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第一部

二章 人喰いの聖母 01 クロードの気持ち

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 ルイスを屋敷まで送り届けた帰り、クロードは馬車に揺られながら、なんとなく車窓の外を眺めていた。
 窓の向こうは曇天で、空の端がオレンジ色ににじんでいて、ようやく夕方と分かる程度。通りには点灯夫てんとうふが現われて、ガスとうに火をけていく。
 黒灰色のくすんだ街並みに、金色の光が点々と浮かび上がる。その光は、ルイスのくすんだ金色の髪のように見えて、クロードは自然と昔のことを思い出した。

 クロードは幼い頃、ルイスの後ろに隠れているような子どもだった。
 ルイスはクロードより一つ年下だが、生まれた時からの付き合いだ。元々、父親同士が学生の頃から仲が良く、自然と母親達も親しくなったと聞いている。ルイスには兄がおり、クロードの母は子どもの世話の先輩としても、ルイスの母を頼りにしていたらしい。
 小さい頃から、何故か周りを怒らせる天才だったクロードは、外見にかれて寄ってきた子どもが、クロードと少し話すや手の平を返したみたいにいなくなるのが憂鬱ゆううつでしかたなかった。

 だがルイスだけは、呆れつつも傍にいた。勝手に期待して、勝手に失望して見放される目が怖かったから、ルイスといると安心できた。
 互いの家が近いのもあり、クロードとルイスは両家を行ったり来たり、時に泊まったりして過ごす、家族同然の付き合いをしていたのだ。
 あの頃のルイスは、活発で明るい子どもだった。優しい両親に、宗教画の天使みたいな兄エドワースが傍にいて、祖父の残した借金さえなければ、まさに幸福な家庭そのものだった。

 だというのに、五年前、エドワースは両親を殺して逃亡したのだ。
 今でも、クロードには信じられない。エドワースは優しいだけでなく、勇敢で善良な男だった。聖歌隊に入っていた時、神父に悪戯されて、逃げられなくて怖くてしかたなかった時、助けてくれたのも彼だった。だが、どれだけ否定しても、これが現実だ。

(あの事件がなければ、ルイスは社交的で明るいままだったのだろうか)

 ときどき考える。
 ひとりぼっちになったルイス。
 不安定で、今にも風に消えてしまいそうな、ろうそくの火のような頼りなさ。
 あの日、ルイスまで失ってたまるものかと、クロードは騎兵隊入りを決意した。彼を守るために、自力で地位を作るのが目的だった。
 ほんの半年前、父が倒れてそのまま亡くなったので、思いのほか早く爵位を継いだのは誤算だったが、これで土台はできた。

(助けてやりたいのに、このままでいて欲しいなんて……。あいつに知られたら嫌われそうだ)

 いつからか、クロードはルイスに友愛を越えた気持ちを抱いている。
 ルイスが引きこもっているお陰で、ルイスに他の者を近付けずに済んでいるのに、クロードはルイスが自分の唯一だと自慢したくもあった。
 根暗だとルイスはぼやくが、クロードにはそれが魅力に見えている。ひっそりと影を背負い、どこかへ消えそうな雰囲気は、不思議と目を惹くものだ。

(いや、駄目だ。変な奴を引き寄せそうだ)

 自慢したいのに、隠しておきたい。クロードはこの二つの気持ちの狭間で、もんもんとしてしまう。
 もしルイスにちょっかいをかける輩が現われて、あろうことか心をさらっていったら。クロードは銃を持ちだしそうな気がする。想像するだけで腹の底が煮える。まだ見ぬ誰かにイライラしているうちに、馬車はレインズ伯爵家に着いた。
 蜂蜜はちみつ色の壁と、黒い屋根瓦。重厚な面持ちの屋敷は、実用一点を重視してきたレインズ家の考えをよくあらわしている。財務長官を輩出した時代もあり、どちらかというと武術よりも頭脳派の家系だ。
 玄関ホールに入ると、一つ上の姉アレクサンドラ──家族はアレックスと呼んでいる女がわざわざ出迎えた。茶色いブルネットに、切れ長の目は青い。身内の贔屓ひいきを抜きにして綺麗な女だが、気位が高い性格が災いして、なかなか良い嫁ぎ先を見つけられずにいる。

「お帰りなさい、クロード。待っていたのよ」
「ただいま戻りました、姉上。俺には話はありません」

 さくっと返して、クロードは自室へ行こうと、正面にある階段を上ろうとする。

「待ちなさい! 今日という今日こそは、見合いの相手を決めてもらいますからね!」

 アレックスは緑のドレスの裾を揺らし、憤然と前に回り込んできた。それでも静々とした歩き方を崩さないのは称賛ものだ。

「そんな話なら聞かない。俺の相手は決まってる」
「決めてるんでしょう? それでそのルイスはどうなの? 気持ちも通じていないくせに、笑ってしまうわ。あなたは跡取りなのよ、クロード。いい加減、身を固めなさい!」
「姉上の子どもを跡継ぎにすればいいだろう。──ああ、そろそろき遅れだから厳しいんだったか」
「~~~~っ」

 アレックスの声にならない叫びが廊下に響く。

(今日も猿っぽいな)

 のんきに考えながら、クロードは一歩横にずれる。ぶち切れたアレックスが階段脇に飾られていた花瓶の花を掴み、クロードに投げつけたのだ。青い絨毯の敷かれた床に、花と水の雫がベチャンと落ちる。

「ほんっと腹立たしい子! なんでそんなにムカつくのかしら!」
「姉上、好きな相手がいるなら協力する。だからそう、動物みたいに暴れないでくれ」
「誰のせいで暴れてると思ってんのよ!」

 アレックスはクロードを怒鳴りつけて、赤いマニキュアを塗った指先で、びしっとクロードを指差す。

「あなたの考えが変わるのを、いちいち待ってられませんわ。私からルイスに話して、諦めるように言い……」

 アレックスは急に言葉を切った。顔がさあっと青ざめる。

「ルイスに余計なことを言ったら、実の姉でも容赦しない。今は、俺が当主だということを忘れるな」

 クロードのにらみに、アレックスは口を閉じた。渋々というように、こくりと頷く。

「そんなに好きなら、早く告白しなさいよ。へたれ」

 負け惜しみに呟いて、アレックスはきびすを返す。くっとうなり、クロードは居間のほうへ向かう姉の背を、忌々しく見送る。
 クロードとしては、分かりやすいようにルイスに気持ちを示しているつもりなのだ。だが、ルイスは幼馴染として言っていると誤解して、言葉通りに受け取らない。

 ――俺はいつも通りで充分なんだ。俺にとっては、お前が最後の家族だから。元気で生きていてくれるだけでいい。

 果てには、うっすらと悲しみをにじませながらこんなことを言う。だからクロードはそれ以上、ルイスに気持ちを伝えられないでいる。
 それにクロードがルイスを好きでも、ルイスが応えるかどうか。正直、勝算は低い。
 ハイマン家の正当な血縁者はルイスのみで、彼が子孫を設けなければ、ハイマン家は断絶してしまう。ルイスは女性と結婚するべきなのだ。
 だから、クロードは姉を見ているとイライラする。もし自分が女だったら、何も気にせずルイスの元に押しかけて結婚するのに。クロードが欲しいものを持っているくせに、高嶺たかねの花ぶって婚期を遅らせているのだから。

 しかし同時に、アレックスがクロードをうらやんでいるのも知っている。彼女は本当は、家長として色んなことを采配さいはいしたいのだ。それを性別が邪魔している。
 クロードに当たりが強いのも、当主としての責任を果たせと小言を言うのも、その辺が根っこにあるのだ。
 互いによく分かっていて、だから余計に反目はんもくしている。
 クロードは溜息をついた。
 どうしてこう、ままならないのだろう。
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