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3幕 美女画の怪
13 黄夏礼の反応
しおりを挟む蓮池が見える外廊下から左の扉へ入ると、邸内の奥へ続く廊下に出る。
芸術作品があちらこちらに飾られているせいで、宝物庫の中を歩いているような気分で進んでいくと、大広間に案内された。
黄夏礼は黄金の蓮に飾られた豪奢な椅子に座って待っていた。傍には側近らしき青年一人と護衛が二人控えている。
夏礼は琥張をじろりとにらむ。
「石くれ、やっと連れてきたか」
「兄上、遅くなりまして申し訳ありません」
「下がっていろ」
「はい」
琥張はすぐに大広間を出て行った。
紫曜は拱手をし、夏礼に礼儀を示す。
「黄宗主、お会いできて光栄ですよ」
「この間ぶりですな、黒家の若君」
夏礼は椅子を立つこともなく、不遜にあいさつを返す。
「手紙に書いていた面白いものとはいったい。……っ」
さしもの夏礼も驚いたようで、腰を浮かせる。
碧玉は正体がばれないように祈りながら、夏礼に拱手をした。紫曜がにこやかに紹介する。
「黄宗主、こちらは私の婚約者で、暁雪といいます」
「こ、婚約者……?」
夏礼は椅子に座りなおし、夢から覚めたみたいに瞬きを繰り返す。それから、けげんそうに疑問を口にした。
「初耳だが」
「ええ。実は、懇意にしている明月楼で出会いまして……。白家筋の方のようで、話を聞けば、親族を頼って旅をしている途中だというじゃありませんか。身寄りがないならば、嫁にこないかと誘ったのです」
紫曜が恋に落ちた若者らしい自己陶酔まじりに話すのを、碧玉は恥じらっている婚約者というふりをして目を伏せる。
(夏礼相手ならば、上手く演じられるのではないか。なんだったのだ、さっきの大根は?)
夏礼は眉をひそめる。
「それで?」
「明月楼の女将と話していたら、暁雪は噂の美女画にそっくりだというじゃありませんか。せっかくなので、黄宗主にごあいさつしてから帰ろうかと」
「明月楼?」
夏礼のつぶやきを拾い、側近が口添えする。
「先代に美女画を献上した分家の者と、明月楼の主人は懇意にしていたかと。恐らく、献上する前に、友人に絵を見せたのでは?」
「まさしくそのように申しておりましたよ」
紫曜がにこにこして同意する。
「ふん。面白い」
夏礼は椅子を立ち、こちらに歩いてきた。ぶしつけに碧玉を覗きこむ。もしやばれたかと、碧玉は気が気ではない。
「よもや、黒家の若君をたぶらかす妖怪ではあるまいな?」
ここで夏礼をにらんだりすれば、無礼だと難癖をつけられるかもしれない。碧玉は伏し目がちに、おびえているか弱い女のふりをして耐える。
「黄宗主、失礼する。客人がおありとか」
「おお、天祐殿!」
夏礼のねばついた視線が遠のき、碧玉はほっと息をついた。
夏礼は大げさな仕草で天祐を呼び、こちらに来るようにと手招く。すたすたと静かな足取りでやって来た天祐は、いつものように武官のような装いをしている。黒い髪を一つに結い上げて銀の冠でとめ、白と紺の衣に、毛皮の外套を羽織っていた。
「見てくれ、あの美女画にそっくりな女人が現れたのだ。この女人は妖怪だろうか」
「妖怪? そのような気配は感じませんが」
天祐は後ろからこちらにまっすぐ歩いてきて、碧玉の傍らで立ち止まった。
碧玉の心臓がドッと音を立てる。
――またもや剣を向けられるのだろうか。それとも、見知らぬ者を見る目で見られるのだろうか。
「失礼ですが、拝見いたします」
天祐は普段は礼儀正しい好青年ということを、碧玉は急に思い出した。
碧玉はすっとそちらを見た。天祐が息をのみ、硬直する。碧玉がわずかに首を傾げ、目で「何か?」と問うてみると、天祐はハッと気を取り戻した。
「失礼しました。あの絵にそっくりでしたので……。霊力が強いだけで、普通の人間かと思いますよ。むしろ……」
天祐はちらりと雪瑛を見たものの、首を横に振った。
さすがは天才的な道士だけあって、雪瑛が妖怪だと察したのかもしれない。それとも、実は知らぬふりをしているだけなのか。
「いや、なんでもありません。それで、なんですか。こちらの客人が先代を呪ったと言いに来たとか?」
天祐が夏礼に問いかけるので、紫曜がすかさず口を挟む。
「いやいや、まさか。私の婚約者が美女画にそっくりだと、酒楼の女将から聞きまして、あいさつに来た次第です。そんなに驚くほど似ているなんて。よろしければ、私どもにもその絵を見せていただけませんか」
紫曜が恭しい態度で夏礼に問う。
夏礼はにやりと笑った。
「見比べてみるのも面白い。よいだろう。しかし、今日は気が乗らぬゆえ、明日にしよう。帰りを急がないのなら、数日ほど、我が家に泊まっていかれるがよい」
夏礼は蓮池近くの区画に、隣り合った客室を用意してくれた。
案内してくれた琥張は、弾んだ声で言う。
「兄上、今日は機嫌が良かったみたい。泊まっていくようにすすめてくれるなんて、嬉しいです」
「ああ、私も嬉しいよ、琥張。しかし、案内は下男にでも任せればいいだろうに。わざわざ君が送らなくても」
「紫曜兄上ですから、特別です。それに、この屋敷には使用人はそれほど多くないので、僕も雑用を任されることがありますから、気にしないで下さい。あ、使用人に声をかけておきますので、荷物を運ばせますね。それでは、ゆっくりとお過ごしください」
琥張はあいさつをすると、客室を出て行った。
碧玉は丹青や青鈴とともにいったん紫曜の客室に入る。室内に使用人がいないことを確認してから、碧玉はため息をつく。
「ふう。生きた心地がしなかった。紫曜、黄夏礼は気づいていたと思うか?」
「いや、気づいていたら、あのように妾にしたいという目でお前を見ないだろ」
「なんだと? まさか、どうやっていたぶってやろうかという目のことを言っているのか、そなた」
「そういう目だろう?」
碧玉は眉間にしわを刻む。
碧玉と紫曜では、見え方が違うことは分かった。
紫曜は緻密な模様が刻まれた白木の長椅子を見つけると、そこに座って頭を抱える。
「ものすごく怖かったぞ、黄夏礼……。罠にはめられて殺されないか心配だ」
「私がか?」
「私に決まっているだろ! 私がいなくなれば、暁雪は自由の身なのだからな」
「大丈夫だ、紫曜。そなたのその衣が守ってくれる。私は後で呪符を追加しておくとしよう。寝所には結界を張るのがよいか」
黒家の直系が着ている服は、守りの術が幾重にもかけられている特別仕様なのだ。
だというのに、紫曜は碧玉にせがむ。
「頼む、私の部屋にも結界を張ってくれ!」
「防御は黒家の十八番だろう。自分でせよ」
「呪符は白家が得意じゃないか。頼むよ~っ」
紫曜がうるさいので、碧玉はしかたがなく、所有の呪符から災難除けと結界を一枚ずつ渡す。
「うおお、白家のありがたい呪符だ」
おおげさに喜ぶ紫曜の向かいに、碧玉も腰を下ろす。簪や耳飾りが重いせいで、肩がこる。それに加えて、精神的に疲れた。
その足元に雪瑛が駆け寄ってきて、足をちょんちょんと前脚でつつく。碧玉は雪瑛を抱き上げ、膝の上にのせた。どうやら雪瑛も夏礼のことが怖かったらしく、ぷるぷると震えていたが、碧玉が背を撫でると次第に落ち着いた。
「ところで、天祐の様子を見たか」
「ああ。暁雪のことに気づいていないようだったな。ところどころ、記憶がおかしいように見受けられる」
そこで紫曜はくくっと笑う。
「しかし、お前の美しさに息をのんでいたな。一目ぼれの瞬間を見てしまった気がする」
「美女画にそっくりだったから驚いただけだろう。首尾よく美女画に近づけたのは良いことだ。そういえば、天祐は雪瑛のことに気づいたようなのに、なぜか見逃してくれたな」
「天祐殿は優しいからな。妖怪を連れこんだとばれたら、暁雪がどんな目にあうかと心配して、言わずにおいてくれたんじゃないか」
「よく分からぬな。銀嶺には剣を向け、暁雪には手加減をするのか」
「なんとか黄家には入れたんだ。少しずつ探るしかない」
二人そろって、すでにぐったりと疲れている。
それぞれ長椅子の背に体を預け、深いため息をついた。碧玉はふと疑問を思い出した。
「そういえば、黄夏礼はなぜ、琥張殿のことを石くれと呼んだのだ?」
「ああ、あれか。琥張も黄家の異能が使えるが、作品を作って生み出される石は、凡庸な石ばかりなんだそうだ。それで黄家内で軽んじられている」
「絵の具になる石が良いのだったか?」
「黄家では石生みの石は、宝石が尊ばれる。活動資金になるからな」
「なるほどな」
黄家に近づいたことがないので、碧玉は好奇心を抱く。
「その石くれとやら、見てみたいものだな」
「お前、あの子を傷つける真似はするんじゃないぞ。ただでさえ、側室の子であんな兄がいるから肩身が狭いというのに、異能までああなんだ。かわいそうじゃないか」
「それで兄貴ぶっているのか、貴様」
碧玉の指摘に、紫曜は言い返す。
「素直で良い子なんだ。弟扱いもしたくなる」
「ふん、どうだかな。私は初対面で人となりを決めたりはせぬ。そもそも、悪人は善人面をして近づいてくるものだからな」
「はあ。お前の言うことは分かるが、私は悪人面全開で来られるのも嫌なものだよ……。見ただろう、黄夏礼のあの様子」
二人そろって、再びうんざりとした。
「紫曜、お前、よくあんなのと付き合えるものだな」
「だから言ったじゃないか。黄夏礼を好きな者などいない、と」
「まったくだな。全面的に同意する」
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