白家の冷酷若様に転生してしまった

夜乃すてら

文字の大きさ
上 下
70 / 90
3幕 美女画の怪

16 美女画とご対面

しおりを挟む


 先代の黄宗主――黄張偉ちょういが療養のために暮らしていたという離れは、意外にも、母屋の北側の奥まった所という近くにあった。
 そこは別棟の小さな屋敷になっており、屋根のある外廊下で母屋と接している。周りには竹が植えられ、庭には小さな池がある。冬季のせいで今は何も無いが花壇はあるので、落ち着いて過ごせるような工夫がされていた。
 離れは碧玉好みの静かな場所だが、華美を好む黄家の宗主からすれば、うらさびれた質素な家とでも表現しそうだ。

(病気療養のためならば、これくらいでちょうどいいな)

 いっそのこと、母屋から離れた別荘に張偉を追放してもよかっただろうに、近くに置いたのは夏礼なりの親孝行なのだろうかと、碧玉は疑問を抱く。夏礼がそれほど生易しい男には思えなかったせいだ。
 紫曜も同じことを思ったようで、ぽつりと零す。

「なんだか意外だな。黄宗主は先代を大事になさっていたようだ」

 周りに人がいないことを確認してから、琥張は内情を打ち明けた。

「紫曜兄上のおっしゃる通り、兄上は当初、父上を療養という名目で寺に預けるつもりでした。しかし、ご正室様が反対されたんですよ」
「ご正室というと……、緑家の花夕かゆう様か?」

 紫曜が確認すると、琥張は頷いた。

「ええ、そうですよ。ご正室様は、父上を強く愛しておられましたので、母屋から離すのは不憫だと兄上に泣きながら訴えたのです。兄上はご正室様にはとても弱いので受け入れられました」
「ほう。浮気ばかりの先代をそれほど?」
「ええ。僕の母が政略結婚で側室入りしたのではなかったら、とっくに排除されていたでしょうね。それくらい嫉妬深い方でした」

 琥張は苦笑して、側室について話す。

「紫曜兄上はご存知の通り、僕の母は青家出身です。現宗主の妹に当たります。黄家の宝石を、青家に流通する対価として、母上はこちらに嫁ぎました。実は父上はときどき妾を入れたのですが、一年も経たないうちに、彼女達は事故死や不審死をしています」

 琥張の表情に暗い陰がさす。一寸先は闇という状況で、琥張達は生き延びてきたようだ。

(青家の対価として、娘を嫁にやる……か)

 碧玉は内心でつぶやく。

(青家と緑家の直系は特殊だからな。異能の強さにもよるが、どちらもいるだけで土地を潤わせる)

 緑家の異能は豊穣で、青家の異能は雲雨うんうと呼ばれている。
 青家の雲雨とは、「蛟竜雲雨こうりゅううんう」という言葉が由来だ。
 これは、龍の子どもであるみずちが雲を呼んで雨を降らせ、天に飛翔することをいう。才能のある者が機会を得て飛躍するという、おめでたい意味があるのだ。そのため、贈り物の筆に龍を刻ませることがある。

 青家は、祖先が龍だという伝説がある。

 日照りでの渇水で蛟が弱っていたところ、それを不憫に思った人間の女性が涙をこぼして水を与えることで蛟を救った。救われた蛟は龍へと成長し、お礼にと雨を降らせ、周辺の土地を潤わせたという。龍はそれからも人々を救うために雨を降らせ、その善行を見た天帝は、龍を救った人間の女性との婚姻を認めた。そして、結婚祝いとして異能を贈ったとされている。

 青家が持つのは、土地を水で満たす異能だ。力が強い者は雨を降らせることさえもできる。そのため、青家直系の名前には願いをこめて、雨の字が入っていることが多い。

(黄家の繁栄に必要だから、花夕は側室を排除しなかったのだろうな。それに、青家との関係性が悪くなるのは、緑家にとっても困ることだ)

 草木は水がなければ育たない。土地にとっては必要だ。

(確か、側室の名は雨明うめいだったか)

 黄家はその色を思わせる名を付けることが多い。琥珀と先代宗主である張偉の字をそれぞれ取り上げたと思われる琥張と、金色に輝く月である明月。
 側室の子にも関わらず、直系のような良い名をつけることができたのは、側室が宗主に頼みこんだからだろうと、碧玉は察した。
 先代の宗主は女好きではあったものの、嫁に迎えた女への情くらいはあったらしい。
 碧玉が先代夫婦の憎愛について思いを巡らせていると、女の声が琥張をたしなめた。

「これ、琥張。滅多なことを言うものではありませんよ」
「母上」

 離れの屋敷から、ほっそりした美しい女が出てきた。三十代後半ほどだろうか。光の加減で青にも見える黒髪をきちんと結い上げているものの、簪は飾り気がなく、暗い色合いの襦裙をまとっている。露が乗りそうなまつげの下には、淡い青の瞳が覗いていた。後ろには年かさの侍女を伴っている。
 側室の雨明に対して、紫曜と碧玉は拱手をした。雨明も拱手を返す。

「わたくしは先代の側室、雨明でございます。本来ならば、夫を亡くした身としては、寺に入るか実家に戻るべきですが、子ども達が巣立つのを見届けるまではとわがままを言って、こちらに残らせていただいておりますの」

 雨明はどこか恥ずかしそうに言った。

「とんでもございませんよ、雨明様。子を案ずるのは親の務めでしょう。もしやこちらに参拝を? お邪魔してしまいましたか」

 紫曜が気遣うと、雨明は首をゆっくりと横に振る。

「いいえ。あの絵をご覧になるのでしょう? 見やすいように、窓や戸を開けておりましたの。亡き旦那様のお言いつけで、絵には朝日を見せるようにという決まりがあるので、北側の壁にかけてますから」
「その遺言を今でも守っていらっしゃる?」
「あのようなことがあったのですもの。亡き旦那様まで心残りがあっては、わたくしどもも不安になります」

 雨明は怯えた様子で、目を伏せた。

「中にはお茶の用意もございますから、ゆっくりご覧になってくださいませ。琥張、不手際のないように」
「はい、母上」

 丁寧にあいさつをすると、雨明は侍女とともに静々と立ち去った。琥張が拱手をして、雨明を見送る。
 さすがは青家の直系だけあって、雨明の仕草は優美だ。容姿も整っているので、美しさを好む黄家の人間ならば、惚れこまずにはいられないはずだ。

「こちらです」

 琥張の後に続き、紫曜と碧玉も離れに入った。
 外は質素なものだったが、中は先代宗主の威光がはっきりと分かる豪華絢爛な内装になっている。

(こんなにギラついていて、体が休まるのか?)

 螺鈿細工がほどこされた黒漆の家具、極彩色に塗られた柱や牀榻、極めつけは金の仏像だ。

「これは……」

 紫曜が呆然と部屋を見回すのを見越したように、琥張は説明する。

「父上は死が近いのを悟ると、仏様の加護に執着し始めました。それでこのように、極楽浄土を思わせる内装に。美女画のことは、天女だと崇めていたそうです」
「……天女」

 碧玉は思わず小声でつぶやいた。
 女好きの男のもとに、自分の絵があるのは我慢ならないと思っていたが、天女として崇拝されていたと聞いては、さすがに動揺する。
 急いで絵を探すと、それは北側の壁にかけられていた。張偉の牀榻は、金運が高まるといわれている西のほうへ枕を向けて置いてあるので、ちょうど視界にも入る。そして、朝日もほどよく差しこむ位置だった。

(天女か……。天女だなあ、これは)

 例えでなく、天女を模した絵だった。蓮の花の中に浮かび上がり、美しい衣装を着た女が、顔を左に向けて振り返っている。

(なるほど、私の顔にそっくりだ)

 紫曜は美女画を凝視して、碧玉を振り返る。何度か見比べてから、感想を言った。

「この絵師の腕がいいということは分かる」

 言うことはそれだけかと、普段の碧玉ならば冷たく返しただろう。

「驚きました。本当に、わたくしとそっくりですわね」

 雪瑛を通して、碧玉も感想を伝える。

「僕が池に落ちそうになるのも、ご理解いただけたでしょう?」

 琥張は冗談のように言った。碧玉は問う。

「近くで見ても?」
「ええ、どうぞ」

 許しが出たので、碧玉は美女画に近づく。

(特に魔の気配は感じぬが……。天祐が封印したというが、そのような痕跡もない。絵の裏に呪符でも貼っているのか?)

 人を二人も立て続けに殺すようなたたりならば、呪物じゅぶつと呼んで差し支えない。回収して封じるか、天祐ならば浄火で燃やせば早い。

(回収も燃やすこともできぬならば、怨霊をおびき寄せて、封魔の壺に封じこめるしかないが……)

 碧玉は眉間にしわを刻む。

(どう見ても、この絵は空だ)

 更に一歩近づいた時、突然、紫曜が碧玉の左腕をつかんで後ろに引いた。思いもしない動きだったので、碧玉はよろめく。それを助ける仕草で身を寄せた紫曜がささやいた。

「それ以上、寄るな。毒だ」
「……何?」
「黒家の直感だ。危険なことだけは分かる」

 碧玉は礼を言う仕草をして、紫曜から離れる。琥張の様子を見ると、きょとんとしている。

「どうされました?」

 どう見ても善意の問いかけだ。これが悪意を隠しているなら、とんだ策士である。

「ああ、なんでもないよ。彼女が床の敷物ですべったみたいだ」
「そうですか。日も落ちてきましたし、離れには明かりを置いていません。長居はよくないかもしれませんね」
「だから絵を見る時には、戸や窓を開けるのか?」
「たいていは近い窓だけですよ。母上は邪気がこもるかもと心配されて、よく換気しているのです。お客様へ気遣ったのかもしれませんね」

 紫曜は雑談しながら、普段のことについて聞き出している。そして、紫曜はにこりと笑って礼を述べた。

「絵を見せてくれてありがとう。満足したよ」
「兄上も同席したいそうなので、すみませんが、後日、付き合ってくださいませんか」
「喪が明けたばかりだろうに、そんなに滞在していいのか?」
「ええ。冬季は門を閉じていて、客はほとんどありませんから。明るいうちにお部屋にお戻りください。ここは僕が戸締りしておきますので」

 碧玉と紫曜は礼を言い、離れを出た。
 玄関の扉を開けて、石段を三つ下りたところで、碧玉はビクッと足を止める。石段の隅に、十代半ばほどの少女が座りこんでいたのだ。黙々と刺繍をしている。どうしてこんな所でと碧玉がけげんに思っていると、紫曜がその少女に声をかける。

「おや、どなたかと思えば、明月めいげつさんではないか」
「……お久しぶりでございます、紫曜お兄様」

 少女は立ち上がり、丁寧に拱手をした。
 金髪を結い、静かな目は淡い青だ。黄家と青家の血を受け継いでいるのがよく分かる色合いの持ち主だが、顔立ちは整っているものの、鼻あたりにはそばかすが散っている。栗鼠りすを思い出させる、ちんまりとした少女だ。

(この娘が、天祐と婚約したという黄明月か)

 『白天祐の凱旋』で、あっさりと出番が終わっただけあって、外見にはとりたてて目立つところはない。ただ、彼女の手にある赤い薔薇の刺繍だけは、見事なものだった。

「聞いたぞ、婚約おめでとう」

 紫曜は笑顔で言ってから、碧玉のほうをちらりと見た。碧玉も作り笑顔を浮かべる。抱えている雪瑛の背を指でトントンと叩くと、雪瑛が代わりに言った。

「おめでとう存じます」

 嘘でもお祝いしたくなかったので、こういう時は雪瑛がいると助かる。なぜだろうか。雪瑛が震えているようだ。

「ありがとうございます」

 どういうわけか、明月は困った顔をしている。

「あの……すみません。ここは静かだから、刺繍をしていたんです。失礼します」

 明月はつっけんどんに言うと、逃げ出す勢いでその場を離れた。
 さしもの碧玉もあっけにとられた。

「なんだったのだ? 私はにらんでいないが」
「あの子は人見知りをするからなあ」

 紫曜も首を傾げる。

「とりあえず、部屋に戻るとしよう」
「ああ」

 碧玉は頷いた。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

美形×平凡の子供の話

めちゅう
BL
 美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか? ────────────────── お読みくださりありがとうございます。 お楽しみいただけましたら幸いです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目

カギカッコ「」
BL
ヤられて不幸になる妹のハッピーエンドのため、リバース転生し続けている兄は我が身を犠牲にする。妹が飲むはずだった惚れ薬を代わりに飲んで。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

弟が生まれて両親に売られたけど、売られた先で溺愛されました

にがり
BL
貴族の家に生まれたが、弟が生まれたことによって両親に売られた少年が、自分を溺愛している人と出会う話です

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。