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三章 冒険者編
第68話 ハドリーという少年
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ハドリーはスラムで育ったかのようなみすぼらしい男の子だ。
痩せていて顔色だって決して良いとは言えない。なのに元気でいられるのがちょっと不思議だったりもする。
親はいない。親戚もいない。頼れる人だっていない。それでも冒険者にはなりたくて。そんな彼がわたしをキラキラとした目で見つめている。
「すげぇな! エルの魔法にかかればスライムなんて敵じゃないぜ!」
「……」
見つけたスライムを片っ端から駆除していた。そんなわたしを目にしていたハドリーの表情が変わっていくのに、ちょっとどころではなくまずいのでは? と思い始めていた。
スライム討伐は受けた依頼としてやらなきゃいけないことだ。しかしハドリーには冒険者という職業がどれだけ危険かを肌で感じてほしかった。
わたしがこうも簡単にスライムを倒してしまうとハドリーに恐怖を与えられないではないか。そう考えたのはそろそろ折り返し地点に差しかかった頃だった。
「……次はこっちだよ」
「おう!」
元気がいいな。なんだかワクワクしている感じ。楽しいアドベンチャーとか思っているのかもしれないな。
わたしは地下水路の地図を確認し、角を曲がった。
本当ならここらへんで来た道を引き返すつもりだった。けれど今のまま帰ってしまえばハドリーを仲間として迎え入れなければならなくなってしまう。
この曲がった道からでも帰れるようにはなっている。入り組んでいてややこしくはあるが、わたしは地図が読めない系女子ではないので大丈夫だ。
……次に魔物と出くわしたらピンチでも演出せねばなるまい。わたしの演技力でハドリーを恐怖のどん底まで落としてやろうではないか。
なんて考えながら進んでいた。場所が場所だけに水の流れる音だけでもちょっとしたホラーなんだけどな。少年はもう慣れてしまったようだ。ちっ。
遠目からスライムが天井にびっしり貼りついているのが視認できた。何回見ても気持ち悪いな。
「いた」
「おおっ、エルのすげぇところまた見せてくれよ!」
この子、この状況をアトラクションかなんかと勘違いしているんじゃないかな?
やはりこんな子が冒険者になるべきではない。わたしは振り返って彼に顔を向けた。
「ハドリー、もうちょっとスライムに近づいてみようか?」
「え?」
今までは遠くから魔法を撃ちまくるだけだった。単純に距離の問題もあってか、スライムを倒す光景を画面の向こう側のように捉えていたのかもしれなかった。
ハドリーをじっと見つめる。彼は喉を鳴らして頷いた。
少年をつれてスライムへと近づいていく。刺激さえ与えなければいきなり襲ってくることはない魔物だ。だからと言って警戒を怠るわけではない。
ハドリーにもしものことがあってはいけない。脅かしてくれるだけでいいのだ。スライムには空気を呼んでもらいたい。
スライムが密集している真下にきた。近づいても動きがないからこんなところまできてしまった。
「う、うわぁ……。近くで見るとかなり気持ち悪いな」
同感。視覚を強化しているのをこの時だけ解除してしまおうかなと思ってしまうほどには気持ち悪いです。
「ハドリー、キミは自分の力だけであのスライムを倒せると思う?」
「俺が? ……エルみたいに魔法が使えれば」
「キミは魔法を扱えるのかな?」
「それは……、これからがんばるよ。ほら、エルに教わればいいんだしさ」
「そこまで面倒を見る気はないよ」
冷たく突き放す。彼は押し黙った。
誰かに頼ろうだなんて虫が良過ぎる。研修期間のある職場ならそれもいいだろう。わからないところを聞くのは大事だ。自分ができないことを知り、どうやったらできるようになるのか先人にアドバイスを求めるのもいいだろう。
でも、冒険者は違う。
いつだって命をかけている。なればこその腕自慢が集まり、自分よりも強い奴と弱い奴を心得ているのだ。
今は腕に自信はない。でも願望はありますがんばります。そんなやる気だけしかアピールできない奴なんかは真っ先に死んでしまうだろう。
だって、彼には力がないんだから。
「ねえハドリー。スライムを一匹倒してみてよ」
「え? そんなのどうやって……」
「スライム一匹すら倒せない奴をパーティーに入れようだなんて誰も思わないよ」
「……」
ハドリーは唇を噛んでうつむいた。
スライムを倒すのは新人のFランクでは荷が重い。それがわかっていてわたしは彼にこんなことを言っている。
できないと頭ではわかっているんだろう? ならちゃんと思い知ればいい。自分が無力だってこと。それを知れば身の丈に合った選択肢が見えてくるからさ。
動かないハドリーに、わたしはこれ見よがしなため息を浴びせる。
「もういい。どいてなよハドリー。後はわたしが――」
天井に目を向けた瞬間、わたしはハドリーを抱えて飛びのいていた。
「エ、エル!?」
「黙ってて!」
天井に貼りついて動かなかったスライムが次々と降ってきたのだ。中には体液をこっちに向かって飛ばしてくるものまでいた。
スライムは接触すると体内に取り込もうとしてくる。取り込まれたら最後、骨まで溶かされて栄養にされてしまうのだ。
瞬時に身体能力を魔法で強化する。少年一人を抱えた程度ではわたしのスピードは落ちない。
降ってくるスライムを避けていく。幅の狭い道でありながらも、すべて回避に成功した。
と、油断している暇はなかった。
「エル! あっちからもスライムがっ!」
「わかってるって!」
引き返した先には、わらわらとスライムがこっちに向かってきていた。取りこぼしがないように注意していたのになんで?
いや、引き返した先にいるスライムどもは濡れている。たぶん水に流されてきたのがここに這い上がってきたのだろう。
なんて運が悪い。前後を挟まれてしまっては逃げようがない。
「エ、エル! 俺がこっちのスライムを抑えるからその間に何とかしてくれ!!」
体を震わせながらもハドリーは前へと出た。
「何言ってるの! そんなのキミにできるわけがないでしょ! いいから下がって!!」
「俺だって冒険者になるんだ!!」
地下水路にハドリーの声がよく響いた。
「背中を預けられなきゃ、仲間って胸張って言えないだろ?」
彼は引きつった笑みをわたしへと向けた。
恐怖はあるのだろう。自分が力不足というのもわかっているのだろう。
それでも彼はわたしの背中を支えようとしてくれていた。
「うおおおおおおっ!!」
ハドリーはスライムにたいまつを向けて牽制する。スライムどもは火に触れないようにと退いていく。
「……」
今はこの状況を切りぬけなくてはならない。わたしは彼とは反対方向のスライムどもと相対した。
ハドリーがそこまで時間を稼げるとは思えない。ならすぐに決着をつけてやろう。
無詠唱で魔力の流れを変えていく。こうなれば躊躇なんかせずに炎を放つ。
炎の渦が地下水路を照らしながらスライムどもを飲み込んでいく。燃え盛る炎は一匹残らずスライムを消滅させていった。
轟々と燃えているのを最後まで見届けないまま振り返る。ハドリーはしっかりと時間稼ぎしてくれていた。
「下がってハドリー!」
「わかった!」
ハドリーはすぐさまわたしの後ろまで退却した。彼がいなくなって反撃に出たスライムどもを、石の弾丸で迎え撃った。
速射砲の如く撃ちまくる。こうなれば今までの焼き直しでしかなかった。
「や、やった……。やったなエル!」
スライムが全滅してピンチから脱出できたのが理解できたのだろう。ハドリーは込み上げた感情を爆発させるように飛び跳ねて喜んだ。
今回は彼もがんばった。嬉しさもひとしおだろうな。
……って、喜ばせたらダメじゃないかっ。このままだとこの子とパーティーを組むことになってしまうっ。
「と、とりあえず火を消すからね」
未だに轟々と燃えている炎を消すために水魔法を使った。こっちも生き残っているスライムはいなさそうだ。
じゃあ先に進むか。というか帰りたくなってきた。そう思って振り返ってハドリーに目を向けようとした時であった。
水面が持ち上がったかと思えば何かが現れた。またもや咄嗟にハドリーを抱えて逃げようとする。
けれど、今度はそう上手くはいかなかった。
「わっ……」
「エル!」
ハドリーを抱える前にわたしが捕まってしまった。急な力に引っ張られたせいでたいまつを落としてしまう。
身体能力が上がっているはずなのにあまり踏ん張ることができなかった。足が浮いてしまえば成す術がない。
「このっ……でかいスライムだな!」
わたしを捕まえたのはスライムだった。だけどさっきまでのスライムとは単純に大きさが段違いだ。
今までのはわたしでも踏みつけられるほどのサイズでしかなかったのだけど、こいつはわたしが見上げなければならないほど大きい。このまま引き寄せられてしまえば体全部がすっぽりと飲み込まれてしまうだろう。
なんか色も濁っている。いかにも毒とか持っていそうである。
ぞくりと背筋が凍った。これはまずい! 逡巡している暇すら惜しくて頭を回転させる。
「エルを離せ!」
ハドリーが持っていたたいまつを投げつけていた。当たりはしたがまったく効果が見られない。火に耐性を持っているタイプのようだった。
なんとか振りほどこうと石の弾丸を放つ。しかしゼリーのような柔らかさで威力を軽減されてしまう。核には届かない。
スライムの中心に大きな魔力の塊が見える。かなりの大きさだ。それがこのスライムの脅威を物語っていた。
濁った体が近づいてくる。こんなのに取り込まれたらあっという間に溶かされて死んでしまう。
手足をばたつかせても振りほどけそうにない。スライムから伸ばされた触手のようなものがわたしの体を絡め取っていた。
「……っ」
歯を喰いしばって悲鳴を押し殺す。ここで諦めるわけにはいかないっ。
今はわたしだけじゃなくハドリーもいるんだ。ここでわたしが死んでしまったら次の獲物は彼になってしまう。
どんなことになってもこいつはここで仕留める! 飲み込まれた瞬間、中から魔法で倒してみせるのだ。
スライムの体は目前だ。飲み込まれたらタダでは済まない。たとえ皮や肉が溶けたとしても、骨だけになっても仕留める!
そんな覚悟とともに、わたしはスライムに飲み込まれ――
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
大声とともに、灼熱の炎がスライムを襲った。
たいまつの火なんかじゃない。それとは比べられないほどの強い炎だった。
確かなダメージが通ったのだろう。わたしを捕まえる力が弱まった。そのチャンスをを逃さず触手から抜け出した。
「ハドリー!?」
少年はふらりと力が抜けたかのようにその場で倒れた。
どうやったのかはわからなかった。だが、彼は確かに魔法を使ってわたしを助けてくれたのだ。
「それも無詠唱でか……」
のんびりしている場合じゃない。まだ敵はすぐそこにいるのだ。
スライムの体は半分近く炎で溶かされてしまっていた。核は破壊されていないので再生しようとしている。
「そのまま放っておくわけないでしょうがっ!!」
一点集中、炎の矢を核に向かって放つ。自慢の体は防禦にならない。一気に核を貫いて巨大スライムを倒した。
「ハドリー返事して!」
ちょっとした火の海になってしまっているが構っていられない。ハドリーの元へと駆け寄った。
「意識がない? なんで!?」
揺すったり叩いたり声をかけたりもしたが反応がない。呼吸はしているが段々と小さくなってきている。
はっとして彼のお腹に手を置いた。
医者みたいに腹部を触診しているわけではない。ハドリーの魔力の流れを調べているのだ。
彼の体内の魔力は流れている。滞っているところはない。しかし弱かった。あまりに彼に流れる魔力は貧弱で、徐々に消えそうになっていると言えた。
「さっきの魔法で魔力が枯渇したんだ……」
魔力は血液と同じで生命維持にはかかせない。普通なら魔法を使っても命を危険にさらさないために体が勝手にセーブしてくれる。
でも、彼の状態を見るにそのストッパーは働いてくれなかったようだ。命の灯火が消えていくのがわたしには感じられた。
「待って……。ダメだハドリー! ここで死んだらダメだ!!」
彼はわたしを助けようとしてくれた。そんなことをしなくてもよかったのに、そんなことなんかで命を落としてはいけないんだ。
道さえ間違えなければ彼には未来がある。そんな少年をこんなところで死なせてしまったら……、わたしは本当になぜここにいるのかわからなくなってしまうっ。
魔力の異常なら時間をかけてでもなんとかできる。だけど枯渇した魔力を元に戻すことはできない。少なくともわたしにはできなかった……。
「そうだ! 魔力を回復させるポーション!」
急いで鞄の中からポーションを引っ張り出す。
自分にはいらない物だと思っていたけれど、ここで役に立ってくれるだなんて運命か。
「聞こえる? これを飲んで」
ハドリーの上体を起こして口元にポーションを近づける。しかし意識がないせいで飲んでくれそうになかった。
どうする? 早くしないと彼の魔力が尽きてしまう。もうさほどの時間もない。
「……これは緊急事態だから」
わたしはポーションを口に含む。一瞬の躊躇の跡、自分の唇をハドリーの唇へと押し付けた。
ハドリーの口の中へとポーションの液体を流し込んでいく。そうしているとごくり、と嚥下した音が聞こえた。
しばらく見守っていると、消えそうになっていた魔力の流れが正常な強さへと戻ってきていた。それを確認できて安堵の息を吐いた。
「……」
唇を指でなぞりながら考える。
冷静になってみるとあれだね……。これは仕方がなかったからノーカン。誰が何と言おうとノーカン! これがわたしのファースト……だなんて認めないから……。
痩せていて顔色だって決して良いとは言えない。なのに元気でいられるのがちょっと不思議だったりもする。
親はいない。親戚もいない。頼れる人だっていない。それでも冒険者にはなりたくて。そんな彼がわたしをキラキラとした目で見つめている。
「すげぇな! エルの魔法にかかればスライムなんて敵じゃないぜ!」
「……」
見つけたスライムを片っ端から駆除していた。そんなわたしを目にしていたハドリーの表情が変わっていくのに、ちょっとどころではなくまずいのでは? と思い始めていた。
スライム討伐は受けた依頼としてやらなきゃいけないことだ。しかしハドリーには冒険者という職業がどれだけ危険かを肌で感じてほしかった。
わたしがこうも簡単にスライムを倒してしまうとハドリーに恐怖を与えられないではないか。そう考えたのはそろそろ折り返し地点に差しかかった頃だった。
「……次はこっちだよ」
「おう!」
元気がいいな。なんだかワクワクしている感じ。楽しいアドベンチャーとか思っているのかもしれないな。
わたしは地下水路の地図を確認し、角を曲がった。
本当ならここらへんで来た道を引き返すつもりだった。けれど今のまま帰ってしまえばハドリーを仲間として迎え入れなければならなくなってしまう。
この曲がった道からでも帰れるようにはなっている。入り組んでいてややこしくはあるが、わたしは地図が読めない系女子ではないので大丈夫だ。
……次に魔物と出くわしたらピンチでも演出せねばなるまい。わたしの演技力でハドリーを恐怖のどん底まで落としてやろうではないか。
なんて考えながら進んでいた。場所が場所だけに水の流れる音だけでもちょっとしたホラーなんだけどな。少年はもう慣れてしまったようだ。ちっ。
遠目からスライムが天井にびっしり貼りついているのが視認できた。何回見ても気持ち悪いな。
「いた」
「おおっ、エルのすげぇところまた見せてくれよ!」
この子、この状況をアトラクションかなんかと勘違いしているんじゃないかな?
やはりこんな子が冒険者になるべきではない。わたしは振り返って彼に顔を向けた。
「ハドリー、もうちょっとスライムに近づいてみようか?」
「え?」
今までは遠くから魔法を撃ちまくるだけだった。単純に距離の問題もあってか、スライムを倒す光景を画面の向こう側のように捉えていたのかもしれなかった。
ハドリーをじっと見つめる。彼は喉を鳴らして頷いた。
少年をつれてスライムへと近づいていく。刺激さえ与えなければいきなり襲ってくることはない魔物だ。だからと言って警戒を怠るわけではない。
ハドリーにもしものことがあってはいけない。脅かしてくれるだけでいいのだ。スライムには空気を呼んでもらいたい。
スライムが密集している真下にきた。近づいても動きがないからこんなところまできてしまった。
「う、うわぁ……。近くで見るとかなり気持ち悪いな」
同感。視覚を強化しているのをこの時だけ解除してしまおうかなと思ってしまうほどには気持ち悪いです。
「ハドリー、キミは自分の力だけであのスライムを倒せると思う?」
「俺が? ……エルみたいに魔法が使えれば」
「キミは魔法を扱えるのかな?」
「それは……、これからがんばるよ。ほら、エルに教わればいいんだしさ」
「そこまで面倒を見る気はないよ」
冷たく突き放す。彼は押し黙った。
誰かに頼ろうだなんて虫が良過ぎる。研修期間のある職場ならそれもいいだろう。わからないところを聞くのは大事だ。自分ができないことを知り、どうやったらできるようになるのか先人にアドバイスを求めるのもいいだろう。
でも、冒険者は違う。
いつだって命をかけている。なればこその腕自慢が集まり、自分よりも強い奴と弱い奴を心得ているのだ。
今は腕に自信はない。でも願望はありますがんばります。そんなやる気だけしかアピールできない奴なんかは真っ先に死んでしまうだろう。
だって、彼には力がないんだから。
「ねえハドリー。スライムを一匹倒してみてよ」
「え? そんなのどうやって……」
「スライム一匹すら倒せない奴をパーティーに入れようだなんて誰も思わないよ」
「……」
ハドリーは唇を噛んでうつむいた。
スライムを倒すのは新人のFランクでは荷が重い。それがわかっていてわたしは彼にこんなことを言っている。
できないと頭ではわかっているんだろう? ならちゃんと思い知ればいい。自分が無力だってこと。それを知れば身の丈に合った選択肢が見えてくるからさ。
動かないハドリーに、わたしはこれ見よがしなため息を浴びせる。
「もういい。どいてなよハドリー。後はわたしが――」
天井に目を向けた瞬間、わたしはハドリーを抱えて飛びのいていた。
「エ、エル!?」
「黙ってて!」
天井に貼りついて動かなかったスライムが次々と降ってきたのだ。中には体液をこっちに向かって飛ばしてくるものまでいた。
スライムは接触すると体内に取り込もうとしてくる。取り込まれたら最後、骨まで溶かされて栄養にされてしまうのだ。
瞬時に身体能力を魔法で強化する。少年一人を抱えた程度ではわたしのスピードは落ちない。
降ってくるスライムを避けていく。幅の狭い道でありながらも、すべて回避に成功した。
と、油断している暇はなかった。
「エル! あっちからもスライムがっ!」
「わかってるって!」
引き返した先には、わらわらとスライムがこっちに向かってきていた。取りこぼしがないように注意していたのになんで?
いや、引き返した先にいるスライムどもは濡れている。たぶん水に流されてきたのがここに這い上がってきたのだろう。
なんて運が悪い。前後を挟まれてしまっては逃げようがない。
「エ、エル! 俺がこっちのスライムを抑えるからその間に何とかしてくれ!!」
体を震わせながらもハドリーは前へと出た。
「何言ってるの! そんなのキミにできるわけがないでしょ! いいから下がって!!」
「俺だって冒険者になるんだ!!」
地下水路にハドリーの声がよく響いた。
「背中を預けられなきゃ、仲間って胸張って言えないだろ?」
彼は引きつった笑みをわたしへと向けた。
恐怖はあるのだろう。自分が力不足というのもわかっているのだろう。
それでも彼はわたしの背中を支えようとしてくれていた。
「うおおおおおおっ!!」
ハドリーはスライムにたいまつを向けて牽制する。スライムどもは火に触れないようにと退いていく。
「……」
今はこの状況を切りぬけなくてはならない。わたしは彼とは反対方向のスライムどもと相対した。
ハドリーがそこまで時間を稼げるとは思えない。ならすぐに決着をつけてやろう。
無詠唱で魔力の流れを変えていく。こうなれば躊躇なんかせずに炎を放つ。
炎の渦が地下水路を照らしながらスライムどもを飲み込んでいく。燃え盛る炎は一匹残らずスライムを消滅させていった。
轟々と燃えているのを最後まで見届けないまま振り返る。ハドリーはしっかりと時間稼ぎしてくれていた。
「下がってハドリー!」
「わかった!」
ハドリーはすぐさまわたしの後ろまで退却した。彼がいなくなって反撃に出たスライムどもを、石の弾丸で迎え撃った。
速射砲の如く撃ちまくる。こうなれば今までの焼き直しでしかなかった。
「や、やった……。やったなエル!」
スライムが全滅してピンチから脱出できたのが理解できたのだろう。ハドリーは込み上げた感情を爆発させるように飛び跳ねて喜んだ。
今回は彼もがんばった。嬉しさもひとしおだろうな。
……って、喜ばせたらダメじゃないかっ。このままだとこの子とパーティーを組むことになってしまうっ。
「と、とりあえず火を消すからね」
未だに轟々と燃えている炎を消すために水魔法を使った。こっちも生き残っているスライムはいなさそうだ。
じゃあ先に進むか。というか帰りたくなってきた。そう思って振り返ってハドリーに目を向けようとした時であった。
水面が持ち上がったかと思えば何かが現れた。またもや咄嗟にハドリーを抱えて逃げようとする。
けれど、今度はそう上手くはいかなかった。
「わっ……」
「エル!」
ハドリーを抱える前にわたしが捕まってしまった。急な力に引っ張られたせいでたいまつを落としてしまう。
身体能力が上がっているはずなのにあまり踏ん張ることができなかった。足が浮いてしまえば成す術がない。
「このっ……でかいスライムだな!」
わたしを捕まえたのはスライムだった。だけどさっきまでのスライムとは単純に大きさが段違いだ。
今までのはわたしでも踏みつけられるほどのサイズでしかなかったのだけど、こいつはわたしが見上げなければならないほど大きい。このまま引き寄せられてしまえば体全部がすっぽりと飲み込まれてしまうだろう。
なんか色も濁っている。いかにも毒とか持っていそうである。
ぞくりと背筋が凍った。これはまずい! 逡巡している暇すら惜しくて頭を回転させる。
「エルを離せ!」
ハドリーが持っていたたいまつを投げつけていた。当たりはしたがまったく効果が見られない。火に耐性を持っているタイプのようだった。
なんとか振りほどこうと石の弾丸を放つ。しかしゼリーのような柔らかさで威力を軽減されてしまう。核には届かない。
スライムの中心に大きな魔力の塊が見える。かなりの大きさだ。それがこのスライムの脅威を物語っていた。
濁った体が近づいてくる。こんなのに取り込まれたらあっという間に溶かされて死んでしまう。
手足をばたつかせても振りほどけそうにない。スライムから伸ばされた触手のようなものがわたしの体を絡め取っていた。
「……っ」
歯を喰いしばって悲鳴を押し殺す。ここで諦めるわけにはいかないっ。
今はわたしだけじゃなくハドリーもいるんだ。ここでわたしが死んでしまったら次の獲物は彼になってしまう。
どんなことになってもこいつはここで仕留める! 飲み込まれた瞬間、中から魔法で倒してみせるのだ。
スライムの体は目前だ。飲み込まれたらタダでは済まない。たとえ皮や肉が溶けたとしても、骨だけになっても仕留める!
そんな覚悟とともに、わたしはスライムに飲み込まれ――
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
大声とともに、灼熱の炎がスライムを襲った。
たいまつの火なんかじゃない。それとは比べられないほどの強い炎だった。
確かなダメージが通ったのだろう。わたしを捕まえる力が弱まった。そのチャンスをを逃さず触手から抜け出した。
「ハドリー!?」
少年はふらりと力が抜けたかのようにその場で倒れた。
どうやったのかはわからなかった。だが、彼は確かに魔法を使ってわたしを助けてくれたのだ。
「それも無詠唱でか……」
のんびりしている場合じゃない。まだ敵はすぐそこにいるのだ。
スライムの体は半分近く炎で溶かされてしまっていた。核は破壊されていないので再生しようとしている。
「そのまま放っておくわけないでしょうがっ!!」
一点集中、炎の矢を核に向かって放つ。自慢の体は防禦にならない。一気に核を貫いて巨大スライムを倒した。
「ハドリー返事して!」
ちょっとした火の海になってしまっているが構っていられない。ハドリーの元へと駆け寄った。
「意識がない? なんで!?」
揺すったり叩いたり声をかけたりもしたが反応がない。呼吸はしているが段々と小さくなってきている。
はっとして彼のお腹に手を置いた。
医者みたいに腹部を触診しているわけではない。ハドリーの魔力の流れを調べているのだ。
彼の体内の魔力は流れている。滞っているところはない。しかし弱かった。あまりに彼に流れる魔力は貧弱で、徐々に消えそうになっていると言えた。
「さっきの魔法で魔力が枯渇したんだ……」
魔力は血液と同じで生命維持にはかかせない。普通なら魔法を使っても命を危険にさらさないために体が勝手にセーブしてくれる。
でも、彼の状態を見るにそのストッパーは働いてくれなかったようだ。命の灯火が消えていくのがわたしには感じられた。
「待って……。ダメだハドリー! ここで死んだらダメだ!!」
彼はわたしを助けようとしてくれた。そんなことをしなくてもよかったのに、そんなことなんかで命を落としてはいけないんだ。
道さえ間違えなければ彼には未来がある。そんな少年をこんなところで死なせてしまったら……、わたしは本当になぜここにいるのかわからなくなってしまうっ。
魔力の異常なら時間をかけてでもなんとかできる。だけど枯渇した魔力を元に戻すことはできない。少なくともわたしにはできなかった……。
「そうだ! 魔力を回復させるポーション!」
急いで鞄の中からポーションを引っ張り出す。
自分にはいらない物だと思っていたけれど、ここで役に立ってくれるだなんて運命か。
「聞こえる? これを飲んで」
ハドリーの上体を起こして口元にポーションを近づける。しかし意識がないせいで飲んでくれそうになかった。
どうする? 早くしないと彼の魔力が尽きてしまう。もうさほどの時間もない。
「……これは緊急事態だから」
わたしはポーションを口に含む。一瞬の躊躇の跡、自分の唇をハドリーの唇へと押し付けた。
ハドリーの口の中へとポーションの液体を流し込んでいく。そうしているとごくり、と嚥下した音が聞こえた。
しばらく見守っていると、消えそうになっていた魔力の流れが正常な強さへと戻ってきていた。それを確認できて安堵の息を吐いた。
「……」
唇を指でなぞりながら考える。
冷静になってみるとあれだね……。これは仕方がなかったからノーカン。誰が何と言おうとノーカン! これがわたしのファースト……だなんて認めないから……。
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