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3幕 美女画の怪
18 石くれ琥張
しおりを挟むその夜、離れに案内できなかった詫びにと、夏礼に宴席に誘われた。
碧玉はすぐに欠席を決める。
「紫曜、私は体調不良で寝こむこととする」
「ああ、それがいい。こちらは任せておけ。くれぐれも大人しくするんだぞ」
紫曜は一つ返事で引き受けて、身支度をすると宴席のほうに出かけていった。約束通り、碧玉は客室で大人しく過ごすつもりだったが、ふと思った。
(夏礼が宴席で動けぬならば、これは密かに探る好機ではないか?)
碧玉はさっそく、青鈴と雪瑛に提案する。
「空気を吸いにという理由で、近くを探るのはどうだ?」
「庭先程度ならば問題ないかと存じますわ。琥張様のおっしゃる通り、この屋敷にいる使用人は少ないほうです。宴の支度でかかりきりかと」
青鈴はそう答え、雪瑛は上目遣いに話す。
「構いませんけど、怖いのですぐに戻りましょうね?」
「分かっている」
碧玉は頷いた。
それから宴が始まったくらいに、部屋着に毛皮の外套を羽織った程度の軽装で外に出る。思った通り、廊下にはひとけがない。
今日、先代の離れに行く途中、外へ続く出入り口を把握しておいた。奥に少し進むと、勝手口があるのだ。
提灯を持った青鈴が先導し、そこから庭に出る。
日が落ちた庭は、暗闇の中に沈んでいた。冬ということもあって、雑草はほとんどない。
「ご主人様は何をご覧になりたいのですか」
碧玉が腕に抱えている雪瑛が、こっそりと問う。
「夜間での離れの様子を見ておきたい。庭を通れば近づけるはずだ」
本当は北東にある鬼門に異常がないか見たいが、客室からは遠いため、やめておいたほうがよいだろう。
「無理そうならば引き返すから、そう緊張するな」
碧玉が付け足した言葉に、雪瑛は安心したようだ。
少し北へ進むと、青鈴が足を止めた。
「まあ、この辺りにも池がございますのね」
「確か、先代の側室家族の居室がある辺りだな」
紫曜は何度か黄家の屋敷に来ているので、大雑把に配置を教えてくれている。夏礼は玄関から入ってすぐの蓮池の東側に住んでいるそうだ。別棟の豪華な屋敷があり、母屋から離れているため静かに過ごせるようである。
広間と蓮池にさえ近づかなければ、すれ違うこともないはずだ。
「琥張様ではございませんか」
池の淵にたたずむ人影に気づいて、碧玉は雪瑛を通して声をかけた。丁寧にあいさつをすると、暗い表情をしていた琥張は、ハッとして取り繕う。ごしっと袖で目元をぬぐう仕草を、碧玉は見なかったふりをした。
「暁雪様、どうされました。宴の時間では?」
「少し体調が優れなくて……。外の空気を吸いに出てまいりましたの。お邪魔をして、申し訳ございません」
琥張はゆるやかに首を横に振る。
「気分転換もよろしいですが、この屋敷はあちこちに池があるのでお気を付けください」
「ええ、驚いていたところです。……そちらは?」
琥張が手にしている紙が気になり、碧玉は問いかける。琥張は気まずそうに、紙を差し出した。
「はは。恥ずかしながら、僕は神獣画を描くのが好きでして……。凡才ゆえに、天帝はなかなかお認めになってくれません」
どうやら見てもいいようなので、碧玉は紙を受け取って開く。青鈴が提灯の明かりを近づけた。
「なんと見事な」
迫力に満ちた白い虎が、月に向けて吠えている構図だ。
碧玉は心からの賛辞を口にした。
(よほど才能がないのかと思っていたが、逆だ。この少年、天才絵師ではないか?)
芸術に詳しくない碧玉でも、筆で描かれた白虎が生き生きとしていて、今にも飛び出してきそうなのは感じられる。
「ふっ。こんなもの……っ」
しかし、琥張は不出来だと思いこんでいるらしく、絵をつかんで池に投げ捨てようと腕を振り上げる。碧玉は思わず絵に飛びついた。
「えっ」
絵を奪い取られた琥張は、驚いて目を丸くする。
「わたくし、白虎が好きなのです。捨てるのならば、売ってくださいませ」
本心からの言葉である。こんな素晴らしい絵を捨てるなんてとんでもない。
琥張はなんとも言えない顔をして黙りこみ、やがて微笑んだ。今にも泣きだしそうだった。
「紫曜兄上がお好きなだけあって、暁雪様はとてもお優しい方ですね。僕のような鈍才に、そんなことを言ってくださるとは」
「これは本心です。なぜ、そのように卑下なさるのですか」
琥張が謙遜でもなく、本気で無才と信じているようなのが、碧玉は気になった。
「なぜって! 僕がどれだけ魂をかけて絵を描いても、石くれしか生み出せないからですよ!」
琥張は苦しそうに吐露し、懐から石を取り出す。碧玉に向けて突き出した。碧玉が石を受け取ると、琥張は肩を落とす。
「その絵と石は差し上げます。お代も必要ありませんので」
「しかし……」
「やめてください! 同情でお金をいただいても、虚しくなるだけなのです。……すみません、取り乱しました。失礼いたします」
琥張は拱手をすると、くるりと背を向けて、庭から走り去った。
碧玉はぽかんと琥張を見送り、改めて絵に視線を落とす。
「このような絵を描いているのに、無才なのか? 青鈴はどう思う?」
「わたくし、芸術は詳しくありません。それでも琥張様が素晴らしい腕をお持ちだと分かりますわ」
「雪瑛はよく分かりません。狐ですもの」
雪瑛の感想には期待していないからいいとして、碧玉と青鈴の意見は、琥張には絵の才があるということで一致した。
それから、琥張が問題視している石を見る。青鈴は首を傾げた。
「まあ、なんでしょうか。こういったものは初めて見ます」
石くれなんていうから、川原石のようなものかと思っていたが、それはごつごつした石が固まったものだった。
碧玉は提灯の明かりに近づける。奥に水晶のようなものが光るのが見えた。
「金剛石の原石……?」
ふと口をついて出てきた言葉に、碧玉自身が驚いた。なぜなら、金剛石なんていう単語があること自体、碧玉は知らなかったのだ。
(もしや、前世の記憶か? 金剛石……ああ、そうだ。あちらの世界では、ここよりも新しい時代に見つかったものだったはず)
碧玉が生きている時代の様相から考えると、かなり後に発見される代物だ。
つまり、宝石としての価値を知る者がいないということだ。
「コンゴウセキですか? 初めて耳にします」
「私もどこで聞いたのだか忘れたが……。非常に珍しい宝玉だ。加工して初めて、美しさが分かるらしい」
「ご主人様の知識は広くていらっしゃいますのね。あら? しかし、あの方は石くれと呼んでいませんでしたか」
「ああ。恐らく、これが何か知っている者のほうが少ないのだ」
「では、教えて差し上げませんと!」
「今は駄目だ。あの者の兄が知れば、琥張殿に危険が及ぶやもしれぬ」
碧玉の指摘に、青鈴の顔が強張った。
「どういうことでしょうか」
「琥張殿がこれまで無事に生きてこられたのは、無才だったからだろう。庶子が後継者となりうると分かれば、黄夏礼が何をするか分からぬ」
「分かりました。わたくしは口を閉ざします」
「それでよい」
碧玉は原石を懐に仕舞い、絵を慎重に持つ。
時機を見て、琥張に助言しようと心の内で決める。
碧玉はふと、時間の経過が気になった。
「部屋を空けすぎたな。戻るぞ」
「はい」
青鈴は気を取り直し、提灯を持って来た道を戻る。数歩歩いた所で、びくりと足を止めた。
勝手口の傍に、天祐が立っていた。
「こんな暗い中を歩き回るのは、感心しませんね」
碧玉はぎくりとした。雪瑛を通して、返事をする。
「宴に参加されなくてよろしいのですか」
「ええ。今日は誘われておりませんので」
天祐はこちらにつかつかと歩いてきて、雪瑛を取り上げた。
「ああ、やはり妖怪だ。いったいどういうつもりです? 黄家に妖怪を連れてくるとは……」
天祐はちらりと青鈴のほうを見る。
「それに、俺の侍女を連れているのはなぜですか?」
雪瑛のことは分からないのに、青鈴のことは覚えているらしい。碧玉は意外に思った。
青鈴が碧玉を庇うように立つ。
「お許しくださいませ、天祐様。白家の皆様が、黒家の若様とともに探しにこられていたのはご存知でしょう? 暁雪様に従者がいらっしゃらないので、一時的に手助けをお願いされているのです」
「用が済んだら帰ると言ったはずだが……」
「ええ、そうですわ。ですが、黒家の若様がご助力くださったのですから、お手伝いするのは当然です。わたくしも、用が済めば帰ります」
恩返しすべきという青鈴の主張は、天祐には理解できるものだったようだ。
「しかたがないな。分かった。――だが、それとこれとは別問題だ。この狐はなんです?」
雪瑛は今にも失神しそうなほど、ぷるぷると震えて怯えている。金色の目が、碧玉へ助けを求めていた。
しかし、碧玉としても困ることだ。声を出せば男だと分かるからだ。返答に困っていると、天祐は剣を抜いた。
「言いたくないなら、狐に聞いてみましょうか」
白家の道士というのは、妖邪への対応は容赦がない。天祐も例にもれず、雪瑛にあっさりと刃を近づけた。
碧玉は思わずその刃先を、右手で掴んで止めた。
「――やめよ」
できるだけ高い声を出し、天祐を制する。
「私が降した妖怪を連れ歩いて、何が悪い?」
碧玉が険をこめてにらむと、天祐は絶句した。
「素手で掴むとは馬鹿なことを。少しおどかしただけでしょう?」
天祐は慌てた様子で、そっと碧玉の手を刃から離す。当然、手の平が切れて血が出ていた。
碧玉はそれに構わず、天祐の手から雪瑛を取り返す。そして、演技で咳をした。
「暁雪様は喉を痛めておいでで、大きな声でお話できないのです。それでその妖怪に、声代わりをさせているのですわ」
青鈴がまなじりを強めて、天祐に説明する。
「どうしてこんなにひどい真似をなさるんです? おかわいそうな方だとは思いませんの?」
そう訴えながら、青鈴は目に涙を浮かべる。
「暁雪様、戻りましょう、手当てをいたしませんと」
碧玉は、これ幸いと黙したままこくりと頷く。
「あ……」
天祐が呼び止めようとするのを無視して、母屋へと入る。
(やはり私が誰か分からぬのか……)
碧玉の心に、落胆が浮かんだ。
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