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第一部
23.バレンタインデーはただの強制イベントだから
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うちの小学校の制服は夏だろうが冬だろうが半ズボンである。そう、冬でも、だ。
水たまりに氷が張ってようが、つららができていようが半ズボンなのである。何が言いたいかって? 寒いんだよ!
前世での小学生はどうなってたっけかな。さすがに寒い時なら長ズボンを許可するようになっているだろうか。俺の時代はずっと半ズボンである。それがわかってるだけに冬は覚悟しなけりゃいけない。
「俊成くん寒そうだねー」
「い、いやあ……ははっ」
登校中、寒くてあまりにも震えてるもんだから野沢先輩に笑われてしまった。苦笑いの吐息ですら白くなる。
「トシくん大丈夫?」
葵ちゃんが心配そうに首をこてんと傾けた。心暖まるなぁ。
手袋は許可されているので装着している。寒さはガードできるものの、繋いでいる葵ちゃんの手の感触もガードされてしまうのは寂しかった。
北風がぴゅーぴゅー吹いている。そんな感じな歌を葵ちゃんが歌っている。寒いのに元気だ。子供は風の子というのは本当らしい。いや、今は俺も子供なんだけども。
「あっ、そうだ俊成くんに渡すものがあるの」
学校に到着してそれぞれの下駄箱に向かうタイミングで、野沢先輩に声をかけられた。
彼女はランドセルを開けて中から何か箱のようなものを取り出した。綺麗にラッピングされている。
「はいこれ、バレンタインのチョコだよ」
にこっ、と笑って差し出されたのはチョコらしい。……チョコだって?
そうか……今日は二月十四日だった。つまりバレンタインデー。リア充カップル爆発しろ! の時期だった。
前世での俺は母親以外からチョコをもらったことがない。学生時代はもちろん、社会人時代でももらえることはなかった。同僚でも義理チョコもらってたのに……。お菓子メーカーの陰謀ってやつは不幸を生み出す悪しき風習でしかないと思ってたね。けっ。
それなのにまさか……まさか今世ではもらえるとは! 前世のバレンタインデーがあまりにも悲惨で記憶から抹消していたというのに、こんなにいい形で思い出させてくれるなんてっ。
「あ、ありがとうございます。野沢先輩からチョコをもらえてとっても嬉しいです!」
俺は野沢先輩のチョコをうやうやしく受け取った。手が震えているのは寒さからだけではないだろう。
俺にチョコを渡すと「じゃあね」と野沢先輩は行ってしまった。あなたのようなお姉さんがいてよかったです。俺は彼女の後姿に深々と頭を下げた。
「……」
顔を上げると、葵ちゃんが俺をじーっと見つめていた。大きくパッチリとした目に俺が映っている。
「な、何かな?」
「……別にー」
葵ちゃんはすたすたと下駄箱へと行ってしまった。なんかツッコミづらい雰囲気だったな。
バレンタイン。葵ちゃんと瞳子ちゃんはチョコをくれるのだろうか? 幼稚園の頃はそういう話すらなかったからまだ知らないのかもしれない。記憶を振り返ってもこんな小さい頃からチョコもらえるかなんて考えなかったし、もうちょっと大きくなってからのイベントなのだろう。
今日は野沢先輩からもらえたからよしとしておこう。義理だとしてももらえたという事実が嬉しいのだ。
葵ちゃんといっしょに教室に入ると、いつも通り一年一組のみんなは元気に騒いでいた。
きゃいきゃいはしゃぐ姿からは、今日がバレンタインデーだなんてわかっていない様子だ。普通ならまだ男女で意識しちゃうような年頃でもないしね。
「俊成に葵、おはよう」
先にきていた瞳子ちゃんがあいさつしてくれる。俺と葵ちゃんもあいさつを返してランドセルを席に置いた。
「ん?」
いつも俺の席にくる瞳子ちゃんがこない。見ればぼんやり窓の外を眺めていた。
彼女はみんなとわいわい騒ぐタイプの子ではない。それでも今日の瞳子ちゃんはいつもより大人しかった。
「瞳子ちゃん、どうしたの? 窓の外に何かある?」
「え? 別に……、何もないわよ」
歯切れが悪いな。俺も窓の外に目を向けてみるけど、目新しいものはとくになかった。
もしかして体調が悪いのだろうか。顔を覗き込んでみるが、顔色が悪いというわけでもなさそうだ。
「な、何よ……?」
「いや、体の調子が悪いのかなって思っちゃって」
「はあ?」
眉をひそめられた。幼いながらも顔のパーツが綺麗に整っているので迫力を感じる。
何か誤魔化した方がいいのだろうか。そんな逃げの一手を考えていると、一人の女子が教室の入り口から覗きこんでいるのが見えた。
彼女は誰か探しているみたいに視線を動かしている。そして俺と目が合ってピタリと止まった。
「高木。こっちにきて」
彼女は赤城さんだった。運動会でいっしょにご飯を食べてからあいさつ程度のやり取りをするようになったのだ。クラスが違うのでそう交流があるわけでもないのだが。
何の用だろうか? 手招きしている赤城さんの元へと向かった。
「ちょっと、ついてきて」
「何かあるの?」
「いいから」
説明なしですか。でも断る理由もないし、素直について行くことにした。
赤城さんは階段の後ろ側に俺をつれてきた。ここなら目立たないだろう。つまり何か秘密の話でもするつもりなのかもしれなかった。
俺が身構えていると、赤城さんは無表情なままきょろきょろと辺りを見回した。幼い顔なのに無表情でいるとなんだか仕事人みたいに見えてくる不思議。俺消されるわけじゃないよね?
「これ、あげる」
赤城さんは制服の下に隠していた小さな箱を俺に手渡した。彼女の肌で温められたのかぬくもりを感じる。
「何これ?」
「……今日はバレンタインデーだから。チョコレート」
「えっ!?」
まさかの赤城さんからのバレンタインチョコに目を見張った。そんなに親しいわけでもないと思っていたからびっくりしてしまったのだ。
俺から少し距離をとると、赤城さんは少しうつむきながら言った。
「……運動会の時の、お礼、だから」
それだけ行って赤城さんは走り去ってしまった。お礼を言う暇すらなかった。
……なるほど。つまりこれは運動会の時に昼食を誘ったお礼ということなのだろう。つまり義理チョコか。
ああ、でも義理チョコでも嬉しいな。前世の記録を容易く更新しちゃってるよ。母親を除けば記録は〇個だったけどな。
ほくほく気分で教室に戻ろうとすると、誰かがこっちを見ているのに気づいた。
「……おませなのね」
担任の先生だった。なんだか背後に黒いオーラが見えるのは気のせいだろうか。
「せ、先生。おはようございます」
なんとかあいさつを口にしたものの、先生はあいさつを返してはくれなかった。それどころか遠い目になっている。どうしたどうした?
先生は遠い目をしたまま、ぼそぼそと何か言い出した。
「どうしてバレンタインまで彼は待ってくれなかったのかしら……。その日まで待ってくれれば最高のチョコレートで彼のハートを射抜いて、そのまま結婚できたはずなのに……。君は重いって何よ? 何なのよ!」
小学一年生の前で愚痴を零すのはやめていただきたい。ちゃんと教師の仮面を被ってほしいものだ。
なんか気まずいので慰めることにした。
「先生。先生ならチョコに頼らなくても素敵な男の人が振り向いてくれますよ。先生の優しいところをいっぱい見てきましたし、それに先生は美人さんですから、男の人が放ってはおかないですよ」
「そ、そうかしら?」
「はい」
実際に男性教師の一人が先生に気のある仕草をしていたのを見たことがある。同じ男が言うんだから間違いない。たぶん年齢的にもそう変わらないだろう。
あとはきっかけさえあれば付き合ってしまうのでは、とか思っていたらもうバレンタインデーだったのだ。ちょっと男性教諭、あなたアピール不足じゃないかな。
でも、男は案外奥手だったりするしな。前世の俺とかな。ここは先生にがんばってもらおう。
「先生がちゃんとアピールすれば男の人なんてイチコロですよ。がんばってください」
「え? がんばっていいの?」
「はい?」
俺と先生はしばし見つめ合った。しばらくしてチャイムの音が鳴った。俺達は慌てて教室へと入った。
教師同士の恋愛か。大人になるとしがらみとかがあってうまくいかないのかもしれなかった。それでも先生にはぜひとも幸福を掴んでほしいものだ。影ながらでしか応援はできないけれど、うまくいきますようにと祈らせてもらおう。
※ ※ ※
下校はいつも通り、葵ちゃんと瞳子ちゃんといっしょに帰っていた。
「……」
「……」
「……」
無言の時間が続いている。いつも何かしらおしゃべりしているというのに、珍しいこともあるものだ。
話題を振ってみたのだが、二人の反応は悪かった。生返事ばかりで聞いているのかどうかも怪しいほどだ。
瞳子ちゃんはやっぱり体調が悪かったのだろうか? 葵ちゃんは登校中は元気そうだったのに、今は心ここにあらずといった風である。
たまにはしゃべりたくない日もあるだろう。そう納得することにした。帰り道、二人がぼーっとして事故に遭わないようにと気を張った。
「俊成、ちょっといい?」
瞳子ちゃんが別れ道で口を開いた。なんだろう、と思いながらも頷くと手招きされる。
「葵、ちょっとだけ時間ちょうだいね」
「うん、あっちで待ってるね」
二人はわかり合っていると言わんばかりに頷き合う。俺ハブられてない?
車通りの少ない道。すでに住宅地に入っている。電信柱で身を隠すように瞳子ちゃんに引っ張られた。
「これ、受け取って」
彼女がランドセルから取り出したのはラッピングされた赤色の箱だった。本日三回目だ。さすがにそれが何かは理解できた。
「バレンタインチョコ?」
「……うん。わかってると思うけど、本命だからね」
瞳子ちゃんの猫目のブルーアイズが俺に突き刺さる。顔を赤らめながらも真剣な眼差しだった。
本命と言われて、それを簡単に受け取っていいものなのだろうか。俺の中で躊躇いが生まれる。
そんな俺を無視して、瞳子ちゃんは強引に俺の手に箱を握らせた。
「あたしの気持ちはずっと変わってないから。……今はそれだけわかっててもらえたらいいの。だから受け取って?」
瞳子ちゃんの瞳が揺れている。綺麗な瞳だった。俺には眩し過ぎるほどの純粋さを帯びている。
冷たい風が吹く。瞳子ちゃんのツインテールの銀髪がなびいた。寒いはずなのに、まったくそうは感じなかった。
「じゃっ、また明日ねっ!」
俺が何かを言うよりも早く、彼女は走って行ってしまった。その後ろ姿にどう声をかけようか迷ってしまい、結局何も言えないまま立ち尽くしてしまう。
「トシくん、帰ろっか?」
「あ、うん……」
気がついたら葵ちゃんが傍にいた。呆けてしまっていたらしい。
二人だけになっても静かなままだった。葵ちゃんから口を開く様子はないし、俺も何かしゃべろうという気分ではなくなっていた。
そして、葵ちゃんの家の前まできた。ここまできて、これから葵ちゃんがどんな行動をとるかわからないほど俺は鈍感ではない。
「トシくん」
名前を呼ばれる。やっぱり葵ちゃんも真剣な目をしていた。純粋に、真っすぐに、俺を見ている。
彼女はランドセルからかわいらしいピンク色の箱を取り出した。四個目。前世では考えられなかった数のバレンタインチョコだ。
葵ちゃんはすーと息を吸い、はーと白い息を吐いた。
「トシくん……。大好きです。受け取ってください!」
緊張が伝わってくる。それが葵ちゃんの本気を俺に伝えた。
「俺……」
「葵はトシくんのお嫁さんになりたいからっ。だからがんばる! いっぱいいっぱいがんばる!」
俺が何かを言う前に、葵ちゃんが声を上げる。精一杯の想いを伝えようとしてくれているのがわかって、何も言えなくなる。
「がんばって……がんばるから。もっと大人になったら、答えをください」
葵ちゃんは目に涙を溜めていた。まるで宝石のように、その目はキラキラと光っている。
出会った時からそんな目をしていたね。そんなことを考えながらチョコを受け取った。
「俺も、ちゃんと答えを出せるようにがんばるよ」
今はまだ、それだけしか言えなかった。それでも葵ちゃんは笑顔で頷いてくれた。
「うん!」
いつもの無邪気な笑顔になった葵ちゃんは家へと入って行った。それを見送ってから自宅へと足を向ける。
どこまでも純真な恋心。子供だからとバカにできるはずもなかった。
好かれるというのはもっと気持ち良いものだと思っていた。でもそれだけじゃないのだと知った。
恋を知らなかったおっさん。真っすぐな愛情を向けられるとこんなにもうろたえてしまうのか。前世があって長く生きているのに知らないことばかりだ。いや、経験したことがないと言えばいいのか。
結婚がしたい。それは当然最愛の人とだ。逆行してからずっと考えていたことではあったけれど、その意味は想像していたものと違っていた。
俺の気持ち。恋と愛。心から理解しようと改めて思う。
葵ちゃんと瞳子ちゃん。彼女達には偽ることなく本心を伝えよう。たとえどんな答えになったとしても。
――たとえ、どちらかを傷つける結果になったとしても。
水たまりに氷が張ってようが、つららができていようが半ズボンなのである。何が言いたいかって? 寒いんだよ!
前世での小学生はどうなってたっけかな。さすがに寒い時なら長ズボンを許可するようになっているだろうか。俺の時代はずっと半ズボンである。それがわかってるだけに冬は覚悟しなけりゃいけない。
「俊成くん寒そうだねー」
「い、いやあ……ははっ」
登校中、寒くてあまりにも震えてるもんだから野沢先輩に笑われてしまった。苦笑いの吐息ですら白くなる。
「トシくん大丈夫?」
葵ちゃんが心配そうに首をこてんと傾けた。心暖まるなぁ。
手袋は許可されているので装着している。寒さはガードできるものの、繋いでいる葵ちゃんの手の感触もガードされてしまうのは寂しかった。
北風がぴゅーぴゅー吹いている。そんな感じな歌を葵ちゃんが歌っている。寒いのに元気だ。子供は風の子というのは本当らしい。いや、今は俺も子供なんだけども。
「あっ、そうだ俊成くんに渡すものがあるの」
学校に到着してそれぞれの下駄箱に向かうタイミングで、野沢先輩に声をかけられた。
彼女はランドセルを開けて中から何か箱のようなものを取り出した。綺麗にラッピングされている。
「はいこれ、バレンタインのチョコだよ」
にこっ、と笑って差し出されたのはチョコらしい。……チョコだって?
そうか……今日は二月十四日だった。つまりバレンタインデー。リア充カップル爆発しろ! の時期だった。
前世での俺は母親以外からチョコをもらったことがない。学生時代はもちろん、社会人時代でももらえることはなかった。同僚でも義理チョコもらってたのに……。お菓子メーカーの陰謀ってやつは不幸を生み出す悪しき風習でしかないと思ってたね。けっ。
それなのにまさか……まさか今世ではもらえるとは! 前世のバレンタインデーがあまりにも悲惨で記憶から抹消していたというのに、こんなにいい形で思い出させてくれるなんてっ。
「あ、ありがとうございます。野沢先輩からチョコをもらえてとっても嬉しいです!」
俺は野沢先輩のチョコをうやうやしく受け取った。手が震えているのは寒さからだけではないだろう。
俺にチョコを渡すと「じゃあね」と野沢先輩は行ってしまった。あなたのようなお姉さんがいてよかったです。俺は彼女の後姿に深々と頭を下げた。
「……」
顔を上げると、葵ちゃんが俺をじーっと見つめていた。大きくパッチリとした目に俺が映っている。
「な、何かな?」
「……別にー」
葵ちゃんはすたすたと下駄箱へと行ってしまった。なんかツッコミづらい雰囲気だったな。
バレンタイン。葵ちゃんと瞳子ちゃんはチョコをくれるのだろうか? 幼稚園の頃はそういう話すらなかったからまだ知らないのかもしれない。記憶を振り返ってもこんな小さい頃からチョコもらえるかなんて考えなかったし、もうちょっと大きくなってからのイベントなのだろう。
今日は野沢先輩からもらえたからよしとしておこう。義理だとしてももらえたという事実が嬉しいのだ。
葵ちゃんといっしょに教室に入ると、いつも通り一年一組のみんなは元気に騒いでいた。
きゃいきゃいはしゃぐ姿からは、今日がバレンタインデーだなんてわかっていない様子だ。普通ならまだ男女で意識しちゃうような年頃でもないしね。
「俊成に葵、おはよう」
先にきていた瞳子ちゃんがあいさつしてくれる。俺と葵ちゃんもあいさつを返してランドセルを席に置いた。
「ん?」
いつも俺の席にくる瞳子ちゃんがこない。見ればぼんやり窓の外を眺めていた。
彼女はみんなとわいわい騒ぐタイプの子ではない。それでも今日の瞳子ちゃんはいつもより大人しかった。
「瞳子ちゃん、どうしたの? 窓の外に何かある?」
「え? 別に……、何もないわよ」
歯切れが悪いな。俺も窓の外に目を向けてみるけど、目新しいものはとくになかった。
もしかして体調が悪いのだろうか。顔を覗き込んでみるが、顔色が悪いというわけでもなさそうだ。
「な、何よ……?」
「いや、体の調子が悪いのかなって思っちゃって」
「はあ?」
眉をひそめられた。幼いながらも顔のパーツが綺麗に整っているので迫力を感じる。
何か誤魔化した方がいいのだろうか。そんな逃げの一手を考えていると、一人の女子が教室の入り口から覗きこんでいるのが見えた。
彼女は誰か探しているみたいに視線を動かしている。そして俺と目が合ってピタリと止まった。
「高木。こっちにきて」
彼女は赤城さんだった。運動会でいっしょにご飯を食べてからあいさつ程度のやり取りをするようになったのだ。クラスが違うのでそう交流があるわけでもないのだが。
何の用だろうか? 手招きしている赤城さんの元へと向かった。
「ちょっと、ついてきて」
「何かあるの?」
「いいから」
説明なしですか。でも断る理由もないし、素直について行くことにした。
赤城さんは階段の後ろ側に俺をつれてきた。ここなら目立たないだろう。つまり何か秘密の話でもするつもりなのかもしれなかった。
俺が身構えていると、赤城さんは無表情なままきょろきょろと辺りを見回した。幼い顔なのに無表情でいるとなんだか仕事人みたいに見えてくる不思議。俺消されるわけじゃないよね?
「これ、あげる」
赤城さんは制服の下に隠していた小さな箱を俺に手渡した。彼女の肌で温められたのかぬくもりを感じる。
「何これ?」
「……今日はバレンタインデーだから。チョコレート」
「えっ!?」
まさかの赤城さんからのバレンタインチョコに目を見張った。そんなに親しいわけでもないと思っていたからびっくりしてしまったのだ。
俺から少し距離をとると、赤城さんは少しうつむきながら言った。
「……運動会の時の、お礼、だから」
それだけ行って赤城さんは走り去ってしまった。お礼を言う暇すらなかった。
……なるほど。つまりこれは運動会の時に昼食を誘ったお礼ということなのだろう。つまり義理チョコか。
ああ、でも義理チョコでも嬉しいな。前世の記録を容易く更新しちゃってるよ。母親を除けば記録は〇個だったけどな。
ほくほく気分で教室に戻ろうとすると、誰かがこっちを見ているのに気づいた。
「……おませなのね」
担任の先生だった。なんだか背後に黒いオーラが見えるのは気のせいだろうか。
「せ、先生。おはようございます」
なんとかあいさつを口にしたものの、先生はあいさつを返してはくれなかった。それどころか遠い目になっている。どうしたどうした?
先生は遠い目をしたまま、ぼそぼそと何か言い出した。
「どうしてバレンタインまで彼は待ってくれなかったのかしら……。その日まで待ってくれれば最高のチョコレートで彼のハートを射抜いて、そのまま結婚できたはずなのに……。君は重いって何よ? 何なのよ!」
小学一年生の前で愚痴を零すのはやめていただきたい。ちゃんと教師の仮面を被ってほしいものだ。
なんか気まずいので慰めることにした。
「先生。先生ならチョコに頼らなくても素敵な男の人が振り向いてくれますよ。先生の優しいところをいっぱい見てきましたし、それに先生は美人さんですから、男の人が放ってはおかないですよ」
「そ、そうかしら?」
「はい」
実際に男性教師の一人が先生に気のある仕草をしていたのを見たことがある。同じ男が言うんだから間違いない。たぶん年齢的にもそう変わらないだろう。
あとはきっかけさえあれば付き合ってしまうのでは、とか思っていたらもうバレンタインデーだったのだ。ちょっと男性教諭、あなたアピール不足じゃないかな。
でも、男は案外奥手だったりするしな。前世の俺とかな。ここは先生にがんばってもらおう。
「先生がちゃんとアピールすれば男の人なんてイチコロですよ。がんばってください」
「え? がんばっていいの?」
「はい?」
俺と先生はしばし見つめ合った。しばらくしてチャイムの音が鳴った。俺達は慌てて教室へと入った。
教師同士の恋愛か。大人になるとしがらみとかがあってうまくいかないのかもしれなかった。それでも先生にはぜひとも幸福を掴んでほしいものだ。影ながらでしか応援はできないけれど、うまくいきますようにと祈らせてもらおう。
※ ※ ※
下校はいつも通り、葵ちゃんと瞳子ちゃんといっしょに帰っていた。
「……」
「……」
「……」
無言の時間が続いている。いつも何かしらおしゃべりしているというのに、珍しいこともあるものだ。
話題を振ってみたのだが、二人の反応は悪かった。生返事ばかりで聞いているのかどうかも怪しいほどだ。
瞳子ちゃんはやっぱり体調が悪かったのだろうか? 葵ちゃんは登校中は元気そうだったのに、今は心ここにあらずといった風である。
たまにはしゃべりたくない日もあるだろう。そう納得することにした。帰り道、二人がぼーっとして事故に遭わないようにと気を張った。
「俊成、ちょっといい?」
瞳子ちゃんが別れ道で口を開いた。なんだろう、と思いながらも頷くと手招きされる。
「葵、ちょっとだけ時間ちょうだいね」
「うん、あっちで待ってるね」
二人はわかり合っていると言わんばかりに頷き合う。俺ハブられてない?
車通りの少ない道。すでに住宅地に入っている。電信柱で身を隠すように瞳子ちゃんに引っ張られた。
「これ、受け取って」
彼女がランドセルから取り出したのはラッピングされた赤色の箱だった。本日三回目だ。さすがにそれが何かは理解できた。
「バレンタインチョコ?」
「……うん。わかってると思うけど、本命だからね」
瞳子ちゃんの猫目のブルーアイズが俺に突き刺さる。顔を赤らめながらも真剣な眼差しだった。
本命と言われて、それを簡単に受け取っていいものなのだろうか。俺の中で躊躇いが生まれる。
そんな俺を無視して、瞳子ちゃんは強引に俺の手に箱を握らせた。
「あたしの気持ちはずっと変わってないから。……今はそれだけわかっててもらえたらいいの。だから受け取って?」
瞳子ちゃんの瞳が揺れている。綺麗な瞳だった。俺には眩し過ぎるほどの純粋さを帯びている。
冷たい風が吹く。瞳子ちゃんのツインテールの銀髪がなびいた。寒いはずなのに、まったくそうは感じなかった。
「じゃっ、また明日ねっ!」
俺が何かを言うよりも早く、彼女は走って行ってしまった。その後ろ姿にどう声をかけようか迷ってしまい、結局何も言えないまま立ち尽くしてしまう。
「トシくん、帰ろっか?」
「あ、うん……」
気がついたら葵ちゃんが傍にいた。呆けてしまっていたらしい。
二人だけになっても静かなままだった。葵ちゃんから口を開く様子はないし、俺も何かしゃべろうという気分ではなくなっていた。
そして、葵ちゃんの家の前まできた。ここまできて、これから葵ちゃんがどんな行動をとるかわからないほど俺は鈍感ではない。
「トシくん」
名前を呼ばれる。やっぱり葵ちゃんも真剣な目をしていた。純粋に、真っすぐに、俺を見ている。
彼女はランドセルからかわいらしいピンク色の箱を取り出した。四個目。前世では考えられなかった数のバレンタインチョコだ。
葵ちゃんはすーと息を吸い、はーと白い息を吐いた。
「トシくん……。大好きです。受け取ってください!」
緊張が伝わってくる。それが葵ちゃんの本気を俺に伝えた。
「俺……」
「葵はトシくんのお嫁さんになりたいからっ。だからがんばる! いっぱいいっぱいがんばる!」
俺が何かを言う前に、葵ちゃんが声を上げる。精一杯の想いを伝えようとしてくれているのがわかって、何も言えなくなる。
「がんばって……がんばるから。もっと大人になったら、答えをください」
葵ちゃんは目に涙を溜めていた。まるで宝石のように、その目はキラキラと光っている。
出会った時からそんな目をしていたね。そんなことを考えながらチョコを受け取った。
「俺も、ちゃんと答えを出せるようにがんばるよ」
今はまだ、それだけしか言えなかった。それでも葵ちゃんは笑顔で頷いてくれた。
「うん!」
いつもの無邪気な笑顔になった葵ちゃんは家へと入って行った。それを見送ってから自宅へと足を向ける。
どこまでも純真な恋心。子供だからとバカにできるはずもなかった。
好かれるというのはもっと気持ち良いものだと思っていた。でもそれだけじゃないのだと知った。
恋を知らなかったおっさん。真っすぐな愛情を向けられるとこんなにもうろたえてしまうのか。前世があって長く生きているのに知らないことばかりだ。いや、経験したことがないと言えばいいのか。
結婚がしたい。それは当然最愛の人とだ。逆行してからずっと考えていたことではあったけれど、その意味は想像していたものと違っていた。
俺の気持ち。恋と愛。心から理解しようと改めて思う。
葵ちゃんと瞳子ちゃん。彼女達には偽ることなく本心を伝えよう。たとえどんな答えになったとしても。
――たとえ、どちらかを傷つける結果になったとしても。
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