5 / 6
本編
5:聖女の名前
しおりを挟むさらに三ヶ月が過ぎて、エリ家はにぎやかになった。
シュシュが無事に赤ん坊を産んだのだ。
獣人は種族によって妊娠期間が変わるそうだが、ヌコ族の獣人の妊娠期間は六ヶ月ほどらしい。
この三ヶ月は、これから生まれる赤ん坊のための品をそろえるのに、エリ家は翠も含めてばたばたしていた。
子ども達は元気な三つ子だ。灰色に縞が入ったサバトラの男の子が二人と、真っ白で長毛のかわいらしい女の子が一人。エドアとシュシュの遺伝子がきれいに分かれた感じで、翠はおかしくて笑ってしまった。
「無事に生まれてよかった」
「本当に、ありがとうだにゃん! スイ君は我が子の命の恩人にゃ」
エドアが泣きながら、もふっとした手で翠を抱きしめる。おんおんと男泣きをしている。
ヌコ族の産婆である灰毛の短毛であるリーリ=ルゥは、目を細めて頷いた。
「本当に。一人だけ逆子で、シュシュも赤ん坊も危なかった」
シュシュは出産中の出血多量で寝込んでいるものの、しっかり休めば治るそうだ。
「俺は特に何も。水の精霊が手助けてしてくれたからで」
「その精霊と意思疎通できているから、君のおかげなんだにゃん! こんなにすごい魔法士だったにゃんて知らなかった」
ありがとうと繰り返し叫びながら、エドアが号泣しているのは、シュシュに死が迫っていたからだ。
少し前の時間、女の子の赤ん坊だけ逆子でなかなか出てこず、そのせいで出血が増えてしまった。
翠がシュシュを助けたいと願ったら、突然、水の精霊が実体化したのだ。空気がキラキラと青く輝いたかと思えば、水が女性の姿をとっていた。彼女は言った。
『スイ、その獣人を助けたいなら、わたしに任せてほしいの』
翠はびっくりした。
精霊と親和性は高いが、それまで精霊と話したこともない。
「君は?」
『わたしは水の精霊よ。あなたは知らないでしょうけど、ずっと傍にいたのよ。それよりも、急ぐべきでは?』
「助けてくれるなら……」
『きちんとお願いして』
「水の精霊、シュシュを助けてください」
『ふふっ。いいわよ』
水の精霊が笑うと、彼女をかたちどる水にさざ波が立った。
「産婆のおばさん、精霊に任せて」
「え? わあっ、なんだい、これは」
リーリは驚いて、どてんと床に尻餅をついた。
水の精霊はシュシュのお腹に優しく触れる。しばらくの間、青の光がきらめいて、やがて赤ん坊が生まれた。
「ミャアアア」
赤ん坊の元気な泣き声が響く中、水の精霊はつぶやく。
『止血もしておくわね。よし、これでいいわ。血を流しすぎているみたい。一週間は絶対安静よ、いいわね』
水の精霊はエドアに注意をし、翠のほうへ戻ってくる。両腕を広げて、翠に抱き着いた。
『もっとわたしに願って。ずっとあなたを助けたいと思っていたの。どうか幸せになってちょうだい』
ザバンと水波が立ち、翠は濡れると身構えたが、水の精霊はそのまま空気に溶けるようにして消えてしまった。特に濡れていない。
「え……?」
翠はきょろきょろとする。白昼夢でも見たのかと思ったが、驚いた顔でこちらを見ているリーリとエドアがいるので、そうではなかった。
リーリは叫んだ。
「奇跡だよ! シュシュが助かった!」
「うわあああ、ありがどう、ズイぐん~っ」
大泣きし始めたエドアに、翠は冷静に言ったのだ。
「それよりもシュシュさんを医者に診せたほうがいいよ。ベッドに寝かせてあげて」
「あっ、そうだった」
リーリはへその緒を切って、赤ん坊を籠に寝かせる。出産のために絨毯の上にいたシュシュを、エドアは慎重に抱えて、きれいに整えたベッドに運んだ。シュシュは気絶してぐったりしている。
「医者と神官を呼んでくるから、少し待っていなさい」
リーリは手早く赤子達を産湯につからせて、丁寧に拭いてやってから、籠の中に寝かせなおす。そして、急ぎ足で家を出て行った。
しばらくして来てくれた神官が光魔法でシュシュの体力を整えてやり、医者が診察をして造血薬を置いていった。シュシュは絶対安静だが、赤ん坊は元気なので問題なしと太鼓判を押してくれた。
そういうわけで、事態が落ち着くと、エドアは妻を失う恐怖を思い出したのか泣き始めたのだった。
「あのさ、エドアさん。実は俺も、水の精霊なんて初めて会ったんだよ」
「それでも助けてくれたのは事実にゃ」
翠は困って苦笑を浮かべると、リーリに頭を下げる。
「あの、産婆のおばさん。水の魔法士だってこと、医者や神官にも黙っていてくれてありがとう」
「同胞の恩人は、私も守るよ。ヌコ族は恩義に報いるのにゃ。こんなお願いをするのは気が引けるのだけど、よかったら、また同胞が危なくなった時に助けてくれないかにゃ?」
リーリは三角の耳をぺたんと寝かせている。
「ヌコ族は双子や三つ子が多いから、出産時に亡くなる妊婦も多いのにゃ……。できる限りはやってきたけど、限界もある」
「秘密を守ってくれるなら」
「約束するにゃ」
いったい、この国の魔法士狩りがどんなものか知らないが、翠は平穏に生きていきたい。けれども、このもふもふのかわいらしいヌコ族がひどい目に遭うのは見たくないので、その気持ちを付け足した。
「でも、産婆のおばさんが危なくなったら言っていいよ」
「いいや、言わにゃい。この町のヌコ族に、お前さんのことを通達していいかにゃ? ヌコ族みんなで、お前さんを守ろう」
「構わないけど、危ないことはしなくていいから」
翠は困った顔をして、念を押した。
「よかったにゃあ、スイ君。リーリおばばは、この町のヌコ族コミュニティーでは一目置かれているのにゃ。スイ君には良いことにゃ」
エドアはようやく泣きやんで、布巾で涙をぐしぐしとぬぐう。
「スイ君、命を助けてくれた子の名づけ親になってくれないかにゃ」
「名づけ親? 俺がつけていいの?」
「君につけてほしいのにゃ」
エドアに熱をこめて頼まれて、なんだか翠は涙ぐんでしまった。
「ええと、それじゃあ……。ミオはどうかな」
「ミオ?」
「俺の双子の妹の名前なんだ。もう亡くなったんだけど、とても大事な家族だったから。あ、縁起が悪いかな……?」
気にして問う翠に、エドアは手をぶんぶんと振る。
「違うのにゃ。この国の聖女様と同じ名前だから、驚いただけにゃ。むしろ、最近での、女の子に付けたい名前ナンバーワンにゃ」
「えっ、そうなの?」
すでに四ヶ月はここで暮らしているのに、フーリー王国に聖女なんてものがいるのも知らなかった。
「光の聖女様で、癒しの魔法が得意なんだにゃ。明るくて優しいお方でね。最近即位した王と結婚されていて、すでに子どもが二人もおられるよ」
二人の子持ちで結婚しているとなると、結構年上みたいだと、翠は考えた。
「良い名前をつけてくれてありがとうにゃ!」
「うん。他の二人はどうするの?」
「それなら考えてあるのにゃ。ルドアとレシュだよ。ボクとシュシュの名前からとったんだ」
ヌコ族は名付け親につけてもらうか、家族から名前をもらうことが多いそうだ。
「ルドアとレシュかあ、かわいい。えっと……泣いてるけど、どうするの?」
お腹を空かせた赤ん坊が、ミーミーとか弱い声で鳴いている。翠ははらはらした。エドアがどうしようという顔をしたので、リーリが口を挟む。
「シュシュは絶対安静だけど、初乳はあげないと赤ん坊が元気に育たない。それにどうせ胸がはるから、少しくらいはお乳を飲ませたほうがいいね。分かったよ、数日は私が世話をしてあげる。エドアは、シュシュの安静が解けるまでの乳母を探しておいで」
「分かったにゃ! 長に相談してくる」
言うが早いか、エドアは家を飛び出していった。
リーリがため息をつく。
「あの子の落ち着きのなさはどうにかならんものかねえ。父親になるっていうのに」
「あはは……」
翠はなんとも言えず、笑いをこぼした。
84
お気に入りに追加
120
あなたにおすすめの小説

監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

使命を全うするために俺は死にます。
あぎ
BL
とあることで目覚めた主人公、「マリア」は悪役というスペックの人間だったことを思い出せ。そして悲しい過去を持っていた。
とあることで家族が殺され、とあることで婚約破棄をされ、その婚約破棄を言い出した男に殺された。
だが、この男が大好きだったこともしかり、その横にいた女も好きだった
なら、昔からの使命である、彼らを幸せにするという使命を全うする。
それが、みなに忘れられても_
公爵家の次男は北の辺境に帰りたい
あおい林檎
BL
北の辺境騎士団で田舎暮らしをしていた公爵家次男のジェイデン・ロンデナートは15歳になったある日、王都にいる父親から帰還命令を受ける。
8歳で王都から追い出された薄幸の美少年が、ハイスペイケメンになって出戻って来る話です。
序盤はBL要素薄め。

名前のない脇役で異世界召喚~頼む、脇役の僕を巻き込まないでくれ~
沖田さくら
BL
仕事帰り、ラノベでよく見る異世界召喚に遭遇。
巻き込まれない様、召喚される予定?らしき青年とそんな青年の救出を試みる高校生を傍観していた八乙女昌斗だが。
予想だにしない事態が起きてしまう
巻き込まれ召喚に巻き込まれ、ラノベでも登場しないポジションで異世界転移。
”召喚された美青年リーマン”
”人助けをしようとして召喚に巻き込まれた高校生”
じゃあ、何もせず巻き込まれた僕は”なに”?
名前のない脇役にも居場所はあるのか。
捻くれ主人公が異世界転移をきっかけに様々な”経験”と”感情”を知っていく物語。
「頼むから脇役の僕を巻き込まないでくれ!」
ーーーーーー・ーーーーーー
小説家になろう!でも更新中!
早めにお話を読みたい方は、是非其方に見に来て下さい!


30歳まで独身だったので男と結婚することになった
あかべこ
BL
4年前、酒の席で学生時代からの友人のオリヴァーと「30歳まで独身だったら結婚するか?」と持ちかけた冒険者のエドウィン。そして4年後のオリヴァーの誕生日、エドウィンはその約束の履行を求められてしまう。
キラキラしくて頭いいイケメン貴族×ちょっと薄暗い過去持ち平凡冒険者、の予定
龍の寵愛を受けし者達
樹木緑
BL
サンクホルム国の王子のジェイドは、
父王の護衛騎士であるダリルに憧れていたけど、
ある日偶然に自分の護衛にと推す父王に反する声を聞いてしまう。
それ以来ずっと嫌われていると思っていた王子だったが少しずつ打ち解けて
いつかはそれが愛に変わっていることに気付いた。
それと同時に何故父王が最強の自身の護衛を自分につけたのか理解す時が来る。
王家はある者に裏切りにより、
無惨にもその策に敗れてしまう。
剣が苦手でずっと魔法の研究をしていた王子は、
責めて騎士だけは助けようと、
刃にかかる寸前の所でとうの昔に失ったとされる
時戻しの術をかけるが…

死に戻り悪役令息が老騎士に求婚したら
深凪雪花
BL
身に覚えのない理由で王太子から婚約破棄された挙げ句、地方に飛ばされたと思ったらその二年後、代理領主の悪事の責任を押し付けられて処刑された、公爵令息ジュード。死の間際に思った『人生をやり直したい』という願いが天に通じたのか、気付いたら十年前に死に戻りしていた。
今度はもう処刑ルートなんてごめんだと、一目惚れしてきた王太子とは婚約せず、たまたま近くにいた老騎士ローワンに求婚する。すると、話を知った実父は激怒して、ジュードを家から追い出す。
自由の身になったものの、どう生きていこうか途方に暮れていたら、ローワンと再会して一緒に暮らすことに。
年の差カップルのほのぼのファンタジーBL(多分)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる