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第一部
07 ランチ
しおりを挟むそれからルイスが落ち着いたので、クロードの案内で、個室のある料理店で昼食をとった。子牛のローストをナイフで切ると、肉汁に混じって血がにじむ。
(もう少し焼いてもらおうかな)
店員を呼ぼうかと考えていると、クロードが口を開いた。
「そういえば昨晩、あの女殺人鬼に会った。レディ・クロエとかいう」
ルイスはぎくりとした。大袈裟に反応しないようにしつつ、それより気になることがある。
「どうして急にそんなことを思い出したんだ?」
「ほら、ローストから血が出てるだろ」
やっぱりだ。それから何を連想したのか考えると気分が悪くなり、ルイスはフォークとナイフを置いた。
「食欲が失せるからやめろよ。デリカシーがない」
呼び鈴を鳴らし、やってきた店員にもう少し焼くように頼む。そんな話を聞いた後では、とてもじゃないが血のにじむ肉なんて食べられない。店員はクロードの皿も取り上げようとしたが、クロードは断った。ルイスのメインディッシュがいったん下げられると、ルイスはうんざりしながらクロードに問う。
「で、女殺人鬼がどうしたって?」
「昨日、従兄弟に誘われて東区の酒場に行ってな。なんでもそこの酒場の歌姫とやらが、あの駄目警官のお気に入りらしい」
「駄目警官?」
「従兄弟は警官なんだ。コネで入って、いつも空回りして、上司に怒られてる」
クロードからの評価もそうなのかと、感心すら覚えた。
(頑張れ、カーマイン警部補。その調子で、捜査の足を引っ張ってくれ)
そのほうが助かるので、ルイスはエールを送った。
「お前が酒場の歌姫に会いに行くなんてな。なんだよ、その後は、よろしくやったって話?」
想像するだけでムカつく。
「歌は上手いが、あれは酒と暗がりのマジックだな。美人じゃない」
「……まさかそれを本人に言った?」
恐る恐る問うと、クロードはこくんと頷いた。
「出ていけって言われた」
「当たり前だろ。お前さ、実は俺より社交性が低くないか? 大丈夫か?」
「事実しか言ってないのに、何故怒るんだ」
「優しい嘘ってのがこの世にはあんの! ああ、その駄目警官がかわいそうだ……」
「あいつはチップを多めに払って許してもらっていたぞ」
「……世知辛いなあ」
歌姫にとっては、カーマインは上客なんだろう。
「で、外に出たら、レディ・クロエとぶつかったんだ。暗くてなんとなくしか見えなかったが、結構美人だったぞ。化粧の濃さで誤魔化している感じの美人」
「お前、もう女を褒めるのはやめておけ」
でないと、いずれ血を見そうだ。やれやれと思いながら、ルイスはまっとうな助言をした。そこに店員があぶりなおしたローストを運んできたので、食事を再開する。
再び個室に二人きりになった。
「ルイスのほうが美人だ」
手が滑って、ナイフがガリッと皿に当たる嫌な音がした。ルイスは冷静を装う。クロードはたいして考えていないはずだ。
「はは、クロードに言われてもなって感じだ」
クロードは黙っていれば美青年だ。彫刻のような、見目麗しい男。騎兵隊に選ばれるだけはある。
ルイスは頭を切り替え、ローストを口に運ぶ。前菜やスープもおいしかったが、メインは格別だ。
「ここの料理、おいしいな」
「……そりゃあどうも」
クロードはむすっと横を見ている。
「なんで急に不機嫌?」
「別に」
もしかして料理が口に合わなかったのだろうか。あんまり料理に興味がなさそうなわりに、意外に美食家だなあと考えていると、クロードはワインをぐいっと飲み干した。
「で、気になったから、しばらく捜査を手伝うことにした」
「……は?」
話の飛躍についていけず、ルイスはぽかんとクロードを見る。
「だから、レディ・クロエが気になるから、捜査を手伝うんだ。女王陛下のお膝元を騒がす輩は許せない」
「え? そもそも騎兵隊って、警察とは部署が違うだろ?」
「そうだな。違うが、こちらの権限が上だから、明日にでも上司に頼んでみる。俺がいると風紀がどうのこうのとうるさいから、お払い箱にできてちょうどいいだろ」
「クロードはそんな扱いでいいのかよ!」
思わず腹が立って、ドンとテーブルを叩く。
「そりゃあ、お前のその失言ぶりはまずいとは思うけど、真面目だし正義感も強いだろ。警備は向いてるじゃないか」
「しばらく大きな行事がないからな、出張に回されるよりマシだ」
「出張……? たまに視察で留守にするのって、まさか」
「煙たがられて、遠方にお遣いに行かされるだけだよ。植民地視察は面倒だから、あんまり行きたくないんだよな。何故か、普通に話していたのに、急に殺し合いになる。おかげで植民地の駐屯地連中から死神って呼ばれてるんだ。奴らのネーミングセンスはユニークだよな」
「適材適所って言葉を知らんのか、騎兵隊ーっ」
ルイスは頭を抱えた。
ユニークで片付けるクロードの鉄のメンタルも信じられないが、失言製造機をあんな繊細な政治力がいる場所に送りつける騎兵隊もどうかしている。
(女王陛下の猟犬で、植民地では死神とか……。有能なんだけど、こいつ、本当に問題児なんだよなあ)
屋敷で有閑貴族ぶりを楽しんでいるほうが平和だろうが、クロード本人は国のために働くのを好むので、誰にも止められない。
「そういう時ってどうするんだ?」
「制圧するよ。あいつらには気の毒だけど、暴発しそうな爆弾を抱えているわけにはいかないからな。たぶん、俺が視察に行く時期と、鬱憤がたまって緊張状態の時期が重なってるんだろう。体のいいガス抜き扱いだ」
「……そういうことにしておく」
だが、分かっていてクロードを送りつけるなら、そういった側面もあるのかもしれない。今の女王はやり手で有名だ。
「えっと……でも、殺人鬼相手だろ? 気を付けろよ」
「心配してくれるのか?」
クロードが灰色の目でじっと見つめるので、ルイスは頷いた。
「当たり前だろ」
「そうか」
クロードは頷いて、今度は機嫌が良さそうに目を細めた。
夕方、ルイスはハイマン家の屋敷に戻ってきた。
玄関先でクロードと別れ、屋敷に入る。のみの市ではたいした収穫はなかったが、クロードと出かけるのは楽しかった。
「お帰りなさいませ、ルイス様」
すぐに玄関に現れたグエンタールが、ルイスの外套や帽子を預かる。
「ただいま、グエンタール、サラ」
「楽しかったようでございますね」
にこにこしているサラの差し出す水盆で手を洗い、タオルで拭きながら、ルイスは肯定を返す。
「ああ、だが悪い知らせもある」
ルイスがクロードの話をすると、グエンタールとサラは顔を見合わせて天を仰いだ。
「最悪です。あの酒場にクロード様を連れていったぽんこつ警部に、今度、嫌がらせをしましょう。でないとわりに合わない」
「ルイス様、おつらいのでは?」
悪態をつくグエンタールに対し、サラはルイスの心配をする。
「とにかく逃げる手段を確保しよう。あいつ、トラブルが絶えないから、護身術はやたら得意なんだ。俺も身体能力は自信あるけど、クロードに怪我はさせたくないし」
「最悪、ここに極まれり――ですね。よりによってルイス様の弱点が、我々の猟犬になるとは」
「お前は例えが上手いなあ、グエンタール」
「笑いごとではございません」
「悪かった」
グエンタールに叱られ、ルイスは素直に謝った。
「教会にも伝えておきましょう。他のエクソシストの身も危ない」
「そうだな」
ルイスはグエンタールに連絡を頼み、自室へと歩き出す。
まったくもって困ったことになった。
それに、幼馴染なのに、クロードの仕事をよく知らなかった自分に驚いている。
(そういえば仕事の話はあっさりとしかしないもんな。出張に行くとか、しばらく行事が多くて忙しいとか……)
クロードは十六歳から騎兵隊に勤めているが、ルイスは外で働いたことがない。だから王宮務めはそんなものなのかと思っていたのだ。
(クロードが多忙なら、エクソシストの仕事がやりやすいなんて、ゆったり構えてた自分を殴りたい)
まさか植民地に出かけて、争いに巻き込まれているとは知らなかった。クロードのことだからあえて言わなかったのだろうか、それとも。
(俺が聞かなかったから、とか? うわあ、言いそう)
ときどきコミュニケーションのとりかたがずれているので、それもありえる。
(レインズ家の皆はまともなのに、なんでああなったかな)
不思議だが、レインズ家とハイマン家は家族ぐるみの付き合いで、小さい頃からのことだ。
(クロードに捕まるわけにはいかない。全力で逃げよう)
いくらクロードの頼みでも、エクソシストを辞める気はない。
(俺は人殺しだけど、お前の幸せを祈ってるよ、クロード)
――元気に生きているなら、それで充分。
その気持ちはやはり変わらないのだ。
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