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第一部

60.葵ちゃんの元気がない?

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 七月の終わり頃に、地元で夏祭りがある。家族の恒例行事として俺達はいつものごとく三家族合同でその祭りに参加するのだ。
 当日、俺は葵ちゃんとともに瞳子ちゃんの家に訪れ、浴衣を着付けてもらっていた。

「ああ……、年々大きくなっていく瞳子の姿を見られるなんて感涙ものだよ……。僕はなんて幸せ者なんだろうか……」
「そうっすね」

 男の俺はそんなに時間をかけずに浴衣を着たので瞳子ちゃんのお父さんとともに待機している。恍惚に顔をほころばせるおじさんに俺はおざなりな返事をする。いやだって今のこの人は娘の姿を思い描くばかりでこっちの声がまともに届かないんだもの。
 現在、瞳子ちゃんのお母さんが葵ちゃんと瞳子ちゃんの浴衣の着付けをしている。あの人は外国人とは思えないほどに着物なんかの着付けが上手いんだよな。それどころか服を作ったこともあったし。長い付き合いなのに未だ底が見えない。

「お待たせしマシター」

 瞳子ちゃんのお母さんを先頭に女性陣が部屋に入ってくる。後から入ってきた二人の少女はきっちりと浴衣を着こなしていた。
 瞳子ちゃんの浴衣は濃淡な色合いに金魚が踊っていた。涼しげな感じとかわいらしさが合わさっている。
 葵ちゃんの浴衣は椿が大きく咲き誇っていて華やかさがあった。かわいいと思うのだが、なぜか彼女の表情が暗い気がする。俺の気のせいだろうか?

「どう? 今回は金魚がかわいかったからこれにしてみたの」
「おおっ! かわいいぞ瞳子!!」
「パパには聞いてないわよ。あたしは俊成に聞いたの」
「と、瞳子~……」

 瞳子ちゃんのお父さんは膝から崩れ落ちた。これはなんというか……、娘を持つ父親の運命なのだろうが、かわいそう過ぎる……。
 それにしても、銀髪ハーフ美少女な彼女は浴衣がよく似合っていた。まあ何着ても俺の口からは「似合っている」以外の言葉は出なさそうだけどね。だって本当になんでも着こなしてしまうんだもの。

「瞳子ちゃんは本当に浴衣がよく似合うなぁ。その柄もかわいいよ」

 俺の褒め言葉を聞いた瞳子ちゃんは小さくぴょんぴょんと跳ねていた。嬉しさが隠せないらしい。かわいい。

「トシくん……私はど、どうかな?」

 恐々とした調子で俺の前へと出る葵ちゃん。やはり、彼女にしてはらしくないと思った。
 帯を締めたことによって小学生らしからぬ胸部が強調されている。愛らしさがありながらも、それがギャップと思えるような色気がある。髪をアップにしているからさらに大人っぽく見える。

「葵ちゃんもとっても似合ってるよ。大人っぽくてすごくかわいいね」
「うん。ありがとう……」

 葵ちゃんは瞳子ちゃんほどの喜びを態度には出さなかった。浴衣に合わせて結い上げられた髪をいじりながら、鏡で身だしなみを確認している。
 葵ちゃんの元気がない。それはこの前プールに行ってからだ。もっと厳密に言えば野沢くんの友達である中学生どもに胸のことを言われてからだった。
 あんなあからさまなからかいの言葉はないだろう。中学生ってやつは性的なことに対して興味を持つ年代だとはわかってる。それでもあれはデリカシーがないにもほどがあった。
 あれから慰めの言葉をかけたものの、ご覧の通りあまり効果がない。こんな時どうやって元気づけていいかわからない。俺の経験値なんてまだまだなのだ。
 でも、今日は夏祭りだ。いっぱい楽しめば葵ちゃんだって元気を取り戻してくれるかもしれない。よし、がんばるぞー!


  ※ ※ ※


 今回の夏祭りは歩いて行ける範囲というのもあって、さほど大きいものではない。打ち上げ花火はないものの、ステージを設置していろんな出し物をしているようだ。
 はぐれる危険を考えたら小学生の行く夏祭りとしてはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。もちろん俺達の両親がそれぞれ同行するのだが、見慣れた場所というのもあって付きっきりで見ていなければならないなんてこともない。車も乗らないのもあって、父親連中は酒を飲みながら屋台の食べ物をつまみにしていた。満喫してんなー。

「これから自由行動だけど、もし迷子になったらここに集合ね。お母さん達はこの近くにいるようにするから。じゃあ俊成くん、葵と瞳子ちゃんを任せたわね」
「はい。任されました」

 大きな照明の下で葵ちゃんのお母さんが「行ってらっしゃい」と手を振った。大きくなるにつれて自由行動の範囲が広くなっていく。これは俺を信頼してくれている証なのだろうな。男として、しっかり二人をエスコートせねば。
 周囲は祭り特有の賑やかさに包まれている。離れたところから太鼓の音が聞こえる。この空気だけでも楽しくなってくるね。
 俺ははぐれないように葵ちゃんと瞳子ちゃんの手を握った。小さくて柔らかい手が握り返してくれる。

「何食べる? それとも遊ぼうか?」
「まずは遊びましょうよ。あたし金魚すくいがしたいわ」

 瞳子ちゃんが腕まくりしそうな勢いでやる気になっている。だから浴衣の柄が金魚だったのだろうか。
 とくに反対意見もなかったので金魚すくいをすることにした。金魚すくい屋の前に着くと、店のおっちゃんがにっと笑って「やるかい?」と聞いてくれた。

「とりあえず三人分お願いします」
「あいよ」

 俺は代金を支払って、金魚をすくうための武器、ポイを受け取る。瞳子ちゃんはさっそく構えて狙いを定めている。葵ちゃんは視線を動かして金魚の動きを追っているようだった。

「てりゃっ!」

 瞳子ちゃんがかけ声を発しながら、金魚を捕獲せんとポイを握った右手を走らせる。速い。

「あー……。穴が空いちゃった」

 しかし失敗。金魚を取る前に紙に穴が空いてしまっていた。穴は大きいのでもう使えないだろう。

「おっちゃん、もう一つ追加で」
「あいよ」

 瞳子ちゃんはリトライする気満々だったので、もう一回分支払う。だがさっきと同じように失敗してしまった。
 うーむ、ここは俺が手本を見せるべきだろうか。
 屈んで金魚の大群に視線を向ける。水の中で元気に泳いでいる。イキがいいね。

「すぅーー……、はー……」

 深呼吸をして気持ちを落ち着ける。大切なのは冷静な判断力と一瞬で捉える瞬発力だ。
 じーっと見つめる。金魚の動きの流れを掴むのだ。
 水圧で紙が破れてしまわないように角度を考え、水の中へと滑り込ませるようにポイを沈めた。それから瞬くよりも早く引き上げる!

「あー……、穴が空いちゃった。俊成でもダメなのかしら」

 見事な大穴を空けてしまった。よくよく考えたら俺ってあんまり金魚すくいとかしたことなかったわ。やれる感を出していただけに恥ずかしい。

「えいっ」

 俺が無残な結果に打ちひしがれていると、隣からかわいらしい声が聞こえた。

「わっ、葵すごいじゃない!」

 そちらへ顔を向ければ、葵ちゃんが金魚を一匹ゲットしていた。
 一匹だけじゃない。葵ちゃんは小さい動きながらも次々と金魚をすくっていた。これには俺や瞳子ちゃんだけじゃなく、店のおっちゃんも目を丸くしていた。一人だけレベルが違っていた。

「えいっ、えいっ、えいっ、えいっ」
「ちょっ、ストップ葵ちゃん!」

 受け皿の金魚がところ狭しと窮屈そうにしているのを見て、俺は思わず彼女を止めていた。なんというか、今の葵ちゃんは金魚すくいマシーンに見えてしまったのだ。しかも紙は水に濡れているものの、まったく穴なんて空いてないし。
 結局、俺達それぞれ一匹ずつ金魚をもらって、他は全部返した。たくさんいても困るからね。
 金魚すくいで思わぬ才能を見せた葵ちゃんはニコニコ顔になっていた。楽しんでくれたようでよかった。
 その後も射的や輪投げなどに挑戦した。それぞれの結果に一喜一憂して、俺たちは祭りを堪能していた。

「そろそろ何か食べようか。何がいい?」
「私りんご飴がいい」
「あたしはかき氷がいいわ」

 晩飯、というにはあまりにも物足りないメニューだろう。でもこういうのをちまちまと食べ歩くのが夏祭りの醍醐味とも言える。
 葵ちゃんはりんご飴、瞳子ちゃんはかき氷を買った。俺はたこ焼きを求めて店へと足を向ける。

「あれ? 高木さんじゃないっすか!」

 たこ焼きを注文すると店の人がそんなことを言った。顔を上げてその人をよく見てみると、品川ちゃんと同じクラスの男子、森田だった。

「森田? お前何やってんだよ?」
「親父の手伝いっすよ。親父、この人が前に言った高木さんだぜ」

 森田に呼ばれて、彼の後ろにいた大柄な男がこちらへと視線を向ける。かなりの強面でちょっとビビる。

「息子が世話になったようで。礼を言うぜ高木さん」

 森田のお父さんと思われる大柄な男が頭を下げた。その姿に俺は恐縮してしまう。

「いえいえいえ! 俺なんて大したことをした覚えがないんでっ。頭を上げてください。それに子供の俺に『さん』付けなんてしないでくださいよ」
「ふっ、謙遜するだなんて子供なのに大した男じゃねえか。息子の礼の分だ。金はいらねえからたくさんたこ焼きを食ってくれや」

 森田のお父さんはにやっと笑う。怖っ! 害がないのはわかったけど、この強面にはなかなか慣れそうになかった。

「高木さんはデートっすか? 彼女さん達も遠慮なくたこ焼き食ってください」
「ぶっ!?」

 森田は悪意なんてないとばかりににかっと笑う。子供らしい純真な笑顔だった。何気に「彼女さん達」と複数形になっているところが彼の無邪気な恐ろしさだった。

「トシくんの彼女さん……」
「俊成の恋人……」

 葵ちゃんと瞳子ちゃんが顔を赤らめる。そんな反応にやられてしまってか、俺の顔にも熱が集まってきた。
 森田は山盛りのたこ焼きを渡そうとしてきたので、三人分だけもらってたこ焼き屋を後にする。なんかもう変な汗かいちゃったよ。
 適当に座る場所を探して腰を落ち着ける。行き交う人を眺めながら俺たちは屋台の味を楽しんだ。

「トシくん、りんご飴食べる?」

 葵ちゃんがりんご飴を差し出してくる。せっかくなので一口いただいた。子供の舌だと素直に甘くておいしいと感じられた。

「おいしい?」
「うん。すごくおいしいよ」
「えへへ。よかったー」

 元通りの調子に戻ってくれたかな。そう思っていると、正面を向いた葵ちゃんはビクリと体を震わせた。そして目を伏せてしまう。
 誰かいたのかと、正面の人混みに目を向ける。けれど見知った人物はいなかった。
 葵ちゃんの気が落ち込んでいくのを示すように、彼女は段々とうつむいていった。また振り出しに戻ってしまったことを悟る。
 せっかく元気になっていたのに。どうしてまた落ち込んでしまったのかがわからなくて、俺はどう声をかけていいのかわからなくなってしまった。

「葵、あたしのかき氷食べてみない? いちご味よ」
「うん。代わりに私のりんご飴も食べていいよ」

 俺を挟んだ状態で、二人は食べさせ合いっこを始めた。その光景はなんと言いますか……、とても良い眺めでした。
 たこ焼きを食べ終わって、ぼんやりと人の流れを眺めていると、家族で来たのだろう。小川さんが何人もの兄妹に囲まれながら歩いているのが見えた。俺が気づいたのと同時に、向こうも俺達に気づいたようだ。

「あーっ! あおっちときのぴーじゃん! ……と、高木くん」
「俺はついでかいっ。まあいいけどさ。こんばんは小川さん」

 俺達を見つけた小川さんは、兄妹を置いて興奮したように駆け寄ってきた。祭りとかで友達を見つけると確かにテンションが上がるよね。

「あおっちときのぴー浴衣じゃん! いいなー、かわいー」

 そう言う小川さんの装いは軽装の私服だった。ショートパンツなので動きやすそうだ。彼女の場合本当に動き回るからそんな恰好なのだろう。
 ちなみに、俺の浴衣に対してのコメントはなかった。別に気にしてませんけどね。
 腕をちょんちょんとつつかれる。瞳子ちゃんだ。
 葵ちゃんと小川さんが話し込んでいるのを見計らったようなタイミングで、彼女は俺の耳に唇を寄せてきた。

「俊成、あたしちょっと小川さんと回ってくるから。その間、葵のこと任せてもいい?」
「いいけど。いきなりどうしたの?」

 瞳子ちゃんが小声だったので俺も小声で返す。その内容は彼女にしてはらしくないと思えた。
 今までわざわざ俺と葵ちゃんを二人きりにすることなんてなかった。瞳子ちゃんは可能ならずっと俺の傍にいようとしてくれたから。

「あのね……、理由はわからないんだけど、葵の元気がないみたいなの。あたしもいろいろやってみたんだけど、あんまり上手くいかなかったみたいで……。でも、俊成に励ましてもらえたら葵だって元気になると思うのよ」

 瞳子ちゃんの返答は思いやりに満ちたものだった。
 彼女はこの間のプールで葵ちゃんが中学生達にからかわれたことを知らない。俺からは話せないし、葵ちゃんだって教えてはいないようだった。
 それでも、葵ちゃんの様子を敏感に察知して元気づけようとがんばってくれていたらしい。葵ちゃんのためになんとかしてあげたい。その一心で俺を頼ってくれているのだ。
 胸に湧き上がった衝動のまま瞳子ちゃんの頭を撫でる。彼女から「ふぇ!?」とかわいらしい声が漏れていたけれど、それを無視して撫で続けた。
 この子はもう本当に……。

「わかった。俺なりにがんばってみるよ。葵ちゃんのことは俺に任せて」
「うん。頼りにしてるわよ俊成」

 葵ちゃんをどうやって元気づければいいか。解決できる良い考えを思いついたわけじゃない。
 それでも、瞳子ちゃんから期待されたのだ。精一杯、やるだけやってみると決めた。
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