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二章 魔道学校編

番外編 悪魔の使い達

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 揺さぶられているような、そんな感覚。苦しく感じながらもまどろみの中にいるような、そんなほど良く混濁した意識の中にいた。
 だから今何が起こっているのかわからなかったし、どんな状況にいるのかもわかりようがなかった。

「どっせーい!」

 そんな力が入ったような、それでいて間抜けな声とともに訪れた浮遊感に、ボクは成す術がなかった。
 どっぼーん! という音。息苦しさと冷たさに強制的に覚醒させられる。

「ぷはっ! な、何が……?」

 反射的に水面から顔を出し、呼吸と状況把握をしようとする。呼吸は問題ない。目を走らせれば月明かりに照らされた夜の世界が広がっていた。

「やっと起きたか。手間取らせんなよ」

 そして、岸に立っている憮然とした表情のアルベルトの姿があった。
 ぐるりと周囲を確認する。月明かりだけでもうっそうとした森の中であろうというのがわかる。どうやらボクを目覚めさせるためにアルベルトに湖へと放り込まれたようだ。

「……随分と手荒に扱ってくれるじゃないか」
「悪かった悪かった。でもな、こっちも急いでんだよ」

 つまり反省はしていないらしい。まったくボクだって女なのにこの扱いはないだろう。
 不機嫌を隠さないまま湖から上がる。強くもない風が吹いただけでもぶるりと体が震えた。

「フレイ」

 自身と契約している大精霊へと呼びかける。それだけで伝わったらしく、穏やかな火の球が濡れてしまった体を温めてくれる。ほっと息を吐いて地面へと腰を下ろした。

「それくらい自分の魔法でやればいいだろうに」

 アルベルトから文句が飛んでくる。ずっしりと乗っかるような疲労感が残っているためかボクの返答にも棘が入ってしまう。

「ボクだって魔力が空っぽなんだよ。そんなこと言うくらいだったら湖なんかに放り込まなきゃいいだろう」

 目覚めてすぐだけどもう人眠りしたいくらいなのだ。なんたってこっちはお腹に穴が空くようなケガを……。
 そこでようやく気づいた。お腹の傷はと今さらのように確かめる。

「傷は治しといたぞ」

 アルベルトがどっかりと腰を下ろして言った。
 治癒してくれていたのか。よくよく考えればそうでもなかったらボクはこんな風に呑気にしていられなかっただろう。それほどの致命傷だったのだから。

「それと、エルちゃんも無事に逃げられたみたいだぜ」
「……そっか」

 濡れた服を乾かすために脱ぐわけにもいかない。体の向きを変えて火の当たる部位を移す。
 風が流れ木々が揺れる。しばしそんな時間が流れたが、穏やかな空気というわけではなかった。

「で、ディジー」

 声をかけられてボクは彼の方へと改めて顔を向けた。

「エルちゃんはどうだった?」
「どうだったって……」

 口をつぐむ。一人の女の子を想い浮かべてしまう。最後に見た表情はあまり思い出したくないものだ。

「その辺の魔道士と比べたら魔力は高い方だね。アルベルトの言った通り精霊使いとしての適性もボクよりも高いんだろうね。でも、警戒心は薄いし、魔法に対する抵抗力も信じられないくらいにない。何より貴族として薄っぺらだ」

 つらつらと言葉を並べる。それらはボクが感じていた彼女への偽りのない評価だ。

「ふぅん」

 気のない返事。これにはカチンときた。何かを言ってやる前に言葉が続く。

「だけど、助けちゃったんだろ? 正直びっくりしたよ。ディジーならとっくに逃げ出していると思ってたからな。まあいてくれて助かったけどさ」
「別に……。一度見捨てたのがボク自身引っ掛かっただけさ」

 逃げるだけで精一杯だったとはいえ、エルをあんな勇者の前に置いてけぼりにしてしまったから。どうなるかなんてわかりきっていたのに。あの警戒心のない笑顔を思い出すと、なんていうか喉に引っ掛かるものを感じてしまったのだ。

「それにしても準備が良いじゃないか。もしかしてエルがこうなると予測していたのかい?」
「まあな。誰かさんのせいで対校戦で目立っちまったからな。目をつけられてるのはわかってた」

 やれやれとかぶりを振るアルベルト。そんな彼に向って唇を尖らせてしまう。

「だって、キミがあれだけ高く評価していたんだ。気になるってのが人情じゃないかい?」
「俺のせいかよ。まあ過ぎたことを愚痴愚痴と言ってもなんにもなんねえけどな」

 なあ? とアルベルトは振り返った。その視線の先でガサリと葉が擦れる音がした。
 その瞬間まで気づかなかった人の気配。体が疲労でいっぱいとはいえ、迂闊だったか。
 暗闇に紛れるようにして出てきた人物を見て、やはりボクに知らされていないことがあったのだと知る。

「アルベルト様。ご無事で何よりです」
「おう。お勤めご苦労さん、シグルド」

 現れた人物は、アルバート魔道学校に在籍している有名人。シグルド・マーレであった。
 マーレ家の嫡男。マグニカ国でも有数の貴族だ。対校戦では代表の一人として名を連ねていたか。実力は悪くはないという程度。ボクやエルなら障害にもならない。
 ただ、国の中枢に干渉できる人物を味方につけているのは大きい。おそらくアルベルトの動きが早かったのも彼のおかげなのだろうな。

「いろいろと面倒なことをしていたんだね」
「なんのことだ?」

 アルベルトがとぼける。この男は……。
 シグルドに目を向ける。長い髪が片目を覆い隠しているせいではないだろうが、彼の心を見とおすのは難しそうだ。

「例えば対校戦での準決勝。エルは明らかに不調だった。もしかして彼に毒でも盛らせたのかい? それに今回のことだって何かしら彼が絡んでいるようにも思えるのだけどね」

 たぶんアルベルトはエルに目立ってほしくなかったのだ。ボクに釘を刺そうとはしなかったのは余計に固執するとでも考えたのか。
 今回の件はアルベルトがすべてに関わっているというわけではないだろう。もしそうだったとすれば目に見えるような被害が出ていたはずだ。それでも、道筋を整えたのは彼なのだと確信していた。
 そんなことを考えているボクをわかってなのかアルベルトは笑う。

「疑り深いな。もっと人を信じてくれよ」
「……で? どうなんだい」

 念押ししてみるとアルベルトは両手を挙げる。……と、そこで彼の右肘から先がなくなっていることに気づいた。

「それ……」
「ん? ああ、これは名誉の負傷ってやつだよ。治癒魔法はかけたから痛みはもうないしな」

 カラカラと笑う彼を見ていると、追及する気が失せてしまった。その態度の通り大したことがないのかもしれない。
 何があったかは説明してくれないけれど、本人が気にするなという空気を発しているので尊重させてもらうことにする。

「わかった。この際キミがしたことなんて聞いたりしないさ。でも、これからどうする気なのかくらいは教えてくれてもいいだろう?」

 アルベルトはボクにエルのことを教え引き合わせようとした。理由は話さなかったけれど、きっと何かあるはずなのだ。
 ボクと同じ精霊使いだから、というわけだけじゃないはずだ。ボクにたくさんのことを教えてくれた彼だけれど、本心を話してくれたことはなかったと思う。今思えばそれがもどかしい原因だ。
 彼の目がこちらを剥く。射抜くような黒の瞳。月の光で怪しく輝いていた。
 言葉を待つ。しかし聞こえたのは待っていた声ではなかった。

「はいはーい! 薄汚いニンゲンども、アタシにちゅうもーく!」

 突然、風が舞った。
 瞬きする間に新たな人物が現れた。いや、人ではない。
 湖の上に佇む女がいた。長い白髪に真っ白な肌。人形めいてはいるがその目だけは作り物ではない爛々とした輝きがあった。
 感じられるのは力の源泉。彼女の存在感は自然の摂理すら屈服させられそうなほどの巨大さがあった。
 これは精霊か? しかし大精霊であるフレイやアウスがかすんでしまうほどに力の差がある。精霊だと感覚と経験が告げてくるのだが、暴力的なまでにまき散らされる地からの波動は同じ存在とは思えなかったのだ。

「キ、キミは……?」
「お? アンタ精霊使いってやつ? そんなに強そうには見えないわねぇ」

 彼女がそう言い切った瞬間、息ができないほどの圧迫感に襲われる。
 目を向けられただけ。それだけなのに体が震えて動かなくなってしまう。なんだこの存在は?

「……」
「フ、フレイ……」

 ボクを守るようにしてフレイが現れる。フレイが前にいてくれるおかげで圧迫感が少しだけ軽くなる。

「あらフレイ、いたのね。存在がか弱過ぎて気づかなかったわ」
「……」
「はぁ~~。だんまりなんてつまんなーい」

 大きなため息をつかれる。ただのため息のはずなのに風が荒れた。

「おいシルフィ。その辺にしとけよ」

 アルベルトがそう声をかけただけでボクへの圧迫感が霧散した。頭がクラクラしてしまう前に呼吸を繰り返す。

「うっさいわねアルのくせに。アルのくせにっ」
「二回も言わんでよろしい」

 シルフィと呼ばれた精霊とアルベルトは気安い関係のようだ。もしかして彼の契約精霊だろうか。
 アルベルトが大きな存在感をかもし出す精霊を指差して言う。「指差しすんじゃないわよ!」と怒ってまた風がざわりと揺れる。こっちとしてはあまり刺激してほしくないな……。

「シルフィは大気の大精霊だ。できればエルちゃんと契約してもらいたかったんだよ」
「契約って……。エルにはアウスがいるだろう?」

 アウスは大地の大精霊のはずだ。そもそもの存在が人の身に余るはずなのに、それをさらに契約を追加するというのは可能なのだろうか。実例を知らないだけに何とも言えない。
 そんな疑問をアルベルトはあっさりと答える。

「んなもん、できなかったらアウスとの契約を破棄すればいいだろ」

 それはあまりにも軽い。フレイをボクに引き合わせてくれた時には考えられないほどの言葉だった。
 簡単に契約を破棄すればいいだなんて口にして。精霊に対してその程度の認識だったのか。それともこのシルフィという精霊が特別なのか。

「……わかった。アルベルトがエルに固執するのはその大気の大精霊と契約させることなんだね。ボクはそのお手伝いとして近くに置いておきたかったってわけだ」

 少なくともボクにはシルフィの相手は無理だ。こんな大きな存在と契約してしまえばすぐに気が狂ってしまうだろう。いや、気が狂うどころか呼吸もできずに命が終わってしまいそうだ。
 エル自身の精霊使いとしての適性は高い。単純な力勝負ではボク以上であることは対校戦で証明されているし、あれはまだまだ伸びるように思えた。今は実力と経験不足が否めないけれど、将来性はあるか。

「本当はもっと時間をかけたかったんだがな。正直いろいろと探りを入れられていたみたいだったしな。何より勇者様に知られた以上騒がれるのも時間の問題だった。どうせまたあいつらは悪魔を排除しろーって喚き立てるんだぜ」
「まったく! 悪魔だなんて失礼しちゃうわ。これだからニンゲンって嫌いなのよ」

 頬を膨らませて怒るシルフィ。フレイとアウスくらいしか実体化した精霊を見たことがないけれど、なんとも情緒豊かな精霊様だ。
 人々の精霊に対する認識。それはボク達精霊使いとは大きく違う。そしてそれがアルベルトの行動原理となっている。
 だからこそ失敗は許されない。だからこそ疑問に感じてしまうことがあった。

「彼女と契約するのは能力的にはエルが適任なんだろうね。アルベルトが言うのだから異論はない。それでもあの性格と性根の女の子に背負わせるのはいかがなものかな?」

 能力は認めよう。戦いに関してさえふぬけたところがあるとはいえ、能力だけは認めている。
 でも、何かをやり遂げるための力はないように思えた。たくさん欠けた部分があって、きっとどこかで躓いてしまう。
 それは今まさにそうかもしれないのだから。

「……なあ、ディジーだったら自分が捕まって売り飛ばされそうになったりしたらさ、その相手を許せるか?」

 アルベルトは先ほどまでと違って優しい口調で尋ねてくる。突然の話題の変化に首をかしげる。

「そんなのは許す許さない以前にただの悪党だろう? あえて答えるならボクを害する人間を許す気なんてサラサラないね」
「だろうな。それが普通だ」

 カラカラと笑うアルベルトに何を言おうとしているかがわかってきた。

「でも、エルちゃんは許しちゃうんだよ。普通じゃないんだ」
「それはただのバカだろう?」
「まあな。許したからって良い方向に転ぶとは限らない。しっぺ返しをくらうことだってあるだろうよ。間違っている、と断言してもいい」

 でも、と彼は続ける。慈しみを感じさせる笑みを讃えながら理想を語るように。

「それでも、救われるべきじゃない存在に手を差し伸べられるのはそういう奴なんだよ。そういう奴にしかできない」

 だから彼が彼女を語る時の眼差しは優しいのだろう。アルベルトの表情を見て、ボクは納得してしまった。
 ボク達は一般的には救われてはいけない存在なのだから。

「それに、ディジーだって大切な帽子をエルちゃんにあげたんだろ?」
「別に……あげたわけじゃないさ。貸しただけ、次に会う時には返してもらうよ」

 本当は傷を負わされた時に死ぬことを覚悟した。まともに言葉を紡げる余裕はなく、あの帽子を託すことで何もかもを謝ってしまいたかった。全部は伝わらなかっただろうけれど、ほんのちょっとでも伝わってほしいと願ったんだ。
 ただ、こうやって生きているのならまた会いたい。その理由付けになってくれて、今はよかったと思っている。我ながら呆れてしまうのだが、そう思ってしまったものは仕方がない。
 奇才が作ったとされる特別製の帽子である。きっとエルの役に立ってくれるはずだ。

「さーて、全員注目してくれー」
「ちょっと! アタシがいるのに目立とうだなんて許さないわよ!」

 アルベルトが左手を挙げる。シルフィが噛みついたが慣れた調子で受け流していた。
 そんなやり取りを眺めながらふぅとため息をつく。影のように黙ったままのシグルドを一瞥し、その不気味さに目をつむりたくなった。彼もボクに視線を向けようともしないのでおあいこだ。
 ようやく落ち着いたシルフィを置いて、アルベルトがニヤリと笑って口を開く。

「さて、悪魔の悪だくみってのを始めようか」
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