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3幕 美女画の怪

8 冷たい目

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 夜もすっかり更け、隣の部屋から楽の音が聞こえなくなってきた頃。
 黄夏礼はそろそろ宴をお開きにするだろうと察して、碧玉達は彼らよりも先に、酒楼を出ることにした。

「今後も、どうぞごひいきに」

 店主の男みずから、玄関先まで見送りに来た。
 碧玉と紫曜は鷹揚に頷き、深夜なので人影がほとんど無い通りに出る。そして、寄り道をするふりをして、適当な物陰に潜んだ。

「さすがにこの時期、深夜に張りこむのはつらくないか? 酒を飲んだおかげで、なんとかなりそうだが」
「お前はもう少し霊力を鍛えたらどうだ」
「修業をしても、寒いものは寒いんだよ」

 白い息をはあと吐き、紫曜は手をこすり合わせている。碧玉は首を傾げる。毛皮の羽織物をかけてはいるが、そこまで寒いだろうか。

「白領の厳寒期に比べれば、ここは春のようだ」
「黒領もそうだが……あ、出てきたぞ。なあ、思ったんだが、二人は黄家の馬車で帰るんじゃないか?」
「ならば、天祐の滞在先が黄家とはっきりするゆえ、問題ない」

 紫曜の質問に、碧玉は冷静に答える。
 壁観のほうを見ていると、夏礼と天祐が入口であいさつをしている。夏礼は供を連れて他の酒楼へ入っていった。天祐はそれをじっと見送っている。

「まったく、黄夏礼も好き者なんじゃないか?」

 紫曜がからかうように言った。あの嘆かわしい先代のように、妓楼で女遊びに興じるつもりではないかと、暗に茶化したのだ。
 碧玉のほうは、夏礼がまだ誰かと過ごすつもりなことに、単純に感心さえ覚える。大して知らない相手と過ごすのは、碧玉には疲れるばかりで全く癒されないことなのだ。いっそわざわざ苦行を積みに行っているようにさえ見える。

「宴の何が楽しいのか分からぬな。私は一人で庭を眺めながら茶を飲むほうが、よほど心がおどる」
「いや、お前の趣味はちょっと枯れすぎじゃないか?」

 碧玉はいらついて、紫曜の足を踏みつけた。紫曜が大げさに飛び跳ねる。

「痛い!」
「うるさい」
「先に文句を言えよ」

 碧玉と紫曜が子どもじみたやりとりをしていると、灰炎が碧玉を呼んだ。

「主君、天祐殿が行ってしまいますよ」
「何?」

 そちらを見ると、天祐がこちらと正反対の方向へ、通りを歩いていくところだった。碧玉はその様子に憤慨する。

「まったく、黄夏礼め、客人を歩いて帰らせるとは、なんて礼儀知らずだ。他世家の宗主に対してならば、余計に気を付けるべきだ」
「もしかしたら、天祐殿はこの辺りに宿をとっているから遠慮したかもしれないぞ」
「それでも、だ。せめて提灯持ちくらいは寄越すべきだろう」
「それもそうか」
「とにかく天祐を捕まえねば」
「あ、待てよ」

 碧玉が天祐の背を追って走り出すと、紫曜達も急いでついてくる。
 碧玉は天祐の左腕に手を伸ばす。

「天祐……」
「おわあっ!」

 紫曜の慌てふためいた声とともに、碧玉は後ろに勢いよく引っ張られた。紫曜が碧玉の腹に腕を回して、取り押さえるような動きで退けられたのだ。
 碧玉は体勢を保てず、道端に尻餅をつく。

「何?」

 本気で驚くと、間抜けな言葉しか出てこないものらしい。
 碧玉はあ然として天祐を見上げ、右手で自身の首に触れる。ピリッとした痛みがあった。
 天祐はこちらに剣先を向け、冷たい目で見下ろしている。紫曜がとっさに動かなければ、碧玉は天祐の剣で首を斬り裂かれていた。
 碧玉も武術を使う身なので、何が起きたか見えていたが、納得しがたい。

「天祐……?」
「いきなり触れようとは、無礼だな」

 天祐の声まで、冷ややかなものである。
 この辺りは、夜でもあちこちに明かりがある。碧玉はそれらを頼りに、目の前にいる人物が本当に天祐なのかと、まじまじと観察した。姿形はどう見ても天祐なのに、態度は全く違う。いつもの天祐ならば、犬が尾を振るように、碧玉への好意をあらわにしているところだ。

「主君、大丈夫ですか」
「……ああ」

 灰炎が碧玉に手を貸して立たせ、そのまま碧玉を背に庇う。礼儀として天祐に向けて拱手をした。

「白宗主様、銀嶺様にこのような仕打ち、あんまりでございます。そもそも白家の者は、あなた様を心配しているのに、ろくな説明もなく帰れとおっしゃるのもいかがなものでしょうか」
「家臣の分際で、宗主の決定に口を挟むつもりか。出過ぎた真似をするな」

 天祐は目を細める。明らかな敵意がにじんでおり、灰炎が体を強張らせた。碧玉は流れが悪いことを察した。

(灰炎がこれ以上抗弁すれば、反逆と見なして殺されるかもしれぬな。普段の天祐ならばありえぬことだが)

 碧玉の安全が関わっていなければという前提はあるが、普段の天祐は、優しく温厚な青年なのだ。白家の臣下に、こんな怖い態度をすることはない。
 碧玉は灰炎に命令する。

「灰炎、構わぬ。下がっておれ」
「しかし」
「二度は言わぬ」
「は」

 今度は、碧玉が灰炎を守る番だった。灰炎は渋々という様子で、碧玉の後ろへ移動する。

(気に入らぬ)

 何が起きているのか分からず頭痛がするが、義弟に高圧的な態度をとられるのは、碧玉の矜持が許さない。すっと背筋を伸ばし、普段の冷然とした空気をまとう。

「このような往来で、いきなり剣を抜くほうがどうかしている。そのような礼儀があるとは、お前の兄は教えていないはずだが」

 天祐の眉が不愉快そうにぴくりと動いた。
 紫曜も会話に加わる。

「天祐殿、気づいているのか。君、明らかに様子がおかしいぞ。黄家で何かあったのか。困り事があるなら、私が相談に乗るぞ」

 紫曜がお人よしを発揮して、兄貴風を吹かせることを言った。

「不要です。用件を済ませたら白家へ戻るので、お気遣いされなくて結構ですよ」
「その用件はなんだ? 正月にも帰らなかったら、兄君が悲しむぞ」
「何をおっしゃっているんですか。義兄はすでに亡くなりました」

 天祐はけげんそうに返した。
 紫曜が驚いた顔で、銀嶺を見る。

「ええと……それなら、銀嶺は誰だと思っているんだ?」
「遠縁の食客しょっかくでしょう。白家が文官として雇っている」
「んんん?」

 紫曜は腕を組み、首を傾げる。天祐がため息をついた。

「お酒を過ごされているのでは? 俺は休みたいのでこれで失礼します」

 天祐は会釈をすると、すたすたと歩き始める。
 碧玉は灰炎の名を呼ぶ。

「……灰炎」
「はっ。居所きょしょを把握しておきます」
「うむ」

 すぐに碧玉の意図を察して、灰炎が天祐を遠巻きにして尾行し始める。

「とりあえず宿に戻ろう。寒くてかなわん」
「……ああ」

 碧玉も特に否やはなかった。
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