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第二部

104.中学時代を振り返る(宮坂葵の場合)

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 私は幼い頃から好きな人とキスをすることに憧れがあった。
 この場合の好きな人というのはもちろんトシくんのことで、彼以外には想像したこともない。だからトシくんとキスをするのは待ち望んでいた憧れの行為なのだ。
 ずっと頭の中で思い描いていた初めてのキスをした。それからも何度も彼とキスをしてきた。それはとても甘くときめく瞬間で、幸せという漠然とした最高の気持ちを与えてくれた。
 そんな大好きなトシくんとのキスが一日一回という回数制限がついてからもうだいぶ経つ。いつになればその制限が解除されるのか。私と瞳子ちゃんは頭を悩ませる日々が続いていた。
 トシくんのはっきりとした気持ちはまだわからない。でも、キスが一日一回になってしまった日のことはよく覚えている。


  ※ ※ ※


 トシくんと恋人になった始めの頃はドキドキばっかりだった。それでも一年も経てば緊張ばかりのドキドキは、安心感ばかりのドキドキに変わっていた。
 中学生になってから、私は男子から告白されることが多くなった。幼い頃の私なら男子と二人きりになるのが怖くてたまらなかったかもしれない。だけど今は胸を張ってトシくんが私の彼氏だって言える。そう思うと気持ちに余裕が生まれて、呼び出されることに怯えなんてなかった。

「ごめんなさい。私には彼氏がいるの」

 断る申し訳なさと同時に、トシくんを「彼氏」と言葉として表せる嬉しさがあった。いつもそうやって断っていると、中学一年生の冬になる頃には告白されることはぱったりとなくなった。
 告白をされなくなった代わりに悪口を耳にするようになった。トシくんは「気にするな」と言ってくれるけれど、彼のことを悪く言われた時はひっぱたいてやろうかと思った。
 私とトシくんと瞳子ちゃんの関係。いろんな憶測を立てられたりしていたのを知っている。普通は三角関係ってあまり良いような関係に捉えられないもんね。わからなくもないけれど、良い気持ちにはなれなかった。
 だけど私達はこれで良かった。これが幸せだった。周りの声なんてどうでもいいと思えるほどに心が満たされていた。

 ――そう感じていた私は、何も考えていなかったのかな?

 中学一年生という期間が終わり、春休みを迎えた。この時期は部活があまりないというのもあって私と瞳子ちゃんは交互にトシくんとデートを重ねていた。
 とはいえ外出ばかりしているわけでもない。お互いの部屋でのんびりと過ごすのも立派なデートなのだ。好きな人と同じ空間にいられるのならどこでも構わない。
 今回はトシくんの部屋だった。両親が出かけていると聞いて、私は舞い上がっていたのかもしれなかった。

「トシくん、キスして……」
「うん、いいよ……」

 私は彼に甘くおねだりをする。応じてくれる彼が愛しくて、心があたたかく熱くなる。
 私からキスをせがむこともあれば、トシくんが求めてくれる時もある。唇を合わせる瞬間がとても幸福で、もっともっと繋がっていたくなる。
 さっきまでのんびりとした空気だったのに、キスをするだけでとろけるような空気へと変化する。やっぱりキスって特別。大好き。

「ん……」

 唇を重ねて押しつけ合う。そうしているとトシくんと身も心も一体になれた気がして嬉しい。

 ……でも、さらに踏み込みたくもなる。

「ん、はん……ちゅ……」

 ディープキス。今までのキスよりも深いキスがあるんだって、私は知ってしまった。
 唇だけじゃなくて、舌を絡ませるキス。恥ずかしいけれど、したいって欲望が私の中で訴えかけてくる。興味だけじゃなく、真剣に欲してしまっていた。
 口を開いて舌を突き出す。トシくんの唇を割って口内へと侵入させた。
 目を閉じたままでもトシくんがびっくりしたのがわかる。でも止まらない。もう止まれない。
 舌と舌が触れ合う。経験したことがないとても不思議な感触がした。頭をしびれさせる感覚に支配されていく。
 トシくん……。ああ、トシくんと深く繋がれている……。
 今までのキスでは耳にすることのなかった水音が体を震わせる。私ばかりが動いていたはずなのに、いつの間にかトシくんに攻められていた。
 すごい……。頭がクラクラして体がフワフワする。

「はぁ……はぁ……」

 時間の感覚があいまいになってしまうほどのキスがようやく終わる。顔を離して彼と見つめ合う。お互いの呼吸がやたらと熱かった。

「きゃっ!?」

 最初は何が起こったのかわからなかった。
 トシくんの怖いくらいに真剣な顔を見て、酸欠になっていた頭が働き出すと、やっと状況を理解した。
 私……、トシくんに押し倒されている?

「葵……」

 トシくんの声色がいつもと違う。これまでにない緊張が体の隅々を硬くさせた。
 彼の手が私の体に触れる。体が勝手に反応してビクンと跳ねた。
 これ、これって……!? そ、そういうことなんだよね?
 いつまでも子供のままじゃない。私だって、恋人同士がどんなことをしているかくらい知識として知っているのだ。
 だから、これからトシくんが何をしようとしているのか。私がどんなことをされるのか。容易に想像してしまえる自分がいた。
 期待していなかったわけじゃない。むしろ望んでいた。初めてはトシくんって決めていたから。
 ただ、いざその行為を前にすると、思ってもみなかった恐怖心がちょっとだけ湧いてきてしまった。
 目をぎゅっと閉じる。心の中で暴れ出してしまいそうな感情を押さえつけるように強く、強く閉じた。

「……」


 …………あれ?

 覚悟していたものがいつまで経っても訪れない。それどころか私にかかっていた重みが離れていく。

「トシくん?」

 さすがに目を開いてしまう。さっきまでそこにあったトシくんの真剣な顔はなくて、私に背を向けて座っている彼を見つけた。

「ごめん葵……。俺、早まろうとしてた……」
「え?」

 トシくんが何を言っているのかわからない。
 上体を起こしてはみたけれど、首をかしげる以外のことができなかった。だって何がどうなったのかわからないんだもん。

「キスしてたらいきなり気持ちが昂っちゃって……、葵を傷つけたくないって思っているのに……」

 トシくん落ち込んでる? もしかして私を怖がらせたって勘違いしているの?

「違うのトシくん! 私は別に嫌なんて思ってないよ!」

 それは違うんだって伝えたくて、声が大きくなる。でも、トシくんは振り向いてはくれなかった。

「そうじゃないんだ……。まだ責任も取れないのに欲望に負けそうになってた。ただでさえ中途半端なのにしちゃいけないことだった」

 待って! それは違うよトシくん。
 なんでこんなにも嫌な流れになっているんだろうか。私は混乱していた。
 何か言わなくちゃいけないって思うのに、何を言えばいいのかわからなくて声が出ない。わかっているのはトシくんの悪い部分が顔を出してしまったということだけだった。

「……今の葵に、これ以上のことはできない」

 その言葉に、私は思考できなくなるほどの衝撃を受けてしまった。
 そして、トシくんからキスの回数制限をすると告げられてしまったのだった。


  ※ ※ ※


「葵ってば大胆ね……」

 私は瞳子ちゃんにトシくんに拒絶されてしまった日のことを話した。瞳子ちゃんにとってはキスの回数を制限されてしまっただなんてとばっちりもいいところだろう。

「ひぐっ……ご、ごめんね瞳子ちゃん……」
「あー泣かないの。よしよし大丈夫だから、ね?」
「どうごぢゃーん……」

 涙が一気に溢れてくる。瞳子ちゃんの胸で私はわんわん泣いた。
 私が泣き止むまで彼女は頭を撫でてくれた。落ち着きを取り戻してから話をする。

「……瞳子ちゃん」
「何よ?」
「私、瞳子ちゃんとトシくんが大人の関係になっても怒らないからね」
「ふぇっ!? なななな、何を言うのよ!?」

 瞳子ちゃんったら顔が真っ赤。かわいい。
 恥ずかしがり屋なところのある瞳子ちゃんだけれど、考えていなかったわけじゃないだろう。その証拠に真っすぐ私と目を合わせてきた。まだ顔が赤いままだけれどね。

「……あたしも、葵と俊成がその……そういう関係になったとしても怒らないわ。というか……お互い俊成が初めてじゃないと嫌だものね」

 そう言って瞳子ちゃんははにかんだ。顔が赤いままでかわいい。
 私と瞳子ちゃんは二人ともがトシくんの恋人だ。なんのために二人で恋人になったのか。それは断じて私と瞳子ちゃんを平等に大事にしてほしかったわけじゃない。
 トシくんには好きという気持ちに正直になってほしかったから。それは欲望でも正直でいてほしいという意味でもある。
 トシくんは私達を大事にしてくれる。思いやってくれる。それが嬉しいってのは否定しない。
 だけど、それはこっちも同じ。私も瞳子ちゃんもトシくんのことを大事に想っている。
 ただ思いやってもらえるだけの存在にはなりたくなかった。重荷になるだけの女にはなりたくない。
 トシくんには正直に気持ちをぶつけてほしい。それが男としての欲望だったとしても、私達には受け止める覚悟はあるんだから。

 ……だからこそ、私を大事にするための拒絶がつらかった。

「トシくんのバカ……バカァ……」
「まだ涙が出るのね。うん……気持ちはわからなくもないわ」

 瞳子ちゃんが抱きしめてくれる。こんなこと、彼女にしか相談できない。
 私を抱きしめたまま瞳子ちゃんは少し言葉を選ぶようにして口を開いた。

「ねえ葵。俊成は今の葵とはできない、って言ったのよね?」
「うん……」

 そうしてキスの回数を一日一回にされてしまった。たくさんキスをしたらまた押し倒してしまうって思ったのだろう。

「葵、あたし達ってまだ身長も伸びているし、成長期真っ最中よね?」
「え、うん」

 小学生の頃は同じくらいだった身長のトシくんはぐんぐんと背を伸ばしていて差が広がっているけれど、私と瞳子ちゃんも確かに体つきが変わってきている。身長だけじゃなくて胸やお尻も大きくなっているし。

「もしかしてだけど、俊成はあたし達がちゃんと大人の体になるまで待っているんじゃないかしら? ほら、そ、そういうことをするのって体を傷つける可能性もあるって先生も言っていたじゃない。きっと俊成はあたし達の体を傷つけることを心配しているのよ」
「な、なるほど」

 さすがは瞳子ちゃんだ。くよくよしていた私と違って答えを出してくれる。

「じゃ、じゃあ……ちゃんと体が成長したらトシくんは私を抱いてくれるってことだね。気持ちの問題なんかじゃなくて、まだ体が成長しきっていないから早いってだけなんだよね」
「う、うん……たぶんね」
「そっか……うん、そっかぁ~」

 なんだか一気に心が軽くなった。トシくんが私を拒絶したとか心の壁を作ったとかじゃなかったんだ。時期が早かった。そういうことなら時期さえくればトシくんに……。

「じゃあそれまでにしっかり覚悟を決めとかなきゃだね。ね、瞳子ちゃん」
「葵ってなんだかすごいわね……」

 まったく、瞳子ちゃんも他人事じゃないんだよ。

「……でも、もし大人の体になってもトシくんが手を出してこようとしなかったらどうしようか?」

 消しきれない不安を漏らしてしまう。腕を組んで考えた瞳子ちゃんが小さく呟いた。

「……二人でいっしょに俊成に迫ってみる、とか?」
「それいいね! さすがは瞳子ちゃん!」

 ナイスアイデアに思わず手を叩く。瞳子ちゃんといっしょなら心強い。
 もちろん二人きりがいいという気持ちはある。でも初めては勇気がなかなか出ないかもしれない。まずは初めてを経験することが第一だ。相手がトシくんなら悪い思い出にはならないだろうしね。

「え、いや今のは違――」
「ディープキスしてその気にさせたんだったら、二人同時なら確実だね。う~、早く大きくなりたいよ」

 トシくんともっと深く、深くいっしょになりたい。私の全部を愛してほしいから。彼には私の全部を知ってほしい。
 待っている間に気持ちは強さを増していく。想いは募り続ける。
 瞳子ちゃんに相談したおかげでキスを一日一回にするという提案を受け入れられた。この制限が解かれた時、私たちの関係はまた一段階上がっていくのだ。それは確実な前進のはずだから。
 でも、早くキスの回数制限がなくなるようにアピールはしてもいいよね? 私も瞳子ちゃんもトシくんとのキスが大好きだから。そのことについてもしっかりと相談していくのであった。
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