上 下
41 / 172
第一部

41.田舎の思い出(前編)

しおりを挟む
 小学生の夏休みの宿題は年々増えていく。四年生にもなればそれなりの量となっていた。
 だからといって一つ一つは楽なものである。簡単なものはさっさと済ませてしまい、長期休暇を堪能するに限る。
 夏休みに入ってからイベントは目白押しだった。俺だけじゃなく、葵ちゃんはピアノのコンクールがあったり、瞳子ちゃんが水泳の大会に出たりと大事なイベントが続く。もちろん二人とも優秀な成績を収めていた。
 二人みたいに俺は大会とかそういうのには出ないからな。なんだかちょっと寂しい気分。朝走ったり、水泳や英語教室に通ったりなどを続けているくらいだ。せっかくの夏休みなのに変わり映えしない。
 なんか新しいことを始められないかと図書館に行ってみたりもした。当たり前だが小学校の図書室とは比べ物にならないくらいの蔵書数だ。あまり字の小さい本は読んでこなかったのだが、時間もあるのでいろいろと読んでみた。
 様々な本を読んでいるとたくさんの人生があるのだなと気づかされる。専門書なんかでもこれを書くためにそのことについて深く調べたのだろうと伝わってくる。そういったものをいろいろと読んでみると、それぞれ人によって方向性の違いがあるのを知った。
 矢印を全方向に向けるのは無理だ。一人でやるには限界というものがある。凡才の俺になんでもかんでもやろうってのは現実的じゃない。
 将来をどんな方向に進みたいのか。まだまだはっきりしていない。俺ってはっきりしてないことばっかだな。
 ただ、今回の人生で決めていることの一つとして大学に進もうと思っている。それもできるだけいいところだ。
 今のところ勉強に関してはずっと復習しているようなものだ。だけど段々とそういうわけにもいかなくなる。高校でもいいところに行こうと思えば難しい問題を解けるようにならないといけないし、大学ともなれば俺にとって未知の領域である。
 とにかく勉強さえしていればいざ自分のやりたいことを見つけた時に力になってくれるはずだ。少なくともマイナスにはならない。
 そんなわけで夏休みの長期休暇を活かして自分を高めることにした。もちろん葵ちゃんと瞳子ちゃんと遊んだりしているので勉強漬けってわけでもないんだけどな。


  ※ ※ ※


「トシくん……本当に、行っちゃうの?」
「あたし達を置いて行ったのに、病気とかケガしたら……許さないんだからっ」

 葵ちゃんと瞳子ちゃんの涙に濡れた目が頭の中にこびりついている。
 彼女達は去って行こうとする俺の服をずっと握っていた。ぎゅっと力強く、行かないでと言葉にされていないのにこれでもかと伝わってきた。
 それでも俺は葵ちゃんと瞳子ちゃんに背を向けた。二人の想いを振り払ったようなものだ。
 泣いてしまうだろうか。俺には振り返って二人の顔を見る勇気がなかったのだ。
 ただ「またね」と言った。「さよなら」だなんて嘘でも口にしたくなかったから……。

 ……ん? そうまでしてどこへ行くのかって? そりゃじいちゃんばあちゃんの家だけど。
 お盆がきたので父が実家に帰省することとなったのだ。遠いところだったり両親の都合の問題もあって毎年は行けていなかった。たまにはじいちゃんとばあちゃんに顔を見せた方がいいだろう。
 それに、確かじいちゃんは俺が中学生の時に亡くなってしまうのだ。ばあちゃんの方はけっこう長生きだったのだが。行ける時にはちゃんと顔を合わせておきたい。
 泊まりがけになることもあって、その間は葵ちゃんと瞳子ちゃんに会えないのだ。夏休みになっても毎日のように顔を見ていただけにこれは寂しい。

「おー、俊成か。でっかくなったな。ほれ、上がれ上がれ」
「久しぶりね俊成ちゃん。何もないところだけどゆっくりしていってね」

 じいちゃんとばあちゃんは元気そうだった。まだそこまで歳というわけでもない。ただじいちゃんはかなりの酒飲みだからなぁ。それが体を悪くした原因になってる気がしてならない。後でそれとなく注意しておこう。
 じいちゃんとばあちゃんの家はそれなりの田舎だった。畑と田んぼがあって家と家の間も離れていたりする。落ち着いた空気が心地よい。

「あーっ!! 兄ちゃんだーーっ!!」

 そんな空気をぶち壊しにする大声が響いた。声の主は俺を指差して元気いっぱいに笑っていた。
 俺とそう変わらない歳の女の子だった。というか彼女が俺の一つ下だというのは知っている。

「うちすぐに兄ちゃんだってわかったよ! すごいでしょ! ねえねえねえーーっ」
「はいはいすごいすごい」

 おざなりな感じで頭を撫でてやるとその女の子はこれでもかってくらい破顔した。
 彼女の名前は清水しみず麗華れいか。俺の父の妹の娘さんである。つまりは俺の従妹だった。
 麗華は日に焼けてちょっぴり赤くなった髪の毛と小麦色の肌をしていた。葵ちゃんと瞳子ちゃんのとっても白い肌を見慣れているためかなんだか新鮮に感じてしまう。
 その容姿の通り、麗華は外で遊ぶことが大好きなようだ。髪型もショートなので少年と見間違っても仕方がないだろう。

「ねーねー兄ちゃん遊びに行こうぜー。大人ばっかでつまんなかったんだ」
「わかったよ。荷物置いたら外に行こうか」
「おうよ!」

 ……なんかしゃべり口調も男の子っぽくなってるな。名前が「麗華」とお嬢様っぽいだけに叔母さんから教育されていた気がするのだが。もしかして諦めちゃったのだろうか?
 じいちゃんとばあちゃんの家には麗華の両親以外にも親戚の人達がいた。なかなか会わない人達ばかりなのでちゃんとあいさつをする。

「ねー! 兄ちゃんまだー?」

 麗華は待てができないのか。一つ下だから小学三年生のはずだ。葵ちゃんと瞳子ちゃんなら大人しくできるぞ。……いや、あの二人はいい子だからか。普通は麗華みたいに落ち着きがないものなのかもしれない。
 大人はがやがやと忙しそうにしている。明日はみんなで墓参りもあるからやることがあるのだろう。子供の俺は放置である。

「にーいーちゃーんー!! まだかよー?」
「……はいよ。今行くよ」

 いい加減麗華がうるさくなってきた。いや、最初からうるさかったけどさ。
 俺は両親に「麗華と外に遊びに行ってくる」と告げた。玄関に行くと麗華が足をバタバタさせていた。

「もー! 遅いってば!」
「悪かったって。じゃあ行こうか」
「おうよ!」

 麗華は元気に飛び跳ねた。本当に元気な娘だ。
 わかっていたけど外は暑かった。日差しが強くて瞳子ちゃんだったら日焼け止めクリームを塗ってあげなきゃいけないところだ。
 そういや葵ちゃんって日焼け対策とかしてるのかな? あの色白の肌を見れば何かやっているんだろうけど、瞳子ちゃんみたいに日焼け止めクリームを塗ったことがないんだよな。いやまあわざわざ塗りたいわけじゃないんだけども……。

「兄ちゃん! あっちの川の方に行ってみようぜ!」
「わかったって。だから走るなってば」
「なんだよー。兄ちゃんって足遅いのかよ」

 かっちーん! 毎朝走り込みをしている俺の脚力を見せてやろうか? あァン?
 俺は衝動のまま走り出し、前を行く麗華を抜き去った。それで火がついたのか、麗華も足を速める。
 小学三年生の女子相手に本気でかけっこをしている元おっさんがいた。というか俺だった。

「ぜーぜー……。兄ちゃん速過ぎー……」

 あれだけ元気だった麗華が息も絶え絶えである。彼女も同年代の女子相手の中なら速い方なのだろうが俺の敵じゃなかったな。
 麗華は息を整えると俺に向かってにっと笑った。

「うちの負けだぜ。さすがは兄ちゃん!」
「お、おうよ……」

 なんだろう、全然勝った気がしない。そもそも年下の女の子相手に本気出して俺は何をやってんだか……。なんだか急に空しくなってきた。

「おー! 川すげーっ! 超透明だー!」

 俺が冷静になって落ち込んでいる間に、麗華は川に近づいて行った。

「おーい麗華ー。流されるなよー」
「あははっ、兄ちゃんは何言ってんだか。流れなんて全然大したことないじゃんか」

 麗華の言う通り、川の流れは穏やかなものだった。底も浅いから川遊びにはもってこいだ。

「うひゃー! 冷たーい。兄ちゃんも早くこいよー!」

 麗華は躊躇いなく靴を脱いで川へと入った。自然に対して抵抗がまったくないようだ。
 もしかしたら同じ自然好きの瞳子ちゃんと相性がいいのかもしれない。葵ちゃん相手だとちょっと微妙かな。彼女はけっこうインドア派だし、声の大きい子は苦手にしているからな。

「うらあっ! 喰らえ兄ちゃん!!」
「ぶはっ!?」

 なんて考えていたら麗華に水を顔面に浴びせられた。不意打ちだったから水が鼻に入って咳き込んでしまう。それを見た麗華は指を差して思いっきり笑っていた。

「こんにゃろ~。俺を怒らせたなー!!」
「うひゃー! 兄ちゃんが怒ったぞー! 逃っげろーーっ!」

 俺も靴を脱いで川へと入る。足元がひんやりして気持ち良い。
 童心に返って麗華と遊んだ。たまにはこういうのも悪くない。


  ※ ※ ※


「おーい。どこまで行く気だー?」
「いいからいいから。もうちょっと探検しようぜ」

 川遊びを終えて、次に向かったのは山の中だった。
 この山はじいちゃんのもので、前に訪れた時に山菜採りを手伝ったのだ。だから知っている範囲なのでいいが、あまり奥深くに行くようなら麗華を止めなければならない。
 木々に囲まれていて影になっているために、日差しを浴びる心配はあまりなかった。日向にいるよりも涼しくて気持ちがいい。

「財宝を見つけたら山分けだからな。わかってると思うけど独り占めにしようなんて考えるなよ。兄ちゃんわかった?」
「わかったわかった」

 この子は何を期待しているんだか。ある意味夢と希望に満ち溢れてるけどさ。
 ずんずんと前を歩く麗華の後を追う。たぶん彼女の頭に地理はないだろうに、どうしてこうも迷いなく足を踏み出せるのか。子供の好奇心と言ってしまえばそれまでだけどね。

「しっ。兄ちゃん隠れてっ」

 麗華が急に振り返って俺の口を手で塞いだ。何事かと目を白黒させてしまう。
 見れば麗華は何かに警戒しているようだった。イノシシでも出たのだろうか? 俺も警戒しながら前方を確認する。ここからでは視認できなかった。
 麗華がジェスチャーをする。どうやら目の前の木の向こう側に何かがいるようだ。
 一応確認してみよう。危険な動物だったらすぐにでも山から出た方がいいだろう。
 警戒心と好奇心を同居させたようなドキドキを胸に、木の陰からそれを覗いた。

「……っ」

 木の向こう側を覗いて、俺は息を飲んだ。
 僅かな日光で金色の髪が光を放っているように見えてしまう。彫の深い顔立ちからは異国の血を思わせた。
 金髪の外国人の少女が、なぜか山の中で一人佇んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?

おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。 『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』 ※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?

みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。 なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。 身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。 一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。 ……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ? ※他サイトでも掲載しています。 ※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。

男がほとんどいない世界に転生したんですけど…………どうすればいいですか?

かえるの歌🐸
恋愛
部活帰りに事故で死んでしまった主人公。 主人公は神様に転生させてもらうことになった。そして転生してみたらなんとそこは男が1度は想像したことがあるだろう圧倒的ハーレムな世界だった。 ここでの男女比は狂っている。 そんなおかしな世界で主人公は部活のやりすぎでしていなかった青春をこの世界でしていこうと決意する。次々に現れるヒロイン達や怪しい人、頭のおかしい人など色んな人達に主人公は振り回させながらも純粋に恋を楽しんだり、学校生活を楽しんでいく。 この話はその転生した世界で主人公がどう生きていくかのお話です。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ この作品はカクヨムや小説家になろうで連載している物の改訂版です。 投稿は書き終わったらすぐに投稿するので不定期です。 必ず1週間に1回は投稿したいとは思ってはいます。 1話約3000文字以上くらいで書いています。 誤字脱字や表現が子供っぽいことが多々あると思います。それでも良ければ読んでくださるとありがたいです。

美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった

ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます! 僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか? 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

処理中です...