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二章 魔道学校編
番外編 領地での出来事
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「まったく、アンタは当代の勇者っていう肩書があるんだから。あんまり醜態を見せるんじゃないわよ」
「……申し訳ありません」
走る馬車の中、クエミーは対面の人物から説教を受けていた。反論もできずただ頭を下げることしかできない。
道中が長いこともあってお小言も長かった。何を言われようともクエミーが反論する様子はない。
クエミーの対面にいる人物はロイド・マーキスという男だ。
大国マグニカで三大戦力の一人として数えられる人物である。『剣神』と呼ばれるほどの剣の使い手であり、クエミーの剣の指南もしていた。
師匠のロイドに弟子であるクエミーは頭が上がらなかった。筋骨隆々の肉体を持ち、その顔には貴婦人のような化粧を施している。弟子は何も言えない。
「……私が不甲斐ないせいで被害が大きくなってしまいました」
「まっ、アンタに押しつけたアタシも悪いのよね。留守番くらいできるもんだと思っていたもの。まだまだ子供だったということね」
「……申し訳ありません」
再度頭を下げるクエミーの頭頂部を眺めながら、ロイドは呟く。
「けれど、相手が悪かったのも事実なのよねぇ」
ロイドは頭の中で情報を整理する。
国の最高戦力と呼べる三人のうち、自身を含めた二人が王都に不在だった。それを狙ったかのようなタイミングで襲撃を受けてしまったのだ。
結果、多大な被害を出してしまった。城には侵入され、幾つかの貴族邸は損害が激しいと聞く。こちらに死人が出なかったのが不思議なくらいである。
残った三大戦力の一人、クエミー・ツァイベンが足止めされてしまったのが痛手だった。もし彼女が自由に動けていたなら被害は抑えられたし、生きて捕縛できた者がいたかもしれなかった。
「アルベルトと言ったかしら……。セフェロスがその名を聞いて気にしていたわね」
セフェロス・ノルイド。マグニカ三大戦力の一人だ。魔道士の頂点とも呼べる存在である。
クエミーの話ではアルベルトという男は魔道士だったようだ。さらにセフェロスまでもがその男を知っているような素振りだったのだ。剣の道に生きてきたロイドの記憶にはいないが、かなりの使い手なのかもしれないとロイドは思った。
「セフェロス様はああ言っておられましたが、そう大した使い手でもありませんでしたよ」
「みすみす逃がしておきながら?」
「うっ……、力を使っていれば遅れを取ることなんてあり得ませんでした」
ロイドはため息で答える。この娘はできるできないが極端過ぎるのだ。
「どちらにしても何か手掛かりを掴まなきゃならないわ。王は特別な魔石が盗まれたってご立腹よ。放置はできないわね」
しかし手掛かりが少なかった。
あの夜、襲撃者はあまりにも多かった。未確認のものもいるが、百名以上はいたとのことだ。どこからそんな人数が王都に侵入できたのかもわかっていない。
しかもそのほとんどが死ぬことを前提にしていたらしく、自身の肉体を媒体に爆発術式を組み込み発動させてしまったため、まともに肉片すら残さなかった。人物を特定できない以上、痕跡は残らない。
「残ったのがあのトーラとかいう女が仕留めたという屍だけね。わかったのは国外の人間ということだけ。もう少し時間があればわかることはあるのでしょうけど、今はまだ情報が少ないわ」
そしてもう一人。確実に手掛かりになるであろう人物があと一人だけいた。
「エル・シエルか。アタシは見ていないけど、今年の対校戦で優勝したほどの使い手なのでしょ? もし本当に襲撃者の一員だとしたら厄介なんじゃないかしら」
「いえ、戦闘力に関してはそれほどではありません。魔道士隊でいいところにはいけるでしょうが、力を使わずとも問題ない程度でした」
「そうなの。クエミーはそのエルって娘とクラスメートだったんでしょ。怪しいところはなかったわけ?」
「あまり親しいわけではなかったのでなんとも言えません。が、何かを企むようには見えませんでした」
「隠ぺいが上手かったとか?」
「いいえ、そういうことではないでしょうね。なんと言いますか……のほほんとしていましたので」
「のほほんと、ねぇ……」
クエミーなら感じたままのことを口にするだろう。師匠として付き合いのあるロイドは弟子に対しての信頼があった。
どちらにせよ、今は手掛かりになるのはエル・シエルしかいない。その周辺を調べれば何かが見つかるかもしれなかった。
……何か見つからなければ、あの国王は何をしでかすのかわかったものではない。ロイドは心中で毒づいた。
馬車の窓から見える景色に緑が多くなる。
「目的地が近づいてきたわね」
「そうですね」
「山沿いの辺境でひどい土地だと聞いていたのだけど、道は整っているのね。魔物も出てこないようだし」
言われて馬車の揺れが少ないことにクエミーは気づく。意外なことに道は舗装されているようだった。
目的地はそれなりの魔物がいることもあって人の行き来が少ないと耳にしていた。だが話と違い道は整備されているし、魔物が出てくる様子もない。何度か人ともすれ違っている。
辺境とはいえ重要な地域ではない。むしろ避けられ遠ざけられているほどのひどい土地だという情報だったはずだ。
「話が違う……、この先に何かがあるということかしらね」
このままやられっ放しというわけにはいかない。なんとしても襲撃者の尻尾を捉えてみせる。国の守護者として。クエミーとロイドの手に力がこもった。
※ ※ ※
何が起こったのかベドスにはわからなかった。
いつも通りの朝が訪れたはずだった。畑を耕して、村の警備をして、息子に剣を教える。そんな当たり前になったはずの一日を送るはずだったのだ。
だがベドスの目の前では、突然王都から来たとかいう騎士団が領主であるはずのシエル家の面々をひっ捕らえていた。
次々と護送用の馬車へと放り込まれていく。否定するような大声や泣き叫ぶ声が聞こえてくるが、立派な鎧を身につけた連中は誰も聞いてはいないようだった。
「ベドス! こりゃあ何の騒ぎだ!?」
話を聞きつけたバガンが息を切らせてベドスへと詰め寄る。気性の荒いバガンなのだが、唐突な事態の変化に不安が顔に出ていた。
「俺だってわからねえよ! ただ……、エル様の名前が聞こえてきた。王都で何かがあったのかもしれねえ」
「確認はしたのかよ?」
「いや……」
ベドスを始めとして、この村にいる奴等はほとんどがあまり世間に顔を出せないような連中である。騎士団の前に顔を出すのはかなりの勇気がいる。
「じゃあ俺が聞いてくんぜ」
しかし、あまり深く物事を考えないバガンは違った。
小走りで近寄ると騎士団の一人に話しかけ、すぐに激昂していた。
「テメーふざけんじゃねえぞ! あいつが悪者なわけがねえだろうがっ!!」
キレたら止まらない。相手が誰だろうがバガンの気性は変わらない。ベドスは慌てて駆け寄った。
「おいバガン! 何やってやがんだ!」
「聞いてくれよベドス! こいつらエルが王都を襲撃した連中の共犯者だって言いやがるんだぜ! おかしいだろっ!!」
「王都が襲撃されたのか!?」
興奮するバガンをなだめるベドスであったが、内心では彼に同感だった。
話が見えないが、それでも付き合いは長いのだ。エルがわざわざ国に反逆する行為をするとはベドスには思えなかった。
むしろ、なんだかんだでお節介を焼いてしまう性分だ。どうしようもない自分達を掬ってくれたくらいなのだ。そんじょそこらのお人好しではない。
そこでベドスはふと気づく。
王都で彼女に付け込んだ奴がいるのではないか。相手がチンピラでも耳を傾ける少女だ。あり得る。
「なあ騎士様よぉ。本当にエル様が国の不利益になることをしたんですかい? 領民の俺達はエル様を見てきたんだ。とてもじゃないが信じられねえ」
「そうだそうだ! なんなら証拠を見せろってんだ!」
「バガン、お前は口を挟むな」
バガンの口を閉じさせ、改めてベドスは騎士であろう鎧姿の男へと目を合わせた。
「目撃者はいる。証拠品はこの領地にあるかもしれない。だからこそ我らがここに派遣されたのだ」
きびきびと答える騎士からは嘘をついている様子はなかった。
「さあもういいだろう。貴様等は我々の邪魔をせずどいていろ」
「なっ、なんだとテメー!!」
「バガン! やめろと言っているだろうが!!」
有無を言わせない騎士の態度にバガンが怒りを露わにする。ベドスにも物申したいことがあったが、王国の騎士相手に対応を間違えるわけにはいかない。
そうやって騒いでいたからか。だんだんと村の連中も集まってきた。
この村にいる連中はもともと気性の荒い奴等ばかりである。バガンの怒りにあてられてか、騒ぎが大きくなっていった。
「何よこの騒ぎは?」
それを聞きつけたのか。二人分の影が近づいてきた。
一人は入念に手入れをしているであろう長髪の男だった。化粧を施しているが、筋肉が盛り上がった肉体からは男らしさを隠し切れてはいない。
もう一人は金髪碧眼の少女だった。いや、お目にかかったことのない美少女だ。存在自体が輝きに満ち溢れているような、そんな印象を抱かせる女である。
「どういうことか説明しなさいな」
男が尋ねると、騎士は姿勢を正して先ほどのやり取りを説明した。どうやらこの二人はお偉いさんらしい。
「ふうん。アナタ達、ここの領民なんでしょう。領主の娘、エル・シエルは知っているわよね?」
「エル様は悪さをするような人じゃねえんだ! 頼むから俺達の話を聞いてくれ!」
食い気味に言葉を重ねてしまう。これではバガンのことを言えない。ベドスは自分が思っている以上にうろたえていることを今になって自覚した。
だがそれでもいい。彼女の人柄をわかってもらえれば、何かの間違いということに気づいてくれるかもしれない。そうでなくても彼女がただ利用されていただけだとわかってもらえるはずだ。
「ああ、そういうのはいいから。そのエル様とやらが何か怪しいことをしていたか誰か知らないかしら?」
だが、男はベドスの言葉を手を払いのけるように一蹴する。
この口ぶり。最初から悪いのはエルなのだと決めつけてかかっている。まるで偉ぶった連中が自分達に向けるような目をしているとベドスには感じられた。
コイツ……ッ! このまま好きにされていたらせっかく彼女が作ってくれた居場所を荒らされてしまう。ベドスの意識が腰に差した剣へと向いた。
村では常識人として扱われている彼ではあるが、もともとは村の大半の連中と同じくただの荒くれ者である。ベドスの考えが物騒な方向へと向かう。
「この野郎っ!! 変な化粧に気持ちワリィ女言葉のくせによ!」
「あ?」
次の瞬間、バガンが飛んだ。
自主的にではない。吹き飛ばされたのだ。ベドスの目では捉えられなかったが、男が何かしたのは明らかだ。
「何か言ったかしら? って、もう聞いちゃいないわね」
吹き飛ばされたバガンの顔の形が歪に変えられていた。痙攣して気を失っている。いや、命があるのかさえ怪しかった。
「ああ、申し遅れてたわね。アタシはロイド・マーキス。こっちの子はクエミー・ツァイベンよ」
「なっ!? まさか剣神と勇者の末裔か!?」
「なんだ。こんな頭の悪そうな奴でもわかっている奴はいるんじゃない。わかっているってことは、アタシ達のお願いを、断ったりしないわよね?」
「ぐお……」
視線を向けられた。それだけでベドスの体は縛られたかのように動かなくなる。
自分が挑んでも勝てる相手ではない。領民全員でかかったとしても結果は変わらないだろう。
相手は国の三大戦力と呼ばれるうちの二人がいる。一人でも小国ならば落とせるほどの実力を持っていると言われているのだ。万が一の勝機もない。
「だからなんだってんだよ!」
「エル様に何かしようってんなら俺達は許さねえぜ!」
「ついでにバガンに手を出した分もわかってんだろうな!」
「別にバガンの野郎はいんじゃね?」
「……まあ、そうだな」
だが、この村の連中はそんじょそこらの荒くれ者ではなかった。
大通りを歩けないような、それほどのバカをした連中なのだ。ここで恐れるような心を持っちゃいない。
そうだな。と、ベドスは口元で笑みを作る。
どうしようもねえ自分達に人としての尊厳を取り戻させてくれたのだ。なのにこのまま「どうぞお好きに」と引き下がるのは恩知らずにもほどがあった。
もしかしたら本当にエルは悪さをしでかしたのかもしれない。だけど、それは自分達も同じこと。彼女はそれをわかった上で手を差し伸べてくれたのだ。
なればこそ、ここで戦わなければ悪人としての誇りが保てないではないか。ベドスは剣を抜いた。
「野郎ども! こいつらはエル様の害になる連中だ! 一人残らずぶっ殺せ!!」
悪者は悪者らしく。たとえ勝てないとしても恩人を害する奴は許さない。
雄たけびが広がる。相手はロイドとクエミー、それと騎士団であろう男達が三十名ほど。数だけならこちらが勝っている。
「私一人で充分です」
勢いのまま物量で飲み込もうとする。それに立ち向かうのは少女一人。クエミーだった。
クエミーが一歩前に出る。ベドスに見えたのはそこまでだった。
バガンが吹き飛ばされたのと同じだ。気がついた時には体が宙に浮いていた。それから思い出したかのように遅れて激痛が体中を駆け巡った。
殴られたのか斬られたのかさえわからない。意識は痛みに支配され、やがて強制的に意識が途切れてしまった。
それはベドスだけではなかった。一斉に襲いかかった連中が全員意識を刈り取られた。立ち上がる者は誰一人としていなかった。
「殺してないでしょうね?」
「当然です。かなり手加減しましたから」
小さく胸を張る弟子の姿に、ロイドは少しの呆れを見せる。
「父さん!!」
そこへ悲痛な大声が響いた。
まだ残りがいたのか。面倒そうに顔を声の方向へと向けたロイドの目が輝く。
「あら、いい男じゃない」
ロイドの瞳に映るのは涼しげな青い瞳が特徴的な美少年だった。繊細そうな外見ではあるが、服の下に隠れた肉体は鍛えこまれたものだと瞬時に看破する。
少年はベドスの元へと駆け寄った。ベドスの意識はない。倒れている他の男達も同じようにして倒れていた。
「あなた方がやったんですか?」
少年、ウィリアムはクエミーとロイドを見据えた。疑問形ではあったが、察しはついているようだ。
「だったらどうするの? 言っておくけどアタシ達は王の命令で動いているの。その意味、わかるわよね?」
ロイドは面白そうに笑う。見たところ少年は剣士のようだ。剣を持っているという単純な理由ではなく、動作の一つ一つに洗練されたものを見たからだ。
少年はクエミーとさほど歳は変わらないだろう。それでも剣神と呼ばれる自分でも感心させられたのだ。これはもしや期待できるかもしれない。ロイドはそう考えた。
この少年の実力が見たい。そんな安易な好奇心から、ロイドはウィリアムを挑発することにした。
「エル・シエルは国に反逆する意志があったと見なされたのよ。罪人である者には人権なんてないわ。この領地によからぬものでも隠しているかもしれないしね」
さっきの男連中にとってエルという存在は目に見えて大きいものだった。ならば同じ村人である少年にだって、そういう気持ちがあっていてもおかしくないとロイドは考えた。
その予想は想像以上に正解だったようだ。
「エルが……なんだって?」
少年から発せられる雰囲気が変わった。
ウィリアムの威圧でビリビリと騎士団の体が震えた。並みの者ならこれだけでも逃げ出してしまうほどだろう。
「どうにかしたければ、このクエミーを倒すのね。それができるのなら、見逃してあげてもいいわよ」
「師匠」
「いいじゃない。それに、こんな子に負けるようならアンタは勇者の末裔だなんて胸を張る資格なんてないわ。あと師匠って呼ばないように」
クエミーはロイドの悪い部分が出てしまったと嘆息する。
ロイドがお眼鏡にかなう原石を見つけた時はいつもこうなのだ。だが、逆に言えば彼がここまでの興味を示したのはいつ振りだったろうかとクエミーは記憶を探る。……決して見た目が好みだという理由ではないと信じている。
「……エルは今どうしているんだ?」
「それもクエミーに勝てたら教えてあげるわよ」
ウィリアムは剣を抜いた。思った以上に躊躇がない。ロイドは内心で評価を上げた。
戦うしかなさそうだ。クエミーは一歩進み、ロイドは一歩退いた。
ウィリアムは剣を持った手に力を込める。
彼からすれば急に領内に入ってきた集団が大切な人の家族を捕縛し、父親を含めた村の男達を昏倒させたのだ。極めつけは大切な人を罪人だとのたまい、人権なんてないとまで言い出したのだ。到底看過できる事態ではなかった。
相手は同年代の女の子。だからといってウィリアムの目からは意志の揺らぎはまったくなかった。
クエミーが動く。ウィリアムが反応する。
風音を置き去りにして彼女の肘がウィリアムの髪の毛をかすめた。外したのではない。かわされたのだ。
少なからずの驚愕を見せたのはクエミーだった。先ほどまでの男達はこの速さに対応できていなかった。だが、少年はしっかりと目で捉えている。
まぐれではないのなら反撃がくる。事実、ウィリアムは避けた動きのまま体を旋回させ、剣を振るっていたのだ。
ここでようやくクエミーは剣を抜いた。抜かなければならない相手だと判断したのだ。
「だああああっ!」
「はああああっ!」
激しく鳴り響く金属音。クエミーは腕がしびれるような感覚に久しさを覚える。
どちらもが剣の届く位置にいる。始まるのは剣戟の応酬だ。
振り下ろし、振り上げて、薙ぎ払う。顔に似合わず荒々しく剣を振るうのだなとクエミーは思った。
呑気に思考しているわけではない。彼女の目は真剣そのもので、瞬きすら許さない状況にあった。
「バカな……っ。クエミー様と剣を打ち合える者がこんな小さな村にいるはずがない!」
騎士の一人が震えた声を漏らす。それは皆思ったことだったのか、伝染するようにざわめきが広がった。
その間にも、その事実を証明するように金属音が何度も響く。 すでに騎士団の中でクエミーとウィリアムの戦いをまともに目で追えている者はいなくなっていた。
(なかなかやりますね!)
(つ、強い……っ!)
音速の戦いで二人は思考する。
クエミーは久しく出会えなかった実力者にだんだんと胸を躍らせていた。
ウィリアムは初めて出会う強者に焦りを覚えていた。
戦いは互角。しかし、その天秤は確実に片方に傾いていた。
「くっ……」
ウィリアムの剣が攻めから徐々に守りを主体としたものへと変わっていく。
意図して戦法を変えたわけではない。クエミーの速度が上がっていくので防御に回らなければならなくなったのだ。
最初は互角だったスピードが、いつの間にかついていくだけで精一杯になっていた。
苛烈でいて流麗。身惚れるほどの剣の舞に、ウィリアムは実力差を思い知る。
(だからって、負けるわけにはいかないんだ!!)
ウィリアムの目に闘志が燃え上がる。防戦一方の彼ではあるが、まだクエミーの剣を一太刀も浴びてはいない。
ウィリアムが大きく飛びのいた。最初にぶつかってから、初めて剣の届かない距離へと身を置く。
逃げた……わけではない。勝つための行動に決まっている。
ウィリアムは一拍呼吸を挟んだ。さっきまでの音速の攻防を考えれば、とてもゆっくりとした時間に感じられるだろう。
「清らかなる水よ、集え」
ウィリアムが次に口を開いた時、発せられた言葉は魔法の詠唱であった。
これにはクエミーも虚を突かれた。
元来、剣士などの自らの肉体に頼った者は大気のマナを魔力に変換すること自体が苦手とされている。
代わりに『闘気』と呼ばれる力を練り出すことが向いているとされていた。クエミーはまさに闘気を扱うのが得意であり、少女の細い体から爆発的な力を出せているのは彼女が優れた闘気を持っているからである。
戦いを通じてウィリアムも自分と同じタイプだと考えていたクエミーは、だからこそ虚を突かれてしまったのだ。
戸惑いは刹那にも見たない間。だがしかし、決定的な隙には間違いなかった。
クエミーの目の前に水の球体が出来あがる。注意を逸らされてしまい、彼女は瞬きの間にウィリアムの姿を見失った。
横一閃。それだけで水の球体はパシャリと音を立てて地面にシミを作った。
大したことのない魔法。ただ気を逸らせるだけのなんの力もない魔法だった。けれど、その役割は十二分にこなしていた。
見失ったウィリアムを探す。前、右、左。どこにも彼の姿はない。視線を下げた先にあった影を見つけて、やっとクエミーは気づいた。
「上!?」
「でやあああああああああっ!!」
クエミーが見上げた時には、すでにウィリアムは剣を振り下ろしながら目前まで落下してきていた。
必殺のタイミング。真っすぐに縦一閃。容赦なくクエミーの体を両断しようと刃が襲いかかる。
(まずいっ!)
クエミーは咄嗟に左腕を犠牲にすることを決断する。防禦には間に合わない剣は反撃に使う。瞬時にそこまでの映像が彼女の頭の中で流れた。
「そこまでよ」
「ぐ……あ?」
ウィリアムが剣を振り下ろし切る前に、ロイドが彼の首を後ろから掴み上げていた。
ロイドの腕の血管が浮き上がる。ウィリアムの首からミシミシと耳障りな音がした。
やがて、ウィリアムの手から剣が滑り落ちる。首は垂れ下がり、腕はだらんとして力が感じられない。どうやら意識を失ったようだ。
「師匠!」
「だから師匠って呼ぶんじゃないわよこのバカ弟子。あのまま放っておいたら腕が一本飛んでいたでしょ」
「それでも、これは私と彼の勝負でした」
「バカ言ってんじゃないわよ! そんな勝手は認めないわ」
そもそもこれは師匠がやらせた戦いだったはずでは? そんな反論は弟子にはできなかった。
けれどほんの少し、彼女にしては珍しく消化不良のもやもやとした感情を表情に出してしまっていた。上機嫌のロイドはそれには気づく様子はない。
「でも、うん、いい拾い物ができたわ。これは鍛え甲斐がありそうね」
「つれて帰るのですか?」
「これも調査の一貫よ。こんな土地にこんな原石が育つはずがないでしょう。もしかしたら本当にここに秘密があるのかもしれないわ」
「そう、ですか……?」
クエミーにはよくわからない話だった。けれど、ロイドがそう言うのならそうなのだろうと結論づける。
ウィリアムを縛り上げ馬車へと放り込んだ。予定していたシエル家の者達も収容できている。
「ま、待ってください!」
引き上げようとする馬車を止めようと一人の女が立ちはだかった。ウィリアムの母マーサである。
周囲には村人全員が集まっていた。男は全員倒されたので、残っているのは女子供だけだった。
「その子は……ウィリアムは私の息子です! どうか息子を連れて行かないでください!」
もともとの声が小さいのだろう。マーサの大声はかすれていた。それが一層悲痛さを表している。
馬車に乗ろうとしていたクエミーがマーサに近寄る。すでに馬車に乗っているロイドは我関せずであった。
口を開いた少女から発せられた言葉は、感情がこもっていない淡々としたものだった。
「あなたの息子は国のために働ける力を見せました。これからもっと力をつけてマグニカを支える一人になれるでしょう。これはとても名誉なことなのです」
「な、何を……言っているのですか?」
息子とそう変わらないであろう少女が口にしている言葉をマーサは理解できなかった。むしろ少女の容姿が綺麗過ぎることもあって、作り物じみた気味の悪さが込み上げてくる。
少女の目は澄みきっていた。嘘や虚言はどこにもない。これは正しいことなのだと信じて疑わない目だった。
そんなクエミーにマーサは必死に食い下がる。
「名誉なんていりません! お願いですから息子を返して!!」
「また後日、新しい領主が来るでしょう。あなた方は領民として義務を果たすのですよ」
話が噛み合わない。いや、話を合わせる気がないのだ。
ただ伝えるべきことだけを伝える。それが義務だからと言わんばかりに。
「出しなさい」
「ま、待ってっ!」
マーサが手を伸ばすが簡単にかわされてしまう。動き出した馬車の中へとクエミーは入ってしまった。
幾つもあった馬車は馬蹄の音を響かせて遠ざかって行った。
その場に残されたのは泣き崩れるマーサと気を失ったまま起き上がらない男達。その光景を見て困惑する女子供達だけであった。
「……申し訳ありません」
走る馬車の中、クエミーは対面の人物から説教を受けていた。反論もできずただ頭を下げることしかできない。
道中が長いこともあってお小言も長かった。何を言われようともクエミーが反論する様子はない。
クエミーの対面にいる人物はロイド・マーキスという男だ。
大国マグニカで三大戦力の一人として数えられる人物である。『剣神』と呼ばれるほどの剣の使い手であり、クエミーの剣の指南もしていた。
師匠のロイドに弟子であるクエミーは頭が上がらなかった。筋骨隆々の肉体を持ち、その顔には貴婦人のような化粧を施している。弟子は何も言えない。
「……私が不甲斐ないせいで被害が大きくなってしまいました」
「まっ、アンタに押しつけたアタシも悪いのよね。留守番くらいできるもんだと思っていたもの。まだまだ子供だったということね」
「……申し訳ありません」
再度頭を下げるクエミーの頭頂部を眺めながら、ロイドは呟く。
「けれど、相手が悪かったのも事実なのよねぇ」
ロイドは頭の中で情報を整理する。
国の最高戦力と呼べる三人のうち、自身を含めた二人が王都に不在だった。それを狙ったかのようなタイミングで襲撃を受けてしまったのだ。
結果、多大な被害を出してしまった。城には侵入され、幾つかの貴族邸は損害が激しいと聞く。こちらに死人が出なかったのが不思議なくらいである。
残った三大戦力の一人、クエミー・ツァイベンが足止めされてしまったのが痛手だった。もし彼女が自由に動けていたなら被害は抑えられたし、生きて捕縛できた者がいたかもしれなかった。
「アルベルトと言ったかしら……。セフェロスがその名を聞いて気にしていたわね」
セフェロス・ノルイド。マグニカ三大戦力の一人だ。魔道士の頂点とも呼べる存在である。
クエミーの話ではアルベルトという男は魔道士だったようだ。さらにセフェロスまでもがその男を知っているような素振りだったのだ。剣の道に生きてきたロイドの記憶にはいないが、かなりの使い手なのかもしれないとロイドは思った。
「セフェロス様はああ言っておられましたが、そう大した使い手でもありませんでしたよ」
「みすみす逃がしておきながら?」
「うっ……、力を使っていれば遅れを取ることなんてあり得ませんでした」
ロイドはため息で答える。この娘はできるできないが極端過ぎるのだ。
「どちらにしても何か手掛かりを掴まなきゃならないわ。王は特別な魔石が盗まれたってご立腹よ。放置はできないわね」
しかし手掛かりが少なかった。
あの夜、襲撃者はあまりにも多かった。未確認のものもいるが、百名以上はいたとのことだ。どこからそんな人数が王都に侵入できたのかもわかっていない。
しかもそのほとんどが死ぬことを前提にしていたらしく、自身の肉体を媒体に爆発術式を組み込み発動させてしまったため、まともに肉片すら残さなかった。人物を特定できない以上、痕跡は残らない。
「残ったのがあのトーラとかいう女が仕留めたという屍だけね。わかったのは国外の人間ということだけ。もう少し時間があればわかることはあるのでしょうけど、今はまだ情報が少ないわ」
そしてもう一人。確実に手掛かりになるであろう人物があと一人だけいた。
「エル・シエルか。アタシは見ていないけど、今年の対校戦で優勝したほどの使い手なのでしょ? もし本当に襲撃者の一員だとしたら厄介なんじゃないかしら」
「いえ、戦闘力に関してはそれほどではありません。魔道士隊でいいところにはいけるでしょうが、力を使わずとも問題ない程度でした」
「そうなの。クエミーはそのエルって娘とクラスメートだったんでしょ。怪しいところはなかったわけ?」
「あまり親しいわけではなかったのでなんとも言えません。が、何かを企むようには見えませんでした」
「隠ぺいが上手かったとか?」
「いいえ、そういうことではないでしょうね。なんと言いますか……のほほんとしていましたので」
「のほほんと、ねぇ……」
クエミーなら感じたままのことを口にするだろう。師匠として付き合いのあるロイドは弟子に対しての信頼があった。
どちらにせよ、今は手掛かりになるのはエル・シエルしかいない。その周辺を調べれば何かが見つかるかもしれなかった。
……何か見つからなければ、あの国王は何をしでかすのかわかったものではない。ロイドは心中で毒づいた。
馬車の窓から見える景色に緑が多くなる。
「目的地が近づいてきたわね」
「そうですね」
「山沿いの辺境でひどい土地だと聞いていたのだけど、道は整っているのね。魔物も出てこないようだし」
言われて馬車の揺れが少ないことにクエミーは気づく。意外なことに道は舗装されているようだった。
目的地はそれなりの魔物がいることもあって人の行き来が少ないと耳にしていた。だが話と違い道は整備されているし、魔物が出てくる様子もない。何度か人ともすれ違っている。
辺境とはいえ重要な地域ではない。むしろ避けられ遠ざけられているほどのひどい土地だという情報だったはずだ。
「話が違う……、この先に何かがあるということかしらね」
このままやられっ放しというわけにはいかない。なんとしても襲撃者の尻尾を捉えてみせる。国の守護者として。クエミーとロイドの手に力がこもった。
※ ※ ※
何が起こったのかベドスにはわからなかった。
いつも通りの朝が訪れたはずだった。畑を耕して、村の警備をして、息子に剣を教える。そんな当たり前になったはずの一日を送るはずだったのだ。
だがベドスの目の前では、突然王都から来たとかいう騎士団が領主であるはずのシエル家の面々をひっ捕らえていた。
次々と護送用の馬車へと放り込まれていく。否定するような大声や泣き叫ぶ声が聞こえてくるが、立派な鎧を身につけた連中は誰も聞いてはいないようだった。
「ベドス! こりゃあ何の騒ぎだ!?」
話を聞きつけたバガンが息を切らせてベドスへと詰め寄る。気性の荒いバガンなのだが、唐突な事態の変化に不安が顔に出ていた。
「俺だってわからねえよ! ただ……、エル様の名前が聞こえてきた。王都で何かがあったのかもしれねえ」
「確認はしたのかよ?」
「いや……」
ベドスを始めとして、この村にいる奴等はほとんどがあまり世間に顔を出せないような連中である。騎士団の前に顔を出すのはかなりの勇気がいる。
「じゃあ俺が聞いてくんぜ」
しかし、あまり深く物事を考えないバガンは違った。
小走りで近寄ると騎士団の一人に話しかけ、すぐに激昂していた。
「テメーふざけんじゃねえぞ! あいつが悪者なわけがねえだろうがっ!!」
キレたら止まらない。相手が誰だろうがバガンの気性は変わらない。ベドスは慌てて駆け寄った。
「おいバガン! 何やってやがんだ!」
「聞いてくれよベドス! こいつらエルが王都を襲撃した連中の共犯者だって言いやがるんだぜ! おかしいだろっ!!」
「王都が襲撃されたのか!?」
興奮するバガンをなだめるベドスであったが、内心では彼に同感だった。
話が見えないが、それでも付き合いは長いのだ。エルがわざわざ国に反逆する行為をするとはベドスには思えなかった。
むしろ、なんだかんだでお節介を焼いてしまう性分だ。どうしようもない自分達を掬ってくれたくらいなのだ。そんじょそこらのお人好しではない。
そこでベドスはふと気づく。
王都で彼女に付け込んだ奴がいるのではないか。相手がチンピラでも耳を傾ける少女だ。あり得る。
「なあ騎士様よぉ。本当にエル様が国の不利益になることをしたんですかい? 領民の俺達はエル様を見てきたんだ。とてもじゃないが信じられねえ」
「そうだそうだ! なんなら証拠を見せろってんだ!」
「バガン、お前は口を挟むな」
バガンの口を閉じさせ、改めてベドスは騎士であろう鎧姿の男へと目を合わせた。
「目撃者はいる。証拠品はこの領地にあるかもしれない。だからこそ我らがここに派遣されたのだ」
きびきびと答える騎士からは嘘をついている様子はなかった。
「さあもういいだろう。貴様等は我々の邪魔をせずどいていろ」
「なっ、なんだとテメー!!」
「バガン! やめろと言っているだろうが!!」
有無を言わせない騎士の態度にバガンが怒りを露わにする。ベドスにも物申したいことがあったが、王国の騎士相手に対応を間違えるわけにはいかない。
そうやって騒いでいたからか。だんだんと村の連中も集まってきた。
この村にいる連中はもともと気性の荒い奴等ばかりである。バガンの怒りにあてられてか、騒ぎが大きくなっていった。
「何よこの騒ぎは?」
それを聞きつけたのか。二人分の影が近づいてきた。
一人は入念に手入れをしているであろう長髪の男だった。化粧を施しているが、筋肉が盛り上がった肉体からは男らしさを隠し切れてはいない。
もう一人は金髪碧眼の少女だった。いや、お目にかかったことのない美少女だ。存在自体が輝きに満ち溢れているような、そんな印象を抱かせる女である。
「どういうことか説明しなさいな」
男が尋ねると、騎士は姿勢を正して先ほどのやり取りを説明した。どうやらこの二人はお偉いさんらしい。
「ふうん。アナタ達、ここの領民なんでしょう。領主の娘、エル・シエルは知っているわよね?」
「エル様は悪さをするような人じゃねえんだ! 頼むから俺達の話を聞いてくれ!」
食い気味に言葉を重ねてしまう。これではバガンのことを言えない。ベドスは自分が思っている以上にうろたえていることを今になって自覚した。
だがそれでもいい。彼女の人柄をわかってもらえれば、何かの間違いということに気づいてくれるかもしれない。そうでなくても彼女がただ利用されていただけだとわかってもらえるはずだ。
「ああ、そういうのはいいから。そのエル様とやらが何か怪しいことをしていたか誰か知らないかしら?」
だが、男はベドスの言葉を手を払いのけるように一蹴する。
この口ぶり。最初から悪いのはエルなのだと決めつけてかかっている。まるで偉ぶった連中が自分達に向けるような目をしているとベドスには感じられた。
コイツ……ッ! このまま好きにされていたらせっかく彼女が作ってくれた居場所を荒らされてしまう。ベドスの意識が腰に差した剣へと向いた。
村では常識人として扱われている彼ではあるが、もともとは村の大半の連中と同じくただの荒くれ者である。ベドスの考えが物騒な方向へと向かう。
「この野郎っ!! 変な化粧に気持ちワリィ女言葉のくせによ!」
「あ?」
次の瞬間、バガンが飛んだ。
自主的にではない。吹き飛ばされたのだ。ベドスの目では捉えられなかったが、男が何かしたのは明らかだ。
「何か言ったかしら? って、もう聞いちゃいないわね」
吹き飛ばされたバガンの顔の形が歪に変えられていた。痙攣して気を失っている。いや、命があるのかさえ怪しかった。
「ああ、申し遅れてたわね。アタシはロイド・マーキス。こっちの子はクエミー・ツァイベンよ」
「なっ!? まさか剣神と勇者の末裔か!?」
「なんだ。こんな頭の悪そうな奴でもわかっている奴はいるんじゃない。わかっているってことは、アタシ達のお願いを、断ったりしないわよね?」
「ぐお……」
視線を向けられた。それだけでベドスの体は縛られたかのように動かなくなる。
自分が挑んでも勝てる相手ではない。領民全員でかかったとしても結果は変わらないだろう。
相手は国の三大戦力と呼ばれるうちの二人がいる。一人でも小国ならば落とせるほどの実力を持っていると言われているのだ。万が一の勝機もない。
「だからなんだってんだよ!」
「エル様に何かしようってんなら俺達は許さねえぜ!」
「ついでにバガンに手を出した分もわかってんだろうな!」
「別にバガンの野郎はいんじゃね?」
「……まあ、そうだな」
だが、この村の連中はそんじょそこらの荒くれ者ではなかった。
大通りを歩けないような、それほどのバカをした連中なのだ。ここで恐れるような心を持っちゃいない。
そうだな。と、ベドスは口元で笑みを作る。
どうしようもねえ自分達に人としての尊厳を取り戻させてくれたのだ。なのにこのまま「どうぞお好きに」と引き下がるのは恩知らずにもほどがあった。
もしかしたら本当にエルは悪さをしでかしたのかもしれない。だけど、それは自分達も同じこと。彼女はそれをわかった上で手を差し伸べてくれたのだ。
なればこそ、ここで戦わなければ悪人としての誇りが保てないではないか。ベドスは剣を抜いた。
「野郎ども! こいつらはエル様の害になる連中だ! 一人残らずぶっ殺せ!!」
悪者は悪者らしく。たとえ勝てないとしても恩人を害する奴は許さない。
雄たけびが広がる。相手はロイドとクエミー、それと騎士団であろう男達が三十名ほど。数だけならこちらが勝っている。
「私一人で充分です」
勢いのまま物量で飲み込もうとする。それに立ち向かうのは少女一人。クエミーだった。
クエミーが一歩前に出る。ベドスに見えたのはそこまでだった。
バガンが吹き飛ばされたのと同じだ。気がついた時には体が宙に浮いていた。それから思い出したかのように遅れて激痛が体中を駆け巡った。
殴られたのか斬られたのかさえわからない。意識は痛みに支配され、やがて強制的に意識が途切れてしまった。
それはベドスだけではなかった。一斉に襲いかかった連中が全員意識を刈り取られた。立ち上がる者は誰一人としていなかった。
「殺してないでしょうね?」
「当然です。かなり手加減しましたから」
小さく胸を張る弟子の姿に、ロイドは少しの呆れを見せる。
「父さん!!」
そこへ悲痛な大声が響いた。
まだ残りがいたのか。面倒そうに顔を声の方向へと向けたロイドの目が輝く。
「あら、いい男じゃない」
ロイドの瞳に映るのは涼しげな青い瞳が特徴的な美少年だった。繊細そうな外見ではあるが、服の下に隠れた肉体は鍛えこまれたものだと瞬時に看破する。
少年はベドスの元へと駆け寄った。ベドスの意識はない。倒れている他の男達も同じようにして倒れていた。
「あなた方がやったんですか?」
少年、ウィリアムはクエミーとロイドを見据えた。疑問形ではあったが、察しはついているようだ。
「だったらどうするの? 言っておくけどアタシ達は王の命令で動いているの。その意味、わかるわよね?」
ロイドは面白そうに笑う。見たところ少年は剣士のようだ。剣を持っているという単純な理由ではなく、動作の一つ一つに洗練されたものを見たからだ。
少年はクエミーとさほど歳は変わらないだろう。それでも剣神と呼ばれる自分でも感心させられたのだ。これはもしや期待できるかもしれない。ロイドはそう考えた。
この少年の実力が見たい。そんな安易な好奇心から、ロイドはウィリアムを挑発することにした。
「エル・シエルは国に反逆する意志があったと見なされたのよ。罪人である者には人権なんてないわ。この領地によからぬものでも隠しているかもしれないしね」
さっきの男連中にとってエルという存在は目に見えて大きいものだった。ならば同じ村人である少年にだって、そういう気持ちがあっていてもおかしくないとロイドは考えた。
その予想は想像以上に正解だったようだ。
「エルが……なんだって?」
少年から発せられる雰囲気が変わった。
ウィリアムの威圧でビリビリと騎士団の体が震えた。並みの者ならこれだけでも逃げ出してしまうほどだろう。
「どうにかしたければ、このクエミーを倒すのね。それができるのなら、見逃してあげてもいいわよ」
「師匠」
「いいじゃない。それに、こんな子に負けるようならアンタは勇者の末裔だなんて胸を張る資格なんてないわ。あと師匠って呼ばないように」
クエミーはロイドの悪い部分が出てしまったと嘆息する。
ロイドがお眼鏡にかなう原石を見つけた時はいつもこうなのだ。だが、逆に言えば彼がここまでの興味を示したのはいつ振りだったろうかとクエミーは記憶を探る。……決して見た目が好みだという理由ではないと信じている。
「……エルは今どうしているんだ?」
「それもクエミーに勝てたら教えてあげるわよ」
ウィリアムは剣を抜いた。思った以上に躊躇がない。ロイドは内心で評価を上げた。
戦うしかなさそうだ。クエミーは一歩進み、ロイドは一歩退いた。
ウィリアムは剣を持った手に力を込める。
彼からすれば急に領内に入ってきた集団が大切な人の家族を捕縛し、父親を含めた村の男達を昏倒させたのだ。極めつけは大切な人を罪人だとのたまい、人権なんてないとまで言い出したのだ。到底看過できる事態ではなかった。
相手は同年代の女の子。だからといってウィリアムの目からは意志の揺らぎはまったくなかった。
クエミーが動く。ウィリアムが反応する。
風音を置き去りにして彼女の肘がウィリアムの髪の毛をかすめた。外したのではない。かわされたのだ。
少なからずの驚愕を見せたのはクエミーだった。先ほどまでの男達はこの速さに対応できていなかった。だが、少年はしっかりと目で捉えている。
まぐれではないのなら反撃がくる。事実、ウィリアムは避けた動きのまま体を旋回させ、剣を振るっていたのだ。
ここでようやくクエミーは剣を抜いた。抜かなければならない相手だと判断したのだ。
「だああああっ!」
「はああああっ!」
激しく鳴り響く金属音。クエミーは腕がしびれるような感覚に久しさを覚える。
どちらもが剣の届く位置にいる。始まるのは剣戟の応酬だ。
振り下ろし、振り上げて、薙ぎ払う。顔に似合わず荒々しく剣を振るうのだなとクエミーは思った。
呑気に思考しているわけではない。彼女の目は真剣そのもので、瞬きすら許さない状況にあった。
「バカな……っ。クエミー様と剣を打ち合える者がこんな小さな村にいるはずがない!」
騎士の一人が震えた声を漏らす。それは皆思ったことだったのか、伝染するようにざわめきが広がった。
その間にも、その事実を証明するように金属音が何度も響く。 すでに騎士団の中でクエミーとウィリアムの戦いをまともに目で追えている者はいなくなっていた。
(なかなかやりますね!)
(つ、強い……っ!)
音速の戦いで二人は思考する。
クエミーは久しく出会えなかった実力者にだんだんと胸を躍らせていた。
ウィリアムは初めて出会う強者に焦りを覚えていた。
戦いは互角。しかし、その天秤は確実に片方に傾いていた。
「くっ……」
ウィリアムの剣が攻めから徐々に守りを主体としたものへと変わっていく。
意図して戦法を変えたわけではない。クエミーの速度が上がっていくので防御に回らなければならなくなったのだ。
最初は互角だったスピードが、いつの間にかついていくだけで精一杯になっていた。
苛烈でいて流麗。身惚れるほどの剣の舞に、ウィリアムは実力差を思い知る。
(だからって、負けるわけにはいかないんだ!!)
ウィリアムの目に闘志が燃え上がる。防戦一方の彼ではあるが、まだクエミーの剣を一太刀も浴びてはいない。
ウィリアムが大きく飛びのいた。最初にぶつかってから、初めて剣の届かない距離へと身を置く。
逃げた……わけではない。勝つための行動に決まっている。
ウィリアムは一拍呼吸を挟んだ。さっきまでの音速の攻防を考えれば、とてもゆっくりとした時間に感じられるだろう。
「清らかなる水よ、集え」
ウィリアムが次に口を開いた時、発せられた言葉は魔法の詠唱であった。
これにはクエミーも虚を突かれた。
元来、剣士などの自らの肉体に頼った者は大気のマナを魔力に変換すること自体が苦手とされている。
代わりに『闘気』と呼ばれる力を練り出すことが向いているとされていた。クエミーはまさに闘気を扱うのが得意であり、少女の細い体から爆発的な力を出せているのは彼女が優れた闘気を持っているからである。
戦いを通じてウィリアムも自分と同じタイプだと考えていたクエミーは、だからこそ虚を突かれてしまったのだ。
戸惑いは刹那にも見たない間。だがしかし、決定的な隙には間違いなかった。
クエミーの目の前に水の球体が出来あがる。注意を逸らされてしまい、彼女は瞬きの間にウィリアムの姿を見失った。
横一閃。それだけで水の球体はパシャリと音を立てて地面にシミを作った。
大したことのない魔法。ただ気を逸らせるだけのなんの力もない魔法だった。けれど、その役割は十二分にこなしていた。
見失ったウィリアムを探す。前、右、左。どこにも彼の姿はない。視線を下げた先にあった影を見つけて、やっとクエミーは気づいた。
「上!?」
「でやあああああああああっ!!」
クエミーが見上げた時には、すでにウィリアムは剣を振り下ろしながら目前まで落下してきていた。
必殺のタイミング。真っすぐに縦一閃。容赦なくクエミーの体を両断しようと刃が襲いかかる。
(まずいっ!)
クエミーは咄嗟に左腕を犠牲にすることを決断する。防禦には間に合わない剣は反撃に使う。瞬時にそこまでの映像が彼女の頭の中で流れた。
「そこまでよ」
「ぐ……あ?」
ウィリアムが剣を振り下ろし切る前に、ロイドが彼の首を後ろから掴み上げていた。
ロイドの腕の血管が浮き上がる。ウィリアムの首からミシミシと耳障りな音がした。
やがて、ウィリアムの手から剣が滑り落ちる。首は垂れ下がり、腕はだらんとして力が感じられない。どうやら意識を失ったようだ。
「師匠!」
「だから師匠って呼ぶんじゃないわよこのバカ弟子。あのまま放っておいたら腕が一本飛んでいたでしょ」
「それでも、これは私と彼の勝負でした」
「バカ言ってんじゃないわよ! そんな勝手は認めないわ」
そもそもこれは師匠がやらせた戦いだったはずでは? そんな反論は弟子にはできなかった。
けれどほんの少し、彼女にしては珍しく消化不良のもやもやとした感情を表情に出してしまっていた。上機嫌のロイドはそれには気づく様子はない。
「でも、うん、いい拾い物ができたわ。これは鍛え甲斐がありそうね」
「つれて帰るのですか?」
「これも調査の一貫よ。こんな土地にこんな原石が育つはずがないでしょう。もしかしたら本当にここに秘密があるのかもしれないわ」
「そう、ですか……?」
クエミーにはよくわからない話だった。けれど、ロイドがそう言うのならそうなのだろうと結論づける。
ウィリアムを縛り上げ馬車へと放り込んだ。予定していたシエル家の者達も収容できている。
「ま、待ってください!」
引き上げようとする馬車を止めようと一人の女が立ちはだかった。ウィリアムの母マーサである。
周囲には村人全員が集まっていた。男は全員倒されたので、残っているのは女子供だけだった。
「その子は……ウィリアムは私の息子です! どうか息子を連れて行かないでください!」
もともとの声が小さいのだろう。マーサの大声はかすれていた。それが一層悲痛さを表している。
馬車に乗ろうとしていたクエミーがマーサに近寄る。すでに馬車に乗っているロイドは我関せずであった。
口を開いた少女から発せられた言葉は、感情がこもっていない淡々としたものだった。
「あなたの息子は国のために働ける力を見せました。これからもっと力をつけてマグニカを支える一人になれるでしょう。これはとても名誉なことなのです」
「な、何を……言っているのですか?」
息子とそう変わらないであろう少女が口にしている言葉をマーサは理解できなかった。むしろ少女の容姿が綺麗過ぎることもあって、作り物じみた気味の悪さが込み上げてくる。
少女の目は澄みきっていた。嘘や虚言はどこにもない。これは正しいことなのだと信じて疑わない目だった。
そんなクエミーにマーサは必死に食い下がる。
「名誉なんていりません! お願いですから息子を返して!!」
「また後日、新しい領主が来るでしょう。あなた方は領民として義務を果たすのですよ」
話が噛み合わない。いや、話を合わせる気がないのだ。
ただ伝えるべきことだけを伝える。それが義務だからと言わんばかりに。
「出しなさい」
「ま、待ってっ!」
マーサが手を伸ばすが簡単にかわされてしまう。動き出した馬車の中へとクエミーは入ってしまった。
幾つもあった馬車は馬蹄の音を響かせて遠ざかって行った。
その場に残されたのは泣き崩れるマーサと気を失ったまま起き上がらない男達。その光景を見て困惑する女子供達だけであった。
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