴が、自分勝手に告白なんてできねえ……っ」

 俺は森田の言葉に、心の奥底から吐き出される後悔に、何を言っていいかわからなかった。
 森田が言っているのは小学生の頃の話だ。過去に品川ちゃんをいじめてしまった。その後ろめたさが、未だに彼を苦しめている。

「……」

 俺は勘違いしていた。
 昔、森田は品川ちゃんをいじめていた。それは変えようのない事実だ。
 しかし、それはもう終わったことだと思っていた。二人が仲良さげにいっしょにいるのを知っている。だからこそ、森田と品川ちゃんの間にわだかまりなんてないと思っていた。
 それは俺の勝手な思い込みだったのだ。森田の苦しそうな表情を見ていると、それを否応なく突きつけられている気分だった。
 関わったとはいえ、俺は当事者ではない。そんな俺が、今もなお苦しんでいる森田にどんな言葉をかけられるというのか。

 湿気の含んだ風が吹く。なぜだか重たく感じてしまう。
 罪の意識にさいなまれている森田。今更気づいた俺には、かけられる言葉なんて用意しているはずもなかった。
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