79 / 90
3幕 美女画の怪
25 決行
しおりを挟む深夜、半月が雲に隠れると、碧玉は闇にまぎれて離れに近づいた。
当然、暁雪に扮して地味な装いをし、髪は頭の上半分だけ結って簪でまとめ、雪瑛を抱えている。青鈴は部屋で待つように言いつけてある。
(待ち人はすでに来ているようだ)
離れの障子紙が張られた窓から、光がこぼれている。中にいる誰かが身じろぐたびに、ろうそくの火がちらちらと揺れた。
碧玉が扉を静かに開けると、中から線香のにおいが漂ってきた。
見れば、美女画の前で、夏礼が座布団に正座をし、故人に線香をたむけている。
扉を半端に開けたままにしておいて、碧玉は離れの中に入り、夏礼にあいさつをした。
「これは黄宗主様ではございませんか。夜分遅くに、このような格好で失礼いたします」
それから部屋を見回して問う。
「こちらに紫曜様がいらっしゃるはずですが……」
夏礼が座布団から立ち上がり、碧玉と向き直った。宮廷で会った時は気にしていなかったが、思ったよりも上背がある男だ。天祐と同じくらいの背丈はあるかもしれない。黄土色の上衣の腰に下げている香袋から、桂花の甘い香りが漂った。
「申し訳ないが、暁雪さん。先ほどまで黒公子と酒を飲んでいたのだが、飲ませすぎたようで彼は寝てしまったんだ。代わりに私が調査に立ち会おうかと」
「黄宗主様がですか?」
碧玉は戸惑うそぶりをした。というのも、夏礼と二人きりになるように、紫曜に仕向けさせたのは碧玉だからだ。しかし今は、貞淑な娘・暁雪を演じているので、困った顔をしなくてはならない。
「それでしたら……日を改めますわ」
碧玉は後ずさりをして、扉のほうへ振り返る。夏礼は回りこみ、出口への道をふさいだ。
碧玉は眉を寄せた。そういう流れになるかもしれないと思っていたが、実際にされると不快だった。そもそも碧玉は夏礼を嫌っている。こんなことでもなければ、同室にいたくない。
「暁雪さん、黒公子と婚約するために貞淑をよそおっているのだろうが、本当はそのような清廉な女人ではないのだろう?」
「何をおっしゃいます?」
「あなたの足取りを調べたところ、酒楼に世話になっていたとか。金に困った婦女子が、一夜を売ることなどよくあるもの」
夏礼は碧玉の髪をひとすじすくって、髪に口づけを落とし、こちらを見て怪しげに微笑んだ。
「何も恥ずかしいことではない」
碧玉の腕の中で、雪瑛の毛が逆立った。
(気持ちはわかるぞ、雪瑛。私も鳥肌が立っている)
あからさまに口説かれて、不愉快なあまり、背筋がぞわぞわとした。
(本当にこの男は……。天祐が言うならば『クソ野郎』か? そもそも、婚約者のいる娘を口説くな)
とはいえ、倫理観が低いのは、碧玉としては好都合だ。遠慮なく仕返しできる。
「つ、つまり……どういうことでしょうか」
雪瑛の声が震えている。碧玉も口の端が引きつるのを我慢した。
「存外、にぶいものだな。結婚する前に、私と一夜を遊ぼうと誘っているのではないか」
夏礼が白けたように言った。
「ご遠慮いたします。わたくし、調査に来ただけですので」
「ああ、その美女画には幽鬼はいない。白宗主が引き受けてくれたようなのでな」
碧玉は驚くふりをした。
「そんな……それをご存知でしたのに、黄宗主様はこちらにいらっしゃいましたの?」
「そうでもなければ、下女の子である白天祐などに、側室の次女とはいえ、黄家の娘を与えたりしない。未婚の娘が、独身男の居室に看病で出入りするのは外聞が悪い。黄家の恥をその身に封じてくれたのだから、黄家としては責任をとって、家のつながりくらいくれてやったのだ」
碧玉はいらっとした。
どこまでも上から目線であるし、責任をとったと言うならば、天祐を酒楼から徒歩で帰らせるような無礼を働くなという、天祐の義兄としての至極まっとうな怒りである。
黙りこくっている碧玉を、夏礼はしげしげと眺める。
「ろうそくの明かりでも、あなたの美しさは揺らがないのだな。それにしても、先代の白宗主とそっくりだ。遠縁ならば、奇跡的な容貌だな」
絵を鑑賞するような様子で、夏礼は感想を口にした。それから、首を横に振る。
「しかし、その背丈は醜いな。背が低く小柄な娘のほうがよい。だからあなたは嫁ぎ先に困って、放浪していたのだろう?」
これほど碧玉の神経を逆なでする男も珍しい。
(仮にも口説いている途中で、醜いなどと口にするか? 美しい女人の条件とはいえ、背丈を気にしていたら傷つけるだけではないか)
碧玉は自分の性格が悪いのは自覚しているが、他人の見てくれをわざわざあげつらうことはない。そんなものよりも、忠誠心や仕事ぶりのほうが大事なのだ。ましてや、口説こうとしている相手ならば、余計なことは口にしないに限る。
「わたくし、帰らせていただきます」
碧玉が夏礼の手を払いのけると、夏礼は不快そうにするどころか、楽しそうに笑った。
「矜持の強さも、私の好みだ。そういう女を従順にしつけるのは面白い」
碧玉の腕に、鳥肌が増えた。
(黄夏礼、貴様もか! どうしてこう、嗜虐趣味の者ばかり寄ってくる?)
これまでに出くわした悪縁を思い出して、碧玉はうんざりした。
やはり直感とはあなどれない。夏礼が暁雪を見る目には、「どういたぶってやろうか」という攻撃的なものが含まれていると感じたが、それも間違いではなかったのだ。
(落ち着け。どちらにせよ、策は用意してある)
夏礼が抱いている歪んだ欲は予想外だが、それ以外はおおむね想定通りに進んでいる。
碧玉はすげない対応をしているが、「婚約者のいる貞淑な娘」ならば当然するだろう態度をとっているだけだ。
「黒家の若様に対して、ひどい真似をしているとは思いませんか」
「なに、あの男には新しい女を紹介してやるさ」
もしここに紫曜がいたら、碧玉の仕返しを全力で後押ししてくれそうな言葉である。
ふと出口のほうを見て、碧玉は天祐の到着に気づいた。天祐は様子をうかがっているようだ。中のやりとりが見えるように、わざと半端に扉を開けておいたのだ。
(記憶が混乱していたとして、天祐の善性は変わらぬ。助けに入るべきか迷うだろうと思っていた)
これで遠慮なく、夏礼を突き放せる。
「……失礼いたします」
話が通じないとばかりに、碧玉は夏礼に会釈をしてその場を去ろうとした。当然、そのまま見逃す夏礼ではないので、碧玉の左腕をつかむ。
「待て。退室していいとは言っていない」
「離してください」
「もったいぶるな。ほら、こっちに来い」
夏礼の態度にいら立ちが混じり始め、碧玉を強引に引っ張った。
「……雪瑛」
「ケンッ」
碧玉が指示すると、雪瑛は待ってましたと言わんばかりに碧玉の腕を蹴って抜け出すや、夏礼の顔に飛びかかった。
「ぐっああああ!」
鼻に噛みつかれ、夏礼は悲鳴を上げる。血が飛び散った。雪瑛は床に着地すると、顔をしかめる。
「主様~、くそまずいです~」
口の中にある血をペッペッと吐き出し、雪瑛は心底嫌そうに身震いをした。
(そういえばこやつ、偏食の肉嫌いであったな)
雪瑛は下級妖怪だが、血なまぐさいことを嫌っている。後で褒美の菓子をたっぷり与えることにしようと、心の中で決めた。
「貴様っ、卑賎の分際で私によくもっ」
床に座りこんで顔を押さえながら、夏礼が怒りに燃える一瞥を寄越す。
碧玉はそれにおびえたふりをして、扉のほうを振り返る。天祐と目が合った。碧玉はできるだけ高い声が出るように意識をし、天祐の中にいるもう一人へ叫ぶ。
「助けてください、黄張偉様!」
29
お気に入りに追加
1,456
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目
カギカッコ「」
BL
ヤられて不幸になる妹のハッピーエンドのため、リバース転生し続けている兄は我が身を犠牲にする。妹が飲むはずだった惚れ薬を代わりに飲んで。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。