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3幕 美女画の怪
22 石くれの価値
しおりを挟む「天祐、あんの愚か者めがっ。つまり幽鬼の魂が体を乗っ取ろうとするせいで、記憶に障害が出ているのではないかっ」
暁雪に与えられた客室に戻るなり、碧玉は衾をかぶってから、大声を出して罵った。
「い、いかがなさいましたの?」
「主様、落ち着いて」
部屋に戻ってくるなり、碧玉が牀榻に直行して奇行に及ぶのを目にして、青鈴と雪瑛はおろおろしている。
碧玉なりに、黄家の人間に聞こえないようにするための配慮だ。碧玉は二人の質問は無視して、頭を回転させる。
(幽鬼を体に封じるなど、悪影響が出ないはずがない。肉体一つに対して、魂は一つなのが道理なのだから。ひとまず、相手が怨霊ほど強力でなかっただけましか)
ただの幽鬼ならば特に害にもならない。ただ、現世に執着していたり、何かを恨んでいると、怨霊になってしまう。そうなると実体を持ち、周囲に悪影響をもたらすのだ。
天祐もそれを理解しているだろうに、幽鬼が明月に襲いかかったのを見てとっさに庇ったくらいには、その幽鬼の様相がすさまじかったのだろう。そして、恐らく幽鬼が自由になれば怨霊と化すと予測して、黄家を離れられないでいる。
碧玉はそう考えながら、額に手を当てる。
(とはいえ、とっさに庇ったとはいえ、体に封じるなんて真似は簡単にはできぬことだ。こういう時は、天才というのも困りものだな)
他者を庇って火の粉をかぶるあたりは、弱い者に同情しやすい天祐らしいことである。
碧玉は衾から出ると、牀榻に座りなおした。
突然、碧玉が真顔になったので、青鈴と雪瑛が分かりやすくビクリと震える。碧玉は結論を出した。
「天祐の体に封じられているのは、恐らく黄張偉の幽鬼だな」
「えっ、どういうことですか、主様」
碧玉がひとりごとのように言うと、雪瑛が首を傾げる。青鈴は訳が分からないという顔で沈黙した。
碧玉は立ち上がり、室内をうろうろと歩き回りながら、考えを口に出す。
「あの絵には毒が塗られていた。ということは、黄張偉は毒で死んだのか? それとも病死か? どちらだろうと、瀕死の身に毒がとどめになったとみるべきか。しかし、幽鬼により殺されたというなら、目撃者がいるはず」
「誰が見たんですか?」
「そうだな、雪瑛。どうして気づかなかったのか。前宗主ともなれば、世話人がいるはずだ」
碧玉はふむと考えこむ。
(側室の青雨明だろうか。しかし、前宗主を愛していたという正室の緑花夕が、雨明が傍に侍っていることを許すだろうか)
この辺りは、黄家の人間に聞かねば知りようがないことだ。
(どうせ、琥張殿に会いに行くところだ。その時に質問するとするか)
碧玉は化粧台のほうへ移動し、椅子に腰かける。
「青鈴、身なりを整えよ。琥張殿に会いに行く」
「ただちに」
青鈴はあたふたと準備をして、碧玉が衾にもぐったせいで乱れた髪や化粧を手直しし、服装も整えた。碧玉は足元に来た雪瑛を腕に抱え上げる。
「あの……ご主人様。つまり、天祐様は先代の黄宗主様にとりつかれているのですか?」
「否。あやつが体に先代の幽鬼を封じたのだ。つまり、魂が二つ同居していることになる。実に不安定な状態だな。ときどき攻撃的な面が出るのは、先代の影響だろう」
碧玉は青鈴を振り返る。
「そなたの天祐へのしつけは問題ないということだ」
「それはうれしゅうございますが。攻撃的な際の天祐様には、もしやその時の記憶がないのでしょうか?」
「さて、分からぬな。昨日のことは謝罪に来たが……。乗っ取られているに近いと見たほうがいいだろう。いくら天祐が天才でも人間ゆえ、気が抜ける時くらいあるものだ」
青鈴は目を潤ませた。
「天祐様は、無事にお帰りになるのでしょうか」
「連れ戻すには、幽鬼をどうにかせねばならぬということは変わらぬ。あの幽鬼が明月に執着しているならば、側室を探らねばならぬな」
これにより、碧玉は側室が毒について知っていると確信した。理由についてもおおよその推測はできる。
(はあ、まったく。あの先代、色狂いだとは聞いていたが、まさか自分の娘まで対象としていたとはな)
事情を聞くまで断定はできないが、ほとんど黒に近い灰色だ。
碧玉は暗たんたる気持ちになった。昨今では、近親相姦は禁忌なのだ。母としての気持ちを考えれば、毒に手を伸ばすのも理解はできる。
急に側室の居所を訪ねてきた碧玉に、取り次ぎの侍従を伴って現れた琥張は驚きを見せた。
「暁雪様? こちらには何用でしょうか」
「まず、先触れもない訪問への無礼をお許しいただきたくございます」
雪瑛を通して、碧玉は貴族の子女らしい礼儀を示した。
「青夫人もいらっしゃるのでしょう? どうか中に入れてくださいませ。耳ざとい者に聞かれたくないお話をしとうございます」
碧玉が夏礼の居室の方角を気にする素振りを見せると、戸惑っていた琥張の顔に緊張が走る。
「どうぞ。母上の暇つぶしにお付き合いいただけるとは幸いです」
さすがは魑魅魍魎の巣窟で生き延びてきただけあって、琥張は機転がきく。碧玉は丸い扇子の裏で微笑んだ。
「暁雪様、居間へのご案内で申し訳ありません」
「お気になさらず」
とはいえ、青家から政略結婚で嫁いできた姫君の持ち物なのか、家具はどれも立派なものだ。茶几に使われている、よく磨かれた赤褐色の木材は花梨だろうか。雲の紋様が彫りこまれている。
琥張がすすめるままに、碧玉は雪瑛を抱えたまま、座布団に座る。琥張が向かいに座ると、取り次ぎをした侍従の男が、茶と菓子を運んできた。
「母上に会いに来られたのでしょうか?」
「それもございますが、一番の目的は琥張様です。昨日、いただいた石くれの価値について」
碧玉が侍従のほうをちらりと見ると、琥張は意図を察して答える。
「その者は僕ら家族が信用している者です。どうぞお話ください」
庶子として厳しい扱いをされていても、使用人に恵まれたのはいいことだ。青家から送りこまれた縁者かもしれないが、碧玉にはどちらでもいい。
「ええ、それでは」
碧玉は懐に隠しておいた絹の布を取り出す。それを茶几の上に置いて、布を広げた。石粒が、キラリと光を反射する。
「琥張様、金剛石という鉱物をご存知ですか?」
「コンゴウセキ……? いえ」
「そうでしょうね。七璃国で知る者は少ないでしょうが、稀有で貴重な宝玉のことです」
「宝玉……?」
琥張は話を飲みこめない様子で、眉をひそめる。
「わたくし、あなた様の絵を見て、とても素晴らしいと感銘を受けました。ですが、あなた様は全く信じていないご様子。あなたのおっしゃる石くれを――金剛石の原石を見たら、奥に宝玉があるではありませんか。それで、紫曜様にお願いして、取り出してから磨いていただいたのです」
碧玉が説明すると、琥張は金剛石を見つめた。
「まさか、それが……?」
「ええ、昨日、わたくしに下さった石くれですね」
碧玉は金剛石の簡単な見分け方についても説明した。
「簡易な見分け方しか試しておりませんが、わたくしは金剛石だろうと考えております。あなた様の画才を見ては、評価せずにはいられませんから」
碧玉はきっぱりと言う。
「琥張様は、とっくの昔に、天帝に認められておいでなのだと思います」
琥張の目から、涙がつうっと零れ落ちた。ぐしゃりと顔をしかめ、首を横に振る。
「やめてください! そうやって、僕をだまそうというのですね。コンゴウセキなど、聞いたことはありません。この不遇の身をからかうなんて、ひどい方だ」
そう来るかと、碧玉はうんざりした。
その一方で、長らく追い詰められて育った者だ。警戒するのが普通だろうとも思えた。
「では、わたくしの秘密を教えて差し上げたら、信じる気になるでしょうか」
「え……?」
琥張が瞬きを繰り返す。
いらだちとともに立ち上がった碧玉の腕の中で、雪瑛が「ケンッ」と慌てたように鳴いた。青鈴も止める。
「お待ちください、暁雪様。お腹立ちになったからと……」
碧玉が左手で制止すると、青鈴はぐっと口をつぐむ。
碧玉は茶几を回りこみ、琥張の隣に座る。碧玉は琥張の耳元に顔を寄せた。
「え? え? なんですか?」
「美女画は白碧玉に似ているのではない。本人なのだ」
琥張が硬直した。
「小童の分際で、私の見識にけちをつけるつもりか?」
碧玉が冷ややかに目を細めて薄く笑ってみせると、琥張の顔色が青くなる。
「……っ」
ぱくぱくと口を開閉する様に満足して、碧玉は酷薄な表情を平静に改めた。碧玉が離れる前に、琥張は碧玉の服の裾をつかんだ。
「あ、あなた様は、姉上達を恨んでお亡くなりになったはず。父上とご正室様を殺しただけに飽き足らず、黄家を滅ぼしに参られたのですか? 紫曜兄上をだましているなら、僕は……っ」
おかしな妄想にとりつかれて目をギラつかせる琥張の額を、碧玉は容赦なく指で弾いた。
「いだあっ」
「そなた、まことに見識の浅い愚か者のようだ。私は先帝らを殺してなどおらぬし、前宗主と正室のことも知らぬ。ここには、天祐を迎えに来ただけだ」
「は、白宗主様を……?」
「そもそも、黄家のことなど興味もない。この家に、私が滅ぼしたいと思うほどの価値があると思っているのか。ふんっ、大層なことだな」
ひそひそ声ながら、碧玉が毒舌を浴びせるので、額を押さえた琥張は涙目で口を引き結ぶ。
「……これは悪夢ですか」
ようやく口を開いたかと思えば、琥張はうめく。
「あのお美しくてお優しい暁雪様が……、氷雪のごとき冷たい方だなんて」
石くれが金剛石だと教えた時よりも、泣きそうな顔をしている。碧玉は呆れたものの、話のついでだと思い、侍従には聞こえない程度の声でささやく。
「そもそも、先代の宗主を殺したのは、そなたの母であろう?」
「…………え?」
顔面蒼白というのはこんな顔なのか。琥張の顔を眺め、碧玉はそんなことを考えた。
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