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第一部
32.温泉旅館へ行こう【挿絵あり】
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動物園から予約していた温泉旅館まで車で三十分ほどで着いた。
緑の多い自然豊かな場所にその旅館はあった。静かでゆったりと過ごすにはいい場所だ。
凛とした雰囲気の女将さんと仲居さんに出迎えられる。こういうおもてなしが旅館の良いところだよね。
「さてさてさーて、予約している部屋は三つです。部屋割はどうなってるか知ってるかなー?」
なぜか嬉しそうに葵ちゃんのお母さんが言った。クイズでも出してるつもりなのだろうか?
葵ちゃんと瞳子ちゃんが首をかしげるので俺が答えることにした。
「三つなんだからそれぞれの家族でってことじゃないんですか?」
「ぶっぶー。はっずれー」
葵ちゃんのお母さんは指でばってんを作って笑う。俺も首をかしげてしまう。
「せっかく旅行に来たのにいつもと同じだとつまらないでしょ? だからちゃんと考えました」
瞳子ちゃんのお母さんが「考えマシター」と続く。どうやら母親勢の意見が通っているらしい。
家族ごとではないとしたらどうなっているのだろうか。男女で分けているとかかな? いやいや、それだと部屋を三つも取らなくてもいいことになってしまう。
うーむ……、わからないなぁ……。
※ ※ ※
「広いお部屋だー」
「景色もとってもいいわよ」
旅館の一室に案内されて葵ちゃんと瞳子ちゃんのテンションが上がっていた。
あっ、お菓子も置いてある。後で三人で食べようっと。
「夕食の時間までは自由時間だからね。外に行ってもいいけどあまり遠くに行っちゃダメよ」
そう言い残して葵ちゃんのお母さんは部屋を出た。外から瞳子ちゃんのお父さんの声が聞こえた気がするけど、まあ気のせいだろう。そういうことにしておいた。
葵ちゃんのお母さんが発表した部屋割は、俺と葵ちゃんと瞳子ちゃんの三人で一部屋となっていた。まさかの子供オンリーである。
あとの二部屋は父親と母親がそれぞれ固まっている。葵ちゃんのお父さんなんて酒を買い込んでいた。男共は酒盛りする気満々である。
葵ちゃんと瞳子ちゃんと同じ部屋。しかも親公認である。……い、いいのか?
いやまあお泊まり会くらい彼女達とやってたりはしたけれども。でもそれも久しぶりのことだ。もちろん子供だし間違いなんて起こりようもないんだけども。……い、いいのかな?
「ちょっと外出てみない?」
瞳子ちゃんの提案で外を散歩することにした。少し冷静になりたかったしありがたい。
旅館の外に出ると見慣れない緑の景色が続く。道は整備されているので歩きやすかった。
秋頃に来ればまたいい景色が見れそうだ。こうやって知らない静かなところで和むのも風流ですなぁ。
「ちょっと冷えてきたわね」
日が暮れてきて風が冷たくなってきた。瞳子ちゃんがすすすーっと身を寄せてくる。
「寒いから手を繋ごうよトシくん」
葵ちゃんは躊躇いなく俺の手を取った。いつも登校時に手を繋いでるもんだからなんの違和感もない。
それを見てちょっとだけむっとした顔になった瞳子ちゃんも俺の手を取った。もう冷えとか感じなかったね。
暗くなる前に旅館へと戻る。ちょうど夕食時だった。
夕食は和食だった。家庭ではあまり出ないようなものもあったので満足だ。せっかく旅行に来たのだからそこでしか食べられないものを食べたいからね。
「よーっし! 俊成くん、温泉に行こうか!」
ダンディーなおじ様に誘われてしまった。これは断れないな。
え? 温泉は混浴? 女湯に入らないのかって? はははっ、そんなのお父様方が許してくれるわけがないじゃないですかー。
自分の母親のはともかくとして、葵ちゃんと瞳子ちゃんのお母さんの裸体が見れないのは残念だと記しておく。べ、別に口に出したりしないからセーフだよね?
男同士で裸の付き合いだ。葵ちゃんのお父さんはダンディーな見た目通りと言うべきか、なかなかにたくましい身体つきだった。しかし意外にも大きいのは瞳子ちゃんのお父さんの方だ。何がとは言いませんが。こうして比べると父さんは普通だな……。
体を洗いみんなで湯船に浸かる。肩まで浸かるとふぃー、と気持ち良い声が漏れた。これでも小学四年生の男子です。
「まったく! 瞳子が他の男と寝るだなんてっ。僕はまだ納得していない!」
「はっはっはっ! まあまあこういう経験は今のうちだけなんだからいいじゃないか。それにせっかく男が固まってんだから自由にできるだろ?」
「そうですねー。子供達はみんな良い子だから大丈夫でしょう。まあ私が言うのはちょっと説得力に欠けると思いますが」
瞳子ちゃんのお父さん、葵ちゃんのお父さん、俺の父の順である。母親勢と同じくこっちも仲良くなっている。やはり同年代の子供がいると話しやすいのだろうか。そのあたりの感覚は俺にはまだわからない。
父親の会話はけっこう自由だ。俊成くんはどっちとくっつくんだろうか、なんて話をしている。俺ここにいるんですけどね。
親としてもまだ子供だと思って深刻に考えてないんだろうな。俺はこれでもけっこう悩んでるよ。早く決めようと思っても感情は思い通りになってくれはしない。
「そういえば宮坂さん。お仕事はどうですか?」
父さんが何気ないことのように葵ちゃんのお父さんに尋ねる。俺は遠慮して聞けてないことだったのに、すごいよ父さん!
「ああ、もう軌道に乗ったからな。最初は大変だったが今は順調だ」
「起業するだなんて私では無理でしょうね。本当に宮坂さんはすごいですよ」
「高木さんが思ってるほどには事業を起こすこと自体は難しくねえな。タイミングと度胸。あとは勢いに乗るまでが大変なくらいか。まっ、俺は成功する見込みがあってやったからな」
そう言って葵ちゃんのお父さんは豪快に笑った。起業家だったのか。なんかすごいんだな。
そこそこの安定志向を持っている俺にはちょっと考えられない。成功するからいろいろな会社があるのだろうが、どうしても失敗するリスクを真っ先に考えてしまう。それが度胸のなさってことか……。
前世ではしがないサラリーマン。今回はどうなることやら。俺自身のことなのに将来設計が未だに出来あがらない。
「しかし木之下さんも大したもんだ。整体師だろ? 文字通り自分の腕だけで家族を養ってるんだからな」
「僕は三男で自由な立場だったからね。技術を磨くためにたくさんの経験を積んだんだ。だからこそ今は稼げているんだよ」
瞳子ちゃんのお父さんはそう言って胸を張った。というか整体師ってのを初めて知ったな。
脱サラして整体師って話はけっこう聞くけど、成功するかなんて簡単にはいかないだろうと思っていた。稼ぎだってピンキリらしいし、安定しない職業だろうと漠然と考えていた。
しかし、瞳子ちゃんのお父さんは成功しているのだろうな。お母さんの方が専業主婦ではあるから困らせない程度には稼いでいるのだろう。
なんか葵ちゃんと瞳子ちゃんのお父さんってすごいんだな。どちらも我が道を進んでいる感じだ。
どんな大人になりたいかと聞かれれば、こんな風に自分の力で道を切り開けるような大人になりたい。はっきり、というわけではなかったが、俺の中でそういう考えが芽生えた。
俺の父親? 中小企業の会社員ですが何か? これでもちゃんと家族を養っているのだから尊敬しているに決まっている。
※ ※ ※
「お待たせ俊成」
温泉から上がってから売店前で女性陣が来るのを待っていた。男よりも長いだろうからとのんびり椅子に座っていたのだが、思ったよりも早く浴衣姿の瞳子ちゃんがきた。
風呂上がりの瞳子ちゃんは髪を下ろしている。綺麗な銀髪がしっとりとしており、ちゃんと温まったようで頬に赤みが差していた。
髪を下ろして浴衣姿になっていると、いつもより大人っぽく見える。ツインテールの子が髪を下ろした時のドキリとする感覚は瞳子ちゃんばかりにやられてしまっている。
「瞳子ちゃん。葵ちゃんは?」
「まだ髪の毛乾かしてるみたいだったからおばさんに任せて先に出ちゃった」
ぺろっと舌を出す瞳子ちゃん。彼女にしては珍しく葵ちゃんを出し抜いた形となった。
「そっか。じゃあ葵ちゃんがくるまでここでいっしょに待ってようか」
「うんっ」
瞳子ちゃんは嬉しそうに俺の隣へと座った。初めての三家族での旅行で瞳子ちゃんのテンションは上がっているのだろう。
「ねえ俊成。これ、似合う?」
軽く手を広げながら瞳子ちゃんははにかむ。浴衣が似合うかどうか聞いているようだ。
「とっても似合うよ。すごくかわいい」
「えへへ。ありがと」
……本当にかわいいなぁ。
銀髪に碧眼という日本人離れな容姿の彼女だけど、中身はまだ小学四年生の女の子だ。褒められて笑顔になってるのを見ると歳相応に思えた。
「あー! やっぱり瞳子ちゃんトシくんのところにいたー! 置いて行くなんてひどいよー」
髪を乾かしたらしい葵ちゃんがぷんすかしていた。急いでいたのかすでに着ている浴衣が少しはだけている。すぐに葵ちゃんのお母さんに直されているけども。
「葵が遅いからいけないのよ」
「うー! ずーるーいー!」
葵ちゃんが地団駄を踏みそうな勢いである。これはなだめた方がいいな。
「まあまあ葵ちゃん。ほら、売店でフルーツ牛乳買ってもらおうよ」
チラリと母親勢に目を向けると揃って苦笑いされた。こんな形でせがんでごめんなさい。
この後フルーツ牛乳を飲んだ葵ちゃんのご機嫌は直った。俺は足を肩幅に広げ、左手は腰に当てながらコーヒー牛乳を一気飲みした。瞳子ちゃんはちびちびといちご牛乳を飲んでいた。
※ ※ ※
「それじゃあ、もし何かあったら言いに来るのよ?」
「な、何かあったらだなんて……俊成ちゃんに限ってそんな……」
「高木さん、心配し過ぎデスヨ」
葵ちゃんのお母さんにいろいろと注意事項を述べられて部屋へと送られた。母さんがちょっとテンパってたけど瞳子ちゃんのお母さんに手を引かれて部屋へと行ってしまう。
これからパパ友とママ友の会でも始めるのだろう。両親には今日くらいは羽を伸ばしてほしい。大した親孝行なんてできていないけれど、それくらいは息子として願わせてほしいものだ。
さて、と。
「もうお布団敷いてるね。私トシくんの隣ー」
「あたしも俊成の隣に決まってるじゃない。俊成は真ん中ね」
部屋に入るとすでに布団は三人分敷かれていた。綺麗に横並びになっている。
大丈夫だ。俺達はそれぞれの家でのお泊まり経験がある。二人と寝るのだってこれが初めてじゃないのだ。
ただ、いつもと違う場所で、いつもと違う装い。浴衣姿ってそれだけで色っぽく感じてしまうのはなぜなのだろう?
「ねえねえ、いっぱいお話しようねっ。夜はこれからなんだからね!」
葵ちゃんはにぱーと笑う。夜更かしする気満々であった。ちゃんと眠れるのか心配になってしまうよ。
……という心配をしながらも、最初に脱落したのは言い出しっぺの葵ちゃんであった。
「まったく、ちゃんとお布団かけなきゃ風邪引いちゃうんだからね」
そう言いつつも、瞳子ちゃんは葵ちゃんを布団に寝かせていた。面倒見の良い彼女らしい。
「葵も寝たし、電気消しましょうか」
「そうだね」
俺は電灯を消した。部屋は月明かりの光だけが頼りとなる。
真ん中に敷かれている布団へと寝転ぶ。寝てみると体の疲れを感じる。そりゃあ葵ちゃんだってすぐに眠ってしまうよな。
「おやすみ俊成」
「おやすみ瞳子ちゃん」
目をつむる。そういえば前世では泊まりがけの家族旅行なんて行った覚えがないな。キャンプで一泊した覚えはあるけれど、こんな旅館に家族では泊まったことがなかった。
これもまた変化の一つなのだろう。それが良い方向だと信じたい。
「うーん……」
声に目を開けると、葵ちゃんがもぞもぞと動いていた。またか。
葵ちゃんは寝相が悪いのである。お泊まり会では何度抱き枕にされたことか。もう定番になっていた。
今回もこっちにくるのかな? とか思って見守っていると、葵ちゃんは腕をあっちへこっちへと動かした。どんな夢を見ているのか。
「あ……」
だが、いつものお泊まり会と違ってパジャマではないのだ。浴衣がはだけて胸が露わになっていく。
月明かりに照らされて膨らみ始めたばかりの小山が段々と姿を現す。俺は断じてロリコンではない。ないのだが、その光景に見入っていた。
「うーん……」
葵ちゃんの声が艶めかしく聞こえてしまう。俺は一体何を考えとるのだ!
体を起こして葵ちゃんのはだけた浴衣を直してあげる。うん。風邪引かないようにね?
「……」
やれやれと思って自分の布団へと戻ろうとしていると、無言でいる瞳子ちゃんと目が合った。
正直かなりびびりました。てっきり寝ていたと思っていたのに。いつから見ていたのかガン見されている……。
「俊成」
「は、はいっ」
ちょっと瞳子ちゃんに逆らえる気がしない。俺は冷や汗を押さえながら続きを待った。
「そっち、行ってもいい?」
「え?」
俺が答えるよりも早く、瞳子ちゃんは俺の布団へと潜り込んできた。
「と、瞳子ちゃん?」
「しーっ。葵が起きちゃうでしょ」
そう言われて慌てて口をつぐむ。葵ちゃんはすぅすぅと寝息を立てている。起きる気配はない。
「ふふっ、こうしてると幼稚園の頃を思い出すわね」
「幼稚園のお泊まり会か。懐かしいなぁ」
あの時は瞳子ちゃんと長い付き合いになるなんて考えもしなかった。そのお泊まり会が終わってからだったかな。瞳子ちゃんの好意が本物だって思い知らされたのは。
それでもまだ子供だと思っていた。それなのに今になっても変わらない気持ちでいてくれている。本当に俺には勿体ない。
月の光が瞳子ちゃんを輝かせている。キラキラと銀髪が光っているようだ。彼女の特徴であるブルーアイズも不思議な輝きを帯びる。
月が綺麗ですね、というのはかの有名な夏目漱石の告白文句だったろうか。現在はまだ千円札でいてくれている。
だけど、俺は月よりも瞳子ちゃん自身が綺麗だと思った。
「綺麗だね」
「え?」
「あ、いや……月の光で瞳子ちゃんの瞳がとってもキラキラしてて……。その、綺麗だと思ったんだ」
「……っ!」
月明かりだけなのに、瞳子ちゃんの顔がみるみる赤くなっていったのがわかった。顔が真っ赤になると、彼女は勢いよく自分の布団へと戻った。
「も、もう寝るっ! 寝るから! 明日早いんだから俊成もさっさと寝るのよ!」
そうまくし立てて瞳子ちゃんは布団にくるまってしまった。恥ずかしがらせてしまっただろうか。
まあうん、俺も恥ずかしいことを言った自覚はある。なんか顔熱いし。言われた通りさっさと寝ようかな。
一泊二日のこの旅行は明日遊園地に寄ってから帰宅するという流れだ。子供の夢である遊園地が控えているのだ。睡眠不足でいるわけにはいかないだろう。
最後に見せられた瞳子ちゃんの表情がなかなか頭から離れない。ドキドキする胸を落ち着かせるには、それなりの時間が必要だった。
※素浪臼さんからカスタムキャストで作成したイラストをいただきました!
緑の多い自然豊かな場所にその旅館はあった。静かでゆったりと過ごすにはいい場所だ。
凛とした雰囲気の女将さんと仲居さんに出迎えられる。こういうおもてなしが旅館の良いところだよね。
「さてさてさーて、予約している部屋は三つです。部屋割はどうなってるか知ってるかなー?」
なぜか嬉しそうに葵ちゃんのお母さんが言った。クイズでも出してるつもりなのだろうか?
葵ちゃんと瞳子ちゃんが首をかしげるので俺が答えることにした。
「三つなんだからそれぞれの家族でってことじゃないんですか?」
「ぶっぶー。はっずれー」
葵ちゃんのお母さんは指でばってんを作って笑う。俺も首をかしげてしまう。
「せっかく旅行に来たのにいつもと同じだとつまらないでしょ? だからちゃんと考えました」
瞳子ちゃんのお母さんが「考えマシター」と続く。どうやら母親勢の意見が通っているらしい。
家族ごとではないとしたらどうなっているのだろうか。男女で分けているとかかな? いやいや、それだと部屋を三つも取らなくてもいいことになってしまう。
うーむ……、わからないなぁ……。
※ ※ ※
「広いお部屋だー」
「景色もとってもいいわよ」
旅館の一室に案内されて葵ちゃんと瞳子ちゃんのテンションが上がっていた。
あっ、お菓子も置いてある。後で三人で食べようっと。
「夕食の時間までは自由時間だからね。外に行ってもいいけどあまり遠くに行っちゃダメよ」
そう言い残して葵ちゃんのお母さんは部屋を出た。外から瞳子ちゃんのお父さんの声が聞こえた気がするけど、まあ気のせいだろう。そういうことにしておいた。
葵ちゃんのお母さんが発表した部屋割は、俺と葵ちゃんと瞳子ちゃんの三人で一部屋となっていた。まさかの子供オンリーである。
あとの二部屋は父親と母親がそれぞれ固まっている。葵ちゃんのお父さんなんて酒を買い込んでいた。男共は酒盛りする気満々である。
葵ちゃんと瞳子ちゃんと同じ部屋。しかも親公認である。……い、いいのか?
いやまあお泊まり会くらい彼女達とやってたりはしたけれども。でもそれも久しぶりのことだ。もちろん子供だし間違いなんて起こりようもないんだけども。……い、いいのかな?
「ちょっと外出てみない?」
瞳子ちゃんの提案で外を散歩することにした。少し冷静になりたかったしありがたい。
旅館の外に出ると見慣れない緑の景色が続く。道は整備されているので歩きやすかった。
秋頃に来ればまたいい景色が見れそうだ。こうやって知らない静かなところで和むのも風流ですなぁ。
「ちょっと冷えてきたわね」
日が暮れてきて風が冷たくなってきた。瞳子ちゃんがすすすーっと身を寄せてくる。
「寒いから手を繋ごうよトシくん」
葵ちゃんは躊躇いなく俺の手を取った。いつも登校時に手を繋いでるもんだからなんの違和感もない。
それを見てちょっとだけむっとした顔になった瞳子ちゃんも俺の手を取った。もう冷えとか感じなかったね。
暗くなる前に旅館へと戻る。ちょうど夕食時だった。
夕食は和食だった。家庭ではあまり出ないようなものもあったので満足だ。せっかく旅行に来たのだからそこでしか食べられないものを食べたいからね。
「よーっし! 俊成くん、温泉に行こうか!」
ダンディーなおじ様に誘われてしまった。これは断れないな。
え? 温泉は混浴? 女湯に入らないのかって? はははっ、そんなのお父様方が許してくれるわけがないじゃないですかー。
自分の母親のはともかくとして、葵ちゃんと瞳子ちゃんのお母さんの裸体が見れないのは残念だと記しておく。べ、別に口に出したりしないからセーフだよね?
男同士で裸の付き合いだ。葵ちゃんのお父さんはダンディーな見た目通りと言うべきか、なかなかにたくましい身体つきだった。しかし意外にも大きいのは瞳子ちゃんのお父さんの方だ。何がとは言いませんが。こうして比べると父さんは普通だな……。
体を洗いみんなで湯船に浸かる。肩まで浸かるとふぃー、と気持ち良い声が漏れた。これでも小学四年生の男子です。
「まったく! 瞳子が他の男と寝るだなんてっ。僕はまだ納得していない!」
「はっはっはっ! まあまあこういう経験は今のうちだけなんだからいいじゃないか。それにせっかく男が固まってんだから自由にできるだろ?」
「そうですねー。子供達はみんな良い子だから大丈夫でしょう。まあ私が言うのはちょっと説得力に欠けると思いますが」
瞳子ちゃんのお父さん、葵ちゃんのお父さん、俺の父の順である。母親勢と同じくこっちも仲良くなっている。やはり同年代の子供がいると話しやすいのだろうか。そのあたりの感覚は俺にはまだわからない。
父親の会話はけっこう自由だ。俊成くんはどっちとくっつくんだろうか、なんて話をしている。俺ここにいるんですけどね。
親としてもまだ子供だと思って深刻に考えてないんだろうな。俺はこれでもけっこう悩んでるよ。早く決めようと思っても感情は思い通りになってくれはしない。
「そういえば宮坂さん。お仕事はどうですか?」
父さんが何気ないことのように葵ちゃんのお父さんに尋ねる。俺は遠慮して聞けてないことだったのに、すごいよ父さん!
「ああ、もう軌道に乗ったからな。最初は大変だったが今は順調だ」
「起業するだなんて私では無理でしょうね。本当に宮坂さんはすごいですよ」
「高木さんが思ってるほどには事業を起こすこと自体は難しくねえな。タイミングと度胸。あとは勢いに乗るまでが大変なくらいか。まっ、俺は成功する見込みがあってやったからな」
そう言って葵ちゃんのお父さんは豪快に笑った。起業家だったのか。なんかすごいんだな。
そこそこの安定志向を持っている俺にはちょっと考えられない。成功するからいろいろな会社があるのだろうが、どうしても失敗するリスクを真っ先に考えてしまう。それが度胸のなさってことか……。
前世ではしがないサラリーマン。今回はどうなることやら。俺自身のことなのに将来設計が未だに出来あがらない。
「しかし木之下さんも大したもんだ。整体師だろ? 文字通り自分の腕だけで家族を養ってるんだからな」
「僕は三男で自由な立場だったからね。技術を磨くためにたくさんの経験を積んだんだ。だからこそ今は稼げているんだよ」
瞳子ちゃんのお父さんはそう言って胸を張った。というか整体師ってのを初めて知ったな。
脱サラして整体師って話はけっこう聞くけど、成功するかなんて簡単にはいかないだろうと思っていた。稼ぎだってピンキリらしいし、安定しない職業だろうと漠然と考えていた。
しかし、瞳子ちゃんのお父さんは成功しているのだろうな。お母さんの方が専業主婦ではあるから困らせない程度には稼いでいるのだろう。
なんか葵ちゃんと瞳子ちゃんのお父さんってすごいんだな。どちらも我が道を進んでいる感じだ。
どんな大人になりたいかと聞かれれば、こんな風に自分の力で道を切り開けるような大人になりたい。はっきり、というわけではなかったが、俺の中でそういう考えが芽生えた。
俺の父親? 中小企業の会社員ですが何か? これでもちゃんと家族を養っているのだから尊敬しているに決まっている。
※ ※ ※
「お待たせ俊成」
温泉から上がってから売店前で女性陣が来るのを待っていた。男よりも長いだろうからとのんびり椅子に座っていたのだが、思ったよりも早く浴衣姿の瞳子ちゃんがきた。
風呂上がりの瞳子ちゃんは髪を下ろしている。綺麗な銀髪がしっとりとしており、ちゃんと温まったようで頬に赤みが差していた。
髪を下ろして浴衣姿になっていると、いつもより大人っぽく見える。ツインテールの子が髪を下ろした時のドキリとする感覚は瞳子ちゃんばかりにやられてしまっている。
「瞳子ちゃん。葵ちゃんは?」
「まだ髪の毛乾かしてるみたいだったからおばさんに任せて先に出ちゃった」
ぺろっと舌を出す瞳子ちゃん。彼女にしては珍しく葵ちゃんを出し抜いた形となった。
「そっか。じゃあ葵ちゃんがくるまでここでいっしょに待ってようか」
「うんっ」
瞳子ちゃんは嬉しそうに俺の隣へと座った。初めての三家族での旅行で瞳子ちゃんのテンションは上がっているのだろう。
「ねえ俊成。これ、似合う?」
軽く手を広げながら瞳子ちゃんははにかむ。浴衣が似合うかどうか聞いているようだ。
「とっても似合うよ。すごくかわいい」
「えへへ。ありがと」
……本当にかわいいなぁ。
銀髪に碧眼という日本人離れな容姿の彼女だけど、中身はまだ小学四年生の女の子だ。褒められて笑顔になってるのを見ると歳相応に思えた。
「あー! やっぱり瞳子ちゃんトシくんのところにいたー! 置いて行くなんてひどいよー」
髪を乾かしたらしい葵ちゃんがぷんすかしていた。急いでいたのかすでに着ている浴衣が少しはだけている。すぐに葵ちゃんのお母さんに直されているけども。
「葵が遅いからいけないのよ」
「うー! ずーるーいー!」
葵ちゃんが地団駄を踏みそうな勢いである。これはなだめた方がいいな。
「まあまあ葵ちゃん。ほら、売店でフルーツ牛乳買ってもらおうよ」
チラリと母親勢に目を向けると揃って苦笑いされた。こんな形でせがんでごめんなさい。
この後フルーツ牛乳を飲んだ葵ちゃんのご機嫌は直った。俺は足を肩幅に広げ、左手は腰に当てながらコーヒー牛乳を一気飲みした。瞳子ちゃんはちびちびといちご牛乳を飲んでいた。
※ ※ ※
「それじゃあ、もし何かあったら言いに来るのよ?」
「な、何かあったらだなんて……俊成ちゃんに限ってそんな……」
「高木さん、心配し過ぎデスヨ」
葵ちゃんのお母さんにいろいろと注意事項を述べられて部屋へと送られた。母さんがちょっとテンパってたけど瞳子ちゃんのお母さんに手を引かれて部屋へと行ってしまう。
これからパパ友とママ友の会でも始めるのだろう。両親には今日くらいは羽を伸ばしてほしい。大した親孝行なんてできていないけれど、それくらいは息子として願わせてほしいものだ。
さて、と。
「もうお布団敷いてるね。私トシくんの隣ー」
「あたしも俊成の隣に決まってるじゃない。俊成は真ん中ね」
部屋に入るとすでに布団は三人分敷かれていた。綺麗に横並びになっている。
大丈夫だ。俺達はそれぞれの家でのお泊まり経験がある。二人と寝るのだってこれが初めてじゃないのだ。
ただ、いつもと違う場所で、いつもと違う装い。浴衣姿ってそれだけで色っぽく感じてしまうのはなぜなのだろう?
「ねえねえ、いっぱいお話しようねっ。夜はこれからなんだからね!」
葵ちゃんはにぱーと笑う。夜更かしする気満々であった。ちゃんと眠れるのか心配になってしまうよ。
……という心配をしながらも、最初に脱落したのは言い出しっぺの葵ちゃんであった。
「まったく、ちゃんとお布団かけなきゃ風邪引いちゃうんだからね」
そう言いつつも、瞳子ちゃんは葵ちゃんを布団に寝かせていた。面倒見の良い彼女らしい。
「葵も寝たし、電気消しましょうか」
「そうだね」
俺は電灯を消した。部屋は月明かりの光だけが頼りとなる。
真ん中に敷かれている布団へと寝転ぶ。寝てみると体の疲れを感じる。そりゃあ葵ちゃんだってすぐに眠ってしまうよな。
「おやすみ俊成」
「おやすみ瞳子ちゃん」
目をつむる。そういえば前世では泊まりがけの家族旅行なんて行った覚えがないな。キャンプで一泊した覚えはあるけれど、こんな旅館に家族では泊まったことがなかった。
これもまた変化の一つなのだろう。それが良い方向だと信じたい。
「うーん……」
声に目を開けると、葵ちゃんがもぞもぞと動いていた。またか。
葵ちゃんは寝相が悪いのである。お泊まり会では何度抱き枕にされたことか。もう定番になっていた。
今回もこっちにくるのかな? とか思って見守っていると、葵ちゃんは腕をあっちへこっちへと動かした。どんな夢を見ているのか。
「あ……」
だが、いつものお泊まり会と違ってパジャマではないのだ。浴衣がはだけて胸が露わになっていく。
月明かりに照らされて膨らみ始めたばかりの小山が段々と姿を現す。俺は断じてロリコンではない。ないのだが、その光景に見入っていた。
「うーん……」
葵ちゃんの声が艶めかしく聞こえてしまう。俺は一体何を考えとるのだ!
体を起こして葵ちゃんのはだけた浴衣を直してあげる。うん。風邪引かないようにね?
「……」
やれやれと思って自分の布団へと戻ろうとしていると、無言でいる瞳子ちゃんと目が合った。
正直かなりびびりました。てっきり寝ていたと思っていたのに。いつから見ていたのかガン見されている……。
「俊成」
「は、はいっ」
ちょっと瞳子ちゃんに逆らえる気がしない。俺は冷や汗を押さえながら続きを待った。
「そっち、行ってもいい?」
「え?」
俺が答えるよりも早く、瞳子ちゃんは俺の布団へと潜り込んできた。
「と、瞳子ちゃん?」
「しーっ。葵が起きちゃうでしょ」
そう言われて慌てて口をつぐむ。葵ちゃんはすぅすぅと寝息を立てている。起きる気配はない。
「ふふっ、こうしてると幼稚園の頃を思い出すわね」
「幼稚園のお泊まり会か。懐かしいなぁ」
あの時は瞳子ちゃんと長い付き合いになるなんて考えもしなかった。そのお泊まり会が終わってからだったかな。瞳子ちゃんの好意が本物だって思い知らされたのは。
それでもまだ子供だと思っていた。それなのに今になっても変わらない気持ちでいてくれている。本当に俺には勿体ない。
月の光が瞳子ちゃんを輝かせている。キラキラと銀髪が光っているようだ。彼女の特徴であるブルーアイズも不思議な輝きを帯びる。
月が綺麗ですね、というのはかの有名な夏目漱石の告白文句だったろうか。現在はまだ千円札でいてくれている。
だけど、俺は月よりも瞳子ちゃん自身が綺麗だと思った。
「綺麗だね」
「え?」
「あ、いや……月の光で瞳子ちゃんの瞳がとってもキラキラしてて……。その、綺麗だと思ったんだ」
「……っ!」
月明かりだけなのに、瞳子ちゃんの顔がみるみる赤くなっていったのがわかった。顔が真っ赤になると、彼女は勢いよく自分の布団へと戻った。
「も、もう寝るっ! 寝るから! 明日早いんだから俊成もさっさと寝るのよ!」
そうまくし立てて瞳子ちゃんは布団にくるまってしまった。恥ずかしがらせてしまっただろうか。
まあうん、俺も恥ずかしいことを言った自覚はある。なんか顔熱いし。言われた通りさっさと寝ようかな。
一泊二日のこの旅行は明日遊園地に寄ってから帰宅するという流れだ。子供の夢である遊園地が控えているのだ。睡眠不足でいるわけにはいかないだろう。
最後に見せられた瞳子ちゃんの表情がなかなか頭から離れない。ドキドキする胸を落ち着かせるには、それなりの時間が必要だった。
※素浪臼さんからカスタムキャストで作成したイラストをいただきました!
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