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本編
6:ハンスとディディ=ルゥ
しおりを挟むそれからも翠はコフィ店やエリ家の雑用をしながら、ときどきリーリ=ルゥに呼ばれて、出産の付き添いをした。
元々出産は危険を伴うものだが、ヌコ族が出産で危うくなりやすいとリーリが言っていたのは本当で、三人に一人はシュシュみたいに死にかけるらしい。
この国では外科手術の知識はそれなりに進んでいるのに、出産では自然分娩しかない状況のため、何か問題が起こるとすぐに詰むらしい。
特に逆子は危険だ。リーリが事前に逆子だと気づいたら、翠が呼ばれて、水の精霊に頼んで赤子の向きを変えてもらう。水の精霊によると、赤子は羊水につかっているから、水の魔力での働きかけに応じてくれやすいそうだ。
翠は癒しの魔法は使えないが、水の魔力で止血はできる。出産では出血多量が原因で死にやすいため、とにかく重宝がられた。
やがてエリ家での暮らしが一年になる頃には、翠はヌコ族からは尊敬を捧げられ、スイ様と呼ばれるようになった。
(どうしよう。目立つのは嫌なのに……)
様付けで呼ばれるなんて、お前はいったい何様なんだよと思われるではないか。
翠は困っていた。
しかし、こういう状況になるのは理解できるし、自然なことなのだ。
ヌコ族は家族が多いので、妊婦を一人救うと、その女性の両親と兄弟姉妹から感謝される。夫にも感謝され、その夫の家族にも……というわけで、翠への感謝を抱くヌコ族の数が勝手に掛け算されて増えていくのだ。
(でも俺としては、リーリおばばのおかげが、九割くらいじゃないかと思うんだけど……)
まるで翠が手柄だけ奪っているようだと、とても複雑な気持ちにさせられる。しかし、翠の懸念に反して、リーリは無事に産まれるだけで大喜びしていて、翠を嫌う様子もない。翠はとりあえず人間関係の和を保てていることに安堵している。
リーリはしっかりした人だ。
産婆の仕事の報酬から、翠への報酬も出してくれる。翠がしているのは手伝いだからと断ろうとすると、ただ働きでは逆に仕事を頼みづらくなるからと、受け取るように説得された。きっと翠の考え方のほうが甘いのだろうと思う。
今は必要なくても、貯金するように言われた。
子ども達が育ってきたら、エリ家は手狭になる。翠がいつまでもここに住み込みは無理だろうから、翠はどこかに転居しないといけない日が来るだろうから、と。なるほどリーリの言う通りだと納得し、きちんと受け取ることにした。
「そうは言っても、引っ越しかあ。どうしよう」
突然、異世界に来た翠は、身分証明をする手立てがない。
国への不法侵入で捕まるんじゃないかと恐れて、仕事以外での外出もしないほどだ。家を借りる時には身分証明書が必要だろうが、そういったものはどうやって手に入れればいいのだろうか。
「どうしたんだ、スイさん。何か悩み事かな?」
「えっ? あ、ハンスさん、こんにちは。いらっしゃいませ」
コフィ屋の前を箒で掃いていた翠は、声をかけてきた男が誰だか把握すると、すぐに愛想笑いを浮かべた。翠がコフィ屋で働き始めた後に、よく来るようになった常連客だ。
背が高く、赤銅の長い髪を後ろでゆるく束ねている。西洋人みたいな白い肌と彫りのある顔立ちをしたおり、切れ長の紫の目は鋭く見えるが、翠と目が合うとふわりとやわらかくほどける。
王宮勤めの近衛騎士らしく、白い制服を着ているところも見たことがあるが、たいていは休みの日に来るようで、今日みたいにシャツと黒いズボンというラフな格好が多い。それでも長剣は常に携帯しているようだった。
「こんにちは。今日は良い天気だね」
「ええ、そうですね」
翠は雑談の常套句に返事をしながら、こっそりとハンスを眺める。
(本当にこの人、ヨハネスにそっくりだよなあ)
初めて会った時は驚いた。
しかし、ここはレンレシア神聖国ではないし、翠の護衛騎士だったヨハネス・グライツェンはすでに亡くなっていることを思い出して、慌ててとりつくろった。名前もハンスだというから密かに期待したが、そもそも年齢が合わない。
初めてこの世界に召喚された時、翠は二十二歳で、ヨハネスは二歳上の二十四歳だった。
そして、目の前にいるヨハネスのそっくりさんは、二十八歳だという。もしヨハネスが生きていたとしても、二十五歳だから計算が合わない。
(ここでの一年が、地球では二ヶ月だった。あちらで一ヶ月過ごしてから、また召喚されたから、時間が過ぎていても半年だよな?)
翠なりに計算して、答えを出していた。
「私の顔に何かついているか?」
どうやら見つめすぎたようで、ハンスがけげんそうにした。
「ああ、いえ。ハンスさんは、本当に知り合いにそっくりだなと思って……。世界には自分と似た人が三人はいるといいますけど、本当みたいですね」
「そっくりな人がいるのか?」
「ええ、もう亡くなっていますけど……」
翠は目を伏せて、ため息をついた。
「今日はやけに暗い顔をしている。どうしたんだ?」
ふいにハンスは翠の顔を覗きこみ、翠の銀髪を指先ですくい上げた。突然近づいた美しい顔に、翠は動揺する。ハンスの紫の目がギラリと光ったような気がして、息をのむ。
「誰かにいじめられたのなら、私に教えなさい。君の代わりに、仕返ししてこよう」
「えーと」
いつも優しいお兄さんという雰囲気なのに、急に獰猛な気配を見せられ、翠はたじたじになった。
(そ、そうだよな。気性の荒さがないと、騎士なんてできないよな)
剣を持って戦うのだから、いざという時は好戦的でないとやっていけないはずだ。
しかし、だ。美形というのは、そういう怖い顔をしているも様になるもので、翠の心臓が飛び跳ねた。格好良さを直視するには近すぎる。翠は一歩後ろに下がる。
「だ、大丈夫です。そうじゃなくて……三つ子が大きくなったら手狭になるから、そのうちエドアさん家を出て行かないといけないなあと考えていただけで」
「えっ。引っ越すのか? どこに?」
せっかくあけた距離を、ハンスがすかさず詰めた。翠は無意識に逃げてしまい、背中が扉に当たって、ガロンガロンと扉につけられた鈴が鳴る。
(ま、まさか、俺って尋問されてる?)
不法滞在をしているという自覚があるので、翠は冷や汗をかく。よくよく考えてみると、騎士なんて、もっとも近づきたくない存在だ。
「くぉらあっ、まーたお前か、騎士! スイに近づくなっ」
その時、がなり声が響いた。黒猫の姿をしたヌコ族の獣人が立っており、金目を吊り上げて怒っている。
「あっ、ディディ=ルゥ!」
「ディーでいいって言ってるだろ、スイ」
ディディ=ルゥは、この辺の自警団に入っている青年だ。十八才だというので、翠より年下だ。リーリ=ルゥの孫である。
「君に牽制されるいわれはないが」
ハンスはディディを不愉快そうににらんだ。
ディディは腰に手を当て、堂々と答える。
「スイは俺の姉ちゃんの恩人だ。変な虫は追い払えってばあちゃんにも言われてる。いつもスイにばかり構いやがって、ストーカー野郎」
「コフィ屋にコフィを飲みに来たら、ストーカー呼ばわりか。言いがかりという言葉を知っているかい、少年」
ハンスは悠々と返す。その姿は、子どもをあしらう大人そのものだ。
「うるさいな。そもそも、話をするのに、その距離はおかしいだろ!」
ディディの言うことは正論だったので、ハンスの眉がピクリと動く。
「失礼。ちょっと驚いたものだから。ディーはスイが引っ越すと知っていたか?」
「お前はディーって呼ぶな! ――え? スイ、引っ越すのか?」
ディディはしっかり言い返してから、スイに問う。
「あ、いや……。三つ子が大きくなったら、だよ。いつまでもエドアさん家にお世話になるわけにもいかないだろ? 常識的に考えて」
「広い部屋に住みたいってことか? それなら、ばあちゃん家に来いよ。部屋が余ってるし……夜中に呼び出されるのも大変だろ」
「こら、ディー。いくらリーリおばばが優しくても、相談もなく勝手にそんなことを言うのは駄目だ」
スイがやんわりと叱ると、ディディはぺたんと三角耳を寝かせる。
「うっ、ごめん。でも、他の場所がいいにしたって、相談してくれよ。ヌコ族は恩義には報いる主義だ。不動産に詳しい同胞もいるからな」
「その時は相談するよ。ありがとう」
ディディの耳が起き上がり、パッとうれしそうに笑う。
「ああ! 言ってくれ!」
なんてかわいい子だろうか。
翠はとても癒された。勝手に表情筋がゆるむので、急いでとりつくろう。
「私も紹介できるから、いつでも頼ってくれ。ところで、店に入ってもいいか。ランチをとりたいんだ」
「あ、すみません。どうぞ、中へ。お飲み物はいつもの通り、ホットコフィで?」
「ああ。ランチは本日のおすすめで」
「かしこまりました」
この一年で、翠の店員としての態度も板についてきた。
出産で絶対安静だったシュシュも、あれから半年経った今では回復して元気なものだ。昼間だけはベビーシッターを雇い、コフィ店の料理担当として仕事に戻っている。それに合わせて、ランチ営業も再開したのだ。
翠も調理場の作業を手伝っているが、同じことをしていても、なぜかシュシュが作るほうが美味しいのでサポートに徹している。
窓際の席についたハンスが、翠に笑いかける。
「おすすめのサンドイッチ、スイが作ってくれ」
「いいんですか? シュシュさんが作るほうが美味しいですよ」
「彼女ばかりに負担をかけるのは良くないだろう。……というのは建前で、君が作った料理を食べたいだけだ」
「そうですか。ありがとうございます」
おべっかの上手い人だと感心しながら、翠は礼を言って調理場に入る。すぐに手洗いうがいをし、髪を三角巾で覆ってエプロンをつけた。
ランチといっても、用意してある具材を挟んだサンドイッチとスープ、ちょっとしたデザート、コフィという簡単なセットしかない。そもそもランチセットは、サンドイッチの具材が日替わりで変わるおすすめと、定番の卵サンドイッチの二種類だけだ。スープは毎回卵とコーンのスープだ。デザートの内容は週ごとに変わる。
エドアが淹れるコフィはびっくりするほど美味しいのに、店が大通りから少し外れた場所にあるせいで、客足はそこまで多くはない。
「あの騎士様、相変わらずスイ君にご執心なのね」
調理場で下ごしらえをしているシュシュが、ひそひそっと言った。微笑んでいるのに、その目は笑っていない。
「困っているなら言ってちょうだい。出禁にするから」
「大丈夫ですよ。気にしていません」
「そう? スイ君が気にならないならいいけど、あなたの料理を食べたいからって作らせようとするのは、ちょっと……」
シュシュは言葉をにごす。翠は首を傾げる。
「ちょっと?」
「気持ち悪い」
「えっ」
翠は目を丸くした。
「常連さんの軽口じゃないですか。それに……あの人、俺の知り合いと似ているから、つい、甘い対応をしてしまうんですよね」
「知り合い?」
「はい。すでに亡くなったんですが……」
「妹さんもだったわよね?」
「二人で出かけて、その先で」
「まあ」
シュシュの目がうるんだ。
「分かったわ。私は口出ししないようにするけれど、嫌だったら相談してね。エドアはお人よしだけど、家族が困っていたら、ちゃんと対応してくれるのよ」
「……はい」
一年を共に暮らすうちに、シュシュも翠を家族と見なしてくれるようになった。彼女の温かさに触れて、目頭が熱くなる。
「ありがとう、シュシュさん」
「あなたは私の命の恩人でもあるのよ。困っていたら助けるから、きちんと話してちょうだいね」
翠はこくんと頷いて、はにかんだ笑みを浮かべた。
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