72 / 172
第一部
72.心の中の波紋
しおりを挟む
宿に入り、夕食をとった。それから入浴の時間がやってきた。
入浴はクラスごとで順番に大浴場に入る段取りとなっている。六年四組の女子一同は支度を済ませると、固まって大浴場へと向かう。
「あっ、トシくんだ」
女湯ののれんをくぐっている最中、夕食が終わって別れて以来になるクラスの男子達の姿が見えた。真っ先にそれを見つけた葵は小さく手を振る。
目的の男子はすぐに葵に気づいたようで、同じく小さく手を振り返していた。しかし反応したのはその男子だけではなかった。
クラスの、いや、学校で一、二を争う美少女がこちらに向かって手を振ってくれているのだ。少なからず異性を意識し始める年頃の男子連中は心が沸き立つのを感じていただろう。というか傍から見れば丸わかりであった。
「……」
そんな男子達を冷ややかに見ていたわけではない。それでも美穂の視線は一人の男子に注がれていた。
葵がのれんをくぐるのを見届けてからクラスの男子達も男湯ののれんをくぐって行った。それを見届けてから美穂も止まっていた足を動かそうとする。
そこで彼女は気づいた。知らず自分の手が半ばまで上がっていたことに。それはまるで先ほどの葵のように手を振ろうとしていたのではないかと思わせる仕草だった。
「ふむ」
無意識の行動に疑問があった。だけどそこまで考え込むことでもないだろうと自分を納得させる。
友達に手を振るのは当然。おかしいことなんて何もなかった。そう問題ないと判断して、美穂ものれんをくぐった。
脱衣所で服を脱ぎ、浴場へと入る。「もうブラジャーつけてる子がいるんだ……」という美穂の呟きは誰の耳にも届くことはなかった。
みんなで大きなお風呂に入る。そんな状況が楽しいのか、はしゃいだ声が浴室に反響した。
「うはーっ! やっぱりあおっちのスタイルってすごー!」
「ちょっ!? ま、真奈美ちゃんっ。そんなに触らないで……」
「よいではないかよいではないかー」
ただでさえ騒がしい中、葵と真奈美の声がひと際大きく響いた。
美穂は体を洗いながらもチラと二人のやり取りをうかがう。背の高さを生かすように、真奈美が葵の体を後ろから抱きすくめている光景が広がっていた。
腕に圧迫されて葵の立派なお山が形を歪ませる。肌と肌が重なる度にぐにゃりぐにゃりと……。美穂は顔を正面に戻した。
「……うん、完璧」
体を洗い終えた。胸の辺りは入念に入念を重ねて洗ったから大丈夫だろう。何が大丈夫なのか自分でもわからないままだったが、美穂は満足げに体を洗い流していく。
パコーンと小気味の良い音が響いたので美穂は振り返った。そこには頭を押さえる真奈美と、桶を持った瞳子がいた。真奈美の凶行を止めようと瞳子が天誅を下したのである。
「いったー! きのぴー何すんのよ!」
「バカなことやってるのはあなたでしょ! ほら、変なことしてないでさっさと体洗いなさいよ」
「……きのぴーも綺麗な体つきしてるよね。それに……、ここも育ってきた?」
無造作に伸ばされた真奈美の手を、瞳子は容赦なく叩き落とした。
「小川さん? どうやら懲りてないようね」
「わーっ! 嘘です嘘! ごめんなさい! わ、私体洗わなきゃっ」
真奈美はバタバタと逃げた。瞳子は鼻を鳴らしてそれを見送る。勝負(?)の行方は明らかであった。
「葵、こっちに来なさい。髪洗ってあげるから」
「うん。お願いね瞳子ちゃん」
葵と瞳子の後ろ姿を眺めながら、美穂は湯船へと向かった。
出会った頃からあの二人は仲が良かった。いや、二人じゃなくて三人か……。
接していてもその三人の輪には入れない。その事実が美穂の奥底にくすぶっていた。けれど彼女はそれに気づけない。
「ふぁ……」
とはいえ今はお風呂タイムである。足を伸ばせる広いお風呂というのもあり、気持ち良さも割増だ。何か思っていたような気がしたが、溶けるように忘れられた。
「赤城さん、横いいかな?」
「ん」
美穂の体がぬくもっていく。それにつれてまどろみに意識を支配されつつあった時、横から葵の声が聞こえた。反射的に美穂は頷いていた。
艶やかな黒髪をアップにまとめている葵には歳が同じとは思えないほどの色気があった。なぜか凝視するのははばかられたため、美穂は視線を逸らした。
「……」
「……」
しばし二人は無言となった。しかし、それ自体はそれほど珍しいことでもない。
美穂は元々口数が少ない。それをわかってなのか、葵も美穂に対してはそれほど口数は多くなかった。
そもそも葵には静謐な雰囲気がある。意中の男子が関わらなければ、その雰囲気通りの穏やかな性格なのだ。彼女から発せられるそんな空気が、美穂にとっては居心地が良かったりする。
なのだが、今回は少しばかし雰囲気が違っていると、美穂はそう感じていた。
横目でこっそりと葵を観察する。湯のぬくもりでなのかその頬が赤らめられている。気持ち良さからかほっと熱い吐息が漏れている。
そして何より葵の立派なお山が浮いていた。浮いていたのだ。美穂は信じられないものを見たような目になってしまい、そこから視線を動かせなくなってしまう。
「赤城さん」
「何?」
葵の声で硬直が解けてくれた。美穂は何事もなかったかのように顔を正面へと戻していた。
葵も正面を向いたままだ。美穂の顔を見ようとしない。ただ、言いにくそうに唇だけを数度動かす。
「……赤城さんって、トシくんのことどう思ってるのかな?」
ようやく放った言葉は、葵の中でくすぶっていたものを吐き出すものだった。
だがしかし、美穂は要領を得ないとばかりに首をかしげた。
「どうって?」
葵が美穂に顔を向けた。その表情は困ったような、怒っているような、悲しんでいるような。何より戸惑っていた。
葵は自分を落ち着けるようにゆっくりと息を吐いた。空気が変わっていることを感じ取り、美穂は表情を変えないまま身構える。
「あなた達ー。次のクラスも入るんだから騒いでばかりいないで早く出なさい」
先生の声でみんなが「はーい」と返事する。
話の腰を折られたような気分になって、葵はなんとも言えない顔になった。それと同時に少しだけ張り詰めていた空気が霧散する。
「……出よっか」
「……うん」
なんだか却ってもやもやした気持ちを抱えてしまった二人は湯船から上がった。
※ ※ ※
入浴が終われば就寝まで自由時間だ。それぞれ思い思いの時間を過ごす。
「みんな本郷くんのいる一組の男子の部屋に突撃するんだってさー。いやー、最近の女の子は積極的だよね」
「小川さんも最近の女の子でしょ。で、行かなくてもいいの?」
「私? いやいや、私ってば良い子だから先生に怒られるようなことはしたくないのよね」
「それもそうね」
瞳子と真奈美はくすくすと笑う。そもそも二人は学年で一番のイケメンと評される本郷永人という男子に興味を示してすらいない。
各クラスの男女に大部屋を一部屋ずつあてがわれている。ほとんどの女子が他のクラスの部屋に遊びに行ってしまったので、この四組女子の部屋に残っている人は少ない。
「これからどうする?」
葵は瞳子に髪をとかしてもらいながら部屋にいる面々に尋ねる。部屋に残っているのは葵と瞳子、それに真奈美と美穂の四人だけだった。
「トランプがある」
美穂はトランプを掲げながら言った。ちなみにそのトランプは彼女の私物ではなかったりする。
「トランプねぇ……。罰ゲームはどうするの?」
今度は葵に自らの髪をとかしてもらいながら瞳子が言った。いつもはツインテールにしている銀髪が真っすぐに流れている。
「罰ゲームかぁ……。負けたらジュースおごりとか?」
「えー、本当に罰ゲームなんてするの? その前にトランプで何をするかも決まってないし」
瞳子と真奈美は罰ゲームをどうするかについて話し合っている。反対に葵は消極的だ。どうにか罰ゲームをなしにしてもらおうかと考えているようだった。
葵の視線が美穂の方へと向けられる。味方になってほしい。そんな意志の込められた瞳だった。
そんな気持ちがわかったのかわからなかったのか、美穂は口を開いた。
「じゃああたしはコーヒー牛乳で」
「もう勝った気でいるし!」
そんなわけで女子四人でババ抜きをすることとなっちゃったのだ。
いざババ抜きというゲームをやってみると、結果はわかり切っていたのかもしれないと思わされた。
葵と美穂は笑顔と無表情を武器にまったく心を読ませないし、瞳子の観察眼はとある人物の所作一つでジョーカーの居場所を看破していた。
「うわー! また負けたー!」
オーバーリアクションで倒れる少女。つまり、真奈美の一人負けだった。
「ね、ねえっ。トランプはやめてさ、恋バナでもしようよ。せっかく女子が集まってるんだからさー」
話題を別の方向へと持って行こうと必死である。泣きを入れる真奈美に、彼女達は無情だった。
「何罰ゲームから逃げようとしてるのよ。あたしミルクティーね」
「それに真奈美ちゃん別に好きな人いないよね? 私はオレンジジュース」
「コーヒー牛乳」
三対一で勝てるはずもなく、真奈美はがっくりと肩を落としながら罰ゲームを執行するのであった。
「……三人だけになっちゃったわね」
真奈美の姿が消えるのを確認して、瞳子はぽつりと言った。
そして、彼女の澄み切った青の瞳が美穂へと向けられる。
「小川さんが最後に恋バナがしたいって言ってたし、せっかくだからお話しましょうか」
「最後って……、まるで死んじゃう前の最後の言葉みたいだけど、真奈美ちゃんは生きてるからね」
葵のツッコミは無視して瞳子は姿勢を正した。空気が真剣みを帯びる。
急な雰囲気の変化に不思議に思いながらも、美穂は瞳子へと体を向ける。
「ねえ赤城さん」
「何?」
瞳子の目からは強い意志が感じられた。なぜだか美穂はうっと呻きそうになってしまう。
そして、瞳子は迷いなく口を開いた。
「あたしと葵は俊成のことが大好きなの。それは小さい頃からずっとで、今はもっとずっと好き。大好きなの」
真剣で純粋な想い。真っすぐではっきりとした気持ちに、美穂の胸がじくりと音を立てた。
「だからね、俊成を、あたし達をからかうのはやめてくれないかしら?」
「からかう……って?」
「からかってるじゃないっ。俊成にベタベタして、あたし達の反応を楽しんでるのかしら? あたし達の気持がわかってないわけがないわよね」
反論は咄嗟には出なかった。
けれど美穂にからかうなんてことをしている自覚はなかった。友達だから、親友だから仲良くしている。そうやって彼とくっついているのがたまらなく心が満たされる。ただそれだけなのだ。
そんな満たされたいという気持ちが先行してしまい、美穂は周囲の気持ちに鈍感だった。
「それとも、赤城さんも俊成のことが好きなの?」
思いっきり踏み込んでくる言葉に、美穂の息が詰まる。
この歳になって好きという意味を勘違いなんてしなかった。
聞かれているのは友達としての好きではなく、異性に対する好きだった。それが理解できても、まさかそんな本気の質問が飛んでくるだなんて考えてもみなかった。
前に佐藤に聞かれたことがあった。高木くんのことが好きなのかと。その時ははぐらかして、それで美穂自身でも終わりだと思っていたのかもしれない。
相手が代わり、その本気度が変わればこんなにも違うものなのかと、美穂は思い知らされた。
「あたし……は」
一度呼吸を止めてしまったために声が上手く出てこない。深呼吸をしたが、余計に言葉にならなくなっていた。
「瞳子ちゃん」
「葵は黙ってて。こういうのはあたしがやるから」
葵を手で制して、瞳子がずいっと前に出た。
「赤城さん、もう一度言うわね。俊成のことが好きじゃないならちょっかいかけないでちょうだい。とても迷惑だから」
「……」
ぐっ、と。美穂は拳を握った。
それは瞳子に対する怒りではない。ただ困惑していた。はっきりしていなかった自分の心の正体を突きつけられているようで、頭が熱くなる。
「赤城さん、トシくんのこと好きなんだよね?」
葵の言葉は疑問でありながら断定だった。穏やかでありながら厳しかった。
「……」
やはり言葉なんて出てこない。美穂は二人の顔が見られない。
だが、その態度こそが雄弁に物語っているように葵と瞳子には感じられた。
はぁ、と瞳子はため息を吐いた。
瞳子の手が伸びて、美穂の顎に触れるとその顔を上げさせる。
「……そういう顔しちゃうんじゃない」
「え?」
「あたしね、あなたのこと嫌いじゃないのよ。でもね、今のあなたは嫌いだわ。気に食わないって言えばいいのかしら」
ストレートな物言いに美穂の心が揺さぶられていく。頭はもうクラクラだ。
「教えてほしいの。赤城さんは俊成のことどう思ってるのか」
フラフラになりながらも美穂は考える。考えようとする。でも、考えようとすればするほどに思考回路が焼け焦げていくような感覚に襲われる。
「……」
そしてやはり、答えは出なかった。
これ以上待ち続けても答えは出ない。そう判断したのか瞳子は美穂から離れた。
「自分の気持ちも口にできないのに余計なことを続けるようなら、あたしだって怒るわよ」
声を荒げたわけではない。それでも厳しい口調で瞳子は言う。
「……」
返事は、できなかった。
「売店に行ったらお土産たくさんあってさー。見ちゃったら目移りしちゃうよね」
ちょうど良いと言うべきか、明るい声を上げながら真奈美が部屋に帰ってきた。その手には自分の分を含めた人数分の飲み物があった。
「……」
「……」
「……」
「え、何この空気?」
部屋を出る前とあまりに違う空気感に、さすがに真奈美も困惑してしまう。けれど、誰も答えてはくれなかった。
このなんとも言えない空気は、クラスメートの女子が戻ってくるまで続いたのだった。
少女達にそれぞれの波紋を残したまま、夜は更けていく……。
入浴はクラスごとで順番に大浴場に入る段取りとなっている。六年四組の女子一同は支度を済ませると、固まって大浴場へと向かう。
「あっ、トシくんだ」
女湯ののれんをくぐっている最中、夕食が終わって別れて以来になるクラスの男子達の姿が見えた。真っ先にそれを見つけた葵は小さく手を振る。
目的の男子はすぐに葵に気づいたようで、同じく小さく手を振り返していた。しかし反応したのはその男子だけではなかった。
クラスの、いや、学校で一、二を争う美少女がこちらに向かって手を振ってくれているのだ。少なからず異性を意識し始める年頃の男子連中は心が沸き立つのを感じていただろう。というか傍から見れば丸わかりであった。
「……」
そんな男子達を冷ややかに見ていたわけではない。それでも美穂の視線は一人の男子に注がれていた。
葵がのれんをくぐるのを見届けてからクラスの男子達も男湯ののれんをくぐって行った。それを見届けてから美穂も止まっていた足を動かそうとする。
そこで彼女は気づいた。知らず自分の手が半ばまで上がっていたことに。それはまるで先ほどの葵のように手を振ろうとしていたのではないかと思わせる仕草だった。
「ふむ」
無意識の行動に疑問があった。だけどそこまで考え込むことでもないだろうと自分を納得させる。
友達に手を振るのは当然。おかしいことなんて何もなかった。そう問題ないと判断して、美穂ものれんをくぐった。
脱衣所で服を脱ぎ、浴場へと入る。「もうブラジャーつけてる子がいるんだ……」という美穂の呟きは誰の耳にも届くことはなかった。
みんなで大きなお風呂に入る。そんな状況が楽しいのか、はしゃいだ声が浴室に反響した。
「うはーっ! やっぱりあおっちのスタイルってすごー!」
「ちょっ!? ま、真奈美ちゃんっ。そんなに触らないで……」
「よいではないかよいではないかー」
ただでさえ騒がしい中、葵と真奈美の声がひと際大きく響いた。
美穂は体を洗いながらもチラと二人のやり取りをうかがう。背の高さを生かすように、真奈美が葵の体を後ろから抱きすくめている光景が広がっていた。
腕に圧迫されて葵の立派なお山が形を歪ませる。肌と肌が重なる度にぐにゃりぐにゃりと……。美穂は顔を正面に戻した。
「……うん、完璧」
体を洗い終えた。胸の辺りは入念に入念を重ねて洗ったから大丈夫だろう。何が大丈夫なのか自分でもわからないままだったが、美穂は満足げに体を洗い流していく。
パコーンと小気味の良い音が響いたので美穂は振り返った。そこには頭を押さえる真奈美と、桶を持った瞳子がいた。真奈美の凶行を止めようと瞳子が天誅を下したのである。
「いったー! きのぴー何すんのよ!」
「バカなことやってるのはあなたでしょ! ほら、変なことしてないでさっさと体洗いなさいよ」
「……きのぴーも綺麗な体つきしてるよね。それに……、ここも育ってきた?」
無造作に伸ばされた真奈美の手を、瞳子は容赦なく叩き落とした。
「小川さん? どうやら懲りてないようね」
「わーっ! 嘘です嘘! ごめんなさい! わ、私体洗わなきゃっ」
真奈美はバタバタと逃げた。瞳子は鼻を鳴らしてそれを見送る。勝負(?)の行方は明らかであった。
「葵、こっちに来なさい。髪洗ってあげるから」
「うん。お願いね瞳子ちゃん」
葵と瞳子の後ろ姿を眺めながら、美穂は湯船へと向かった。
出会った頃からあの二人は仲が良かった。いや、二人じゃなくて三人か……。
接していてもその三人の輪には入れない。その事実が美穂の奥底にくすぶっていた。けれど彼女はそれに気づけない。
「ふぁ……」
とはいえ今はお風呂タイムである。足を伸ばせる広いお風呂というのもあり、気持ち良さも割増だ。何か思っていたような気がしたが、溶けるように忘れられた。
「赤城さん、横いいかな?」
「ん」
美穂の体がぬくもっていく。それにつれてまどろみに意識を支配されつつあった時、横から葵の声が聞こえた。反射的に美穂は頷いていた。
艶やかな黒髪をアップにまとめている葵には歳が同じとは思えないほどの色気があった。なぜか凝視するのははばかられたため、美穂は視線を逸らした。
「……」
「……」
しばし二人は無言となった。しかし、それ自体はそれほど珍しいことでもない。
美穂は元々口数が少ない。それをわかってなのか、葵も美穂に対してはそれほど口数は多くなかった。
そもそも葵には静謐な雰囲気がある。意中の男子が関わらなければ、その雰囲気通りの穏やかな性格なのだ。彼女から発せられるそんな空気が、美穂にとっては居心地が良かったりする。
なのだが、今回は少しばかし雰囲気が違っていると、美穂はそう感じていた。
横目でこっそりと葵を観察する。湯のぬくもりでなのかその頬が赤らめられている。気持ち良さからかほっと熱い吐息が漏れている。
そして何より葵の立派なお山が浮いていた。浮いていたのだ。美穂は信じられないものを見たような目になってしまい、そこから視線を動かせなくなってしまう。
「赤城さん」
「何?」
葵の声で硬直が解けてくれた。美穂は何事もなかったかのように顔を正面へと戻していた。
葵も正面を向いたままだ。美穂の顔を見ようとしない。ただ、言いにくそうに唇だけを数度動かす。
「……赤城さんって、トシくんのことどう思ってるのかな?」
ようやく放った言葉は、葵の中でくすぶっていたものを吐き出すものだった。
だがしかし、美穂は要領を得ないとばかりに首をかしげた。
「どうって?」
葵が美穂に顔を向けた。その表情は困ったような、怒っているような、悲しんでいるような。何より戸惑っていた。
葵は自分を落ち着けるようにゆっくりと息を吐いた。空気が変わっていることを感じ取り、美穂は表情を変えないまま身構える。
「あなた達ー。次のクラスも入るんだから騒いでばかりいないで早く出なさい」
先生の声でみんなが「はーい」と返事する。
話の腰を折られたような気分になって、葵はなんとも言えない顔になった。それと同時に少しだけ張り詰めていた空気が霧散する。
「……出よっか」
「……うん」
なんだか却ってもやもやした気持ちを抱えてしまった二人は湯船から上がった。
※ ※ ※
入浴が終われば就寝まで自由時間だ。それぞれ思い思いの時間を過ごす。
「みんな本郷くんのいる一組の男子の部屋に突撃するんだってさー。いやー、最近の女の子は積極的だよね」
「小川さんも最近の女の子でしょ。で、行かなくてもいいの?」
「私? いやいや、私ってば良い子だから先生に怒られるようなことはしたくないのよね」
「それもそうね」
瞳子と真奈美はくすくすと笑う。そもそも二人は学年で一番のイケメンと評される本郷永人という男子に興味を示してすらいない。
各クラスの男女に大部屋を一部屋ずつあてがわれている。ほとんどの女子が他のクラスの部屋に遊びに行ってしまったので、この四組女子の部屋に残っている人は少ない。
「これからどうする?」
葵は瞳子に髪をとかしてもらいながら部屋にいる面々に尋ねる。部屋に残っているのは葵と瞳子、それに真奈美と美穂の四人だけだった。
「トランプがある」
美穂はトランプを掲げながら言った。ちなみにそのトランプは彼女の私物ではなかったりする。
「トランプねぇ……。罰ゲームはどうするの?」
今度は葵に自らの髪をとかしてもらいながら瞳子が言った。いつもはツインテールにしている銀髪が真っすぐに流れている。
「罰ゲームかぁ……。負けたらジュースおごりとか?」
「えー、本当に罰ゲームなんてするの? その前にトランプで何をするかも決まってないし」
瞳子と真奈美は罰ゲームをどうするかについて話し合っている。反対に葵は消極的だ。どうにか罰ゲームをなしにしてもらおうかと考えているようだった。
葵の視線が美穂の方へと向けられる。味方になってほしい。そんな意志の込められた瞳だった。
そんな気持ちがわかったのかわからなかったのか、美穂は口を開いた。
「じゃああたしはコーヒー牛乳で」
「もう勝った気でいるし!」
そんなわけで女子四人でババ抜きをすることとなっちゃったのだ。
いざババ抜きというゲームをやってみると、結果はわかり切っていたのかもしれないと思わされた。
葵と美穂は笑顔と無表情を武器にまったく心を読ませないし、瞳子の観察眼はとある人物の所作一つでジョーカーの居場所を看破していた。
「うわー! また負けたー!」
オーバーリアクションで倒れる少女。つまり、真奈美の一人負けだった。
「ね、ねえっ。トランプはやめてさ、恋バナでもしようよ。せっかく女子が集まってるんだからさー」
話題を別の方向へと持って行こうと必死である。泣きを入れる真奈美に、彼女達は無情だった。
「何罰ゲームから逃げようとしてるのよ。あたしミルクティーね」
「それに真奈美ちゃん別に好きな人いないよね? 私はオレンジジュース」
「コーヒー牛乳」
三対一で勝てるはずもなく、真奈美はがっくりと肩を落としながら罰ゲームを執行するのであった。
「……三人だけになっちゃったわね」
真奈美の姿が消えるのを確認して、瞳子はぽつりと言った。
そして、彼女の澄み切った青の瞳が美穂へと向けられる。
「小川さんが最後に恋バナがしたいって言ってたし、せっかくだからお話しましょうか」
「最後って……、まるで死んじゃう前の最後の言葉みたいだけど、真奈美ちゃんは生きてるからね」
葵のツッコミは無視して瞳子は姿勢を正した。空気が真剣みを帯びる。
急な雰囲気の変化に不思議に思いながらも、美穂は瞳子へと体を向ける。
「ねえ赤城さん」
「何?」
瞳子の目からは強い意志が感じられた。なぜだか美穂はうっと呻きそうになってしまう。
そして、瞳子は迷いなく口を開いた。
「あたしと葵は俊成のことが大好きなの。それは小さい頃からずっとで、今はもっとずっと好き。大好きなの」
真剣で純粋な想い。真っすぐではっきりとした気持ちに、美穂の胸がじくりと音を立てた。
「だからね、俊成を、あたし達をからかうのはやめてくれないかしら?」
「からかう……って?」
「からかってるじゃないっ。俊成にベタベタして、あたし達の反応を楽しんでるのかしら? あたし達の気持がわかってないわけがないわよね」
反論は咄嗟には出なかった。
けれど美穂にからかうなんてことをしている自覚はなかった。友達だから、親友だから仲良くしている。そうやって彼とくっついているのがたまらなく心が満たされる。ただそれだけなのだ。
そんな満たされたいという気持ちが先行してしまい、美穂は周囲の気持ちに鈍感だった。
「それとも、赤城さんも俊成のことが好きなの?」
思いっきり踏み込んでくる言葉に、美穂の息が詰まる。
この歳になって好きという意味を勘違いなんてしなかった。
聞かれているのは友達としての好きではなく、異性に対する好きだった。それが理解できても、まさかそんな本気の質問が飛んでくるだなんて考えてもみなかった。
前に佐藤に聞かれたことがあった。高木くんのことが好きなのかと。その時ははぐらかして、それで美穂自身でも終わりだと思っていたのかもしれない。
相手が代わり、その本気度が変わればこんなにも違うものなのかと、美穂は思い知らされた。
「あたし……は」
一度呼吸を止めてしまったために声が上手く出てこない。深呼吸をしたが、余計に言葉にならなくなっていた。
「瞳子ちゃん」
「葵は黙ってて。こういうのはあたしがやるから」
葵を手で制して、瞳子がずいっと前に出た。
「赤城さん、もう一度言うわね。俊成のことが好きじゃないならちょっかいかけないでちょうだい。とても迷惑だから」
「……」
ぐっ、と。美穂は拳を握った。
それは瞳子に対する怒りではない。ただ困惑していた。はっきりしていなかった自分の心の正体を突きつけられているようで、頭が熱くなる。
「赤城さん、トシくんのこと好きなんだよね?」
葵の言葉は疑問でありながら断定だった。穏やかでありながら厳しかった。
「……」
やはり言葉なんて出てこない。美穂は二人の顔が見られない。
だが、その態度こそが雄弁に物語っているように葵と瞳子には感じられた。
はぁ、と瞳子はため息を吐いた。
瞳子の手が伸びて、美穂の顎に触れるとその顔を上げさせる。
「……そういう顔しちゃうんじゃない」
「え?」
「あたしね、あなたのこと嫌いじゃないのよ。でもね、今のあなたは嫌いだわ。気に食わないって言えばいいのかしら」
ストレートな物言いに美穂の心が揺さぶられていく。頭はもうクラクラだ。
「教えてほしいの。赤城さんは俊成のことどう思ってるのか」
フラフラになりながらも美穂は考える。考えようとする。でも、考えようとすればするほどに思考回路が焼け焦げていくような感覚に襲われる。
「……」
そしてやはり、答えは出なかった。
これ以上待ち続けても答えは出ない。そう判断したのか瞳子は美穂から離れた。
「自分の気持ちも口にできないのに余計なことを続けるようなら、あたしだって怒るわよ」
声を荒げたわけではない。それでも厳しい口調で瞳子は言う。
「……」
返事は、できなかった。
「売店に行ったらお土産たくさんあってさー。見ちゃったら目移りしちゃうよね」
ちょうど良いと言うべきか、明るい声を上げながら真奈美が部屋に帰ってきた。その手には自分の分を含めた人数分の飲み物があった。
「……」
「……」
「……」
「え、何この空気?」
部屋を出る前とあまりに違う空気感に、さすがに真奈美も困惑してしまう。けれど、誰も答えてはくれなかった。
このなんとも言えない空気は、クラスメートの女子が戻ってくるまで続いたのだった。
少女達にそれぞれの波紋を残したまま、夜は更けていく……。
0
お気に入りに追加
242
あなたにおすすめの小説
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

覚えたての催眠術で幼馴染(悔しいが美少女)の弱味を握ろうとしたら俺のことを好きだとカミングアウトされたので、欲望に身を任せてみることにした
みずがめ
恋愛
覚えたての催眠術を幼馴染で試してみた。結果は大成功。催眠術にかかった幼馴染は俺の言うことをなんでも聞くようになった。
普段からわがままな幼馴染の従順な姿に、ある考えが思いつく。
「そうだ、弱味を聞き出そう」
弱点を知れば俺の前で好き勝手なことをされずに済む。催眠術の力で口を割らせようとしたのだが。
「あたしの好きな人は、マーくん……」
幼馴染がカミングアウトしたのは俺の名前だった。
よく見れば美少女となっていた幼馴染からの告白。彼女を女として見た時、俺は欲望を抑えることなんかできなかった。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる