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第一部

 04 女が出した条件

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「ここが私の家です」

 女に案内されたのは、スラム街の中にある、ほとんど小屋と言っていいボロボロの家だ。赤ん坊が泣くからと言うので、警戒しつつもついてきたルイスとグエンタールは、女の後から家に入り、思わず足を止めた。
 女はすやすやと眠っている赤ん坊を、丁寧にゆりかごに寝かせる。

(こんな狭い場所で生活してるのか……)

 台所、小さな食卓、箪笥たんす。トイレ用のおけといったものがあり、硬い石床にはわらと掛け布が置いてある。これがベッドなのだと気付き、ルイスは言葉を失くす。エクソシストとして駆け回るうちに、どれだけルイスが恵まれていたかを痛感したものだが、彼女の暮らしはとりわけ悲惨なものだ。

「どうぞ」

 すすめられるまま、木製のベンチに腰掛ける。ベンチの脚が歪んでいるみたいで、ガタガタと揺れて座りが悪い。グエンタールは執事の時と同じく、ルイスの斜め後ろに立っている。

「私は元々、ここで夫と暮らしておりました」

 向かいに腰掛け、女は静かに話し始めた。

「私の両親が生きていた頃は、まだ良かったんです。父が日雇いでかせいで、貧しいながらも清く生きておりました。しかし両親が死んだ後、私はここに流れ着いたんです。レース編みが得意なので、それでどうにか日銭を稼いでいましたが、最近は機械化が進んで仕事が減ってきていて」

 女は溜息をついた。

「でも、契約先の店で、出会いがあったんです。それが夫でした。私はようやく生活が楽になると喜びました。ですがあの男は、見かけは良いですが、悪魔のようでした」

 女は物悲しげに、部屋の隅を見つめた。

「私には神様だけが救いでした。母にもらったロザリオを、あの男は売り払った。それでもお祈りを欠かさない私をなぐるんです。夫の仕事が失敗するように祈るだなんて、とんだアバズレだな! と言うのが、口癖の人でした」

 そして、ふふっと馬鹿にしたように笑う。

「仕事? 強盗やスリが? あの男の身なりが良かったのは、盗んだお金で良いものを着ていたからです。見かけを良くすれば警戒心が薄れるのだと、よく言っていましたよ。ええ、そうです。私もそうだった!」

 おろかな自分を恥じるように、女は顔を手で覆う。

「……悪魔は天使の姿でやって来る」

 ふとリーベルト神父の話を思い出したルイスは、そう呟いた。女は手をどかし、薄らと涙ぐんだまま頷いた。

「ええ、そうです。神様の教えにもそうあったのに、知っていたのに、私は悪魔と結婚してしまった。それでも、夫としたからには、くそうと努力したのです。でも、あの男は私達の赤ん坊まで殺そうとした! 坊やを抱えて逃げた時、本物の悪魔が――あの時は救いの天使に見えたあの方が、私に手を差し伸べたのです」
「そして、契約してしまった……と」

 グエンタールの問いに、女は頷いた。

「私の願いは、坊やの命をつなぐことです。この子が十五歳になるまで、私は生きながらえることができる。しかし、この身は死んだも同然。母乳を出すためには、誰かから血を奪わなければいけない」

 女は自嘲じちょうをこめた笑みを浮かべる。

「最初に、夫を殺しました。私は本物の悪魔の手を借りて、人間の姿をした悪魔を殺したんです。この子の父親らしいことをしたことはなかった。最後に坊やのかてになってくれて、感謝しています。それからは、三日に一度、犯罪者を探して殺していました」
「どうやって彼らの居場所を?」

 ルイスの問いに、おかしなことを聞いたというように、女は目を丸くする。

「ふふっ。こんな場所で暮らしていれば、自然と噂は流れてくるものですよ。警察にばらせば命が危ういので、皆、口を閉ざしているだけ」

 女がうつむくと、青いベールから金の髪が一筋零れ落ちた。痩せていて、疲れきっているものの、陰を帯びた横顔は美しい。

「私の望みは、坊やのことだけ。あなたがたが坊やを引き取り、責任を持って育ててくださるというなら……私はこの命を差し上げます」
「教会の孤児院に入れろという意味ですか?」

 ルイスの問いに、女は怖い顔になる。

「まさか! あなたがたの養子にと言っているんです。この子を愛し、育て、導いていく覚悟もないのなら、私達のことは放っておいてください! 私が殺しているのは、犯罪者だけ。私は罪人つみびとです。殺人という大罪を重ね、やがて地獄の猛火で焼かれる覚悟がある。この子を生かすためなら、一生、許されなくていい!」

 激情が女を支配して、その青い目が、赤く輝く。そして溜息をつき、またうつむいた。嫌悪感にさいなまれたように顔をゆがませ、テーブルに涙の雫が落ちる。

「ああ、神様、お許しください。許さなくていい。いえ、どうか許して……」

 二つの感情がせめぎあっているようだ。
 見るからに不安定な彼女が、ルイスには不憫でならない。
 ルイスは席を立つ。

「時間をください。二日後にまた来ます」
「ええ……分かりました。逃げません。この身は、神様にゆだねます」

 女がそう言うと、赤ん坊がぐずり始めた。すぐに女はゆりかごに行き、赤ん坊をあやす。
 ルイス達は女に会釈して、家を後にした。



「なんだか気になりますね」

 夜闇にまぎれて避難先に決めていた宿に入ると、部屋の支度をしながらグエンタールが呟いた。

「え? 赤ちゃんのこと?」
「いいえ、孤児院の話題を出したら、猛烈に拒否していたでしょう? 赤ん坊を守りたいだけなら、教会に逃げ込むこともできたはず……なんだかにおいますね」

 ルイスはマントを脱ぎ、かつらを外してから、グエンタールのほうを見る。

「教会は中立地帯のはず……。助けを求める人は拒まないはずだけどな」

 古来から、加害者は被害者家族による私的な報復の的になりやすい。教会は政治的にも中立地帯としての役目を持っていた。犯罪者が平等に裁判を受けられる権利を保護するためだ。それに、立場の弱い女性や子ども、老人などの保護もしている。暴力的な夫から逃れ、離婚が成立するまで修道院に立てこもることもしばしばあるものだ。

「ルイス様、教会を盲目的に信頼するのは良くありませんよ。彼らだって人間なんです。人間は間違うこともある」
「しかし……」
「その辺はすれてないですもんね、ルイス様は。気後きおくれするでしょうから、私が調べておきます」
「でも、グエンタール」
「聞きませんよ、ルイス様」
「……分かった」

 グエンタールの押しに負け、ルイスは渋々頷く。教会を疑うこと自体が、ルイスには裏切りに思えるのだが、グエンタールは気にしていない。

「それで、どうするんです? 私は養子なんて勘弁ですよ! 適当に引き取って、リーベルト神父に預けては? あの方はまっとうな宗教者だ」
「嘘をつけっていうのか?」
「あなたが引き取るとでも? 子どもの世話は、おままごとではないんですよ、大事な命だからこそ、きちんとした所に預けるべきでしょう」

 グエンタールの言うことは正論だ。ルイスには、ぐうの音も出ない。
 だが、それでは、あの女性の切実な願いを軽んじることになる。
 黙り込んでしまったルイスをちらりと見て、グエンタールは風呂の支度を済ませると、お辞儀をして出ていった。外から鍵のかかる音がする。

「……それじゃあ、どうしろっていうんだ」

 ルイスは長椅子に座り、天井をあおぐ。
 赤子に罪はないではないか。
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