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3幕 美女画の怪
9 名案
しおりを挟む宿に戻ると、一階にある食堂では青鈴と雪瑛が待っていた。
「お帰りなさいませ」
「宗主様は見つかりました?」
椅子の上からピョンと下りて、雪瑛が駆け寄ってくる。碧玉は眉をひそめた。
「青鈴、こんな時間まで、なぜ起きている?」
「申し訳ございません。使用人としての規則違反ですが、天祐様のことが心配で……。どうせ眠れませんのでお待ちしておりました。灰炎様はどちらに?」
「灰炎には用を言いつけた。天祐を見つけたゆえ、心配しなくていい」
「まあ、朗報ですわ。では僭越ながら、灰炎様の代わりに身支度をお手伝いいたします」
青鈴の表情が明るく輝き、碧玉が肩にかけている毛皮の羽織を引き取る。碧玉は仮面を外し、ついでに青鈴に渡した。
「主様、宗主様はご一緒ではないんですか?」
碧玉の足元にちょこんと座り、雪瑛がこちらを見上げて問う。
「見つけはしたが、天祐の様子がおかしいのだ。はあ、頭痛がする」
「義兄はすでに死んだと言っていたし……特におかしいのは、碧玉に剣を向けたんだ。ほら、首に怪我があるだろ」
羽織を丹青に預けるや、火鉢のほうへまっすぐ近づいた紫曜は碧玉を示す。青鈴の顔が青ざめた。
「まあっ、すぐに手当てをしなくては! お医者様をお呼びしてまいります」
「待たぬか。ただのかすり傷だ。老人を夜中に叩き起こすほどでもない」
碧玉が青鈴を呼び止めると、二階の廊下から、その医者が顔を出した。
「この老骨を案じてくださるなら、無茶をしないでいただくのが一番ですがね。どうしてまた首を?」
手当ての道具を持って階段を下りてくると、医者は碧玉の首をじっと見つめる。碧玉は医者の視線を浴びて気まずくなった。どうもこの医者には、昔から弱いのだ。医者は碧玉を椅子に座らせ、軟膏を塗ってから包帯を巻いた。碧玉はすかさず文句を言う。
「包帯は大げさではないか?」
「この軟膏はよく効きますが、色移りしやすいので包帯で覆っているだけですよ。この程度の怪我ならば、明日の朝には薄くなっているでしょう」
「そうか」
「しかし、確かにおかしな事態ですな。天祐様はあなた様を傷つける真似だけは、絶対になさりませんのに……。先帝のようにはならないと、常々宣言されております」
先帝である天治帝は、罰と称しては鞭打ちをして、碧玉の顔を苦痛にゆがませるのを楽しみにしていたのだ。おかげで、碧玉の体にはあの時の傷痕が残っている。
それを許せないと最も怒っていたのが天祐なので、医者の言いようも分かる。
「あれほどの霊力の持ち主が他にいるとは思えぬ。本人のはずだ」
碧玉のほぼ断定の推測に、紫曜は肩をすくめて疑問を告げた。
「本人ならば、銀嶺は遠縁の食客で、文官として白家で雇っている……なんて言うか? そもそも、天祐殿ならば、私といるだけでも妬いて騒ぎ立てそうなのにな」
居合わせている白家の家臣一同が、大きく頷いた。
碧玉がなんとも言えない心地でいると、そこへ灰炎が戻ってきた。
「主君、ただいま戻りました」
「どうだった?」
「天祐殿は黄家にご滞在の様子ですね。酒楼から歩いて帰られました」
それで灰炎が宿へ戻るまでに時間がかかったのか。碧玉はいら立った。
「なんなのだ、黄夏礼は! 白宗主であり、次女と婚約している相手を徒歩で帰らせるか? 礼儀知らずめ!」
食堂がシンと静まり返った。
青鈴は口を手で覆い、がたがたと震え始める。
「そ、そんな、婚約? 天祐様、殺されてしまうんですか?」
「いったいどういうことですか。そのありえない話は!」
物陰で話を盗み聞いていたらしき使用人や門弟も飛び出してきた。
「お、おおお、落ち着いてください、銀嶺様!」
「何か事情があるはずです!」
「そうですよ。それに、黄家の次女を殺すのはさすがにまずいかと!」
慌てふためく白家の者達を見て、紫曜が口端を引きつらせる。
「お前、浮気したら天祐殿と相手を殺すと言っていたのは、本気だったのか……」
「私はそんな冗談は言わぬ」
「恐ろしい奴だ」
紫曜は首を横に振り、碧玉に問う。
「それで、まさか殺すんじゃないよな?」
「まさか。引導を渡すにしろ、事情が分からぬのではな。もし天祐がその次女とやらに惚れて、私を忘れたふりをしているのならば、容赦せぬが」
碧玉がくっと口端を吊り上げて笑ってみせると、紫曜が震えた。
「怖すぎる……っ」
「冗談だ」
「お前の冗談は難しい!」
「うるさい」
碧玉はにべもなく切り捨てる。
(とはいえ、油断はできぬな。そういえば黄明月の名に覚えがある。『白天祐の凱旋』で、黄領編でのヒロインではないか?)
碧玉は書物でメインヒロインだった黒雪花ばかり警戒していたが、そもそもあの書物では、行く先々で女に惚れられることで、天祐の男としての魅力さをえがいていたのだ。メインヒロイン以外のヒロインなど、主役に花を添える程度の存在だったから、碧玉は大して気にしていなかった。
(それに、あの話は一つの事件があれば、一人の女ありなのだぞ。いちいち覚えていられるか)
書物に出てくる黄明月なんて、地味なものだった。この女は刺繍画が得意で、天祐との別れ際に赤い月季花(※庚申薔薇のこと)の刺繍を送るのだ。永遠に変わらない愛という意味をこめるが、花言葉にうとい天祐は気づかずにそのまま旅立ったので、読者から黄明月がかわいそうすぎると同情の声があったくらいだ。
「……そういえば、この件の発端は美女画だったか。つまり、女装した私のことだな。ふむ」
ふと、碧玉に名案が浮かんだ。
「なあ、紫曜。美女画の美女が現れたら、黄家も無視できずに門を開けると思わぬか?」
「……へ?」
火鉢の傍に椅子を置き、ぬくぬくと暖をとっていた紫曜は、うっかり椅子から落ちそうになって丹青に支えられる。
「ええと、確かに、無視はできぬだろう。美女画の怪を引き起こした元凶かもしれないと疑うだろうし……」
「妖怪扱いすると?」
「そうだ。だが、黄家は美しいものに目がない。芸術の肥やしになるならば、問題の絵の人物が現れたとしても気にしないだろうな」
「では、それでいこう」
碧玉は問題解決とばかりに、椅子を立つ。部屋に下がって休もうと思ったが、紫曜に呼び止められた。
「待て。いったいどういうことだ? 一人で納得するな」
「だから、美女画の人物として、黄家に乗りこむと言っている。お前は面白い人物を見つけたから連れてきたとでも言えばいい」
「えっ、私が付き添うのか?」
「当たり前だろう。品の良い女は、身分のある者の付き添いも無しに、貴人の屋敷を訪ねたりせぬものだ。そもそもお前は、私が敵地に乗りこむというのに放っておくのか?」
みんなの兄貴なんだろうと付け足せば、紫曜が顔を赤くする。
「お前ときたら! 私のことを友とも思っていないくせに」
「では、先に帰るか?」
「白家には借りがある。天祐殿を見つけただけでは、まだ返し足りない。そもそも、そんな真似をしたら、私が父上から、亡き親友の子を見殺しにしたと叱られるだろうが」
「だろうな」
そうなるだろうから、碧玉は紫曜を巻きこむつもりでいる。
「解決した暁には、借りは全て無くなったことにしてやろう」
「どうしてそんなに上から目線なんだよ」
深いため息をつく紫曜に、碧玉はわずかに振り返って付け足す。
「私は幽霊の身ゆえ、お前の親切には助けられている。ありがとう」
紫曜はぽかんとして、驚きのあまり、椅子から転げ落ちた。
「ええっ。お前っ、礼を言ったのか⁉ あの白碧玉が、私に礼を? 嘘だろう? 頼む、もう一回言ってくれ!」
当然ながら、碧玉は紫曜が騒ぎ立てるのを無視して、そのまま部屋に入った。
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