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第一部

86.バレンタインデーでカタチにされる想い

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 二月十四日はバレンタインデー。小学生になってからというもの、毎年楽しみと申し訳なさの狭間にあった。
 それは必ず葵ちゃんと瞳子ちゃんからチョコをもらえるから。それも本命を、だ。

「おはようトシくん」

 朝、集合場所の公園で葵ちゃんに元気良くあいさつをされる。緊張を悟られないようにあいさつを返した。
 いつも通りの彼女に見えるが、今日という日を知らないわけがないだろう。今年もチョコを用意しているはずだ。
 それでもこちらから切り出すわけにもいかない。彼女が言いだすまでは黙っておく。

「おはよう俊成」

 登校中に瞳子ちゃんと合流する。彼女もいつも通りを意識しているのだろうか。そう思いながら無難にあいさつを返した。
 いっしょになって学校に向かう。二人から特別な反応はない。当たり前だ、毎回渡される時は下校中なのだから。
 そう思えば今から緊張なんかしていたら身が持たないか。意識している姿を見られるのも恥ずかしい。リラックスせねば。
 なぜ毎年のイベントなのに緊張をしているのだろうか? そんな疑問が過って、すぐに理解した。
 今年で小学生で迎えるバレンタインデーが最後になるからだ。終わりを意識すると、とても特別なことに感じてしまう。

「ほらほら男子共チョコだぞ! ありがたく受け取りなさい。そしてホワイトデーは十倍返しでよろしくねー」

 教室に入ると小川さんがクラスの男子にチョコを配っていた。明らかな義理でも嬉しいのだろう。男子連中の表情が笑顔で満ちていた。

「高木くんおはよう。これ見てや、小川さんからチョコもらったんやで」

 ニコニコだな佐藤。こっちまでニッコリしてしまいそうだよ。
 小川さんは四年生の時くらいからバレンタインデーにチョコをクラスメートの男子に渡すようになったようだ。まあお返しが目的らしいんだけども。
 事実、佐藤がもらったという小川さんからのチョコとはチロルなチョコだった。一つ十円。クラスの男子だけなら二百円もかからない。

「あら、そんな羨ましそうな顔しても高木くんにはあげないよ。私だってあおっちときのぴーには睨まれたくないしー」
「いや、別に羨ましくなんてないから」
「ほっほう、さすがにモテモテだと余裕ですねー」

 ちょっと今そういうからかい方はやめてほしい。こっちだって意識しているんだから。

「佐藤くん、ちょっといいかしら?」
「え? 僕?」

 瞳子ちゃんが佐藤を廊下へとつれ出した。葵ちゃんも当然のようについて行く。
 佐藤になんの用があるのだろうか? 首をかしげているのを小川さんに見られてニヤニヤとした笑みを向けられる。

「ねえねえ気になる? 嫉妬しちゃう?」
「……別に」

 というかその顔やめなさいっての。女子としてどうかと思いますよー。
 席に着いてランドセルを下ろす。騒がしい教室を眺めていると肩をちょんちょんと叩かれた。

「美穂ちゃん?」
「高木、こっちに来て」

 このパターンは……。俺はピンときたがそのまま美穂ちゃんについて行った。
 瞳子ちゃん達が向かった廊下の反対方向へと進む。人気のないところへと辿り着くと、美穂ちゃんが振り向いた。

「これ、受け取って」
「えっと、今年は美穂ちゃんからもらえないと思っていたよ」

 差し出されたのは綺麗に包装された箱だった。バレンタインチョコである。
 一応の確認として彼女に尋ねる。

「その、義理……なんだよね?」
「本命が良かった?」
「いや、そういう意味では……」

 美穂ちゃんは目をつむる。まぶたを開いた目差しは俺を貫くようだった。

「あたしと高木の関係がなかったことになったわけじゃないから。あたしの中では高木は親しい友達。それじゃダメ?」
「……わかった。ありがたく受け取るよ」

 彼女から毎年もらっていたバレンタインチョコ。今年はその込められた意味合いが違う。
 美穂ちゃんは友達としてこのチョコをくれたのだ。その意味を、俺が間違えてはいけない。

「ありがとうね美穂ちゃん」
「……どういたしまして」

 言ってから思い出したかのように美穂ちゃんが続ける。

「お返しは十倍返しでいいからね」
「それ小川さんみたいだよ」

 美穂ちゃんはくすりと笑った。自然で美しい笑みだった。

「た、高木くん……木之下さんと宮坂さんからチョコをもらってしもうた……」

 教室に戻ると佐藤が震えながらそんなことを言った。俺はといえば冷静に返事……できるわけもなく固まってしまった。

「ちょうど良かった。佐藤、こっちに来て」
「えぇっ!? また?」

 佐藤は美穂ちゃんにつれられてまたもや廊下へと出て行ってしまった。そんな光景を現実味のない目で知覚していた。
 固まったままの俺を葵ちゃんと瞳子ちゃんが教室の隅へと引きずって行く。「俊成、聞いて」との言葉でようやく再起動できた。

「ごめんね俊成。今まで俊成以外にチョコあげなかったのに」
「べ、別に気にしてないよ……。ほら、佐藤は親友だし、うん」
「あのねトシくん。佐藤くんにはお礼をしたかっただけなの」

 お礼? オウム返ししそうになったが、その前に瞳子ちゃんが話を続ける。

「ほら、林間学校の時に佐藤くんに助けられたでしょ。あの後お礼をしようとしたんだけど『友達助けただけやからお礼なんかいらへん』って断られて何もできていなかったのよ」

 そんなやり取りがあったのか。俺そんなちゃんとしたのじゃなくてジュースおごっただけだったわ。

「だからね、私と瞳子ちゃんで佐藤くんにお礼のチョコを作ったの。こういうイベントでもないと受け取ってくれなさそうだったから。それだけだから、あんまり気にしないでね」
「そういうことなら、わかった」

 ま、まあ別に深読みなんてしてなかったし? 二人なりにお礼をしないと気が済まなかったのだろう。それだけなんだからな、うん。

「俊成の分は学校が終わってからね」
「お、おう……」

 瞳子ちゃんに小声で囁かれてドキリとしてしまう。今日一日は緊張がほぐれてくれそうになかった。
 予鈴が鳴る前に佐藤と美穂ちゃんが戻ってきた。やっぱりと言うか、佐藤は美穂ちゃんからチョコをもらったようで、その手には俺がもらったのと同じ箱があった。

「なんでや?」

 女子からもらったチョコの数を更新した男子の呟きである。困惑した様子の佐藤がちょっと印象的だった。


  ※ ※ ※


 本日の学校はバレンタイン一色だった。
 男子同士ではチョコをもらったかもらわなかったかという話ばかりだし、女子は女子で友達同士でチョコを交換しているグループもあった。
 人気ナンバーワンの本郷は山のような数のバレンタインチョコをもらっていたり、他は他でところどころで告白している現場に出くわしたりもした。まだまだ早いと思っていたのだが、小学生カップルもいるらしかった。
 そんな中、微妙に肩身の狭い思いをしながら一日を過ごした。
 そして、ついに下校の時間がやってきたのである。
 これまたいつも通り三人での帰宅である。毎年の傾向を考えれば、チョコを渡してくるタイミングはそれぞれの家の近くだ。

「トシくん、神社に寄ってもらってもいい?」

 帰り道で葵ちゃんが真剣な面持ちで尋ねてくる。この日にそんな提案をすることなんて今まで一度もなかった。だからって断る理由もないので了承した。
 葵ちゃんと瞳子ちゃんといっしょに神社へと入っていく。相変わらず人気のない場所だ。道路から遠ざかったせいで車の音が小さくなる。
 二人が振り返る。強い目差しに負けないように足に力を入れた。
 いつもは二人別々にバレンタインチョコを渡してきていた。二人同時にというのは初めてだったりする。
 葵ちゃんと瞳子ちゃんはランドセルを下ろすと中から綺麗にラッピングされた包みを取り出した。想いのこもったチョコである。

「トシくん」
「俊成」

 緊張じみた声。毎年のイベントではあるが、毎回二人とも真剣だ。
 俺はそんな二人の気持ちを、毎回ちゃんと受け取っていないのかもしれなかった。

「……」

 これは本当に簡単に受け取っていいものなのだろうか? 今さらながらそんな疑問が過る。毎回の躊躇いだった。
 でも、葵ちゃんも瞳子ちゃんも本気で作ってくれたのだ。段々と上達しているのは食べている俺が一番よくわかっている。

「大好きだよトシくん。一番、好き」

 葵ちゃんは真っすぐとした気持ちを俺へと渡す。

「好きよ。あたしの、本気の気持ちだからね」

 瞳子ちゃんは俺から目を離さずに気持ちを渡してきた。
 言葉にされて胸がきゅうきゅうと締め付けられる。二人の想いが詰め込まれたバレンタインチョコを受け取った。
 どう返答すればいいのだろうか。毎年、同じことを思い悩んでいる。
 葵ちゃんも瞳子ちゃんも両方好きだ。それが俺の正直な気持ちだ。
 だけど二人ともが好きだなんて、それはとても不誠実ではないだろうか。こんな気持ちのまま気持ちを伝えるわけにはいかない。
 葵ちゃんと瞳子ちゃん。未だに天秤はどちらか極端には傾こうとはしてくれない。
 それがずっと、ずっと続いている。答えを出さなきゃと考えているのに、気づけば小学生でいられる期間はあと僅かになっていた。
 立派な大人になろうとしているのに、これじゃあ全然理想の自分には程遠い。
 理想の自分。かっこ良い自分。それはこんなところでまごついているような男などでは断じてない。

「えっと……」

 口を開けて何かを言おうとするけれど、気持ちが定まっていないのに何かを言えるわけがなかった。開いた口はすぐに閉じてしまう。

「……トシくん、バレンタインチョコを渡すといつもそんな顔になっちゃうよね」

 ギクリとして葵ちゃんを見る。その口元は笑みの形を作っていた。彼女だって緊張しているだろうに、余裕さえ感じさせる。

「そんな顔したって毎年あげるんだからね。こっちの気持ちが変わらないんだからしょうがないじゃない」

 瞳子ちゃんは鼻を鳴らしてそっぽを向く。耳が赤くなっている、だなんて指摘しない方がいいんだろうな。
 葵ちゃんの吐息が白く、消えていく。

「私達まだまだ子供なんだよね。トシくんをこうやって困らせちゃう。答えを待ち続ける覚悟はできているけど、知らないうちに急かしちゃっているのかな」
「あたし達の気持ちはずっと変わらないわ。ううん、もっとずっと大きくなっているのよ。だからこそ俊成の気持ちを大切にしたいの。俊成があたし達を大切に想ってくれているように、それはこっちだって同じなんだって伝えたい」

 二人の言葉から俺に対する気持ちが伝わってくる。その言葉は重く、俺の心の深くに沈み込んでくる。
 だからね、と二人は続けた。

「トシくんが本当の本当に思っていることを教えてほしいの。正直なトシくんの気持ちが知りたい」
「どんなことを言われたって構わないわ。あたし達の前では飾らないでほしいの。優しさだけじゃない、俊成の本心を教えて」

 二人の目を見るのがつらい。その綺麗な瞳に映るのが怖くなる。
 俺はそんな……、二人の期待に応えられるほど大層な人間じゃないって思ってしまうから。

「ごめん。急かしているように聞こえるよね。私達はただトシくんの今の気持ちを知りたい。ただそれだけなの」
「今すぐにあたし達のどちらかを選んでっていう意味じゃないのよ。どちらかを選んで、それですぐに付き合ってっていう話でもないの。俊成にはちゃんと言葉にしてほしいだけなの」

 選ばなくてもいい。なのに答えを聞きたい。矛盾しているようで、きっと意味が違うのだろう。

「それが、トシくんに求めるお返しかな」

 そう葵ちゃんが締めくくった。
 ざわりと木々が揺れた。冷たい風が吹いて、体に熱がこもっていることに気づく。
 葵ちゃんと瞳子ちゃんはランドセルを背負い直すと、二人で手を繋いで俺の横を抜けて行く。

「それじゃあたしと葵は二人で帰るから。今日は俊成一人で帰りなさい」
「え、それは……」
「察しなさいよバカ。こっちだって勇気振り絞っているんだからねっ」

 俺は去って行く二人の背を見送ることしかできなかった。
 俺の手の中には二人からもらったバレンタインチョコが残った。カタチにされた想いをどうやって咀嚼すべきなのか、俺は答えを出さなければならなかった。
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