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第一部

12.変わる未来

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 フリーズしました。ガ、ガガガ……ガガ……。再起動してください。

「……はっ!?」

 危うく脳内コンピューターが破壊されるところだった。で、何が起こったんだっけ?
 よし、状況を整理してみよう。
 瞳子ちゃんに抱きつかれた。そして「お願い……。あたしをさらって」と言われた……。
 どどどど、どういうことだ! 本当に何が起こった!?
 ま、待て。待て待て待て! まだ慌てるような時間じゃない。中身おっさんが幼女相手に動揺するだなんてキモいどころか意味不明だぞ! たとえ前世では家族以外の異性からの抱擁がなかったとはいえだ!
 そうだ! 抱きつかれたことは葵ちゃんにもあるし、昨日は瞳子ちゃん本人から裸で抱きつかれているじゃないか。
 なのに、瞳子ちゃんが耳元で変なことを言うもんだから俺の頭がパニックを起こしてしまったのだ。
 身じろぎほどの抵抗も見せない俺を、瞳子ちゃんはさらにぎゅっと抱きしめる力を強めた。ま、まだ戦闘力を上げるというのか!?

「俊成……早くっ」
「と、瞳子ちゃん?」

 急かされてもどうしていいかわからないぞ。チラリと母を見てみれば目を見開いて口をあんぐり開けていた。状況が飲み込めていないようだった。ですよねー。
 どうすればいいのかわからないので、とりあえず瞳子ちゃんを抱き締める腕に力を込めた。子供特有の柔らかい感触が返ってくる。うむ、今日は空が澄みきっているようですね。
 なんて実のないことを考えていると、視界に大人が二人走っているのが見えた。というか真っすぐこっちに向かってきていた。
 黒髪の男性と銀髪の女性だった。瞳子ちゃんの両親である。
 いきなりの息子の状況に母は固まったままだ。しかし大人の姿を目にすると体裁を繕うようにあいさつを交わす。瞳子ちゃんのお母さんは丁寧に頭を下げていたけれど、お父さんの方は娘が気になるのかおざなりだった。

「瞳子!」

 瞳子ちゃんのお父さんが声を上げると、瞳子ちゃんは俺の後ろへと隠れてしまった。そして改めて背中から腕を回して抱きしめられる。
 間近で見る彼女のお父さんは、イメージと違うと言ったら失礼かもしれないが凡庸な外見だった。てっきり葵ちゃんの両親みたいに美男美女の夫婦かと思っていただけに少し意外だと思ってしまった。
 彼は俺にしがみついている娘の姿に動揺していた。困り顔のままゆっくりとこちらへと近づいてくる。歩き方がまるで犯人を刺激しないようにする刑事のようだった。

「突然どうしたんだ? ちゃんと話を聞くから逃げないでくれないか」

 ちゃんと聞く耳を持った良いお父さんではないか。俺は好感を持った。
 だけど瞳子ちゃんにはそう映らなかったようで、声を張り上げて牽制する。

「来ないで! 止まってくれないとパパのこと嫌いになるから!」

 かわいらしい子供の反抗に、父親はうっと胸を押さえる。娘の攻撃にお父さんはクリティカルヒットをもらったようだ。
 というか何事? 親子ゲンカかな。それでなぜ俺が瞳子ちゃんの盾になってるのかわからないんだけども。
 瞳子ちゃんとお父さんのどちらに目を向けていいのかわからず視線を彷徨わせる。それに気づいたお父さんに眉を下げたままの笑顔を向けられた。

「えっと、君が俊成くんかな?」
「はい。高木俊成といいます。初めまして」

 内心の動揺を押し殺して頭を下げた。第一印象は大切だ。真摯な態度でいることにした。

「瞳子と話があるんだけど、いいかな?」

 つまり、彼女をこっちへ渡せ、である。
 ぎゅうぎゅうと抱き締め続ける瞳子ちゃん。離れる気がないようなんですがどうしたらいいでしょう?

「あの……、その話、俺もいっしょに聞いたらダメですか?」
「え?」

 まさかの俺の提案に瞳子ちゃんのお父さんは目を丸くした。俺自身まさかの対応だった。
 なんの話かは知らないけれど、他人の家庭の話に首を突っ込むなんてマナー違反なのかもしれない。でも今の俺は子供だからそんなマナーなんて知らない。
 ただ、必死に俺にしがみつく瞳子ちゃんのことを考えると、離れてしまうことに不安があった。ただそれだけの受け身な理由だ。
 口出しなんてできないだろう。でも、ただ隣にいるだけでも彼女の不安が取り除けるなら、それだけで俺の価値はあるんじゃないかって思ったのだ。
 しばらく彼は黙りこんだ。そりゃそうだ。子供だろうが大人だろうが、他人の前で家庭の話なんてしたくないだろう。

「パパ。あたし俊成がいるならお話してあげてもいいわ」

 父親に対してとっても強気な瞳子ちゃんだった。そしてお父さんは娘に弱かった。

「わ、わかったわかった。俊成くんもいっしょでいいよ。……瞳子、小学校に行きたくないだなんてどういうことなんだ?」
「はい?」

 思わず反応したのは俺だった。小学校に入学する前に不登校ですか? 瞳子ちゃんはどうしたというのだろうか。

「行きたくないなんて言ってないわ。あたしはお受験してまで小学校に行きたくないって言ってるの」

 疑問符を浮かべる俺をよそに瞳子ちゃんははっきりと答える。はきはき答える瞳子ちゃんに終始お父さんは困り顔だ。

「でも、お稽古をたくさんがんばってきただろう? せっかくお受験のためにがんばってきたのに……。もしかしてお稽古が嫌になったのか?」
「違うわよ。でも……」

 瞳子ちゃんは俺の胸が物理的に苦しくなるくらい腕に力を入れる。それから俺の頬に自分の頬をくっつけて言い放った。

「俊成といっしょにいられないなら意味なんてないもの!」

 娘の告白に父親はたじろいだ。俺も内心ではそんな感じだ。
 瞳子ちゃんの想いが俺に突き刺さった。特別扱いをされているとは思っていたけれど、まさか親に反抗してしまうほどとは思ってもみなかった。
 固まってしまった彼に、すすーっと銀髪の女性が近寄った。

「もう何を言っても無駄のようデスネ。さすがはワタシ達の最愛の娘デス」

 思ったよりも流暢な日本語だった。なんか昨日と雰囲気が違うように思える。
 瞳子ちゃんのお母さんは嬉しそうに笑いながら夫の腕を指で突っつく。木之下夫婦はアイコンタクトを交わし、笑い合った。え、なんでイチャついてんの?

「わかった。パパは瞳子のやりたいことを応援するよ」
「ふふっ、血は争えませんネ」

 何かを納得するかのように両親揃って頷く。説得を成功させた瞳子ちゃんはぱぁ、と笑顔の花を咲かせた。真横でその顔は反則……。

「ありがとうママ!」

 パパは? 呆然としてしまった父は悲しみを耐えるかのように立ち尽くしていた。

「高木さん。よろしければこれからお茶なんてどうデスカ?」
「え、ええ……あ、はい」

 なんだかんだでこの中で一番驚いたのは俺の母だろう。自分の息子が人様の娘さんにすごい決断をさせたのだ。俺だってまだ驚きが抜けていない。
 一番余裕に見えるのが瞳子ちゃんのお母さんだ。この人は娘の突飛な行動にも慌てた様子がなかった。もしかして瞳子ちゃんがこんなことをするってわかっていたのだろうか?
 瞳子ちゃんのお母さんの先導のもと辿り着いた喫茶店で、親達は小学校について話し合っていた。まあ俺が通う予定の小学校を聞きだして、娘も同じ学校に行くからよろしく、という話だった。
 これはなんて言うか……未来が変わったのか? 変えてしまったのか?
 瞳子ちゃんの未来を変えてしまったことに責任を感じてしまう。本当によかったのかと自問自答せずにはいられない。

「ほら俊成。あーん」

 瞳子ちゃんは喫茶店で注文したパフェをスプーンですくって俺の口元へと持ってくる。彼女は最高にご機嫌だった。
 そんな瞳子ちゃんの顔を見ていると、未来を変えてしまったという責任とか、もうどっか行ってしまったみたいだ。
 考えたって仕方がない。そもそも、初めから俺が幼馴染を作って結婚しようだなんて考えている時点で未来は変わっているんだ。前世と今世は違う。そう思うことにした。
 俺は瞳子ちゃんに差し出されたパフェにかぶりついた。


  ※ ※ ※


 母はすっかり木之下夫妻と仲良くなっていた。
 最初は外国人というのもあり、瞳子ちゃんのお母さんへの対応を迷っているようだったけれど、普通に日本語が問題ないとわかってからは子供の話題で盛り上がっていた。
 親同士が仲良くなっているのを見て思う。これはもう瞳子ちゃんとも幼馴染の関係なのだろうな、と。

「どうしたの俊成?」

 俺は瞳子ちゃんを見る。首をかしげる彼女のブルーアイズは好意の色を帯びていた。初対面の時のツンツンとした態度はなりを潜めていた。
 うん。どうしよう? 葵ちゃんの顔を思い出しながら、無性に青空を見上げたくなった。
 喫茶店を出て、別れ際に瞳子ちゃんの両親に声をかけられた。

「瞳子との仲を認めたわけじゃないからな。そこは勘違いするんじゃないぞ俊成くん」
「は、はい……」

 穏やかな口調と優しい表情で幼稚園児を威嚇する父親がいた。その威圧には中身がおっさんでも身震いするほどだった。

「トシナリ……、娘を、ヨロシクネ」
「えっと……、はい」

 なぜかまた俺の前では片言になる瞳子ちゃんのお母さんだった。「娘を」の部分を強調された気がするのは気のせいじゃないんだろうな。
 最後に木之下一家が帰ろうとした時、見送る俺の方に瞳子ちゃんが駆け寄ってきた。
 このブレーキをしない感じ。また抱きついてくるのか? そう思って身構えていると、彼女は急ブレーキをかけたように足が止まった。
 だけど、顔はそのまま俺に向かっていた。スローモーションで流れる瞳子ちゃんの顔を眺めていると、頬にチュッと柔らかい感触がした。

「え?」

 呆けて目を瞬かせていると、頬を赤らめた瞳子ちゃんは小さく俺にしか聞こえない声でこんなことを言った。

「大人になったらいつか……ちゃんとあたしをさらってね」

 瞳子ちゃんは逃げるように踵を返して両親の元へと向かった。目が表現しづらいことになった父親と微笑む母親が対照的だった。

「キス……だったよな……」

 俺の声はあまりにもか細く、風に溶けて音にならなかった。
 頬を押さえる。彼女の唇の感触が蘇ってくる。

「ほわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!?」

 気持ちが容量オーバーとなって絶叫してしまった。変な子として近所で有名になる前に母が素早く俺を抱えて走ってくれた。母には本当に感謝。
 絶対に人には言えない俺の計画。かわいい幼馴染を作って結婚しようだなんていう俺のぶっ飛んだ計画は、どうやら思っていた方向とは少しばかり違っているらしかった。
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