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3幕 美女画の怪

10 朧雲との取り引き

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 翌日。
 深夜遅くに寝たせいで、昼過ぎになってから、ようやく碧玉は起き出した。
 灰炎によれば、紫曜は二日酔いのせいで伏せっているらしい。碧玉は供の者達にも休養日とするように灰炎から伝えさせると、碧玉自身もその日は部屋でのんびりと過ごすことにした。

 障子が張られた窓を少し開けて空気を入れ、椅子の傍らに置かれた火鉢で暖をとりながら、碧玉は灰炎が用意した茶と菓子を楽しむ。そうしながら、具体的にどうすべきかと考えこんでいる。
 美女画の人物として黄家に乗りこむと決めたものの、酒楼での翌日に性急に動いては、黄夏礼に不審がれと言っているようなものだ。

 それに加え、黒家が借り上げている宿から、突然、美女画似の美女が現れても悪目立ちする。
 自然な流れで、素性を隠した旅の女に仕立て上げるには、どうするのがよいだろう。黙々と案を練っていると、丹青がやって来て訪問客を告げた。

「明月楼の女将が、銀嶺様にお会いしたいそうです」
「明月楼? ああ、あのつまらぬ酒楼の女主人か。私に用は無いから追い返せ」
「畏まりました」

 すぐさま下がろうとする丹青を、碧玉はふと思いついて呼び止める。

「いや、待て。ちょうどいい。明月楼を利用するか」
「私はどのように対処いたしましょうか」

 さすがは紫曜が便利がるだけあって、丹青は余計なことを質問しない。

「お前は傍で一部始終を聞いて、後で紫曜に報告するだけでよい。取り次ぎや支度は灰炎にさせるゆえ」
「畏まりました。では、私は護衛としてお傍に控えておりましょう」

 丹青は頷いた。灰炎が丹青に問う。

「丹青殿、明月楼の女将の用件は?」
「灰炎、聞かずとも分かる。どうせ、昨日、私が出した提案を飲みたいと言っているのだろう」

 碧玉が推測を口にすると、丹青がわずかに目をみはる。

「その通りでございます」
「客室に通して、待たせておけ」
「すぐに行かないのですか?」
「どうして私が、急な来客のために急がねばならぬ?」

 身なりを整える時間くらいは必要だ。碧玉の傲岸不遜な言葉にも、丹青は微笑むだけだ。

「では、後ほど、下においでください」

 そのまま丹青は退室した。
 灰炎は長櫃ながびつに向かい蓋を開けると、中から碧玉の外出着を取り出す。

「丹青殿のうれしそうな様子をご覧になりました? それでこそ貴人でございますとでも言いたげでしたよ」

 そう言う灰炎のほうが笑顔である。碧玉は単純な疑問を覚えた。

「私のあの傲慢な態度を、なぜ喜ぶ?」
「宗主ならば、あれくらいでちょうどいいんですよ。あなたは隠れているとはいえ、先代の白宗主なんですから。そもそも、庶民が先触れも無しに訪問するほうが無礼です。追い返されても文句は言えません」

「そのような些細な礼儀も気遣わぬから、明月楼は質が低いのだ。黄家には田舎くさく見えるだろうよ。酒楼で成り上がろうとする前に、教養を得るべきだな」
「なるほど。こちらに協力させる見返りに、あの女将に教養をお与えになるのですね。私が教えてまいりましょうか」

「あれにお前はもったいない。適当な書をみつくろって与えるがいい。この町にならば、その程度の書を扱う商家くらいあるだろう。金は好きに使え」
「は」

 碧玉は灰炎が持つ衣をちらりと見る。

「灰炎、どうせ少し話す程度だ。ほどほどの衣で構わぬ」
「主君の身を飾る衣服ですよ。程度の低いものなど、ご用意しておりません。これでも地味なものを選びました」

 碧玉の身支度のことになると、灰炎の目の色が変わる。自分の使用人魂をなめるなと言わんばかりに、静かな怒りさえ見せるのだから、長い付き合いの碧玉ですら、少し身を引くほどの本気さだ。

「分かった。お前の判断に任せる」

 碧玉は早々に言い返すのを諦めてそう言った。




 ゆるりと支度をした碧玉は、仮面で顔の上半分だけを隠した格好で客室に入った。
 朧雲はすぐに椅子を立ち、碧玉に対して拱手をした。茶と菓子は出されていたようだが、茶杯の中身はすでに空になっている。

「突然の訪問にも関わらず、お会いいただき恐悦至極にございます」

 あいさつの仕方くらいの教養はあるようで、朧雲は丁寧に言った。

「黄領では先触れという作法が存在しないようだな」
「……申し訳ございません」

 碧玉の皮肉を聞いて、女将の顔が羞恥で赤くなった。
 碧玉は灰炎が引いた椅子に座り、女将に座るように促す。女将は緊張した様子で座った。すぐに丹青が茶と菓子を運んできて、女将のものも取りかえる。

「私は季節のあいさつなど、面倒なことはしない。単刀直入に問う。お前は昨夜の私の提案を受け入れたいそうだな」
「ええ、その通りでございます」
「ふ。昨夜はあれほど怒っておったのに、面白いものだ。察するに、お前は下男にでも我らの後をつけさせて、どの酒楼に入ったかを見届けた。そして考えを変えたというところだろう」

 朧雲の顔色が、今度は青くなった。ぶるぶると震えている。

「も、申し訳ございません。おとがめは受けますが……どうしてお分かりに?」
「ただの推測だが、当たったようだな」

 碧玉は淡々と考えを口にする。

「この町の酒楼が、黄家の主の訪問を望まないはずがない。当然、お前は壁観が黄夏礼の気に入りだと知っていただろう。誰の助言も無しに、黄家が出入りする酒楼を当てた私の考えが気になったはず」

 碧玉はふっと口端を上げる。

「そのせいで眠れず、かといって朝に使いを出しては気にしていると明言するようなもの。ゆえに、あえて昼過ぎに散歩のついでというそぶりでやって来た……というところではないか」
「ご明察にございます」

 青くなったり赤くなったりと、朧雲は忙しい。
 碧玉がちらと傍らを見ると、控えている灰炎が笑いをこらえている。灰炎からすれば、主人に無礼な口をきいた者をやりこめたので痛快なのだろう。

「とがめはせぬ。提案に乗りたいところだが、私は壁観で目的のものを見つけた」
「左様でございますか」

 朧雲は悔しそうに唇を噛む。

「だが、別案がある。そちらでお前が協力するというなら、私は明月楼を高級酒楼とする手助けをしてやろう」
「別案とはいったいなんでございましょうか」

 朧雲の顔が強張った。
 酒楼の女主人とはいえ、彼女は庶民にすぎない。金や宝物を思い浮かべて、不安になっているのだろうと、手に取るように分かる。

「黄家に、私の知人が滞在している。あの者に接触するために、中に入り込みたい。そのために、流れの女を黒紫曜が見つける自然な流れを作りたいと思っている」

 朧雲は碧玉が何を言いたいのか察しかねて、困った様子で無言を貫く。

「突然現れた女では不自然なのだ。ゆえに、明月楼で一時的に雇った流れの楽師ということにしたい」
「後ろ盾になれ、と?」
いな。ただ、黄宗主がその女の来歴をたどった時に、不審に思わぬ地点が欲しいだけだ。お前がもし黄家に質問されたら、女の一人旅をしていたから仕事を融通しただけだと答えればいい。酒楼には、来歴不明の人間など、ごろごろしているだろう?」

 朧雲は首を傾げ、不思議そうに問う。

「それだけで不審点がなくなるのですか?」
「流れの楽師が酒楼に仕事を求めるのは、不自然なことではない。そういう者だと納得できればそれでよい。更に詳しく調べたいなら、黄家が勝手にすることだ」
「はあ……」
「女将、そなたに面倒が起きることにはならぬと誓おう。お前がすることは、ある女のために一部屋を貸すことだ」

 碧玉は話をまとめると、すっと席を立つ。

「心を決めたなら、そこの丹青に言づけよ。私はこれにて失礼する」
「お、お待ちください!」

 朧雲も椅子を立ち、切羽詰まった顔で宣言する。

「わたくし、その提案に乗ります! どうか明月楼を改善するため、お力をお貸しくださいませ!」

 あっさりと乗ってきた朧雲を眺め、碧玉は呆れた。

「もう少し考えてはどうだ。そのようでは、詐欺に遭うやもしれぬぞ」
「商売は時に決断の素早さが物を言うもの。わたくしはあなた様の審美眼に賭けますわ!」

 一つの酒楼を切り盛りするだけはあるのかと、碧玉は朧雲の豪胆さを少しだけ見直した。
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