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第一部

序章

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 五百年続くハイマン家には、いくつかの古臭い決まりごとがある。
 いったいいつの代なのか、子ども部屋を離れに置くと決めたご先祖様に、ルイスはたびたびうんざりしていた。今日みたいな曇天どんてんで、朝でも薄暗い日は特に。
 子ども部屋から母屋おもやまでは、いったん一階に下りてから回廊かいろうを通り抜けなくてはならないのだが、何か得体えたいの知れないものが陰から飛び出してきそうで怖かった。

「ランプを持ってくればよかった」

 後悔に溜息をつきながら、ルイスは屋根の向こうを見た。低く垂れ込めた雲の合間に、時折、稲光が走る。そして、回廊を急いで通り抜けようとした時、カッと辺りが照らし出された。屋敷の影が黒々と浮かび上がり、雷鳴がとどろく。

「ひっ」

 ルイスは首をすくめ、両手で耳をふさいだ。
 幼い頃から、大きな音が苦手だ。十二歳になった今でも、それは変わらない。
 数秒、身を縮めてから、ルイスはまた柱に隠れるようにして歩き出す。

(お兄様、勉強を教えてくれるって言ってたのに。きっとお父様かお母様に捕まってるんだな)

 兄が約束を忘れるなんて珍しい。両親の雑談に付き合わされているのだとしたら、居間いま書斎しょさいにいるはずだ。
 その時、風が吹いて、カサカサと音がした。
 ルイスは立ち止まる。

「なんだ、つたの葉っぱか……」

 赤レンガの壁は蔦で覆われており、葉が風に揺れている。
 まるで子どもの笑い声のようで苦手だ。生まれた時から住んでいる屋敷だ、今まで見たことはないが、もし先祖の霊が歩き回っていてもルイスは驚かない。

 ――ぐあああっ

 その時、恐ろしい叫び声が遠くから聞こえた。ルイスは素早く柱にしがみついた。
 まさか五代前に暗殺された当主の霊かと思ったが、声には聞き覚えがあった。背中がひやりとする。

「お父様っ」

 弾けるようにして、ルイスは回廊を走り出す。
 母屋の一階、玄関ホールからすぐの部屋が居間だ。あちらから聞こえたように思えた。
 こんなに広い屋敷だが、今は手薄だ。
 賭博とばく好きな祖父が負った莫大ばくだいな借金のせいで、父の代で首が回らなくなり、ルイスが赤子の頃は十人近くいた使用人にほとんど暇を出し、貴婦人である母ですら家事をしているほどだった。
 だが昨日、それももう終わりだと、両親は浮かれていた。
 なんでも、所有の山に銀鉱ぎんこうが見つかったらしい。もしや話を聞きつけた強盗にでも入られたのかと気が気でない。
 母屋は不気味なほど静かだった。
 居間の扉を、ルイスは恐る恐る開ける。そして目を丸くした。

「……お兄様?」

 居間の真ん中に、五つ年上の兄が立っていた。
 その足元に二人の男女が横たわっている。

「お父様、お母様っ」

 驚いて駆け寄ろうとして、踏みとどまる。
 青い花が描かれたタイルの床に、赤黒い水が広がっている。両親は胸と背中から血を流し、すでに深い沈黙が落ちていた。

「……ごめんな、ルイス」

 兄が口を開いた。
 薄暗い中でも、兄の様子は不思議とよく見えた。
 その白いシャツは血で染まり、なめらかな白い頬にも赤い液体が点々とついている。
 ルイスは息を飲んだ。
 恐ろしくも美しい夢のような光景だ。
 悲鳴を上げるより、ハンカチで汚れをぬぐいさりたい衝動にかられる。それはまるで、お気に入りの白いハンカチに泥がついてしまったような、神経質な不愉快さに似ていた。

「お兄様?」

 もう一度、名を呼んだけれど、声はかすれて音になったか分からない。
 その時、カッと雷光が部屋を照らし出した。
 金髪碧眼、天使ともいわれる容貌をもつ兄の額で、青い宝石がにぶく光る。

「さあ行こうか、僕のエドワース」

 急に後ろから声がした。ルイスはびくりと肩を震わせる。
 ゆっくりと振り返ると、戸口に黒い紳士服の青年が立っていた。整いすぎて、いっそ不気味に感じる顔を見たのは初めてだった。薄暗闇の中、紫の目が怪しく光る。
 ルイスは震え声で問う。

「誰……?」
「エドワースの弟だね。僕はノワール。悪魔のノワール」

 芝居がかった仕草で、ノワールは優雅にお辞儀をした。

「あくま?」

 そう問い返した時、なぜだか急に、目蓋まぶたが重たくなった。

「ごめん、ルイス。……元気で」

 立っていられず倒れるルイスを抱きとめ、兄がささやく。襲いくる睡魔にあらがいながら、ルイスはエドワースのシャツを握りしめる。

「駄目。待って。お兄様、俺も一緒に……」

 ルイスはエドワースにしがみついたつもりだった。
 しかし次に目が覚めると自室のベッドの上で、医者に覗きこまれていた。執事とメイドの他、警官が幾人かいる。

「お兄様は?」

 すぐに飛び起きて、ルイスは問う。大人達は気まずそうに視線をかわし、一人の警官が、意を決した様子で口を開く。

「お気の毒ですが、あなたの兄上は、ご両親を殺して逃げました」

 目撃者は執事とメイドだと話す警官の声を、呆然と聞く。

「あなただけでも無事で良かった」

 気遣いのつもりだったのだろう、その言葉にルイスはうつむく。大人達は気遣って、ルイスを一人にしてくれた。

 ――どこがいいんだ。俺はひとりぼっちになったのに。

 毛布を握る手が震える。
 深い谷底に突き落とされた気分だ。
 無言で涙を零すルイスのもとに、少年が一人、やって来た。兄弟同然の幼馴染だ。強張るルイスの右手を、少年は両手で柔らかく包む。

「ルイス、大丈夫だ。俺は傍にいるから」

 その言葉に安堵して、ルイスは声を上げて泣きだした。




 ☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡


 あとがきと注意とお礼(初出 2018.2/25)


 こんにちは。
 どこかに応募しようかと、たまにちまちま書いていた小説なんですが、意欲が失せたのでこちらに置いておきます。長くても三部までだと思う。
 
 主人公が女装したり、悪魔との契約者を殺したりするので、そういうのが苦手な人はここでページを閉じてください。シリアス、ダーク、暗い、精神的に痛い描写が出てくると思うので、不愉快な気分になっても私は責任をとれませんので、ここからは自己責任です。よろしくね。

 主人公と幼馴染はハッピーエンドといえますが、他の要素がバッドエンドかもしれない。とにかく暗めなんで……ほんとよろしく頼みます。

 それから、以前、ツイッターしてた時に、タイトル「夜霧の国のナイチンゲール」を一緒に考えてくださったミジンコさん、ありがとうございました。
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