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本編
八章2 <お題:電卓>
しおりを挟む「おめでとう、モリオン!」
初夜から数日、体調をくずしたという名目で、剛樹は部屋に引きこもってのんびり過ごしている。そこへ訪ねてきたアレクサが、喜色満面の笑みで祝福した。
ちょうど長椅子で焼き菓子をつまんでいた剛樹は唐突な言葉に面くらい、焼き菓子を飲みこんで、お茶で流す。それでもやっぱり意味が分からず、銀狼族への礼儀も忘れて、アレクサを見つめる。
「おめでとうというのは?」
こちらにやって来たアレクサは、上品に首を傾げる。後ろでお付きの侍女が、申し訳なさそうに剛樹へ会釈した。剛樹は侍女に会釈を返す。
アレクサは侍女と剛樹のやりとりに気づいているようだが、微笑みとともに流す。剛樹の質問に答えた。
「あら、違ったのかしら。ユーフェ様とあなたは番になったのでしょう?」
「……は?」
もしかして、ユーフェと剛樹がベッドインしたことは、王宮中に広まっているのだろうか。
剛樹は恥ずかしさで、顔を真っ赤にした。
「あら、よく熟れたラズリアプラムみたい」
「どうして知ってるんですか? まさか、ユーフェさんが……?」
「まさか、違うわよぉ~。いえ、合っているのかしら? ユーフェ様ったら、分かりやすいんですもの。恋を叶えた銀狼族特有の幸せオーラをまき散らしていらっしゃるから」
剛樹は口をぱくぱくと開閉する。
ユーフェが幸せならうれしいが、恋に浮かれて態度がダダ漏れになっているのは、剛樹としては恥ずかしい。
赤くなったり青くなったりと忙しい剛樹の様子に、アレクサの可愛らしい笑い声が弾けた。
「ふふふ! あなたの気持ちはとってもよく分かるわ、モリオン。わたくしも、殿下があんな態度だったら照れていたわ。実際は、わたくしの希望を汲んで、表に出さないでくれていたけれど」
そんなフェルネン様も見てみたかったかもしれないと、アレクサはのろけをこぼす。
「結婚の予定は決めているの?」
「いえ、急なことだったので……」
剛樹はアレクサを立たせたままだとようやく気づき、アレクサに向かいに座るように促した。そこへ、執事がお茶と菓子を用意して現れる。執事はアレクサにちくりと注意する。
「妃殿下、異性の居室を訪問なさいますと、王太子殿下が嫉妬なさいますよ」
「あら、いずれ義弟となる方を訪ねたところで、殿下は怒りませんわよ。気になるなら、あなたが同席すればいいわ」
「では、そうさせていただきます。私がいてもよろしいですか、モリオン様」
執事は頷いて、剛樹に確認する。
「もちろんです、ありがとう」
剛樹はほっとした。アレクサは気さくな女性だが、モリオンにとっては緊張する存在だ。
「それで、お話の続きを聞かせてくれるかしら」
「王太子殿下以外には言わないでくださいね」
剛樹は念のためにそう断ってから、ユーフェに起きた事件について教えた。
「あらまあ! 彼女が投獄されたのは聞いていたけれど、そんなことをしでかしたの? てっきりユーフェ殿下にしつこくして、兄君らの怒りを買ったのかと思っていましたわ」
アレクサは詳細を知らなかったようで、目をまん丸にして驚いている。後ろの侍女は嘆かわしいと言いたげに、首を横に振った。
「それでその……」
「寝室を共にしたのね! ……一応確認しますけれど、無理矢理ではないのですよね? 合意の上で?」
「ええ」
ユーフェの家族に誤解されて、ユーフェが困った立場になってはいけないので、剛樹ははっきりと肯定する。詳細を尋ねるアレクサに、剛樹は嫉妬したことまで打ち明けるはめになった。
アレクサの黄色い歓声が上がる。
「きゃっ、ロマンス小説みたい! モリオン、あなたってなんて優しいのかしら。ユーフェ殿下の新しい婚約者がこんな方で良かったわ。義理の姉としても安心よ」
「……そうでしょうか。俺、漂流してきたので、身寄りもありませんし……。ユーフェさんに頼りきりなので、釣り合いはとれてない気がします」
剛樹が不安を吐露すると、アレクサは微笑んだ。
「気持ちは理解できるわ。わたくしも、王太子殿下との釣り合いを気にすることはありますもの。でも、この場合、どちらかといえば、気にすべきはユーフェ殿下のほうですわね」
「どうしてですか?」
「身寄りのないあなたを、身分をかさにきて、無理矢理迫ったのではないかと心配してしまうわ。王族は民の模範にならなければならないから、もちろんそれは良くないことなの」
「そんなことありませんよ! むしろ俺のほうが……お世話になっている立場を利用して……と陰口を叩かれませんか? いじめられません?」
おどおどして落ち着かない剛樹に、アレクサは微笑ましげに目を細めて言う。
「いじめられたら、わたくしに教えてちょうだい。ユーフェ王子殿下は兄君方に溺愛されていらっしゃるから、その殿下の番をいじめたとなれば、黙っていませんわ」
「へ……?」
「そういう時こそ、家族の力を結集させるべきなのです。とはいえ、ほとんどの貴族はそのことをよくご存知ですから、あなたを悪く扱うと思いませんわ。そもそも、ユーフェ殿下が守るでしょう。そうですわよね?」
アレクサは扉の向こうへと話しかけた。剛樹がいったいどうしたのかとそちらを見ると、ユーフェが申し訳程度にノックをしてから、気まずげな顔を覗かせる。左手には紙袋を持っているようだ。
アレクサはユーフェに皮肉を投げる。
「王子殿下ともあろうお方が盗み聞きだなんて……大層ご立派な礼儀作法ですこと」
「うっ。申し訳ない……」
ユーフェは耳をぺたんと寝かせ、反省を示している。剛樹は驚きを隠せない。
「えっ、アレクサ様、扉の向こうにユーフェさんがいることに気づいてたんですか?」
「わたくしも、多少の武術はたしなんでおりますから。気配程度は分かりますわ」
剛樹は面食らった。
(気配? バトルものの少年漫画みたいなことを言うなあ)
運動音痴の剛樹には、武芸のことなど分からない。何かしら、彼らには分かるものがあるのだろうと、ひとまず理解を示す。
「そうなんですね」
「銀狼族は耳も良いし、鼻がきく。そちらで気づくことも多いぞ。ところでモリオン、部屋に入ってもよいか」
律儀に入室の許可を求めるユーフェを、剛樹はきょとんと見つめた。
「どうしてそんなことを聞くんです? お好きにどうぞ」
「銀狼族はテリトリーを大事にするし、今は客がいるだろうに」
確かに、アレクサがいるのだから礼儀を気にするべきだった。剛樹は苦笑した。
「そうですね。アレクサさん、ユーフェさんにも同席してもらって構いませんか」
剛樹が客に許可を求めると、アレクサは頷いた。
「もちろんですわ」
ようやく部屋に入ってきたユーフェは、剛樹の隣に座っていいか確認してから腰を下ろす。執事がすぐにユーフェの分のお茶と菓子を給仕した。
「先ほどの質問だが、愚問だな。そもそも番でなくとも、私はモリオンの後見人なのだ。周りの干渉から守るに決まっている」
「ユーフェさん……!」
剛樹は目を輝かせた。
番でなくても守ると宣言するあたり、ユーフェの誠実さがよく分かる。恋人関係になったせいか、優しい上に格好良いとまで思える。
「うふふ。銀狼族の男たるもの、そうでなくては」
アレクサはうれしそうに微笑んだ。
「ところで、アレクサ嬢はなぜここに?」
「お二人は番になられたのでしょう? 祝福を言いに来ましたの。それから、頼んでいた絵の進捗確認ですわ」
「はあ。どちらが建前かは聞かぬことにする」
ユーフェは呆れをこめてつぶやいた。
「ああ、そうだったんですね。ここ数日、のんびり過ごしていたので、何枚かはラフが完成したんですよ。少し待っていてください」
剛樹は寝室からスケッチブックを取ってくると、アレクサにラフ画を見せた。
「まあ、まあああ!」
アレクサは興奮した様子で、銀狼族の男達が並んでいる絵を食い入るように見つめる。
「これでいいなら、ペン画で清書します。色はつけたほうがいいんですか?」
「ええ、今回はそうしてくださいませ!」
「今回は……?」
「こんなに素晴らしいのですもの。次回はわたくしの本の挿絵を依頼したいですわ」
「分かりました。俺も楽しみにしています」
アレクサは剛樹の絵を気に入ってくれたようだ。剛樹の絵を喜んでくれているのがうれしくて、剛樹ははにかんだ笑みを浮かべる。
アレクサと色の打ち合わせもしてから、メモを書いておく。
「さあ、わたくしの用事は終わりましたわ。ユーフェ様の番です、どうぞ」
「ああ、アレクサ嬢ならば構わぬか。実は異世界漂着物から、分からないものがあるとジェラルドに押しつけられてな。本当はモリオンを呼びたかったそうだが、体調が悪いからと止めていたら、持っていけと言われてしまい」
ユーフェは左手に持っていた紙袋から、いくつかの物を取り出した。剛樹は一つずつ取り上げる。
「これはたぶん、キャンドルホルダーですね。これはテレビのリモコンかな? これ一つだとなんの意味もありません。あ、綺麗な貝ボタンに、ガラスボタン」
ガラス工芸品が混ざっており、剛樹は思わず指先でつまんだ。教師の一人がこういったものが好きで、絵の題材にと見せてくれたことがある。
「これはボタンなの? 貝製も、ガラス製も、どちらも綺麗ね」
アレクサはうっとりと眺めている。
「でも、銀狼族はボタンの服は大変なのよね」
「ただの飾りでつければいいじゃないですか」
「え? 飾りで?」
「飾りボタンってそういうものですよ」
「面白いわね。フェルネン様に許可をいただいたら、服の装飾に取り入れてみるわ」
飾りでボタンをつけるという考えがなかったらしく、アレクサはうれしそうに目を輝かせた。服飾については、剛樹は口を挟まないことにしている。絵を描くのは好きだが、服のデザインセンスがあるかは微妙なところだ。
それから、剛樹は最後の箱に目をとめた。
「これって電卓じゃないか。ユーフェさん、箱を開けていいですか?」
「ああ」
電卓が入っている箱には、剛樹がいた日本の時代より二年前の製造年月日が書かれている。紙製の箱なので、水に濡れて壊れているかもしれないと思ったが、ビニール袋で梱包されていた。
ソーラー電池に光を当てながら、電源を押すと、数字のゼロが電子板に浮かび上がる。
「あ、使えるみたいです。この袋も開けていいですか?」
「ああ、構わぬ。ジェラルドには好きにするように言われているからな」
ユーフェの許可が出たので、剛樹はビニール袋を破り、中から銀色のボディーをした電卓を取り出した。
「これはなんなんですの?」
「俺の国……というより世界で広まっている計算機ですよ。足し算や引き算、掛け算や割り算を簡単にできるんです」
「まあ、すごいわ! ちょうどいいところに、あなたへの絵の報酬の見積書を持ってきたの。その文字は読めないから、わたくしが読み上げる数字を、そちらで試しに計算してみて」
「はい」
アレクサに言われるまま、剛樹は計算機を叩く。
「合計はこの数字で合ってますか?」
「ええ、正解よ!」
「正解なんですか。そんなにいただいていいんでしょうか」
「わたくし、あなたを天才絵師として広めてみせますわ!」
飾りボタンを見た時は少女のように目を輝かせていたアレクサが、今度は燃え盛る情熱をたたえて、元気に宣言した。
「あの……買いかぶりすぎです。そんなに持ち上げないでください。誰かに期待されて、実際を見てがっかりされたら悲しいので」
想像しただけでダメージを負い、剛樹はうつむいた。慌てたのはアレクサだ。
「まあっ、そんなに落ちこまないでくださいませ」
「モリオン、私から見ても、お前の絵は上手いと思うぞ。もう少し自信を持つといい」
「でも……」
そう言われたって、剛樹にはこの異世界で自分の絵が認められるのか分からないのだ。
「とにかく、わたくしはあなたの絵が大好きですわ。引き続きお願いしますわね。半額をお支払いしておきます」
アレクサがそう言うと、侍女が美しい木彫りの箱を剛樹の前に置いた。蓋を開けると、銀貨がぎっしりと入っている。
「完成してからで構いませんよ?」
「いいえ、逃げられては困りますもの。塔に帰るのは、絵を完成させてからにしてくださいね」
アレクサは剛樹が塔に帰ることを心配して、進捗確認に来たみたいだ。確かに、パーティーが終わったので、剛樹はいつでも塔に帰ることができる。
「分かりました。塔に帰るためにも、がんばって完成させます」
塔に帰れるのだと気づいたら、剛樹はがぜんやる気が湧いてきた。
「ええ、よろしくお願いしますわね。ではお二人とも、結婚式の日取りが決まったら教えてくださいね」
アレクサは笑顔でそう言うと、浮き浮きした足取りで帰っていった。
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