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2巻後の番外編(読み切り)

番外編 大樹公と人の恋(仮題) 1:真夜中の訪問者

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 満月がこうこうと輝く晩のこと。
 白家の離れでぐっすり寝入っていた碧玉は、キャンキャンと鳴きたてる狐の声により叩き起こされた。

「なんだ、騒がしい」

 碧玉は当然いらだちながら、けだるげに上半身を起こす。
 寝間着からのぞく素肌には、情事の赤い痕が散っている。少し前まで、天祐に愛されていたので、疲労と眠気がひどい。
 その天祐はというと、すでに牀榻を下りて、白狐の首裏を掴んで持ち上げていた。

雪瑛せつえい、なんの真似だ? 兄上の眠りを妨げるとはいい度胸じゃないか」

 天祐は地をはうような低い声で、雪瑛に圧をかける。雪瑛はぶるぶると震えた。

「ひいっ。お、おち、落ち着いてくださいませっ」
「こんな真夜中に、なんの用だ」

 碧玉は天祐の怒りようを見て、逆に冷静になった。雪瑛は少々馬鹿だが、碧玉と天祐に対して恐れを抱いているので、理由もなく、勝手に寝所に入りこんで騒ぐ真似はしない。
 碧玉が質問しているのに、おびえて口が上手く回らないようだ。碧玉はふむと考え、脅すことにした。

「早く答えないと、毛皮にするぞ」
「ひいいっ、ごめんなさい! 言います! 神霊様がご訪問なんですぅ~。あの方を無視するのはまずいかと思いまして!」
「神霊?」

 碧玉と天祐の声が重なる。
 天祐がハッと窓辺を見て、碧玉を左腕で抱き寄せる。
 それでようやく、碧玉は月光が降り注ぐ窓辺に、おぼろげな白い人影が立っているのに気付いた。

「何者だ?」

 天祐が誰何すいかすると、人影は口を開く。

「夜分遅くに失礼する。私は松伯しょうはくと申す者。千年を生きる松の古木に宿る樹霊だ」

 老成した雰囲気はあるが、声は若い。 

松柏しょうはく?」
「いやいや、松だよ。神を意味する伯のほうだ。私がいる村では、大樹公と呼ばれて信仰されていてね。元は精霊だが、長い年月と彼らの信仰で神に近くなったのだ」

 ゆったりとした穏やかな語り口で、松伯は自分について説明する。

「突然の訪問で悪いことをした。私はあまり松から離れられなくてね。今日のように満月の力を借りないと、ここまで来られないんだ。実は白家の宗主に頼み事があってね」
「白家の宗主ならば、この天祐がそうだ」

 碧玉は天祐を示す。天祐は慎重に返事をする。

「まだ約束はできませんが、お話をお伺いしましょう」
「警戒するのは良いことだ。精霊や鬼の言うことを真に受けてはいけないからね。それはそれとして、満月の力を借りていても長居はできない。単刀直入に話す」

 松伯を名乗る白い影は、声に切実さを帯びた。

「私の村に来て欲しい。私の可愛い村人の一人が、得体の知れない者に魅了されている。私もどうにかしようとしたが、追い払うことができなくて困っているのだ。私は豊穣の祝福を授けるのは得意だが、祓魔ふつまは不得意でね。頼みを聞いてくれたら、今代の宗主に祝福を与えると約束しよう」

 松伯は村の名前を告げると、疲れた様子で、大きなため息をついた。

「ああ、そろそろ帰らなくては。来てくれるのなら、早めに頼むよ。これにて失礼する」

 白い影はふっと揺らぎ、煙のように消えた。天祐は白い影が立っていた場所に近づき、床に落ちている松かさを一つ拾い上げる。

「あの影が松の化身なのは、間違いないようですね」
「また辺鄙な場所にある村だな。土着の信仰が残っていてもおかしくはない」

 碧玉は牀榻に横たわり、ふすまの中に戻る。

「神霊には魔除けは効かぬようだな。変に怒らせても面倒だ。雪瑛、起こしに来て正解だ。明日、褒美に菓子をやろう」
「やったあ! ありがとうございます!」

 雪瑛は喜んだが、天祐は雪瑛から手を離さない。

「待て、雪瑛。神霊の訪問に、いつ気付いた?」
「あの方はわたくしが寝ているところにやって来て、部屋の魔除けのせいで天祐様に近づけないから助けてくれとおっしゃるので、手伝いました!」
「つまり、お前が扉を開けて招いたから、中に入ってこられたんじゃないか! 危険な真似をしたんだ、褒美はなしだ」
「えーん」

 雪瑛はしくしくと泣き始める。
 天祐の怒りようも理解できるが、碧玉には気になることがあった。

「雪瑛、どうして招き入れた?」
「だって、松の木に悪い方はいませんもの!」

 雪瑛の答えは、妖怪らしさにあふれている。妖怪視点での善悪について、碧玉は興味をひかれた。研究すれば、祓魔業の役に立つかもしれない。

「ふむ。そうか。今度、話を聞かせよ。――天祐、そやつを放してやれ」
「しかし、兄上」
「寒いから温めろと言っている」
「はい! ただちに!」

 天祐はころりと態度を変え、雪瑛を廊下に放り出すと、寝室の扉をすぐさま閉めた。そして牀榻に戻り、左隣にすべりこんでくる。
 外からしくしくと泣く声が聞こえてきたが、雪瑛は反省するべきなので、碧玉は放っておくことにした。

(しかしまあ、役に立ったのは事実だ。明日、灰炎に菓子を用意させよう)

 勝手に神霊を招き入れた罰は、雪瑛の話を聞かずに廊下へ締め出すことである。それとは別に、神霊との橋渡しをしたことについて、褒美を与える。これで雪瑛が萎縮して、今後、神霊の対応をせずに無視を選ぶほうが困る。
 牀榻に戻った天祐に抱き寄せられながら、碧玉は天祐に賞罰について話しておく。このさじ加減一つで、部下の動きが変わるのだから領地運営では大事なことだ。

「ええ、兄上のおっしゃることは分かります。しかし、雪瑛にはもう一つ罪があるでしょう」
「……なんだ?」

 碧玉は少し考えたが思いつかない。碧玉の問いに、天祐は真剣に答える。

「兄上の眠りを邪魔した罪です」
「……お前という奴は、まったく」

 天祐のいう罪が、碧玉に対して甘すぎる内容だったので、碧玉には呆れるべきなのか照れるべきなのか判断がつきかねた。それに、情をかわした後なので疲れていて眠い。言い返すのも面倒になった碧玉は手っ取り早く天祐を納得させることを選んだ。少しだけ起き上がり、天祐の右頬に口づけをする。

「雪瑛は私の手下ゆえ、私が対処する。よいな?」
「……分かりました」

 天祐は頬を緩めて頷いた。

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